僕は御茶ノ水勤務のサラリーマン。新宿で転職の話をしたら、渋谷で探索者をすることになった。(書籍版・普通のリーマン、異世界渋谷でジョブチェンジ)
命より大事な何か。
「お兄ちゃん、セリエは?」
ユーカが僕のコートの裾を引いて言う。
答えられなかった。というより言いたくなかった。僕の顔を見て察したんだろう。ユーカがオルミナさんの手を取った。
「お姉ちゃん……お願い、門を開けて、セリエの所に」
「やめなさい、ユーカ、貴方まで死ぬわ」
オルミナさんが疲れた顔で、きっぱりとユーカの言葉を拒絶した。
「やだ!絶対に嫌!」
ユーカが叫ぶ。今まで聞いたことがないほどの強い口調だ。
「ユーカ!」
「……セリエをね、見殺しにするくらいなら一緒に死んだ方がいい。お願い、お姉ちゃん」
「スミト、この子を止めなさい。貴方の奴隷でしょ」
そういえば、僕の命令は聞くんだっけ。ユーカが怯えたような顔で僕を見る。
どういえばいいのか……考えが纏まらない。ユーカが俯いて、跪いた。
「お願いです……私だけでいいですから、いかせてください……ご主人様
セリエのそばにいてあげたいんです。お願いします」
ユーカが涙声で言う。
「もし……あたしとセリエが死んだら……」
ユーカが下を向いたまま絞り出すように言った。
「ごめんなさい。お母さまがお金を払って」
「……黙れ」
そんな話は聞きたくない。シェイラさんに、あなたの娘とセリエが死んだから奴隷の代金を払えって僕に言わせる気か。
ユーカが僕を見上げた。
「だって。だって……
セリエはまだ生きてるんでしょ……じゃあ行かないと、あたし」
上を向いて涙をこらえていたユーカがしゃくりあげるように泣き出した。
「セリエはあたしの為に……ずっと辛い思いをしてあたしを守ってくれたの。セリエがいたから生きてこれた
だから……一緒にいないと………だめなの。一人ぼっちになんて……」
……きっと、やさしく抱きしめて、セリエの気持ちを考えよう、とか、ここで戻ってもセリエは喜ばない、とか、そういう風に言うのが、正論なんだろうな、と思った。
それはわかる。そのくらいは分かる。でも。
言おうとして辞めた。
だって、僕自身がそれを正論だからそうすべきだ、なんて思ってないんだから。
「僕も行く」
一度口に出すと決意が固まった。今までにも経験がある。
不思議なもんだけど、言葉にするって大事なことだ。
「オルミナさん申し訳ないですけど門を開けてください。
あいつを……見捨てることはできない」
オルミナさんがうんざりしたように顔をしかめた。
「そういうと思ったわ……あなたのそういうところは好きよ」
「なら」
「でも諦めなさい。危険が分からないはずはないでしょ?
ここであの子を助けに戻って、喜ぶと思うの?あの子の気持ちを分かってあげなさい」
僕がさっきユーカに言おうとしたことで、これがやっぱり正論なんだろうな。
今から思うと。僕の後ろで消えかけた門をセリエは見たんだろう。間に合わないと判断して僕だけを門に押し込んだんだ。
「あの子がレブナントに八つ裂きにされているのを見るかもしれないのよ?
治癒も使えないあなたに何ができるの?」
オルミナさんが淡々と言い募る。そんな場面をみて正気でいられる自信は無いけど。
「分かってますよ……でも行かないと」
うまく行くかは分からない。もしかしたらもう遅いのかもしれない。
でも、成功するかしないかは多分関係ない。行かないとおそらくそれを死ぬまで悔やむだろう。あの時行っておけば、もしかしたら、と思い続けることになるんだ。
オルミナさんが首を振って都笠さんの方を見た。
「スズ!この馬鹿を何とかしなさい!」
「都笠さん……」
一緒に来てほしいと思ったけど、さすがに言えなかった。
流石に今度はあの旧市街に突撃するのとは危険度が違いすぎる。あの時は相手は人間だった。少なくとも話は通じる相手だった。でも今回は違う。
「都笠さん、あの」
「風戸君はさ……いい奴だけどね。でも一つ聞いていい?」
都笠さんが僕の言葉を手で制した。
「なにが?」
「あたしがさ、例えば危険なことをやらざるを得なくなったとして、風戸君、危険だから来なくていいよ、あたし一人で行くから、って言ったらさ。
……ああ、よかった、危険なことに巻き込まれなくて済んだ、僕はラッキーだって思うわけ?」
「……それは」
「そういうのってさ、親切かな?……置いていくのは親切かな?
……あたしはあんまりそうは思わないけど。どう思う?」
そういって、都笠さんが真剣な目で僕を見る。
「どういえばいいか、分かるわよね」
「……一緒に来てほしい。セリエを助けたい」
都笠さんがよくできました、と言わんばかりに笑った。
「要救助者を助けることによって被害が大きくなりそうなときはさ、救助に行かないのはセオリーって自衛隊では教えてるんだけどさ」
「うん」
そういうのは聞いたことあるな。
「でも、今言ったこと教えてるくせに、仲間の部隊が孤立してるから救援部隊の志願を募るって言ったらみんな挙手するのよ?バカじゃないかと思うわ」
そういって都笠さんがやれやれって感じで手を振る。
「でもさ、それが仲間ってもんでしょ。
それに、同じことを二度言わせないでね。
あたしは、誰かが大事な友達を助けに行こうってときに、ここで一人でお茶飲んで休んでるつもりはないわ」
「その意気やよし!」
声の方を見ると、ダナエ姫が立ち上がっていた。マントのように羽織っていた着物を籐司朗さんに放り投げる。
「さすがはサムライの国の者たちよ。妾も参ろう。ソウテンイン、伴をせよ」
「いえ、ダナエティア姫、そういうわけにはいきませんぞ。竜殺し殿も落ち着かれよ」
ジェレミー公が止めようとするけど、ダナエ姫がそれを無視して僕を見た。
「スミト、ノエルは死んだのか?」
「いえ……生きてます」
多分、という言葉を飲み込んだ。セリエと同じ状況だから今どうなっているか分からないけど。
「聞いた通りじゃ。妾の旗下が取り残されておる。
ならば妾が助けに参るのに何の障りもないな」
ジェレミー公を一瞥してダナエ姫が言う。
ジェレミー公が何か言おうとしたけど、ダナエ姫が一睨みする。ジェレミー公が渋い顔をして引き下がった。
「私としては賛同いたしかねますが……」
着物をたたんで腕にひっかけたまま籐司朗さんが言う
「義を見てせざるは勇無きなり。窮地に陥っているものを見捨てるのは武士道ではあるまい。
……それにじゃな」
ダナエ姫がそういって意味ありげに僕を見て笑う。
「窮地に陥ったものを死地に飛び込んで救う妾の勇姿。
それを見ればあの強情なスミトも、我が姫様、そのお姿感じ入りました、私の忠誠をお受入れ下さい、と申すに相違ない」
「……たぶん無理ではないかと思いますがね。まあ行くならお供いたしますよ」
籐司朗さんがやれやれって感じで首を振って着物をギルドの係官に渡して、腰に刀を差す。
「ポーションを持っている者、すまぬが譲ってもらいたい」
ダナエ姫が言うと、探索者やギルドの係官が持っていたポーションを出してくれる。
大した傷はないけど、最後のセリエの魔法を受けた時の痛みがあるし、高火力版の魔弾の射手を三連発したから魔力は消耗している。
魔力回復のポーションと回復のポーションを飲む。重たい疲労感が抜けて行って、さっきのセリエの魔法の鈍い痛みが消えた。これならいける。
「オルミナさ」
「いい加減にしなさい!」
声を掛けようとしたら、オルミナさんが怒鳴った。
◆
疲れ切ったって顔にはっきりとした怒りの表情が浮かんでいた。
「どうしてあんた達は、人間はこう馬鹿ばかりなの。
状況が分からなわけじゃないでしょう?諦めるってことをしらないの、あんたたちは?」
「安心せよ。妾とソウテンインは一騎当千。なんの憂いも必要ないぞ」
「そんなことを言ってるんじゃないのよ!」
オルミナさんがダナエ姫に怒鳴り返す。
「あんた達は……放っておいたら花が散るみたいにいつの間にかいなくなっているのに……短い寿命を、もう少し……」
「すみません……でも行かないと」
オルミナさんが僕を睨みつける。
でも、今から車で行ったらとてもじゃないけど間に合わない。オルミナさんに門を開けてもらわないと。
何か言おうかと思ったけど、どれだけ言葉を尽くしても上滑りしてしまう気がした。気持ちを込めてオルミナさんを見つめ返す。
睨み合いみたいな間があって、オルミナさんが舌打ちした
「……ポーションを寄越しなさい」
「え?」
「あたしも魔力が限界に近いのよ。早くしなさい」
「あっ、はい」
ポーションを差し出すと、オルミナさんが封を切って一呑みした。
忌々し気にポーションの陶器の瓶を地面に叩きつけて、瓶が粉々に割れる。
「済みません……有難う御座います」
それには応えず、オルミナさんが何かを唱えた。空中に黒い水面のような門が形成され始める。
都笠さん、ダナエ姫と籐司朗さん、ユーカが門のところに集まってくる。オルミナさんがユーカの方を一瞥した。
「ユーカ、あなたはいけない」
「なんで!なんで?」
「この距離だと4人くぐれる門を作るのが精いっぱいだわ。あなたは残りなさい」
「いやだ!あたしも」
抗議の声を上げるユーカをオルミナさんが冷たい目でユーカを見下ろした。
これだけは絶対に譲らない、というオルミナさんの無言の声が聞こえるようだ。言いつのろうとしたユーカが唇をかんでてうつむく。
しばらく睨み合って、ユーカが僕の方を向き直って、そのまま無言で胸に縋りついてきた。
軽く肩を抱いてあげると、体が震えていて。声を殺して泣いているのが分かった。
セリエとユーカの絆はそれなりに付き合いが長くなった僕でもまだ計り知れないものはある。
自分で行けないのは耐え難い気持ちだろうけど……オルミナさんが言うんならどうしようもない。
……オルミナさんは子供を危険にさらしたくない、と思ってるというのは教えてくれたことがある。本当に4人しか門を抜けられないのか。
……でもそれは今気にしても仕方ないことだな。
「お願い、お兄ちゃん、お姉ちゃん……死なないで……死なないで」
胸に縋りついたまま、ユーカが絞り出すような声で言う。
ここで、大丈夫だよ、多分、なんて言ってはいけないことくらいは僕にも分った。
震えるユーカを抱き寄せる。
「約束するよ。必ず帰ってくる。僕はウソついてないでしょ」
約束は誰かにするものであると同時に、自分への誓いだ。
必ず生きて帰る、一人にはしない。
都笠さんが僕の肩をポンと叩いて親指を上に向けるGJサインを送ってくれた。指揮官は不安でも不安を見せるな、とか前に言われた気がする。上に立つ、と言うのは大変だと思う。
「大丈夫だよ」
もう一度ユーカを強く抱いて繰り返した。
オルミナさんの方を見ると、黒い水面のような門が揺れるように段々大きくなっていく。
「まだですか?」
「もうすぐよ。この人数を送る門は時間がかかるわ」
さっきまでの感情的な口調はなりを潜めて、いつも通りに落ち着いた口調でオルミナさんが言う。
最大射程に近い所に門を開けるのはさすがに大変なんだろう。でも一秒でも早く行きたいときにはそのわずかな時間がもどかしい。
「……これを持っていきなさい」 
そういってオルミナさんが胸の谷間から取り出したのは、ネックレスのような細い鎖につながれた小さな小瓶だった。
瓶の中身が淡い白い光を放っていて、見た目は宝石というかコアクリスタルに見える。
「ほう、お主、珍しいものを持っておるの」
ダナエ姫が驚いたようにその小さな瓶を見た。
「エルフの治癒の霊薬よ。傷をすべて癒してくれる
言っておくけど、とても貴重で、高価な品よ。あたしのとっておき。必要ならこれを飲ませなさい……ただし」
「はい」
「昔、いたのよ。死んだ仲間に治癒を掛けたバカがね。
その子は死んだわ……一緒に仲良く魔獣に食い殺された」
オルミナさんが吐き捨てるように言う。
「この薬は生きている者にしか効かない。死者をよみがえらせる力はないわ。
死んだ子に飲ませるのはあなたの感傷よ。意味はないわ。割り切りなさい……つらくてもね
あの子が死んで、あなたまで死んだら、あの子は何のために死んだか分からなくなる」
死と言う単語が胸に突き刺さってくる。
「あの子の事を思うなら、最後の場で現実逃避はしてはいけないわ。
バカなことをしないと、生き延びるために最善を尽くすと誓いなさい」
普段のちょっと本心が知れない口調じゃない、本音を言ってくれているんだろうというのが分かった。
小さなガラスの瓶を受け取る。
「……有難う御座います」
オルミナさんが何か言いたげな表情を浮かべて、口をつぐんだ。
「……生きて帰りなさい、必ず。いいわね。
【鍵の主が命ずるわ、門よ、開きなさい】」
ユーカが僕のコートの裾を引いて言う。
答えられなかった。というより言いたくなかった。僕の顔を見て察したんだろう。ユーカがオルミナさんの手を取った。
「お姉ちゃん……お願い、門を開けて、セリエの所に」
「やめなさい、ユーカ、貴方まで死ぬわ」
オルミナさんが疲れた顔で、きっぱりとユーカの言葉を拒絶した。
「やだ!絶対に嫌!」
ユーカが叫ぶ。今まで聞いたことがないほどの強い口調だ。
「ユーカ!」
「……セリエをね、見殺しにするくらいなら一緒に死んだ方がいい。お願い、お姉ちゃん」
「スミト、この子を止めなさい。貴方の奴隷でしょ」
そういえば、僕の命令は聞くんだっけ。ユーカが怯えたような顔で僕を見る。
どういえばいいのか……考えが纏まらない。ユーカが俯いて、跪いた。
「お願いです……私だけでいいですから、いかせてください……ご主人様
セリエのそばにいてあげたいんです。お願いします」
ユーカが涙声で言う。
「もし……あたしとセリエが死んだら……」
ユーカが下を向いたまま絞り出すように言った。
「ごめんなさい。お母さまがお金を払って」
「……黙れ」
そんな話は聞きたくない。シェイラさんに、あなたの娘とセリエが死んだから奴隷の代金を払えって僕に言わせる気か。
ユーカが僕を見上げた。
「だって。だって……
セリエはまだ生きてるんでしょ……じゃあ行かないと、あたし」
上を向いて涙をこらえていたユーカがしゃくりあげるように泣き出した。
「セリエはあたしの為に……ずっと辛い思いをしてあたしを守ってくれたの。セリエがいたから生きてこれた
だから……一緒にいないと………だめなの。一人ぼっちになんて……」
……きっと、やさしく抱きしめて、セリエの気持ちを考えよう、とか、ここで戻ってもセリエは喜ばない、とか、そういう風に言うのが、正論なんだろうな、と思った。
それはわかる。そのくらいは分かる。でも。
言おうとして辞めた。
だって、僕自身がそれを正論だからそうすべきだ、なんて思ってないんだから。
「僕も行く」
一度口に出すと決意が固まった。今までにも経験がある。
不思議なもんだけど、言葉にするって大事なことだ。
「オルミナさん申し訳ないですけど門を開けてください。
あいつを……見捨てることはできない」
オルミナさんがうんざりしたように顔をしかめた。
「そういうと思ったわ……あなたのそういうところは好きよ」
「なら」
「でも諦めなさい。危険が分からないはずはないでしょ?
ここであの子を助けに戻って、喜ぶと思うの?あの子の気持ちを分かってあげなさい」
僕がさっきユーカに言おうとしたことで、これがやっぱり正論なんだろうな。
今から思うと。僕の後ろで消えかけた門をセリエは見たんだろう。間に合わないと判断して僕だけを門に押し込んだんだ。
「あの子がレブナントに八つ裂きにされているのを見るかもしれないのよ?
治癒も使えないあなたに何ができるの?」
オルミナさんが淡々と言い募る。そんな場面をみて正気でいられる自信は無いけど。
「分かってますよ……でも行かないと」
うまく行くかは分からない。もしかしたらもう遅いのかもしれない。
でも、成功するかしないかは多分関係ない。行かないとおそらくそれを死ぬまで悔やむだろう。あの時行っておけば、もしかしたら、と思い続けることになるんだ。
オルミナさんが首を振って都笠さんの方を見た。
「スズ!この馬鹿を何とかしなさい!」
「都笠さん……」
一緒に来てほしいと思ったけど、さすがに言えなかった。
流石に今度はあの旧市街に突撃するのとは危険度が違いすぎる。あの時は相手は人間だった。少なくとも話は通じる相手だった。でも今回は違う。
「都笠さん、あの」
「風戸君はさ……いい奴だけどね。でも一つ聞いていい?」
都笠さんが僕の言葉を手で制した。
「なにが?」
「あたしがさ、例えば危険なことをやらざるを得なくなったとして、風戸君、危険だから来なくていいよ、あたし一人で行くから、って言ったらさ。
……ああ、よかった、危険なことに巻き込まれなくて済んだ、僕はラッキーだって思うわけ?」
「……それは」
「そういうのってさ、親切かな?……置いていくのは親切かな?
……あたしはあんまりそうは思わないけど。どう思う?」
そういって、都笠さんが真剣な目で僕を見る。
「どういえばいいか、分かるわよね」
「……一緒に来てほしい。セリエを助けたい」
都笠さんがよくできました、と言わんばかりに笑った。
「要救助者を助けることによって被害が大きくなりそうなときはさ、救助に行かないのはセオリーって自衛隊では教えてるんだけどさ」
「うん」
そういうのは聞いたことあるな。
「でも、今言ったこと教えてるくせに、仲間の部隊が孤立してるから救援部隊の志願を募るって言ったらみんな挙手するのよ?バカじゃないかと思うわ」
そういって都笠さんがやれやれって感じで手を振る。
「でもさ、それが仲間ってもんでしょ。
それに、同じことを二度言わせないでね。
あたしは、誰かが大事な友達を助けに行こうってときに、ここで一人でお茶飲んで休んでるつもりはないわ」
「その意気やよし!」
声の方を見ると、ダナエ姫が立ち上がっていた。マントのように羽織っていた着物を籐司朗さんに放り投げる。
「さすがはサムライの国の者たちよ。妾も参ろう。ソウテンイン、伴をせよ」
「いえ、ダナエティア姫、そういうわけにはいきませんぞ。竜殺し殿も落ち着かれよ」
ジェレミー公が止めようとするけど、ダナエ姫がそれを無視して僕を見た。
「スミト、ノエルは死んだのか?」
「いえ……生きてます」
多分、という言葉を飲み込んだ。セリエと同じ状況だから今どうなっているか分からないけど。
「聞いた通りじゃ。妾の旗下が取り残されておる。
ならば妾が助けに参るのに何の障りもないな」
ジェレミー公を一瞥してダナエ姫が言う。
ジェレミー公が何か言おうとしたけど、ダナエ姫が一睨みする。ジェレミー公が渋い顔をして引き下がった。
「私としては賛同いたしかねますが……」
着物をたたんで腕にひっかけたまま籐司朗さんが言う
「義を見てせざるは勇無きなり。窮地に陥っているものを見捨てるのは武士道ではあるまい。
……それにじゃな」
ダナエ姫がそういって意味ありげに僕を見て笑う。
「窮地に陥ったものを死地に飛び込んで救う妾の勇姿。
それを見ればあの強情なスミトも、我が姫様、そのお姿感じ入りました、私の忠誠をお受入れ下さい、と申すに相違ない」
「……たぶん無理ではないかと思いますがね。まあ行くならお供いたしますよ」
籐司朗さんがやれやれって感じで首を振って着物をギルドの係官に渡して、腰に刀を差す。
「ポーションを持っている者、すまぬが譲ってもらいたい」
ダナエ姫が言うと、探索者やギルドの係官が持っていたポーションを出してくれる。
大した傷はないけど、最後のセリエの魔法を受けた時の痛みがあるし、高火力版の魔弾の射手を三連発したから魔力は消耗している。
魔力回復のポーションと回復のポーションを飲む。重たい疲労感が抜けて行って、さっきのセリエの魔法の鈍い痛みが消えた。これならいける。
「オルミナさ」
「いい加減にしなさい!」
声を掛けようとしたら、オルミナさんが怒鳴った。
◆
疲れ切ったって顔にはっきりとした怒りの表情が浮かんでいた。
「どうしてあんた達は、人間はこう馬鹿ばかりなの。
状況が分からなわけじゃないでしょう?諦めるってことをしらないの、あんたたちは?」
「安心せよ。妾とソウテンインは一騎当千。なんの憂いも必要ないぞ」
「そんなことを言ってるんじゃないのよ!」
オルミナさんがダナエ姫に怒鳴り返す。
「あんた達は……放っておいたら花が散るみたいにいつの間にかいなくなっているのに……短い寿命を、もう少し……」
「すみません……でも行かないと」
オルミナさんが僕を睨みつける。
でも、今から車で行ったらとてもじゃないけど間に合わない。オルミナさんに門を開けてもらわないと。
何か言おうかと思ったけど、どれだけ言葉を尽くしても上滑りしてしまう気がした。気持ちを込めてオルミナさんを見つめ返す。
睨み合いみたいな間があって、オルミナさんが舌打ちした
「……ポーションを寄越しなさい」
「え?」
「あたしも魔力が限界に近いのよ。早くしなさい」
「あっ、はい」
ポーションを差し出すと、オルミナさんが封を切って一呑みした。
忌々し気にポーションの陶器の瓶を地面に叩きつけて、瓶が粉々に割れる。
「済みません……有難う御座います」
それには応えず、オルミナさんが何かを唱えた。空中に黒い水面のような門が形成され始める。
都笠さん、ダナエ姫と籐司朗さん、ユーカが門のところに集まってくる。オルミナさんがユーカの方を一瞥した。
「ユーカ、あなたはいけない」
「なんで!なんで?」
「この距離だと4人くぐれる門を作るのが精いっぱいだわ。あなたは残りなさい」
「いやだ!あたしも」
抗議の声を上げるユーカをオルミナさんが冷たい目でユーカを見下ろした。
これだけは絶対に譲らない、というオルミナさんの無言の声が聞こえるようだ。言いつのろうとしたユーカが唇をかんでてうつむく。
しばらく睨み合って、ユーカが僕の方を向き直って、そのまま無言で胸に縋りついてきた。
軽く肩を抱いてあげると、体が震えていて。声を殺して泣いているのが分かった。
セリエとユーカの絆はそれなりに付き合いが長くなった僕でもまだ計り知れないものはある。
自分で行けないのは耐え難い気持ちだろうけど……オルミナさんが言うんならどうしようもない。
……オルミナさんは子供を危険にさらしたくない、と思ってるというのは教えてくれたことがある。本当に4人しか門を抜けられないのか。
……でもそれは今気にしても仕方ないことだな。
「お願い、お兄ちゃん、お姉ちゃん……死なないで……死なないで」
胸に縋りついたまま、ユーカが絞り出すような声で言う。
ここで、大丈夫だよ、多分、なんて言ってはいけないことくらいは僕にも分った。
震えるユーカを抱き寄せる。
「約束するよ。必ず帰ってくる。僕はウソついてないでしょ」
約束は誰かにするものであると同時に、自分への誓いだ。
必ず生きて帰る、一人にはしない。
都笠さんが僕の肩をポンと叩いて親指を上に向けるGJサインを送ってくれた。指揮官は不安でも不安を見せるな、とか前に言われた気がする。上に立つ、と言うのは大変だと思う。
「大丈夫だよ」
もう一度ユーカを強く抱いて繰り返した。
オルミナさんの方を見ると、黒い水面のような門が揺れるように段々大きくなっていく。
「まだですか?」
「もうすぐよ。この人数を送る門は時間がかかるわ」
さっきまでの感情的な口調はなりを潜めて、いつも通りに落ち着いた口調でオルミナさんが言う。
最大射程に近い所に門を開けるのはさすがに大変なんだろう。でも一秒でも早く行きたいときにはそのわずかな時間がもどかしい。
「……これを持っていきなさい」 
そういってオルミナさんが胸の谷間から取り出したのは、ネックレスのような細い鎖につながれた小さな小瓶だった。
瓶の中身が淡い白い光を放っていて、見た目は宝石というかコアクリスタルに見える。
「ほう、お主、珍しいものを持っておるの」
ダナエ姫が驚いたようにその小さな瓶を見た。
「エルフの治癒の霊薬よ。傷をすべて癒してくれる
言っておくけど、とても貴重で、高価な品よ。あたしのとっておき。必要ならこれを飲ませなさい……ただし」
「はい」
「昔、いたのよ。死んだ仲間に治癒を掛けたバカがね。
その子は死んだわ……一緒に仲良く魔獣に食い殺された」
オルミナさんが吐き捨てるように言う。
「この薬は生きている者にしか効かない。死者をよみがえらせる力はないわ。
死んだ子に飲ませるのはあなたの感傷よ。意味はないわ。割り切りなさい……つらくてもね
あの子が死んで、あなたまで死んだら、あの子は何のために死んだか分からなくなる」
死と言う単語が胸に突き刺さってくる。
「あの子の事を思うなら、最後の場で現実逃避はしてはいけないわ。
バカなことをしないと、生き延びるために最善を尽くすと誓いなさい」
普段のちょっと本心が知れない口調じゃない、本音を言ってくれているんだろうというのが分かった。
小さなガラスの瓶を受け取る。
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