僕は御茶ノ水勤務のサラリーマン。新宿で転職の話をしたら、渋谷で探索者をすることになった。(書籍版・普通のリーマン、異世界渋谷でジョブチェンジ)
私の目指すもの・下
シンジュクのギルドから少し歩いた広い十字路。
石畳には白い格子文様が描かれ、四方には盤のように区切られた窓を持つ高い塔がそびえていた。まだあの塔は誰も入っていない。
十字路の真ん中で、エイトが曳いてきた二つの車輪がついたものにまたがった。
最近パレアでたまに見かける二輪鉄場に近いが、脚で鐙を回して走るあれとは違っているようだ。
馬で言う腹にあたるところに大きな鉄の塊がぶら下がり、骨格もごつごつしている。車輪も太く、見たこともないような溝があった。
骨格には馬鎧のように白い盾のようなものが貼り付けられ、その盾には文字や炎のような文様が描かれている。
なんとなく、鉄騎という言葉が頭に浮かんだ。
「じゃあ行くぜ」
そういうと、鉄の馬の腹の鉄の塊から、突如聞いたこともない音が上がった。魔獣の咆哮とも違う。強いて言うなら巨大な花火のような音だ。なんだこれは。
同時に、馬よりもはるかに速いスピードでそれが飛び出した。
まっすぐに走って鉄の柱の間をくぐると、音を立てて鋭く曲がる。そして、唸るような音を立ててこっちに向けて疾走してきた。
風鳴と轟音を立てて私の真横をすり抜ける。従者の衣装のマントがふわりと舞った。
後ろを振り向くと、低い植え込みを軽々と飛び越えた所だった。そして、また鋭く方向転換して戻ってくる。
そのままその体を倒した。落馬したのか、と思ったがそうではなかった。それがエイトを乗せたまま地面を滑るようにこっちに突っ込んでくる。
慌てて後ろに飛びのいたが、ついさっきまで私がいた場所の目の前で止まった。鉄騎にまたがったまま、エイトが軽やかに立ち上がる。
何かが焦げたような鼻を衝く匂い、鉄騎が発する熱が伝わってきた。
「どうだ?これが俺の腕さ」
エイトが余裕綽綽という顔で私を見た。
……これは使える。これをこいつのように乗りこなせれば。
あの速さと、あの動き。
もし今こいつが止まらなければ、私の足元をこの鉄騎が弾き飛ばしていただろう。工夫次第では並みの騎兵の10人分の働きができる。
「雇おう」
私が提示したのは7万エキュト。これが私の出せるすべてだ。
「前のオッサンの方が契約金は高かったぜ?これがあんたの精一杯かい?」
エイトが素っ気なく言う。
……これ以上は出せない。ジェレミー公の従者として手当は貰っているし、一応フォルトナ家の者として動かせる金はある。
だが当主でもない私にはこれが限界だ
折角の機会があるというのに、届かないのか……唇をかみしめたその時。
「よし。あんたに仕えるよ」
エイトが明るい口調で言った。
「なぜだ?」
カネだと言っていたのに……どういうつもりだ?
「アンタは出せるすべてを出してくれたんだろ」
「ああ……その通りだ」
「金満チームに飼われるより、出せる全部を出してくれるって方が必要とされてるって気がするからな
それにどうせなら脂ぎったオッサンに仕えるより、美人のお姫様に仕える方がいい」
前半部分は分からなかったが……私に仕えるというならそれで文句はない。
安心したが……
「……ただし、一つ条件がある」
条件とは何だろう。私にできることか。
「……なんだ、申してみろ」
「俺は東京に戻りたい。此処がどこだか知らないが、俺は東京に戻りたい……何としてでもだ。
何故俺がここに来たかはどうでもいい。戻る手段を調べてほしい。あんた結構偉いんだろ?出来るか?」
「……まあ、いいだろう」
「よし。契約成立だな。宜しく、我が主」
エイトが笑って手を差し出してきた。その手を握り返す。
他の世界への門が開くことはガルフブルグでは稀にではあるが、それは過去に例がある話だ。
だが他の世界の住人が来るなんて話は聞いたこともない。あまり期待はできないが、まあやってやろう。
◆
幸いにも、鉄騎とやらは管理者で動かせた。
その日からエイトに鉄騎の乗り方を教わる日が続いた。
私に対して敬意も払わない態度は気に入らなかった。礼節を知らない行動にこちらが肝を冷やしたことも数えきれない。
だがその技術だけは認めざるを得なかった。
パトリスに頼んで戻る方法とやらを探ってもらったが、こっちは何の手がかりもなかった。
エイトの落胆ぶりは気の毒ではあったが……正直言って安心したのも事実だ。戻る方法がなければこいつはここにいて私に仕えざるを得ない。
いずれは私に忠誠を誓うだろう。我が側近として、これほど頼れるものは居ない。
管理者を使える、というのもあるが、鉄騎に乗れるということは、ジェレミー公の準騎士候補としての私の立場を一気に押し上げてくれた。
いずれは鉄騎の乗り手として、正式に準騎士になれる。18歳は目前だが、このままなら。
……そう思っていて新宿で訓練していたある日。突然ジェレミー公からの使いが来た。
スミトが、エイトが元の世界に戻る方法があると伝えたい、という話を携えて。
◆
オルドネス公との話が終わって会談の間から出てきたエイトを、私室に引っ張り込んだ。
怪訝そうな顔をするエイトを無視して部屋に鍵を掛ける。
「どうした?我が主」
「エイト、行くな……私にはお前が必要だ」
エイトがちょっと戸惑ったような顔をして首を振った。
「……それはできない相談だぜ、我が主」
「無論、こちらとしてもなにもせぬ、というつもりはない。
契約金とやらを積み増そう。いくらほしいのだ?」
正直言ってどうにかなる金はそこまで多くはないが……こいつを今手放すわけにはいかない。
「…………金じゃないんだ。すまねぇな」
「だがお前は、最初に会ったときに言ったではないか
俺を雇いたければ金を出せ、プロとして評価しろ、と」
「まあな」
「お前がトウキョウとやらで何をしていたのかしらんが、探索者も同じだ。
強きもの、過酷な任務に挑むものは多くの報酬を求める。当然の権利だ。望む額を言え。工面しよう」
エイトがいつもと違う、困ったような顔を表情を浮かべた
「有難うよ、我が主……プロとしての扱いには金はもちろん大事さ。
だが俺が本当に望むものはライダーとしての栄誉だ。それは金じゃ買えない」
「栄誉だと、ならば……わが夫となれ。
 貴族になるのだ。我がフォルトナ家はオルドネス家に長く仕える名誉ある家だ。誰もがお前を敬うぞ」
黙ってエイトが私を見た。その目には拒絶の色がはっきり見えた。
「……私を好きにしてよい。それでもだめか」
エイトがいつもの顔とは似ても似つかない真剣な顔でまた首を振る。
なぜだ!
オルドネス大公やバスキア大公の仕官を拒否したスミトにスズ。
そして、エイト。こいつも、貴族になれるという誘いも金も拒むのか。
塔の廃墟の人間はバカばかりなのか!なぜだ!なぜ!
喉元まで出かかった言葉を飲み込んだ。泣くのだけはこらえた。余りにもみじめすぎる。
エイトが黙って私を見た。    
「……あと14日ある。その間に俺のすべてをあんたに叩き込む。
死ぬほど扱くぞ。覚悟しておけよ、わが主」
14日というその言葉に、どんなことを言ってもこいつはいなくなってしまうことが分かった。
「……望むところだ、手を抜いたら許さんぞ。
手を抜いたと感じたら帰ることは認めん」
◆
それから14日間は今までとは全く違う日々となった。
  昼は鉄騎の乗り方の訓練。管理者を使って消耗した分は気力回復のポーションを飲んで癒し、怪我をしたら治癒をかけられた。
夜は、トレーニングと称して重い物を持ち上げたり、片足で立ったりというわけのわからない訓練。
食事の内容にまで口を挟まされた。
そしてこの時に改めて分かった。この男が今まで積み上げてきた膨大な修練が。
私よりはるかに高く、軽業師のように空中で回るように飛ぶ。重い鉄騎を文字通り手足のように操る。
治癒も防御もスロット武器もない世界で、この男がこの技を体得するためにどれほどの苦労をしたのか。
この男が成し遂げたいものはこの先にあるのだ。貴族の栄誉とか地位とかとは違うものなのだ、と。
監獄に閉じ込めてしまいたい。死ぬほど手放したくない。わが夫に迎えても構わない、と思った。
だが、私自身が自分の望む道を断たれかけたがゆえに。そして、その望む道がエイトの手助けで開かれかけているがゆえに……エイトを無理やり引き留めるわけにはいかないのだ。
黙って見送る。それが私の矜持だ。
◆
「これは卒業祝いだ、もう俺から教えることは無いよ」
トウキョウとやらへの門が開いた部屋で、そう言ってエイトがいつも着ていた奇妙な文字が書かれた革の上着を私に掛けた。
「あんたは才能がある、我が主。
スキルとやらの力なんだろうけど身体能力も高いし目もいい。ハートも強い。きっと俺に追いつける」
エイトはそう言うが。嘘だ……私はこいつの足元にも及ばない。
「あとはあんた次第だ。練習を欠かすな。毎日乗り続けるんだ。
錆び付かせるなよ。必ず強くなれる」
「……分かった」
エイトが肩を抱き寄せてきた。
「俺は日本で名をあげるからよ。
あんたも準騎士になれるように祈ってるぜ、我が主」
「……ああ、そうだな」
「うん……ライダー向きの体だ。筋肉のバランスもいい。きちんと鍛えてるのに、軽い」
そう言って背中を軽くたたかれる。
本来なら、こんな風に貴族の娘に触れるのは無礼極まりない行為だが……振り払う気になれなかった。
「ああ……あと」
「なんだ?」
「……胸がないのがいいよな」
その言葉にカッと頭に血が上って、気づいたら腹を殴っていた
鈍い感触がしてエイトが崩れるように膝をつく。
「お前というやつは……最後の最後まで……」
「いや……ほんとなんだって、わが主」
「じゃあ、そろそろいいかな?」
「ああ……はい。よろしくお願いします」
オルドネス公が言って、エイトが立ち上がった。そのまま、車輪がついた変な鞄を引きずって魔法陣の中に入っていく。
最後までこいつは私の思い通りにならなかった。そういえば私も礼の一つも言っていない気がする。
オルドネス公の詠唱が響いて、門に塔の廃墟の景色が映る。聞きなれない奇妙な音と声が聞こえてきた。
エイトが門に近づいて、こちらを振り返った。目が合う。
「……感謝するぞ。エイト」
私の言葉が聞こえたかはわからない。多分聞こえなかったと思う。だが、わかってるって顔をしてエイトが笑った
エイトが親指をあげる。私もそれに答えた。そして、エイトは門の向こうに消えた。
……これからは一人だ。
錆び付かせるなという言葉を忘れまい。そして必ずや、鉄騎の乗り手として名を上げてみせる。
自分の望む道を行くために。
石畳には白い格子文様が描かれ、四方には盤のように区切られた窓を持つ高い塔がそびえていた。まだあの塔は誰も入っていない。
十字路の真ん中で、エイトが曳いてきた二つの車輪がついたものにまたがった。
最近パレアでたまに見かける二輪鉄場に近いが、脚で鐙を回して走るあれとは違っているようだ。
馬で言う腹にあたるところに大きな鉄の塊がぶら下がり、骨格もごつごつしている。車輪も太く、見たこともないような溝があった。
骨格には馬鎧のように白い盾のようなものが貼り付けられ、その盾には文字や炎のような文様が描かれている。
なんとなく、鉄騎という言葉が頭に浮かんだ。
「じゃあ行くぜ」
そういうと、鉄の馬の腹の鉄の塊から、突如聞いたこともない音が上がった。魔獣の咆哮とも違う。強いて言うなら巨大な花火のような音だ。なんだこれは。
同時に、馬よりもはるかに速いスピードでそれが飛び出した。
まっすぐに走って鉄の柱の間をくぐると、音を立てて鋭く曲がる。そして、唸るような音を立ててこっちに向けて疾走してきた。
風鳴と轟音を立てて私の真横をすり抜ける。従者の衣装のマントがふわりと舞った。
後ろを振り向くと、低い植え込みを軽々と飛び越えた所だった。そして、また鋭く方向転換して戻ってくる。
そのままその体を倒した。落馬したのか、と思ったがそうではなかった。それがエイトを乗せたまま地面を滑るようにこっちに突っ込んでくる。
慌てて後ろに飛びのいたが、ついさっきまで私がいた場所の目の前で止まった。鉄騎にまたがったまま、エイトが軽やかに立ち上がる。
何かが焦げたような鼻を衝く匂い、鉄騎が発する熱が伝わってきた。
「どうだ?これが俺の腕さ」
エイトが余裕綽綽という顔で私を見た。
……これは使える。これをこいつのように乗りこなせれば。
あの速さと、あの動き。
もし今こいつが止まらなければ、私の足元をこの鉄騎が弾き飛ばしていただろう。工夫次第では並みの騎兵の10人分の働きができる。
「雇おう」
私が提示したのは7万エキュト。これが私の出せるすべてだ。
「前のオッサンの方が契約金は高かったぜ?これがあんたの精一杯かい?」
エイトが素っ気なく言う。
……これ以上は出せない。ジェレミー公の従者として手当は貰っているし、一応フォルトナ家の者として動かせる金はある。
だが当主でもない私にはこれが限界だ
折角の機会があるというのに、届かないのか……唇をかみしめたその時。
「よし。あんたに仕えるよ」
エイトが明るい口調で言った。
「なぜだ?」
カネだと言っていたのに……どういうつもりだ?
「アンタは出せるすべてを出してくれたんだろ」
「ああ……その通りだ」
「金満チームに飼われるより、出せる全部を出してくれるって方が必要とされてるって気がするからな
それにどうせなら脂ぎったオッサンに仕えるより、美人のお姫様に仕える方がいい」
前半部分は分からなかったが……私に仕えるというならそれで文句はない。
安心したが……
「……ただし、一つ条件がある」
条件とは何だろう。私にできることか。
「……なんだ、申してみろ」
「俺は東京に戻りたい。此処がどこだか知らないが、俺は東京に戻りたい……何としてでもだ。
何故俺がここに来たかはどうでもいい。戻る手段を調べてほしい。あんた結構偉いんだろ?出来るか?」
「……まあ、いいだろう」
「よし。契約成立だな。宜しく、我が主」
エイトが笑って手を差し出してきた。その手を握り返す。
他の世界への門が開くことはガルフブルグでは稀にではあるが、それは過去に例がある話だ。
だが他の世界の住人が来るなんて話は聞いたこともない。あまり期待はできないが、まあやってやろう。
◆
幸いにも、鉄騎とやらは管理者で動かせた。
その日からエイトに鉄騎の乗り方を教わる日が続いた。
私に対して敬意も払わない態度は気に入らなかった。礼節を知らない行動にこちらが肝を冷やしたことも数えきれない。
だがその技術だけは認めざるを得なかった。
パトリスに頼んで戻る方法とやらを探ってもらったが、こっちは何の手がかりもなかった。
エイトの落胆ぶりは気の毒ではあったが……正直言って安心したのも事実だ。戻る方法がなければこいつはここにいて私に仕えざるを得ない。
いずれは私に忠誠を誓うだろう。我が側近として、これほど頼れるものは居ない。
管理者を使える、というのもあるが、鉄騎に乗れるということは、ジェレミー公の準騎士候補としての私の立場を一気に押し上げてくれた。
いずれは鉄騎の乗り手として、正式に準騎士になれる。18歳は目前だが、このままなら。
……そう思っていて新宿で訓練していたある日。突然ジェレミー公からの使いが来た。
スミトが、エイトが元の世界に戻る方法があると伝えたい、という話を携えて。
◆
オルドネス公との話が終わって会談の間から出てきたエイトを、私室に引っ張り込んだ。
怪訝そうな顔をするエイトを無視して部屋に鍵を掛ける。
「どうした?我が主」
「エイト、行くな……私にはお前が必要だ」
エイトがちょっと戸惑ったような顔をして首を振った。
「……それはできない相談だぜ、我が主」
「無論、こちらとしてもなにもせぬ、というつもりはない。
契約金とやらを積み増そう。いくらほしいのだ?」
正直言ってどうにかなる金はそこまで多くはないが……こいつを今手放すわけにはいかない。
「…………金じゃないんだ。すまねぇな」
「だがお前は、最初に会ったときに言ったではないか
俺を雇いたければ金を出せ、プロとして評価しろ、と」
「まあな」
「お前がトウキョウとやらで何をしていたのかしらんが、探索者も同じだ。
強きもの、過酷な任務に挑むものは多くの報酬を求める。当然の権利だ。望む額を言え。工面しよう」
エイトがいつもと違う、困ったような顔を表情を浮かべた
「有難うよ、我が主……プロとしての扱いには金はもちろん大事さ。
だが俺が本当に望むものはライダーとしての栄誉だ。それは金じゃ買えない」
「栄誉だと、ならば……わが夫となれ。
 貴族になるのだ。我がフォルトナ家はオルドネス家に長く仕える名誉ある家だ。誰もがお前を敬うぞ」
黙ってエイトが私を見た。その目には拒絶の色がはっきり見えた。
「……私を好きにしてよい。それでもだめか」
エイトがいつもの顔とは似ても似つかない真剣な顔でまた首を振る。
なぜだ!
オルドネス大公やバスキア大公の仕官を拒否したスミトにスズ。
そして、エイト。こいつも、貴族になれるという誘いも金も拒むのか。
塔の廃墟の人間はバカばかりなのか!なぜだ!なぜ!
喉元まで出かかった言葉を飲み込んだ。泣くのだけはこらえた。余りにもみじめすぎる。
エイトが黙って私を見た。    
「……あと14日ある。その間に俺のすべてをあんたに叩き込む。
死ぬほど扱くぞ。覚悟しておけよ、わが主」
14日というその言葉に、どんなことを言ってもこいつはいなくなってしまうことが分かった。
「……望むところだ、手を抜いたら許さんぞ。
手を抜いたと感じたら帰ることは認めん」
◆
それから14日間は今までとは全く違う日々となった。
  昼は鉄騎の乗り方の訓練。管理者を使って消耗した分は気力回復のポーションを飲んで癒し、怪我をしたら治癒をかけられた。
夜は、トレーニングと称して重い物を持ち上げたり、片足で立ったりというわけのわからない訓練。
食事の内容にまで口を挟まされた。
そしてこの時に改めて分かった。この男が今まで積み上げてきた膨大な修練が。
私よりはるかに高く、軽業師のように空中で回るように飛ぶ。重い鉄騎を文字通り手足のように操る。
治癒も防御もスロット武器もない世界で、この男がこの技を体得するためにどれほどの苦労をしたのか。
この男が成し遂げたいものはこの先にあるのだ。貴族の栄誉とか地位とかとは違うものなのだ、と。
監獄に閉じ込めてしまいたい。死ぬほど手放したくない。わが夫に迎えても構わない、と思った。
だが、私自身が自分の望む道を断たれかけたがゆえに。そして、その望む道がエイトの手助けで開かれかけているがゆえに……エイトを無理やり引き留めるわけにはいかないのだ。
黙って見送る。それが私の矜持だ。
◆
「これは卒業祝いだ、もう俺から教えることは無いよ」
トウキョウとやらへの門が開いた部屋で、そう言ってエイトがいつも着ていた奇妙な文字が書かれた革の上着を私に掛けた。
「あんたは才能がある、我が主。
スキルとやらの力なんだろうけど身体能力も高いし目もいい。ハートも強い。きっと俺に追いつける」
エイトはそう言うが。嘘だ……私はこいつの足元にも及ばない。
「あとはあんた次第だ。練習を欠かすな。毎日乗り続けるんだ。
錆び付かせるなよ。必ず強くなれる」
「……分かった」
エイトが肩を抱き寄せてきた。
「俺は日本で名をあげるからよ。
あんたも準騎士になれるように祈ってるぜ、我が主」
「……ああ、そうだな」
「うん……ライダー向きの体だ。筋肉のバランスもいい。きちんと鍛えてるのに、軽い」
そう言って背中を軽くたたかれる。
本来なら、こんな風に貴族の娘に触れるのは無礼極まりない行為だが……振り払う気になれなかった。
「ああ……あと」
「なんだ?」
「……胸がないのがいいよな」
その言葉にカッと頭に血が上って、気づいたら腹を殴っていた
鈍い感触がしてエイトが崩れるように膝をつく。
「お前というやつは……最後の最後まで……」
「いや……ほんとなんだって、わが主」
「じゃあ、そろそろいいかな?」
「ああ……はい。よろしくお願いします」
オルドネス公が言って、エイトが立ち上がった。そのまま、車輪がついた変な鞄を引きずって魔法陣の中に入っていく。
最後までこいつは私の思い通りにならなかった。そういえば私も礼の一つも言っていない気がする。
オルドネス公の詠唱が響いて、門に塔の廃墟の景色が映る。聞きなれない奇妙な音と声が聞こえてきた。
エイトが門に近づいて、こちらを振り返った。目が合う。
「……感謝するぞ。エイト」
私の言葉が聞こえたかはわからない。多分聞こえなかったと思う。だが、わかってるって顔をしてエイトが笑った
エイトが親指をあげる。私もそれに答えた。そして、エイトは門の向こうに消えた。
……これからは一人だ。
錆び付かせるなという言葉を忘れまい。そして必ずや、鉄騎の乗り手として名を上げてみせる。
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