僕は御茶ノ水勤務のサラリーマン。新宿で転職の話をしたら、渋谷で探索者をすることになった。(書籍版・普通のリーマン、異世界渋谷でジョブチェンジ)
それぞれの別れ道。
セリエ達に与えられた部屋はスタバビルの4階の、僕の部屋とは正反対の場所にあった。
軽くノックしてドアを開ける。
セリエ達の部屋に入ると、セリエとユーカが弾かれた様に立ち上がった。
セリエが静かな表情で一礼して僕を見る。ユーカが怯えたような顔でその後ろに隠れるように立っていた。初めて会った時もこんな感じだったな。
「ご主人様がどういう結論を出されましても……ご主人様の……」
「まだ帰らないことにするよ」
これが僕の結論。
色々思うところはあるけど。なんだかんだでこの二人と離れることはできなかった。
「まだ……?」
「……お兄ちゃん、いつかいなくなっちゃうの?」
一瞬嬉しそうな顔をしたユーカがまた泣きそうな怯えたような顔になる。
「いや、そうじゃないよ」
オルドネス公と話したことを思い出す。
僕の管理者、オルミナさんの鍵の支配者、セリエ達の魔法とかもそうだけど。
スロットにセットするスキルはゲームのように画一的な効果を出すわけじゃない。使い手の練度があがれば精度も高くなる。
オルドネス公曰く、日食の門も先代の使い手はもっと精度を高く、時間や場所を指定して門を空けられたらしい。
オルミナさんの鍵の支配者も、長い訓練を経て狙った座標に門を開けているわけだし。
だから、いずれは、僕が東京に戻って、そのあと時間を合わせてこっちににまた来ることもできるはずだ。
オルドネス公はまだ子供だし、能力をまだ伸びしろはあるとは本人の弁だ。
「いつか、オルドネス公の日食の門で行き来できるようになったら。
父さんや母さんや友達にあいさつに行きたいとは思ってる。でもそれまではこっちにいるよ」
安心したような空気が流れて二人が抱き合った。
しばらく二人のすすり泣くような泣き声だけが聞こえる。心配かけたな。
「あの……ごめんね、お兄ちゃん」
「いや。僕が決めたことだから、これでいいんだよ」
ユーカが涙を拭って嬉しそうに微笑む。
自分の歩く道は自分で決める。それがこの世界で探索者になってやってきたことだ。アーロンさんに言われて改めて思い出した。
「ご主人様……」
ユーカがセリエの手を引くと、今度はセリエが口を開いた。
「何?」
「あの……口づけを……して……いただけますか?」
セリエが恥ずかしそうに言う。頬を染めてうつむいた顔が可愛い。
いいよ、といいたいところだけど。今はすぐそばにユーカがいる。
この状況でキスするのはちょっと抵抗があるんだけど……ユーカはあんまり気にしてないというか、習慣の違いなのかなんなのかわからないけど、嬉しそうな顔で僕等を見ていた。
「ごめん、ユーカ。ちょっと向こう向いてて」
「ええー、なんで?」
「お願いだからさ」
そういうと、ちょっと不満げに頬を膨らませてユーカが向こうを向いて、セリエが寄り添ってきた。
唇がふれる直前に息がかかる。
「あ……あの」
「どうしたの?」
間近に迫ったセリエの目はまだ涙で潤んでいた。
「まだお側にお仕えできて……とても幸せです」
そういってセリエが目を閉じた。
キス待ち顔をちょっと堪能して、唇を重ねる。さすがにこの状況でいつもみたいにするのは気まずいから、舌の先を触れ合わせて軽めに済ませた
セリエがちょっと不満げな顔で僕を見るけど。まあ勘弁してほしい。
「お兄ちゃん」
いつの間にかこっちを向いていたユーカが僕の袖を引く。
「次はあたしの番だよ」
「キスする?」
「ううん。あたしはこっち」
そういってユーカが手を広げた。ハグしてほしいってことかな
「ぎゅってして」
「いいよ」
駆け寄ってきたユーカを優しく抱きしめる。ユーカが僕の体に手を回してきた。温かい体温が服越しに伝わってくる。
いつの間にか、僕の胸に当たるユーカの顔の位置が高くなっていた
背が伸びたな……ってことは、つまりそれだけ長いこと一緒に居たってことなんだよな。
◆
部屋を出ると廊下にオルドネス公が居た。なんというか、この人は神出鬼没だ。
「本当にいいの?」
「何が?」
「日食の門はそう頻繁に開けれるもんじゃない。
どこでもドアみたいにはいかないよ。天文とかそういうのにも影響を受けるからね」
「いいんだ、もう決めたことだから」
決めた以上はグダグダと迷っても仕方ない。
「期待してるから、どこでもドア並みに精度を上げてね。そうすれば僕も気兼ねなく東京にいけるしさ」
「期待に添うように頑張るよ」
オルドネス公が微妙にやる気なさげな口調で言う。
「でも、こういうのはさ、問題の先送りっていうんじゃないの?」
……嫌な言葉を知っているな。
「いーや、違うね。ビジネスでは機会をうかがって最適な機会を待つのが大事なんだよ」
営業でもタイミングは大事だったわけだし。
「むしろ、いいとこどりを狙ってる、と言ってほしいな」
オルドネス公が僕の言葉にちょっと意地悪な笑みを浮かべる。
「二兎を追う者は一兎をも得ずっていうよね、お兄さんの国では」
「難しい言葉を知ってるね」
「そりゃあ勉強してるからね」
その言葉は確かに尤もだけど、もう一兎は得ているからいいんだ、とは言わなかった。
「まあ、いずれにせよ僕としてもお兄さんが残ってくれてうれしいよ、それに」
「それに?」
「たぶんそんな迷いがある状態じゃ、門はくぐれないよ。
前も言ったでしょ?門を抜けよう、と思っている人間でないと門は抜けられない
今のどっちつかずのお兄さんじゃたぶん次元の狭間で迷子になっちゃうからね」
そういえばそんな話だったっけ。そういう意味では収まるところに収まったってことかもしれない。
「ああ、それと……一つお願いがあるんだ、いいかな?」
「なんだい?」
僕も都笠さんもこっちに留まるなら考えていたことがある。
「一人、僕の代わりに送り返してほしい人が居るんだ……頼める?」
◆
幸いにも、というかなんというか。
アデルさんがジェレミー公に仕えている関係で衛人君も渋谷にいたらしい。
使いを出して1時間もしないうちに、衛人君が3階の部屋に飛び込むように入ってきた。アデルさんがその後ろから続いている
「エイト!貴様、主の前を行くなど無礼だぞ」
「スミト先生、マジか?本当に日本に戻れるのか?」
息を弾ませたエイト君がアデルさんの非難を無視して聞いてくる
部屋に入ってきたアデルさんがオルドネス公を見て慌てて膝をつくけど、興奮しているのか衛人君は突っ立ったままだ。
「戻れるらしいよ……ですよね?」
僕の言葉にオルドネス公がうなづく。
衛人君が信じられないというような表情になって、すぐ喜びの顔に変わった
「マジかよ?こんな子供がそんなことできるのか?」
「君、いい加減にしたまえ!」
オルドネス公も割とフランクな人だけど、さすがにこんな子供呼ばわりは不味い。
ブレーメンさんが一喝して衛人君が硬直した。
「この方を誰だと思っている!弁えろ!」
無礼は許さん、と言わんばかりの目でブレーメンさんが衛人君を睨みつけて、部屋の空気が緊張する。
どちらかというと、ブレーメンさんの反応の方が貴族としては正常だよな。
慌てたように衛人君も跪く。
しばらく黙っていたけど、待ちきれないという感じで衛人君が顔を上げた。
「……本当に戻れるんでしょうか。いつ戻れるんでしょう」
衛人君が敬語でオルドネス公に話しかけるけど、ブレーメンさんがまた衛人君を睨みつけて、衛人君が顔を伏せた。
身分差を考えれば声を掛けるのも烏滸がましいってことなんだろうか。
「天文の動きととか僕の回復にもよるけど、15日ほどってところかな」
当のオルドネス公の方はあまり気にしてないような口調で言う。あと2週間か。
「君は東京に帰りたいのかな?フォルトナ家の娘、アデルハートの従者、エイト」
「……はい。是非とも。お願いします」
衛人君が跪いたままで返事する。
オルドネス公が衛人君がじっくりと眺めた。
「うん……君なら帰れそうだね。いいよ」
「本当か……ですか?」
「お兄さんの頼みだからね」
オルドネス公が僕を見てほほ笑む。衛人君が耐えかねたように顔を上げた。
それを見てブレーメンさんが苦々しい、というか微妙に不満げな表情をする。
「ありがとうございます!」
「じゃあ、15日後にここにまた来るように。
その時までには、やり残しがないようにしておきなよ」
オルドネス公が意味ありげに笑って衛人君とアデルさんを見る。
そのままブレーメンさんを連れて部屋を出ていった。
◆
ブレーメンさんとオルドネス公が出ていって、僕等とアデルさん、衛人君だけになった。
「……スミト先生、いいのかよ。俺が戻っちまって」
「しばらくはこっちにいることにしたんだ」
「でもよ、戻りたくないのかよ?いや……俺としちゃありがたいんだが」
エイト君が不思議そうな顔をする。
僕の後ろに立っているセリエとユーカを見てにんまりと笑みを浮かべた。
「ああ、そりゃそうか……そんなかわいい子が一緒にいてくれるんだもんな」
そういってエイト君が僕と肩を組んできた。
「ところで先生、前から聞きたかったんだけど、どっちが本命なんだ?
どっちも可愛いけどよ、二股は良くないぜ」
「あのね……あんまりいらないこと言うと、この話取り下げるよ?」
「ちょっと待った、冗談だよ、冗談だって」
まあ大切な人がいるってのは僕の決断の大きな理由ではあるんだけど。あんまり下世話な感じでは言われたくないぞ。
肩を組んでいた衛人君があわてて肩をほどいて直立不動の姿勢になる。
そのまま都笠さんの方を見た。
「……あんたはいいのか?都笠の姉さん」
「あたしはこっちでいいわ」
都笠さんは相変わらず全く迷いがない口調で答える。
戻らないことについてどういう風に割り切ったのか、一度聞いてみたいところだ。都笠さんの言葉を聞くと衛人君が安心したように息を吐いた。
「じゃあ、ありがたくその話、受けさせてもらうよ。スミト先生、いや風戸さん。それに都笠さん
感謝する。本当にありがとう」
そのまま深々と最敬礼する。いつになく、というと失礼かもしれないけど、真摯な口調だ。
前にもはっきり言っていたけど、彼は本当に日本に戻りたかったんだろう。彼の居場所は日本、というかバイクで競い合う場所ってことで、それはガルフブルグには無い。
「ということだ、我が主」
衛人君がアデルさんを振り向いて言う。
アデルさんは、いつもの男の子のような凛々しくて勝気な感じじゃない、こわばった表情を浮かべていた。
「契約にあるとおりだ。帰る手段が見つかったからそうさせてもらう。いいよな?」
そういえば、この二人の関係は主従というより契約関係に近いんだったっけ。契約金を貰ったとか言ってたし、戻る手段を調べるってことも契約に入れてたって話だ。
ということは、帰ることができることが確定した時点で契約解除ってことなのかな。
アデルさんが黙り込む。
じろりとエイト君を見て、僕をにらみ、またエイト君に視線を戻す。何か言いだそうとして唇を噛んだ。
「……わが主?」
「……これほど引き立ててやったのに……私に忠誠を誓わぬものなど要らぬ。好きにするがいい」
そういってアデルさんが大きな足音を立てて部屋を出て行った。
◆
エジット君をパレアに送った後は、久しぶりに塔の廃墟の探索を手伝った。
最近は新宿から山手線に沿って北上するか、中央線にそって東進するかという感じで探索が進んでいるらしい。
山手線を北上するコースは正直言って、池袋と高田馬場の駅周辺くらいしかしらない。他の駅は通過するだけでほとんど降りたことがなかった。
まさか無人の東京で魔獣と戦うときに真面目に歩き回るとは思わなかったな
2週間してアデルさんとエイト君が渋谷に来た。なんでもしばらくジェレミー公に休暇を申請して
二人ともガルフブルグに戻っていたらしい。
久々に会うアデル姫は少しやつれたようだった。エイト君がそのうしろに従っている。
門を開く場所はスタバビルの5階だ。たしかここもレンタルDVDのフロアだったと思うけど。
いまは棚が取り払われて広々としたスペースになっている。床には絨毯が一面に敷かれていて、魔法陣のような文様が織り込まれていた。
分厚いカーテンがかかっていて、窓からの光は無い。
かわりにコアクリスタルの燭台が魔法陣を囲むように等間隔に置かれていて、明かりはそれなりにある。
部屋の真ん中、というか魔法陣の真ん中には、オルミナさんの鍵の支配者のような、黒い膜というか水面のような丸いものが浮かんでいる。
鍵の支配者も空間を操るスキルなわけだけど、その超上位互換がオルドネス公の日食の門なんだろうな。
魔法陣の横にはオルドネス公が立っている。
いつものにこやかな笑みを浮かべているのと違って、疲れたって感じの表情だ。なんだかんだっても、空間の壁を越えて東京への門を開くのは消耗するってことか。
衛人君はいつも通りのジーンズにTシャツでチームのロゴ入りの革ジャンを羽織っている。キャリーバッグを引いているあたり、スポーツ選手の遠征風景にも見えなくはない。
衛人君に手招きすると、衛人君がアデルさんと何か言葉を交わしてこっちに来た。
「衛人君。二つお願いがあるんだ。いいかな?」
「そりゃもう、何でも聞くぜ」
「一つ目は、神岡に行って、筝天院家ってところの墓に花を供えてほしい」
「なんだそりゃ?」
衛人君が不思議そうな顔をする。そういえば、彼は籐司朗さんには会ってないんだっけ。
「こっちに引っ張られた日本人の人がいるんだよ。その息子さんの墓なんだって」
「ああ……そういうことか、分かったぜ。お安い御用だ。で、もう一つは?」
「この手紙、出しておいてほしい」
衛人君に親への手紙を託すことにした。
今の状況をどう説明すればいいか分からないけど、とりあえず無事であるってことだけは知らせておきたい。
「手紙で良いのか?俺が直接渡しに行ったもいいんだぜ、スミト先生」
「……でもさ、説明できる?
今は人がいなくなった東京に居て、RPGで出てくるような人達と一緒に冒険してて、この間は六本木でドラゴンと戦った、なんてさ」
衛人君が困ったようにぼさぼさ頭を掻いて首を振った。
「………まあ無理だな」
「でしょ?」
僕だって逆の立場なら頭を抱えるだろう。衛人君が封筒を受け取って大事そうにキャリーバッグに入れる。
「切手は貼っておいてね」
「ああ、もちろん……ところで、スミト先生、いずれ帰ってくるんだろ?」
「……どうかな。多分ね」
オルドネス公の日食の門の性能が上がって、いつかそういう日が来ると信じるしかないな。
「スミト先生、それに都笠の姉さん、この恩は絶対に忘れない。
日本で待ってる。俺は最高のライダーになってあんたたちを待ってるからよ。必ず連絡してくれよな」
「ええ。お互い無事で」
衛人君が僕と都笠さんと堅く握手をする。骨ばった豆だらけの手だ。
強く握り返してくる感触に、彼がバイクに掛けてきた情熱とかそういうものを感じる。
衛人君がそのままアデルさんの方に歩いていく。
顔を背けたアデルさんに何か言うと、着ていたチームロゴ入りの革ジャケットをアデルさんに掛けた。
そのまま肩を抱きよせて軽くハグする。不思議とアデルさんも振り払おうとしなかった。
身を寄せ合って何か言っている……けど僕には聞こえなかった。衛人君がアデルさんを軽く抱きしめて背中をぽんぽんとたたく。
良い場面だ、というかなんというか。前と距離感が明らかに違う。この二週間で何があったんだろう。
……なんてことを思っていたらとおもったら、アデルさんの表情が険しくなって、衛人君が腹を殴られた。要らないことを言ったんだろうなぁ。
腹を抑えて衛人君がうずくまり、アデルさんが冷たい目でそれを見下ろす。
「じゃあ、そろそろいいかな?」
オルドネス公が声を掛ける。
「ああ……はい。よろしくお願いします」
顔をしかめて立ち上がった衛人君が、今一つ似合わない敬語で答えてオルドネス公に頭を下げる。
「じゃあその魔法陣に中に入って。その門の向こうが東京だよ。
言っておくけど、変に迷う気持ちがあると時空の狭間に飛ばされるからね。気を強く持ってね」
オルドネス公の言葉に頷いた衛人君がキャリーバッグを引いて魔法陣の中に入ると、オルドネス公が詠唱を始めた。
「【旅人の手の羅針盤は正しき方位を指し、壁に飾られしは古の海図は道を示すだろう。
此の地より彼の地へ向かう者。夜空に一つ輝きたる導の星に従って旅路を行け】」
衛人君が息を詰めて門を見守っている。水面のような門の表面に波紋が走るように揺らいだ。
「【強き嵐が吹こうとも、数多の困難があろうとも。至るべき街に、望むべき国にたどり着けるように。
幸運が君とともに有ることを、僕は祈ろう】」
不意に、門にプロジェクターの映像が映るように東京の景色が映った。都笠さんが驚いたような声を上げる。
渋谷の109の白いビルと青い空。歩道を歩くたくさんの人。懐かしい光景というか、テレビを見ているような非現実感がある。
一瞬遅れて音も聞こえた。
クラクションと車のエンジン音。音楽、雑多な話声と、お店の宣伝っぽいアナウンスの声。
門に触れようとして、衛人君が僕等を振り向いた。軽く手を挙げて挨拶してくる。僕等もそれにこたえた。
今度はアデルさんの方を向く。手を上げるでもなく、わずか数秒見つめ合っていた。衛人君がわずかにうなづく。
門にむかって手を伸ばして、指先が門に触れた瞬間、衛人君の姿が吸い込まれるように消えた。同時に門が掻き消える。
門の向こうから聞こえていた音も消えて、部屋が静寂に包まれた。オルドネス公がつかれた様にため息をつく。
「行っちゃったね」
都笠さんがつぶやく。
いつか東京に戻ることがあるんだろうか。
帰ることを望んだ衛人君、残ることを選択した都笠さん、まだ迷いがある僕。それぞれの道か。
でも二つの道を行くことはできない。そして、残ることを選んだのは僕だ。なら、せいぜい悔いのないように生きていくしかない。
軽くノックしてドアを開ける。
セリエ達の部屋に入ると、セリエとユーカが弾かれた様に立ち上がった。
セリエが静かな表情で一礼して僕を見る。ユーカが怯えたような顔でその後ろに隠れるように立っていた。初めて会った時もこんな感じだったな。
「ご主人様がどういう結論を出されましても……ご主人様の……」
「まだ帰らないことにするよ」
これが僕の結論。
色々思うところはあるけど。なんだかんだでこの二人と離れることはできなかった。
「まだ……?」
「……お兄ちゃん、いつかいなくなっちゃうの?」
一瞬嬉しそうな顔をしたユーカがまた泣きそうな怯えたような顔になる。
「いや、そうじゃないよ」
オルドネス公と話したことを思い出す。
僕の管理者、オルミナさんの鍵の支配者、セリエ達の魔法とかもそうだけど。
スロットにセットするスキルはゲームのように画一的な効果を出すわけじゃない。使い手の練度があがれば精度も高くなる。
オルドネス公曰く、日食の門も先代の使い手はもっと精度を高く、時間や場所を指定して門を空けられたらしい。
オルミナさんの鍵の支配者も、長い訓練を経て狙った座標に門を開けているわけだし。
だから、いずれは、僕が東京に戻って、そのあと時間を合わせてこっちににまた来ることもできるはずだ。
オルドネス公はまだ子供だし、能力をまだ伸びしろはあるとは本人の弁だ。
「いつか、オルドネス公の日食の門で行き来できるようになったら。
父さんや母さんや友達にあいさつに行きたいとは思ってる。でもそれまではこっちにいるよ」
安心したような空気が流れて二人が抱き合った。
しばらく二人のすすり泣くような泣き声だけが聞こえる。心配かけたな。
「あの……ごめんね、お兄ちゃん」
「いや。僕が決めたことだから、これでいいんだよ」
ユーカが涙を拭って嬉しそうに微笑む。
自分の歩く道は自分で決める。それがこの世界で探索者になってやってきたことだ。アーロンさんに言われて改めて思い出した。
「ご主人様……」
ユーカがセリエの手を引くと、今度はセリエが口を開いた。
「何?」
「あの……口づけを……して……いただけますか?」
セリエが恥ずかしそうに言う。頬を染めてうつむいた顔が可愛い。
いいよ、といいたいところだけど。今はすぐそばにユーカがいる。
この状況でキスするのはちょっと抵抗があるんだけど……ユーカはあんまり気にしてないというか、習慣の違いなのかなんなのかわからないけど、嬉しそうな顔で僕等を見ていた。
「ごめん、ユーカ。ちょっと向こう向いてて」
「ええー、なんで?」
「お願いだからさ」
そういうと、ちょっと不満げに頬を膨らませてユーカが向こうを向いて、セリエが寄り添ってきた。
唇がふれる直前に息がかかる。
「あ……あの」
「どうしたの?」
間近に迫ったセリエの目はまだ涙で潤んでいた。
「まだお側にお仕えできて……とても幸せです」
そういってセリエが目を閉じた。
キス待ち顔をちょっと堪能して、唇を重ねる。さすがにこの状況でいつもみたいにするのは気まずいから、舌の先を触れ合わせて軽めに済ませた
セリエがちょっと不満げな顔で僕を見るけど。まあ勘弁してほしい。
「お兄ちゃん」
いつの間にかこっちを向いていたユーカが僕の袖を引く。
「次はあたしの番だよ」
「キスする?」
「ううん。あたしはこっち」
そういってユーカが手を広げた。ハグしてほしいってことかな
「ぎゅってして」
「いいよ」
駆け寄ってきたユーカを優しく抱きしめる。ユーカが僕の体に手を回してきた。温かい体温が服越しに伝わってくる。
いつの間にか、僕の胸に当たるユーカの顔の位置が高くなっていた
背が伸びたな……ってことは、つまりそれだけ長いこと一緒に居たってことなんだよな。
◆
部屋を出ると廊下にオルドネス公が居た。なんというか、この人は神出鬼没だ。
「本当にいいの?」
「何が?」
「日食の門はそう頻繁に開けれるもんじゃない。
どこでもドアみたいにはいかないよ。天文とかそういうのにも影響を受けるからね」
「いいんだ、もう決めたことだから」
決めた以上はグダグダと迷っても仕方ない。
「期待してるから、どこでもドア並みに精度を上げてね。そうすれば僕も気兼ねなく東京にいけるしさ」
「期待に添うように頑張るよ」
オルドネス公が微妙にやる気なさげな口調で言う。
「でも、こういうのはさ、問題の先送りっていうんじゃないの?」
……嫌な言葉を知っているな。
「いーや、違うね。ビジネスでは機会をうかがって最適な機会を待つのが大事なんだよ」
営業でもタイミングは大事だったわけだし。
「むしろ、いいとこどりを狙ってる、と言ってほしいな」
オルドネス公が僕の言葉にちょっと意地悪な笑みを浮かべる。
「二兎を追う者は一兎をも得ずっていうよね、お兄さんの国では」
「難しい言葉を知ってるね」
「そりゃあ勉強してるからね」
その言葉は確かに尤もだけど、もう一兎は得ているからいいんだ、とは言わなかった。
「まあ、いずれにせよ僕としてもお兄さんが残ってくれてうれしいよ、それに」
「それに?」
「たぶんそんな迷いがある状態じゃ、門はくぐれないよ。
前も言ったでしょ?門を抜けよう、と思っている人間でないと門は抜けられない
今のどっちつかずのお兄さんじゃたぶん次元の狭間で迷子になっちゃうからね」
そういえばそんな話だったっけ。そういう意味では収まるところに収まったってことかもしれない。
「ああ、それと……一つお願いがあるんだ、いいかな?」
「なんだい?」
僕も都笠さんもこっちに留まるなら考えていたことがある。
「一人、僕の代わりに送り返してほしい人が居るんだ……頼める?」
◆
幸いにも、というかなんというか。
アデルさんがジェレミー公に仕えている関係で衛人君も渋谷にいたらしい。
使いを出して1時間もしないうちに、衛人君が3階の部屋に飛び込むように入ってきた。アデルさんがその後ろから続いている
「エイト!貴様、主の前を行くなど無礼だぞ」
「スミト先生、マジか?本当に日本に戻れるのか?」
息を弾ませたエイト君がアデルさんの非難を無視して聞いてくる
部屋に入ってきたアデルさんがオルドネス公を見て慌てて膝をつくけど、興奮しているのか衛人君は突っ立ったままだ。
「戻れるらしいよ……ですよね?」
僕の言葉にオルドネス公がうなづく。
衛人君が信じられないというような表情になって、すぐ喜びの顔に変わった
「マジかよ?こんな子供がそんなことできるのか?」
「君、いい加減にしたまえ!」
オルドネス公も割とフランクな人だけど、さすがにこんな子供呼ばわりは不味い。
ブレーメンさんが一喝して衛人君が硬直した。
「この方を誰だと思っている!弁えろ!」
無礼は許さん、と言わんばかりの目でブレーメンさんが衛人君を睨みつけて、部屋の空気が緊張する。
どちらかというと、ブレーメンさんの反応の方が貴族としては正常だよな。
慌てたように衛人君も跪く。
しばらく黙っていたけど、待ちきれないという感じで衛人君が顔を上げた。
「……本当に戻れるんでしょうか。いつ戻れるんでしょう」
衛人君が敬語でオルドネス公に話しかけるけど、ブレーメンさんがまた衛人君を睨みつけて、衛人君が顔を伏せた。
身分差を考えれば声を掛けるのも烏滸がましいってことなんだろうか。
「天文の動きととか僕の回復にもよるけど、15日ほどってところかな」
当のオルドネス公の方はあまり気にしてないような口調で言う。あと2週間か。
「君は東京に帰りたいのかな?フォルトナ家の娘、アデルハートの従者、エイト」
「……はい。是非とも。お願いします」
衛人君が跪いたままで返事する。
オルドネス公が衛人君がじっくりと眺めた。
「うん……君なら帰れそうだね。いいよ」
「本当か……ですか?」
「お兄さんの頼みだからね」
オルドネス公が僕を見てほほ笑む。衛人君が耐えかねたように顔を上げた。
それを見てブレーメンさんが苦々しい、というか微妙に不満げな表情をする。
「ありがとうございます!」
「じゃあ、15日後にここにまた来るように。
その時までには、やり残しがないようにしておきなよ」
オルドネス公が意味ありげに笑って衛人君とアデルさんを見る。
そのままブレーメンさんを連れて部屋を出ていった。
◆
ブレーメンさんとオルドネス公が出ていって、僕等とアデルさん、衛人君だけになった。
「……スミト先生、いいのかよ。俺が戻っちまって」
「しばらくはこっちにいることにしたんだ」
「でもよ、戻りたくないのかよ?いや……俺としちゃありがたいんだが」
エイト君が不思議そうな顔をする。
僕の後ろに立っているセリエとユーカを見てにんまりと笑みを浮かべた。
「ああ、そりゃそうか……そんなかわいい子が一緒にいてくれるんだもんな」
そういってエイト君が僕と肩を組んできた。
「ところで先生、前から聞きたかったんだけど、どっちが本命なんだ?
どっちも可愛いけどよ、二股は良くないぜ」
「あのね……あんまりいらないこと言うと、この話取り下げるよ?」
「ちょっと待った、冗談だよ、冗談だって」
まあ大切な人がいるってのは僕の決断の大きな理由ではあるんだけど。あんまり下世話な感じでは言われたくないぞ。
肩を組んでいた衛人君があわてて肩をほどいて直立不動の姿勢になる。
そのまま都笠さんの方を見た。
「……あんたはいいのか?都笠の姉さん」
「あたしはこっちでいいわ」
都笠さんは相変わらず全く迷いがない口調で答える。
戻らないことについてどういう風に割り切ったのか、一度聞いてみたいところだ。都笠さんの言葉を聞くと衛人君が安心したように息を吐いた。
「じゃあ、ありがたくその話、受けさせてもらうよ。スミト先生、いや風戸さん。それに都笠さん
感謝する。本当にありがとう」
そのまま深々と最敬礼する。いつになく、というと失礼かもしれないけど、真摯な口調だ。
前にもはっきり言っていたけど、彼は本当に日本に戻りたかったんだろう。彼の居場所は日本、というかバイクで競い合う場所ってことで、それはガルフブルグには無い。
「ということだ、我が主」
衛人君がアデルさんを振り向いて言う。
アデルさんは、いつもの男の子のような凛々しくて勝気な感じじゃない、こわばった表情を浮かべていた。
「契約にあるとおりだ。帰る手段が見つかったからそうさせてもらう。いいよな?」
そういえば、この二人の関係は主従というより契約関係に近いんだったっけ。契約金を貰ったとか言ってたし、戻る手段を調べるってことも契約に入れてたって話だ。
ということは、帰ることができることが確定した時点で契約解除ってことなのかな。
アデルさんが黙り込む。
じろりとエイト君を見て、僕をにらみ、またエイト君に視線を戻す。何か言いだそうとして唇を噛んだ。
「……わが主?」
「……これほど引き立ててやったのに……私に忠誠を誓わぬものなど要らぬ。好きにするがいい」
そういってアデルさんが大きな足音を立てて部屋を出て行った。
◆
エジット君をパレアに送った後は、久しぶりに塔の廃墟の探索を手伝った。
最近は新宿から山手線に沿って北上するか、中央線にそって東進するかという感じで探索が進んでいるらしい。
山手線を北上するコースは正直言って、池袋と高田馬場の駅周辺くらいしかしらない。他の駅は通過するだけでほとんど降りたことがなかった。
まさか無人の東京で魔獣と戦うときに真面目に歩き回るとは思わなかったな
2週間してアデルさんとエイト君が渋谷に来た。なんでもしばらくジェレミー公に休暇を申請して
二人ともガルフブルグに戻っていたらしい。
久々に会うアデル姫は少しやつれたようだった。エイト君がそのうしろに従っている。
門を開く場所はスタバビルの5階だ。たしかここもレンタルDVDのフロアだったと思うけど。
いまは棚が取り払われて広々としたスペースになっている。床には絨毯が一面に敷かれていて、魔法陣のような文様が織り込まれていた。
分厚いカーテンがかかっていて、窓からの光は無い。
かわりにコアクリスタルの燭台が魔法陣を囲むように等間隔に置かれていて、明かりはそれなりにある。
部屋の真ん中、というか魔法陣の真ん中には、オルミナさんの鍵の支配者のような、黒い膜というか水面のような丸いものが浮かんでいる。
鍵の支配者も空間を操るスキルなわけだけど、その超上位互換がオルドネス公の日食の門なんだろうな。
魔法陣の横にはオルドネス公が立っている。
いつものにこやかな笑みを浮かべているのと違って、疲れたって感じの表情だ。なんだかんだっても、空間の壁を越えて東京への門を開くのは消耗するってことか。
衛人君はいつも通りのジーンズにTシャツでチームのロゴ入りの革ジャンを羽織っている。キャリーバッグを引いているあたり、スポーツ選手の遠征風景にも見えなくはない。
衛人君に手招きすると、衛人君がアデルさんと何か言葉を交わしてこっちに来た。
「衛人君。二つお願いがあるんだ。いいかな?」
「そりゃもう、何でも聞くぜ」
「一つ目は、神岡に行って、筝天院家ってところの墓に花を供えてほしい」
「なんだそりゃ?」
衛人君が不思議そうな顔をする。そういえば、彼は籐司朗さんには会ってないんだっけ。
「こっちに引っ張られた日本人の人がいるんだよ。その息子さんの墓なんだって」
「ああ……そういうことか、分かったぜ。お安い御用だ。で、もう一つは?」
「この手紙、出しておいてほしい」
衛人君に親への手紙を託すことにした。
今の状況をどう説明すればいいか分からないけど、とりあえず無事であるってことだけは知らせておきたい。
「手紙で良いのか?俺が直接渡しに行ったもいいんだぜ、スミト先生」
「……でもさ、説明できる?
今は人がいなくなった東京に居て、RPGで出てくるような人達と一緒に冒険してて、この間は六本木でドラゴンと戦った、なんてさ」
衛人君が困ったようにぼさぼさ頭を掻いて首を振った。
「………まあ無理だな」
「でしょ?」
僕だって逆の立場なら頭を抱えるだろう。衛人君が封筒を受け取って大事そうにキャリーバッグに入れる。
「切手は貼っておいてね」
「ああ、もちろん……ところで、スミト先生、いずれ帰ってくるんだろ?」
「……どうかな。多分ね」
オルドネス公の日食の門の性能が上がって、いつかそういう日が来ると信じるしかないな。
「スミト先生、それに都笠の姉さん、この恩は絶対に忘れない。
日本で待ってる。俺は最高のライダーになってあんたたちを待ってるからよ。必ず連絡してくれよな」
「ええ。お互い無事で」
衛人君が僕と都笠さんと堅く握手をする。骨ばった豆だらけの手だ。
強く握り返してくる感触に、彼がバイクに掛けてきた情熱とかそういうものを感じる。
衛人君がそのままアデルさんの方に歩いていく。
顔を背けたアデルさんに何か言うと、着ていたチームロゴ入りの革ジャケットをアデルさんに掛けた。
そのまま肩を抱きよせて軽くハグする。不思議とアデルさんも振り払おうとしなかった。
身を寄せ合って何か言っている……けど僕には聞こえなかった。衛人君がアデルさんを軽く抱きしめて背中をぽんぽんとたたく。
良い場面だ、というかなんというか。前と距離感が明らかに違う。この二週間で何があったんだろう。
……なんてことを思っていたらとおもったら、アデルさんの表情が険しくなって、衛人君が腹を殴られた。要らないことを言ったんだろうなぁ。
腹を抑えて衛人君がうずくまり、アデルさんが冷たい目でそれを見下ろす。
「じゃあ、そろそろいいかな?」
オルドネス公が声を掛ける。
「ああ……はい。よろしくお願いします」
顔をしかめて立ち上がった衛人君が、今一つ似合わない敬語で答えてオルドネス公に頭を下げる。
「じゃあその魔法陣に中に入って。その門の向こうが東京だよ。
言っておくけど、変に迷う気持ちがあると時空の狭間に飛ばされるからね。気を強く持ってね」
オルドネス公の言葉に頷いた衛人君がキャリーバッグを引いて魔法陣の中に入ると、オルドネス公が詠唱を始めた。
「【旅人の手の羅針盤は正しき方位を指し、壁に飾られしは古の海図は道を示すだろう。
此の地より彼の地へ向かう者。夜空に一つ輝きたる導の星に従って旅路を行け】」
衛人君が息を詰めて門を見守っている。水面のような門の表面に波紋が走るように揺らいだ。
「【強き嵐が吹こうとも、数多の困難があろうとも。至るべき街に、望むべき国にたどり着けるように。
幸運が君とともに有ることを、僕は祈ろう】」
不意に、門にプロジェクターの映像が映るように東京の景色が映った。都笠さんが驚いたような声を上げる。
渋谷の109の白いビルと青い空。歩道を歩くたくさんの人。懐かしい光景というか、テレビを見ているような非現実感がある。
一瞬遅れて音も聞こえた。
クラクションと車のエンジン音。音楽、雑多な話声と、お店の宣伝っぽいアナウンスの声。
門に触れようとして、衛人君が僕等を振り向いた。軽く手を挙げて挨拶してくる。僕等もそれにこたえた。
今度はアデルさんの方を向く。手を上げるでもなく、わずか数秒見つめ合っていた。衛人君がわずかにうなづく。
門にむかって手を伸ばして、指先が門に触れた瞬間、衛人君の姿が吸い込まれるように消えた。同時に門が掻き消える。
門の向こうから聞こえていた音も消えて、部屋が静寂に包まれた。オルドネス公がつかれた様にため息をつく。
「行っちゃったね」
都笠さんがつぶやく。
いつか東京に戻ることがあるんだろうか。
帰ることを望んだ衛人君、残ることを選択した都笠さん、まだ迷いがある僕。それぞれの道か。
でも二つの道を行くことはできない。そして、残ることを選んだのは僕だ。なら、せいぜい悔いのないように生きていくしかない。
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