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僕は御茶ノ水勤務のサラリーマン。新宿で転職の話をしたら、渋谷で探索者をすることになった。(書籍版・普通のリーマン、異世界渋谷でジョブチェンジ)

雪野宮竜胆/ユキミヤリンドウ

僕等の想い出。

 翌日。
 ベッドから起き上がったら、日はもう高く上がっていた。
 飲み過ぎたわけじゃないんだけど、普段より大幅に寝過ごした。


 太陽の光から見り限り、今は11時くらいだろうか。普段なら部屋から出たらセリエかユーカがおはようを言ってくれる。でも今日はいなかった。
 明るい太陽の光が誰もいないガラス張りの廊下を照らしている……今あの二人はどうしているんだろう。


 何処に行くわけじゃないんだけど、階段を降りて2階まで下りる。
 すれ違うオルドネス公やジェレミー公の侍従の人やメイドさんがにこやかに挨拶してくれるけど、今はそれもなんか煩わしかった。





 2階の会食をした部屋に入ると、オルドネス公が一人で長机に座って足をぶらつかせていた。
 レースの白いカーテンの間から太陽の光が差し込んでいて、室内は明るい。


「やあ、おはよう。お兄さん」
「……おはよう」


 こっちの気も知らずなのか、あえて無視しているのか、オルドネス公が明るくほほ笑む。


「いいの?こんなところで一人で居て」
「いいんだよ。今の僕は休むのが仕事。執務はブレーメン叔父さんがやってくれるからね」


 オルドネス家の当主ではあるけど、役割は門をあけたり維持したりすることで、実際の家の取り仕切りの実務はあの叔父さんがしてるわけか。
 まあそっちの方が適材適所ではあるだろうけど。 


「そんなことよりコーヒーでも飲もうよ。お兄さんならこれ動かせるでしょ?」


 そう言ってオルドネス公が手を横に伸ばすと、何もない空間から四角い機械が現れた。
 都笠さんの兵器工廠アーセナルのような、亜空間に何かをしまい込むタイプのスロット能力だろうか
 見覚えがある機械だなとおもったらエスプレッソメーカーだ、これは。ご丁寧に白いカップとソーサーまで準備されている。


「どこから持ってきたんだ、こんなの」


 と思ったけど。このビルにはもともとはスタバが入ってたわけだし、回収されてて当たり前か。


管理者アドミニストレーター起動オン電源復旧パワーレストレイション


 エスプレッソメーカーに電源ランプがともり、モーター音が響く
 見よう見まねでスイッチを押すと、小さめのカップにこげ茶色のエスプレッソが注がれた。オルドネス公の分もエスプレッソを注ぐ
 オルドネス公が一口飲んで、いかにも苦い、という顔をして顔をしかめた。


「お兄さんの世界の人はよくこんな変なの飲むよね。苦いだけでしょ?」


 オルドネス公が砂糖の袋を開けてエスプレッソを小さいスプーンでかき回しながら言う。
 ブラックの味を理解しないとはまだお子様だね、と普段なら言うかもしれなけど、今はそんな気分になれない。


「どうするか決めた?」
「……分からない」


「後悔してる?こっちに来た事」
「……だましやがったな、このクソガキ、とは思ってる」


 いくら何でも、こんな境遇になると事前にわかっていたら躊躇したと思う。


「ひどいなぁ、だましてないんていないよ……ちょっと言わなかったことがあっただけで。
大人の世界じゃよくあることじゃないかな?」


 白々しい口調でオルドネス公が言う。
 懐かしくも苦く酸味があるエスプレッソを一気に飲む。東京では気が向けばすぐに飲めたけど、今は久しぶりの味だ。


「後悔してる?あの二人に会ったこと」


 奴隷商から買い取った時のカウンターの向こう側のユーカの嬉しそうな笑顔が目に浮かぶ。
 キスした後のセリエの頬を染めた幸せそうなはにかみ顔。


「……してるようなしてないような」


 お互いこんなつらいことになるなら深くかかわる相手なんて増やすんじゃなかったかもな。
 考えが足りなかった。


「……聞いた話だけどね。昔、僕の大伯父が日食の門エクリプスゲートで日本人を呼んだことがある。
もう50年以上前の話だけどね」
「ああ、そうなんだ」


 こんな風にいろんな世界から人を引っ張り込んでいるんだろうか。


「名前は……確か中井戸なかいどみのるって人だったかな。法律家って言う職業の人だったらしい
恐ろしく優秀な人だったらしいよ。スロット能力は大したことなかったけどね。
お兄さんも、探索者ギルドの割符を使ったことがあるでしょ?」
「うん」


 探索者ギルドは、魔獣を倒して出てくるコアクリスタルの買取りをするときには、基本的には割符で代金を支払ってくれる。
 頑丈な紙に数字と探索者ギルドの大きい印章とサインが入っているもので、探索者ギルドに行けば換金してくれるものだ。
 探索者がもらったものをあちこちで使うから、実質的にはガルフブルグの紙幣のように流通している。


「あの仕組みを作ったのはその人さ。
金貨や銀貨だと持ち運びが面倒だけど、ギンコウを作るのは難しい。なら探索者ギルドを使おうって言ってね」


 探索者ギルドは聞くところによると全国的な組織で、ガルフブルグのどこにでもあるらしい。それを使って紙幣を流通させる仕組みを作ったわけか。
 社会の仕組みやインフラが日本に比べるとかなり足りないガルフブルグでそんな仕組みを考えて実現させるとは。


「その人も、最初はあちこち出歩いて、新しい環境を楽しんでいたらしい。
でも、1月目あたりから部屋にこもって必要がないときは出てこなくなった。そして、1年間友人も作らず、本を書き続けた。
彼が書いた法律や社会制度の本は今でも役に立ってるよ」


 オルドネス公がカップをテーブルに戻す。もう一杯ほしい、という仕草をするのでもう一杯エスプレッソを注いだ。
 オルドネス公がにっこり笑ってカップに砂糖を入れた。この笑顔は何とも無邪気な子供そのものだ。


「……門を開くことができる日、彼は迷わず日本に戻ることを望んだ。
優秀な人だったから大伯父も回りも破格の待遇で引き留めた。でも彼の決意は固かったんだってさ」


 その中井戸さんとやらの気持ちは分かる。その人はたぶん、かなり早い段階で日本に戻りたいという気持ちに気付いたんだ。
 そして、ガルフブルグでつながりを作ることが帰るときの辛さになることも。


「……東京に戻って、時々こっちに来る、とかできない?」


「あのね……昨日も言ったでしょ?日食の門エクリプスゲートはそんな簡単なものじゃないんだ
隣の部屋に行くのにドアを開けるような感じで言わないでほしいね」


 オルドネス公がやれやれって感じで手を広げる。
 そんなにうまくは行くはずもないか。


「帰りたいのかい?お兄さん」
「……分からない……」


 もちろん親の顔が見たいというのはある。
 日本の生活に懐かしさも感じる。色々と難儀なこともあったけど、やっぱり僕にとっての故郷だ。


 でも。こっちに来てからの記憶。
 暗い新宿駅地下。スロットシートと、今や使い慣れたマスケット銃。
 ゆっくりと迫ってくるアラクネの棘だらけの脚。


 涙ぐんで僕の袖を引くユーカ。
 自分でそうすると決めて、ガルダに喧嘩を売ったこと。
 迫るデュラハンの剣とアーロンさん達の姿。
 背中を凍らせるような恐怖と魔法を叩き込む瞬間の高揚感。


 ユーカにナイフを突きつけられた時。
 ガルダに剣を向けられた時の押し潰されるような気持ち。
 命がけの切り合い。
 初めて人を刺した時の感触。 


 空中から迫るワイバーン。ホテルのホールに屹立する巨大なアンフィスバエナ。
 セリエが傷ついた時の引き裂かれるような気持ち。


 月の光に照らされた旧市街の城壁。
 その門を破ってユーカを追った時のこと。
 人形に囲まれて絶体絶命の時でも、絶対に降伏しないと僕を見た都笠さんの目。


 シェイラさんと抱き合うユーカ。嬉しそうなセリエ。
 そして、バスキア公との対決。
 強烈に心に刻まれている、何もかもが。


「こっちにいるにしても……」
「うん」


「……せめて一度は父さんや母さんや友達にさよならは言いたいかな」


 オルドネス公は何も言わず、静かな室内にエスプレッソマシンの稼働音だけが小さく鳴っていた。
 エスプレッソの残りを飲み終えてカップをテーブルに置く。 


「一つ聞いていい?」
「いいよ、何?」


 一つ昨日の話で気になっていたことがある。
 そして、オルドネス公の答えは大体僕の予想通りだった


「……決めたよ」







「僕は御茶ノ水勤務のサラリーマン。新宿で転職の話をしたら、渋谷で探索者をすることになった。(書籍版・普通のリーマン、異世界渋谷でジョブチェンジ)」を読んでいる人はこの作品も読んでいます

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