僕は御茶ノ水勤務のサラリーマン。新宿で転職の話をしたら、渋谷で探索者をすることになった。(書籍版・普通のリーマン、異世界渋谷でジョブチェンジ)
長い夜の終わり
バスキア公の郎党が立ち去って、ラクシャス家の広い庭に静けさが戻った。
馬から降りたダナエ姫とゼーヴェン君がこっちに歩いてくる。その後ろにはリチャードと籐司郎さんが手綱を引いて従っていた。
「リチャード、ありがとう」
「間に合ってよかったぜ、スミト。旦那もレインちゃんも無事だな」
「いい仕事をしたな、リチャード」
アーロンさんとリチャードがお互いの胸を拳で突きあう。
間に合わなかったら……僕等は死にはしなかっただろうけど、バスキア公に従うしかなかっただろうし、間に合ってよかった。
「ありがとうございます、ダナエ姫」
「気にせんでよいぞ」
ダナエ姫に頭を下げる。結構な修羅場だったはずなんだけど、いつもと変わらない凛とした落ち着いた顔だ。
「こやつが来てすぐに、アストレイ殿が手勢を引き連れていったという報告があっての。
あの方がお主等にご執心だったのは聞いておったのでな、こんなことではないかと思うたのじゃ」
「助かりました」
ダナエ姫が澄ました顔にちょっと意地悪気な笑みを浮かべる。
「ふ。妾もお主等にフラれておるからのう。
お主にアストレイ殿に簡単に従ってもらっては癪であろうが」
そういえば、僕等は籐司郎さんからの仕官の誘いを断ってるんだよな。
「でも、こんなことになるなんて予想してませんでしたよ」
確かに僕等の知識はガルフブルグではかなり貴重というか希少というか、重要なものなのは分かるけど。あそこまでやられるとは思わなかった。
「この世界の感覚からすれば、君たちは異端なんだよ、風戸君」
籐司郎さんが口を開いた。
「優れたものは誰かに引き立てられて禄と栄誉を得る。それがガルフブルグの出世の仕方であり、常識だ。
どんな仕官の口も思いのままなのに、探索者のままでいる君たちの行動は奇異に見えるんだよ」
バスキア公から見れば、仕官もせずにフラフラとしているのは、何処かに行きかねない危険人物に見えたってことだろう。
そんなつもりはなかったんだけど、それはバスキア公にはわかるはずもない。
「まあ、お主等は他国の誘いに応じたりはせぬと思うたからの。
アストレイ殿はちと勇み足であろうと思うてな」
「ええ」
というか、正直言って、そんな発想は頭の隅っこにすらなかった。
言われてみれば、ガルフブルグの他にも国があるのは当たり前なんだけど。パレアと渋谷を行き来しているだけだから意識することがなかった。
「でも、もしあたしたちがあくまで誰にも仕えたくない、といったらどうしたんです?」
都笠さんが聞く。
「義理堅いお主等のことじゃ、妾に救いを求めた時点で妾に仕えてもよいと思うたであろ?」
ダナエ姫が確信を持った口調で切り返してきた。都笠さんと顔を見合わせる。
「そうですね」
「はい」
「故に、あの場でそうは言わぬと思うておったわ」
ダナエ姫が薄く笑う。お見通しってわけか。
「まあ、まさかサヴォア家に仕えると申すとは思わなんだがな。
妾に仕える、と申すことを期待しておったがのう」
「それを言うと角が立つかな、と思ったんですよ」
あそこでダナエ姫に従うとか言ったら……さすがにバスキア公も収まらなかったんじゃないかと思う。
僕が原因で4大公同士の諍いが起きるなんていうのは御免被りたい。
「じゃがの……スミト。一応申しておくがの」
「はい」
ダナエ姫の口調がちょっと硬くなる。真摯な口調になんとなく背筋が伸びた。
「お主が他の国に赴くというのなら……さすがに妾も何か考えざるを得ぬ」
切れ長の涼やかな目が僕を射貫くように見る。
「お主等の持つ知識とスロット能力はそれほどの力を持っておるのじゃ、ゆめ忘れてはならぬぞ」
この辺はなんだかんだ言ってもガルフブルグの上位貴族だ。必要なら強硬手段も厭わないって感じだな。
背は僕より小さいし細身の美少女剣士って感じだけど、ジェラールさんに匹敵するレベルの強さを持っているらしいし侮れない。
「大いなる力には大いなる責任が伴う、ってやつかしらね」
都笠さんが言う。どっかで聞いたことあるセリフだ。
大いなる力なんて、面倒っていえば面倒だけど、このスロット能力に何度も救われてきたわけだし。まあこればかりは仕方ないか。
「地位を与え責務で縛り、お主等を我が国に留め置こうとするアストレイ殿のやり方が必ずしも間違っているとは思わぬ。
……昔の妾ならアストレイ殿と同じことをしたであろう」
ダナエ姫が静かに言う。
「じゃあなんで?」
「……塔の廃墟のことはすでに他国にも伝わっておる。塔の廃墟のモノはすでに他国へももたらされておるからの。
人の口に戸はたてられぬ。お主等のこともじきに知れよう」
「ああ、そうなんですか」
どういうものがどういう風に流通しているか、僕等には知る由は無いけど。
文具とか鏡代わりのCDとか、装飾品とかそういうものは国境を越えて他の国に流れていても不思議じゃない。
「お主等にもいずれなんらかの誘いが来るであろうな。
他国の有力な貴族に働きかけて寝返らせるのは珍しいことではない」
口コミの情報拡散の速さは僕も知っている。ついでに、伝言ゲーム状態のいい加減さは何度も思い知らされたけど。
いずれ尾ひれのついた噂が他所の国に流れたりもするんだろうか。
「……妾は、長い目で見れば、お主等がお主等の意思で我が国にその剣を捧げ、留まってくれる方が好ましいと考えておる」
なんでわざわざ助け船を出してくれたのかと思ってたけど、そういう意図だったわけか。
「権力や富で従わせた者は、それ以上の富や権力を積まれれば考えを翻すであろう。金や栄誉や地位は人の心まで完全に縛ることはできぬ。
無理強いしても詮無きことよ。そうであろ?」
「まあ、そうですけど」
なんというか、偉く寛容だ。バスキア公と同じ貴族とは思えないな。
「まあソウテンインの受け売りじゃがの」
ダナエ姫が籐司郎さんの方をちらりと見て言う。
そういえば、ダナエ姫と籐司郎さんとは4年くらいの付き合いのはずだ。色々と接して思うところがあったのかもしれない。
◆
「そういえばさっきのってなんだったんですかね」
「さっきの、とはなんじゃ?」
「地方に行ったことが有るかっていうあれです」
結局なにが言いたいのか分からないままだったけど。僕の言葉にダナエ姫の表情に少し陰が差した。
「それはの……」
「ガルフブルグの田舎というか地方は、日本とは違うんだよ、風戸君」
「違うってどういう意味です」
「何もない所じゃ……領民たちは、年に一度の収穫祭と、たまにくる大道芸や吟遊詩人の歌だけを楽しみに生きておる」
ダナエ姫が暗い声で言う。
「そうなんですか?」
「ガルフブルグは広い。妾とて、どうすることも出来ぬ」
言われてみれば。
インターネットが発達して流通網が整備されて、どこでも娯楽があった現代日本の地方と、文明レベルが中世のようなガルフブルグは全然違う。
パレアはそれなりににぎわってる。でも、もっと田舎の方に行ったら、多分本当に何もない所とかがあるんだろう。
「楽師無き音楽堂の仕組みは妾にはわからぬが。
アストレイ殿は、あれが管理者使いの誰でも使えるなら、あれを以て領民たちの生活を少しでも良くできるとお考えなのやもしれんな」
「へえ……たいしたもんね、偉そうなだけじゃないんだ」
都笠さんが言う。これについては同感だ。
もし本当なら、なんというか、随分領民思いというかなんというか。そんなこと気にするようなタイプには見えなかったけど。
「意外ですね……正直言って」
「バスキア公家はガルフブルグでも最大の威勢を誇る。その当主は目配りの利かぬ愚か者には務まらぬよ」
ダナエ姫が言って籐司郎さんが頷く。
良好な仲なのかは分からないけど、お互い能力は認めあっているって感じだな。
◆
話が途切れてまた周囲が静かになる。
「そろそろ行こうぜ」
「そうじゃな。では参ろうか」
リチャードが促すと、ダナエ姫が馬にまたがった。ハンマーは動かせないだろうから僕等は歩きかな。
「ああ、ちょっと待ってね。風戸君、ハンマーを動かして」
都笠さんが運転席に乗り込みながら言う。
「タイヤ潰れてるし、ここに置いていくしかないんじゃない?」
「いいからさ。ほら、早く」
ハンマーはパンクでもしたのか、車体が傾いてる。無理やり走らせられなくはないのかもしれないけど。
都笠さんが言い募るってことは、何か意図があるんだろうな。
「了解。管理者、起動、エンジン始動」
大きな音を立ててハンマーのエンジンが再始動した。
澄ました顔のダナエ姫が一瞬驚いたような表情を浮かべた。エンジンがかかった車を見るのは初めてだろう。
前にも見たことが有るゼーヴェン君はなんか嬉しそうだ。籐司郎さんが懐かし気にボンネットをなでる。
「確かこれで……どうかな」
都笠さんが運転席で何かすると、ハンマーの傾いていた車体がまっすぐになった。なんだこれ?
「ハンマーは多少のパンクならこんな風に修復できるのよ。軍用だからね。タフなのよ」
ちょっと自慢げに都笠さんが言う。そんな機能があるとは全然知らんかった。
「さ、乗って。帰りましょ?」
「ソウテンイン、妾の馬を頼むぞ」
先に荷台に上って、シェイラさん、ユーカ、セリエの順番に引き上げる。
ダナエ姫が馬からハンマーの荷台に軽やかに飛び移ってきた。硬い荷台を足でとんとんとつついて、荷台の縁に腰掛ける。
「これが噂の鉄車か?婿殿」
「はい。ただ、俺が乗ったのはもっと白くて箱のような形をしていましたし、音も小さかったです。
それに、我が館にもないような立派な座席が設えられておりました」
ゼーヴェン君が馬をハンマーの横に着けて応じる。
六本木で乗ったのは、ハイブリッドの高級ミニバン、ハンマーはガチの軍用車だからかなり違うはずだ。
「しかもこれは馬よりはるかに速く走るのであろ?」
「はい。ワイバーンにも追いつかれないほどには」
「なるほどのう……アストレイ殿が危惧するのも理解できるというものよの」
そう言ってダナエ姫が、さっきの話の念を押すかのように僕の方をちらりと見る。
まあ車を動かすには管理者の第三階層以上じゃなくてはいけないから、結構ハードルが高いんだけど。
結局、門のところまでダナエ姫達は着いてきた、というか、荷台から下りなかった。
コアクリスタルで照らされた門は、僕の魔弾の射手で真ん中の木材と鉄の枠がひしゃげていて閉まらない状態になっている。
もう深夜だけど、門衛が10人ほど門の所にいて、僕等を見ると斧槍を構えて礼をしてくれた。
ダナエ姫が軽やかに荷台から飛び降りると、籐司郎さんの曳いてきた馬にまたがる。
「いずれ、お主らが妾を剣を捧げる主と思ってくれる日を待っておるぞ……ではな」
そういうと、ダナエ姫達は自分たちの街区の方に消えていった。
◆
僕等が門をくぐると後ろで門が閉まりはじめた。
蝶番にもダメージがあったのか、きしみ音が前よりも大きいような気がする。深夜で他に音がしないから、というのもあるかもしれない。
長い橋の向こうはいつもの新市街だ。街灯の明かりがついているだけで、人通りは無く、もう酒場とかは締まっている。
空を見上げると月が傾きつつあった。12時は軽く回ってるだろうな。日本じゃまだまだ夜はこれから、かもしれないけど、ガルフブルグじゃ完全に深夜だ。
橋の途中あたりで門を閉じる音がしなくなって、川の流れる音とくぐもったディーゼルエンジンの音以外何も聞こえなくなる。
ようやく解放された気がした。思わずため息が出る。
静かな橋をハンマーが進む。
長い道に並ぶ赤っぽい街灯の明かりを見ていると、終電をなくした後に人気のまっすぐな幹線道路を歩いて家まで帰った時を思い出すな。
荷台の正面にはユーカとシェイラさんが寄り添って何か話していた。時々ユーカがはにかむように笑う。
セリエは僕の横に座っていてそれを幸せそうに見ていた。ひんやりした夜風にセリエの体温が暖かい。
「有難う御座います、アーロンさん、リチャード、レインさん」
アーロンさん達は馬でゆっくり進むハンマーの横を着いてきてくれている。
もし、アーロンさん達が追ってきてくれなかったら。どうなっていたか分からない。返し切れない恩ができた。いつか僕はこの恩に報いることができるときが来るんだろうか。
「いーや、何言ってんだ」
「まだ終わってないぞ、スミト」
アーロンさんとリチャードが顔を見合わせて笑った。
「ああ、そうだよな」
「なにがですか?」
レインさんが呆れたような顔をして二人を見ている。
「これから祝宴だぞ」
「パーっといこうぜ」
「いやー……さすがに、明日にしませんか?」
どっちかというと今は酒よりベッドに潜り込んでぐっすり寝たい。
「いいことが有ったらすぐに喜ぶんだ。明日なんかじゃ熱が冷めちまうからな」
「サンヴェルナールの夕焼け亭で飲もうぜ。勿論スミトの奢りだろうし、噂の楽師無き演奏も聞き放題だろうな」
普段はリチャードの悪ノリをとめそうなアーロンさんだけど、今回は有無を言わさぬ、という口調だ。
まあいいか。それがガルフブルグの流儀なんだろう。今日はそれに従おう。
ただ、もうかなり遅い時間だ。サンヴェルナールの夕焼け亭のみんなが寝てしまっていたら祝宴どころじゃない、と思っていたけど。
サンヴェルナールの夕焼け亭の窓にはまだ明かりが点いていた。
僕たちの帰りを待っていてくれたように。
馬から降りたダナエ姫とゼーヴェン君がこっちに歩いてくる。その後ろにはリチャードと籐司郎さんが手綱を引いて従っていた。
「リチャード、ありがとう」
「間に合ってよかったぜ、スミト。旦那もレインちゃんも無事だな」
「いい仕事をしたな、リチャード」
アーロンさんとリチャードがお互いの胸を拳で突きあう。
間に合わなかったら……僕等は死にはしなかっただろうけど、バスキア公に従うしかなかっただろうし、間に合ってよかった。
「ありがとうございます、ダナエ姫」
「気にせんでよいぞ」
ダナエ姫に頭を下げる。結構な修羅場だったはずなんだけど、いつもと変わらない凛とした落ち着いた顔だ。
「こやつが来てすぐに、アストレイ殿が手勢を引き連れていったという報告があっての。
あの方がお主等にご執心だったのは聞いておったのでな、こんなことではないかと思うたのじゃ」
「助かりました」
ダナエ姫が澄ました顔にちょっと意地悪気な笑みを浮かべる。
「ふ。妾もお主等にフラれておるからのう。
お主にアストレイ殿に簡単に従ってもらっては癪であろうが」
そういえば、僕等は籐司郎さんからの仕官の誘いを断ってるんだよな。
「でも、こんなことになるなんて予想してませんでしたよ」
確かに僕等の知識はガルフブルグではかなり貴重というか希少というか、重要なものなのは分かるけど。あそこまでやられるとは思わなかった。
「この世界の感覚からすれば、君たちは異端なんだよ、風戸君」
籐司郎さんが口を開いた。
「優れたものは誰かに引き立てられて禄と栄誉を得る。それがガルフブルグの出世の仕方であり、常識だ。
どんな仕官の口も思いのままなのに、探索者のままでいる君たちの行動は奇異に見えるんだよ」
バスキア公から見れば、仕官もせずにフラフラとしているのは、何処かに行きかねない危険人物に見えたってことだろう。
そんなつもりはなかったんだけど、それはバスキア公にはわかるはずもない。
「まあ、お主等は他国の誘いに応じたりはせぬと思うたからの。
アストレイ殿はちと勇み足であろうと思うてな」
「ええ」
というか、正直言って、そんな発想は頭の隅っこにすらなかった。
言われてみれば、ガルフブルグの他にも国があるのは当たり前なんだけど。パレアと渋谷を行き来しているだけだから意識することがなかった。
「でも、もしあたしたちがあくまで誰にも仕えたくない、といったらどうしたんです?」
都笠さんが聞く。
「義理堅いお主等のことじゃ、妾に救いを求めた時点で妾に仕えてもよいと思うたであろ?」
ダナエ姫が確信を持った口調で切り返してきた。都笠さんと顔を見合わせる。
「そうですね」
「はい」
「故に、あの場でそうは言わぬと思うておったわ」
ダナエ姫が薄く笑う。お見通しってわけか。
「まあ、まさかサヴォア家に仕えると申すとは思わなんだがな。
妾に仕える、と申すことを期待しておったがのう」
「それを言うと角が立つかな、と思ったんですよ」
あそこでダナエ姫に従うとか言ったら……さすがにバスキア公も収まらなかったんじゃないかと思う。
僕が原因で4大公同士の諍いが起きるなんていうのは御免被りたい。
「じゃがの……スミト。一応申しておくがの」
「はい」
ダナエ姫の口調がちょっと硬くなる。真摯な口調になんとなく背筋が伸びた。
「お主が他の国に赴くというのなら……さすがに妾も何か考えざるを得ぬ」
切れ長の涼やかな目が僕を射貫くように見る。
「お主等の持つ知識とスロット能力はそれほどの力を持っておるのじゃ、ゆめ忘れてはならぬぞ」
この辺はなんだかんだ言ってもガルフブルグの上位貴族だ。必要なら強硬手段も厭わないって感じだな。
背は僕より小さいし細身の美少女剣士って感じだけど、ジェラールさんに匹敵するレベルの強さを持っているらしいし侮れない。
「大いなる力には大いなる責任が伴う、ってやつかしらね」
都笠さんが言う。どっかで聞いたことあるセリフだ。
大いなる力なんて、面倒っていえば面倒だけど、このスロット能力に何度も救われてきたわけだし。まあこればかりは仕方ないか。
「地位を与え責務で縛り、お主等を我が国に留め置こうとするアストレイ殿のやり方が必ずしも間違っているとは思わぬ。
……昔の妾ならアストレイ殿と同じことをしたであろう」
ダナエ姫が静かに言う。
「じゃあなんで?」
「……塔の廃墟のことはすでに他国にも伝わっておる。塔の廃墟のモノはすでに他国へももたらされておるからの。
人の口に戸はたてられぬ。お主等のこともじきに知れよう」
「ああ、そうなんですか」
どういうものがどういう風に流通しているか、僕等には知る由は無いけど。
文具とか鏡代わりのCDとか、装飾品とかそういうものは国境を越えて他の国に流れていても不思議じゃない。
「お主等にもいずれなんらかの誘いが来るであろうな。
他国の有力な貴族に働きかけて寝返らせるのは珍しいことではない」
口コミの情報拡散の速さは僕も知っている。ついでに、伝言ゲーム状態のいい加減さは何度も思い知らされたけど。
いずれ尾ひれのついた噂が他所の国に流れたりもするんだろうか。
「……妾は、長い目で見れば、お主等がお主等の意思で我が国にその剣を捧げ、留まってくれる方が好ましいと考えておる」
なんでわざわざ助け船を出してくれたのかと思ってたけど、そういう意図だったわけか。
「権力や富で従わせた者は、それ以上の富や権力を積まれれば考えを翻すであろう。金や栄誉や地位は人の心まで完全に縛ることはできぬ。
無理強いしても詮無きことよ。そうであろ?」
「まあ、そうですけど」
なんというか、偉く寛容だ。バスキア公と同じ貴族とは思えないな。
「まあソウテンインの受け売りじゃがの」
ダナエ姫が籐司郎さんの方をちらりと見て言う。
そういえば、ダナエ姫と籐司郎さんとは4年くらいの付き合いのはずだ。色々と接して思うところがあったのかもしれない。
◆
「そういえばさっきのってなんだったんですかね」
「さっきの、とはなんじゃ?」
「地方に行ったことが有るかっていうあれです」
結局なにが言いたいのか分からないままだったけど。僕の言葉にダナエ姫の表情に少し陰が差した。
「それはの……」
「ガルフブルグの田舎というか地方は、日本とは違うんだよ、風戸君」
「違うってどういう意味です」
「何もない所じゃ……領民たちは、年に一度の収穫祭と、たまにくる大道芸や吟遊詩人の歌だけを楽しみに生きておる」
ダナエ姫が暗い声で言う。
「そうなんですか?」
「ガルフブルグは広い。妾とて、どうすることも出来ぬ」
言われてみれば。
インターネットが発達して流通網が整備されて、どこでも娯楽があった現代日本の地方と、文明レベルが中世のようなガルフブルグは全然違う。
パレアはそれなりににぎわってる。でも、もっと田舎の方に行ったら、多分本当に何もない所とかがあるんだろう。
「楽師無き音楽堂の仕組みは妾にはわからぬが。
アストレイ殿は、あれが管理者使いの誰でも使えるなら、あれを以て領民たちの生活を少しでも良くできるとお考えなのやもしれんな」
「へえ……たいしたもんね、偉そうなだけじゃないんだ」
都笠さんが言う。これについては同感だ。
もし本当なら、なんというか、随分領民思いというかなんというか。そんなこと気にするようなタイプには見えなかったけど。
「意外ですね……正直言って」
「バスキア公家はガルフブルグでも最大の威勢を誇る。その当主は目配りの利かぬ愚か者には務まらぬよ」
ダナエ姫が言って籐司郎さんが頷く。
良好な仲なのかは分からないけど、お互い能力は認めあっているって感じだな。
◆
話が途切れてまた周囲が静かになる。
「そろそろ行こうぜ」
「そうじゃな。では参ろうか」
リチャードが促すと、ダナエ姫が馬にまたがった。ハンマーは動かせないだろうから僕等は歩きかな。
「ああ、ちょっと待ってね。風戸君、ハンマーを動かして」
都笠さんが運転席に乗り込みながら言う。
「タイヤ潰れてるし、ここに置いていくしかないんじゃない?」
「いいからさ。ほら、早く」
ハンマーはパンクでもしたのか、車体が傾いてる。無理やり走らせられなくはないのかもしれないけど。
都笠さんが言い募るってことは、何か意図があるんだろうな。
「了解。管理者、起動、エンジン始動」
大きな音を立ててハンマーのエンジンが再始動した。
澄ました顔のダナエ姫が一瞬驚いたような表情を浮かべた。エンジンがかかった車を見るのは初めてだろう。
前にも見たことが有るゼーヴェン君はなんか嬉しそうだ。籐司郎さんが懐かし気にボンネットをなでる。
「確かこれで……どうかな」
都笠さんが運転席で何かすると、ハンマーの傾いていた車体がまっすぐになった。なんだこれ?
「ハンマーは多少のパンクならこんな風に修復できるのよ。軍用だからね。タフなのよ」
ちょっと自慢げに都笠さんが言う。そんな機能があるとは全然知らんかった。
「さ、乗って。帰りましょ?」
「ソウテンイン、妾の馬を頼むぞ」
先に荷台に上って、シェイラさん、ユーカ、セリエの順番に引き上げる。
ダナエ姫が馬からハンマーの荷台に軽やかに飛び移ってきた。硬い荷台を足でとんとんとつついて、荷台の縁に腰掛ける。
「これが噂の鉄車か?婿殿」
「はい。ただ、俺が乗ったのはもっと白くて箱のような形をしていましたし、音も小さかったです。
それに、我が館にもないような立派な座席が設えられておりました」
ゼーヴェン君が馬をハンマーの横に着けて応じる。
六本木で乗ったのは、ハイブリッドの高級ミニバン、ハンマーはガチの軍用車だからかなり違うはずだ。
「しかもこれは馬よりはるかに速く走るのであろ?」
「はい。ワイバーンにも追いつかれないほどには」
「なるほどのう……アストレイ殿が危惧するのも理解できるというものよの」
そう言ってダナエ姫が、さっきの話の念を押すかのように僕の方をちらりと見る。
まあ車を動かすには管理者の第三階層以上じゃなくてはいけないから、結構ハードルが高いんだけど。
結局、門のところまでダナエ姫達は着いてきた、というか、荷台から下りなかった。
コアクリスタルで照らされた門は、僕の魔弾の射手で真ん中の木材と鉄の枠がひしゃげていて閉まらない状態になっている。
もう深夜だけど、門衛が10人ほど門の所にいて、僕等を見ると斧槍を構えて礼をしてくれた。
ダナエ姫が軽やかに荷台から飛び降りると、籐司郎さんの曳いてきた馬にまたがる。
「いずれ、お主らが妾を剣を捧げる主と思ってくれる日を待っておるぞ……ではな」
そういうと、ダナエ姫達は自分たちの街区の方に消えていった。
◆
僕等が門をくぐると後ろで門が閉まりはじめた。
蝶番にもダメージがあったのか、きしみ音が前よりも大きいような気がする。深夜で他に音がしないから、というのもあるかもしれない。
長い橋の向こうはいつもの新市街だ。街灯の明かりがついているだけで、人通りは無く、もう酒場とかは締まっている。
空を見上げると月が傾きつつあった。12時は軽く回ってるだろうな。日本じゃまだまだ夜はこれから、かもしれないけど、ガルフブルグじゃ完全に深夜だ。
橋の途中あたりで門を閉じる音がしなくなって、川の流れる音とくぐもったディーゼルエンジンの音以外何も聞こえなくなる。
ようやく解放された気がした。思わずため息が出る。
静かな橋をハンマーが進む。
長い道に並ぶ赤っぽい街灯の明かりを見ていると、終電をなくした後に人気のまっすぐな幹線道路を歩いて家まで帰った時を思い出すな。
荷台の正面にはユーカとシェイラさんが寄り添って何か話していた。時々ユーカがはにかむように笑う。
セリエは僕の横に座っていてそれを幸せそうに見ていた。ひんやりした夜風にセリエの体温が暖かい。
「有難う御座います、アーロンさん、リチャード、レインさん」
アーロンさん達は馬でゆっくり進むハンマーの横を着いてきてくれている。
もし、アーロンさん達が追ってきてくれなかったら。どうなっていたか分からない。返し切れない恩ができた。いつか僕はこの恩に報いることができるときが来るんだろうか。
「いーや、何言ってんだ」
「まだ終わってないぞ、スミト」
アーロンさんとリチャードが顔を見合わせて笑った。
「ああ、そうだよな」
「なにがですか?」
レインさんが呆れたような顔をして二人を見ている。
「これから祝宴だぞ」
「パーっといこうぜ」
「いやー……さすがに、明日にしませんか?」
どっちかというと今は酒よりベッドに潜り込んでぐっすり寝たい。
「いいことが有ったらすぐに喜ぶんだ。明日なんかじゃ熱が冷めちまうからな」
「サンヴェルナールの夕焼け亭で飲もうぜ。勿論スミトの奢りだろうし、噂の楽師無き演奏も聞き放題だろうな」
普段はリチャードの悪ノリをとめそうなアーロンさんだけど、今回は有無を言わさぬ、という口調だ。
まあいいか。それがガルフブルグの流儀なんだろう。今日はそれに従おう。
ただ、もうかなり遅い時間だ。サンヴェルナールの夕焼け亭のみんなが寝てしまっていたら祝宴どころじゃない、と思っていたけど。
サンヴェルナールの夕焼け亭の窓にはまだ明かりが点いていた。
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