僕は御茶ノ水勤務のサラリーマン。新宿で転職の話をしたら、渋谷で探索者をすることになった。(書籍版・普通のリーマン、異世界渋谷でジョブチェンジ)

雪野宮竜胆/ユキミヤリンドウ

世界を変えるということは。

 部屋の中は白い天蓋のかけられた寝台と、簡素な机と椅子があるだけの殺風景な部屋だった。
 窓には鉄格子ほどあからさまではないけど、装飾入りの鉄の枠がはめられて逃げられないようになっている。


 ベッドにはきれいなブロンドを腰まで伸ばしたほっそりとした女の人が座っていた。白いシーツに髪が川のように流れている。
 ドアの方を見て上げた顔には涙の痕が見えた。目が赤い。僕を見て怯えた顔をする


「お願いします、旦那様。
私は何でもいたしますから……どうかユーカにだけは……」


 跪いてその人が涙声で言う。
 ラクシャスがこの人に何を言っていたのか一瞬で察しがついた。
 ゲス野郎が。殺意を覚えて後ろを振り向くと、ラクシャスが一歩下がって、ヤンヌさんが僕らの間に割り込むように立った。


 ユーカが息をのんで、その人が顔を上げる。僕の手を握っているユーカと目が合った。しばらく、時が止まったように二人が見つめ合う。
 僕の手を振りほどいて、金縛りから解かれた様にユーカが部屋に駆け込んでいった。


「お母様!」


 そのまま、タックルでもかけるかのように、その人抱きつく。
 とりあえず、どうやら罠とかではなかったわけだ。


「会いたかった……会いたかったよう」
「ユーカ?……これは……どういうこと?」


 なんとなくもらい泣きするかも、と思ったけど、涙は出なかった。ただ不思議な気持ちが胸を満たしていた。
 この気持ちを何と表現すればいいのかわからない。
 心の中の重荷が下りたというか、しいて言うなら、大きな仕事の契約が決まってその帰り道って感じだ。充実感とか解放感とかそういう気持ちが入り混じっている。


 ユーカに抱き着かれたまま女の人が僕らのほうを見る。
 今度はセリエと目が合ったらしく、そのまま固まってしまった。


 後ろを振り返ると、セリエも僕の後ろで固まっていた。
 というか真っ先に部屋に駆け込んでいくと思ってたんだけど、なぜか突っ立ったままだ。口元を抑えて涙をこらえている。


「どうしたの?」
「あの……ご主人様、私……」


 セリエが部屋の中を見て、僕の顔を見る。


「今は……私は……ご主人様にお仕えしていますから、でも……」


 すっ飛んでいくと思ったのにどうかしたのかと思ったら。僕に遠慮してるのか。


「早く行きなよ」


 セリエが涙目で僕に礼をして部屋の中に入っていく。奥様の前で膝をついて、手を額に当てる。
 何かを話しているようだけど聞こえない。正直言って完全に蚊帳の外に置かれているんだけど悪い気はしなかった。


「よくやったな、スミト」


 アーロンさんが力強く僕の肩を叩いた。ちょっと痛い。


「これがお前の変えた世界ってわけだ」
「世界を変えたって……なんか大げさに言いますね」


 アーロンさんが首を振る。


「いいや、大げさじゃないぞ。
お前の世界の常識は知らないがな。ガルフブルグで貴族に刃向かおうなんて奴はそうは居ない。
ましてや、奴隷の為に貴族に刃向かうなんて馬鹿は居ないんだよ」
「何度も言われましたよ、それ」


 バカとはひどい言われようだけど、まあいいか。誉め言葉ととっておこう。


「お前があの二人の為にデュラハンと戦わなければ。
今日、咎人になることを覚悟してでもユーカを追わなかったら……この部屋で何が起きたか、分かるだろう?」
「ええ、それは」


 想像するだに、胸糞悪いことが起きただろうな。考えたくもない。


「それをお前が変えたわけさ。世界を変えるってのは、戦争に勝つとか、龍を殺すとか、そんなことじゃない。
これはお前の意思と行動が導いたもので、それが世界を変えるってことだ」


 そういわれると。なんというかいろんな修羅場を抜けてきた甲斐があるってものかもしれない。
 なんとなく感慨に浸っていると、ユーカに手を引かれるように奥さんがこっちに歩いてきた。
 セリエが小走りに戻ってきて僕の後ろに付く。


 改めて顔を見る。
 すらっとした長身で都笠さんと同じくらいだ。この人の娘なら、ユーカも背は伸びるのかな。
 年は30半ば位だろうか。綺麗なブロンドと白い肌はユーカに似ている。大きめの瞳とか、目もととかに面影はあるけど雰囲気はあまり似ていない。
 ちょっとやつれた感じが、明るくて元気な感じのユーカと違って、はかなげな感じを出している。でも今までの環境を考えれば仕方ないだろう。


「セリエに聞きました。カザマスミトさま」


 静かに言って奥さんが目を伏せる。そのまま僕の前で膝をついた。


「貴方に感謝します……娘を救ってくれたこと、セリエを救ってくれたこと」
「いや、立ってくださいよ」


 年上の女の人に跪かれるなんて違和感しかない。
 それに、見下ろすと薄めの白いローブのようなナイトドレスのようなものを着ているから、鎖骨や胸元が見えるので非常に気まずい。


「ですが……」
「いいですから」


 手を取って立ち上がってもらう。白い手に刻まれた奴隷の証の入れ墨が痛々しい。


「お兄ちゃんはね、そういうの気にしないの。スゴイんだよ、だからね……」


 ユーカがお母さんを見上げて言う。そういえば名前を聞いてないな、


「そういえば、お名前は?」
「はい……シェイラ・カタレーナ・サヴォアです」


 そういったところで、シェイラさんが口元を抑えて嗚咽した。


「あなたが……私の娘とセリエのためにしてくれた……すべてのことに心から……」


 そのあとは言葉にならなかった。


「お母様、泣かないで……」
「何度も……死のうと思ったわ……でもこんな日が来るなんて……」


 ユーカが座り込んでしまったシェイラさんの肩を抱く。
 こういう時に気の利いた一言でもいえればいいのかもしれないけど、それはちょっと僕には難しい。
 二人のすすり泣きだけが静かな部屋に響いた。


「……感動の再会に水を差すようで悪いが」


 アーロンさんが咳払いする。


「急げ。用事は終わった……一刻も早く移動するぞ」


 そうだ。ここでのんびりしているわけにはいかない。
 アーロンさんが言うと、シェイラさんが立ち上がった。


「はい……申し訳ありません。行きましょう、スミト様」


 立ち上がった涙をぬぐう。シェイラさんはもう泣いていなかった。
 目は涙でまだ潤んでいるけど、しっかりした目で僕を見て、ユーカの手を取る。
 はかなげな外見だけどなんていうか、結構タフな人なのかもしれない。母は強しってことか。





 ラクシャスはいつの間にかいなくなっていて、廊下にはヤンヌさんが一人で佇んでいた。
 一瞬何かあるかと緊張したけど。また礼儀正しく頭を下げてくれる。
 蝋で封をした一枚の巻き紙を差し出してきた


「これは?」
「その者の所有証明です。お持ちください」


 シェイラさんの所有証明書か。
 これで正式に書類上というか法律上の譲渡も成立ってことなのかどうなのか、分からないけど。巻紙を受け取る。


「ではお送りいたします」


 ヤンヌさんが礼儀正しく、でもよそよそしく言う。さっさと帰れってことだろう。まあ彼にとって僕等が招かれざる客なのは間違いない。
 僕等も長居する理由がない。目的は果たした。


 歩きながら考える。
 この後どうするべきだろうか。さっきよりまた時間が経った今、門をもう一度強行突破することができるんだろうか。


 いっそラクシャスを人質にして、なんてことも考えたけど。
 多分それはこのヤンヌさんが許さないだろう。それに、可能だとしても、貴族を人質を取って門を破るなんて犯罪のレベルが3つくらい上がりそうだから、できれば避けたいところではある。


 こうなってしまうと、最善のルートは、ダナエ姫の邸宅に行って保護を求めることのような気もするけど。
 リチャードは上手くダナエ姫に話をつけてくれただろうか。
 日本にいた時なら、電話やメールですぐにでも状況を確認できたけど。今はそういうわけにもいかないのがもどかしい。


 ヤンヌさんの先導で階段を降りる。
 一階のホールに向かう静かな廊下を歩いているところで。突然、外から立て続けに銃声が聞こえた。





 庭に面した窓のカーテンをめくる。
 外に庭の街灯以外のコアクリスタルの光が揺れていた。人影らしきものも見える。誰か来ている。


「都笠さん!」


 殺風景な廊下を走って正面のドアを開ける。
 門のあたりにいくつかのコアクリスタルのランプの光と、それを松明のように掲げている馬に乗った人影が見えた。
 ついに衛視が来たんだろうか。でも数はたいして多くなさそうだ。


 ハンマーのこっち側で都笠さんと一人の剣士が切り合っている。足元にはくの字に折れたMINIMIが転がっていた。
 お互い防御プロテクションの光を纏っていて青い光が夜闇に映える。
 レインさんは杖を構えてはいるけど、二人の戦いには入り込めないっぽい。


 夜目にも男はかなり大柄なのは分かった。多分アーロンさんよりも高い。
 手にはユーカのフランベルジュより長い長刀を持っている。柄が長い。長巻みたいだ。
 枴と長刀がぶつかり合って甲高い音を立てる。


「はあっ!」


 中国武術の独特の薙ぎ払うようなモーションのフェイントを入れて、都笠さんが気合の声を上げて枴を突く。
 男が突きに長刀をかぶせるように振り下ろした。甲高い音を立てて枴が弾き落とされて、芝生に転がる。


「くっ、解放オープン!」


 バックステップした都笠さんの左手にハンドガンが現れる。でも、構えるより早く、長刀の切っ先が都笠さんに突き付けられた。
 切っ先に押されるようにゆっくりと手を上げてハンドガンを地面に落とす。


「都笠さん!」
「お姉ちゃん!」


 僕らの声を聴いて男がこっちを見た。
 都笠さんが何かに押された様に芝生に尻餅をつく。男が長刀をこちらに向けて構えた。


「【彼の者の身にまとう鎧は金剛の如く、仇なす刃を退けるものなり。斯く成せ】!」


 シェイラさんの手を引いて出てきたセリエが呪文を唱えた。
 防御プロテクションの光が体を包んだのを確認して、剣士に向けてまっすぐ走る。フランベルジュを抜いたユーカが少し後ろに続いた。


「そいつは……スミト!やめろ!」


 アーロンさんの声が後ろから聞こえる。


「【あんたなんて!】」


 走りながらユーカがフランベルジュを振りかぶる。


「【大っ嫌い!!!どっか行っちゃえ!】」


 薙ぎ払うと、ユーカのフランベルジュが火を噴いた。
 刀身から迸った赤い炎が波のように立ち上がって夜闇を照らし、そのまま芝生を舐めるように男に迫る。


「【散らせよ、風】」


 男が立ったまま片手を軽く振る。芝生が揺れ、ごうっとこちらまで聞こえるほどの音を立てて風が吹いた。炎の波があっさりと吹き散らかされる。
 長い金髪が逆立って、風にあおられたユーカがよろめいて一歩下がった。


「食らえ!」


 銃剣を上段に構えて振り下ろす。
 剣士の重たげな長刀が、その見た目を裏切るスピードで跳ね上がった。軽々と切っ先を払いのけられる。僕のスピードについてこれるのか。
 速い、というか、いつものように「遅く」見えない。ということは、僕と同レベルかそれ以上のスピードだ。


 剣道のつば競り合いというか、長い柄で押すように男が踏み出してきた。足を踏ん張って銃身で受け止める。
 剣を受け止めた、というより、ガツンとハンマーで殴られたかのような衝撃が走って、体が後ろに押された。手がしびれる。


 恐ろしく重い一撃。
 今まで戦った人間で一番パワフルなのはアーロンさんだ。スロット武器の性能もあるんだろうけどユーカの一撃も見た目よりかなり重いというか威力がある。
 でもそれ以上。アンフィスバエナの胴にぶつかられたとき並みだ。


 下がったところでもう一回、長刀が振り下ろされる。
 いつもなら躱して反撃を食らわせるところだけど、こいつ相手じゃ間に合わない。
 銃身を横にして受け止めた。ずしんと真上から杭でも打たれているかのような衝撃が伝わって、受けた銃身が押された。


 目の前に迫った長刀の刃を押し返す。
 パワーは比較にならない。スピードも僕と互角かそれ以上。
 恐ろしく強い。ガルダよりも、多分アーロンさんよりも。一歩下がってバランスを整える。


 どうすべきか一瞬迷ったとき。
 僕の迷いが見えたかどうかわからないけど、剣士が一歩踏み出して、突きを繰り出してきた。


「うわっ!」


 いつもなら余裕で避けれるけど、こいつ相手じゃスロット武器の優位がないから、普通の切り合いだ。
 すんでの所で体をひねった。顔のぎりぎりを分厚い板のような長刀の刃が貫いていく。スロット武器の性能に頼りすぎるな、と言われてトレーニングした甲斐はあった。


 剣の引きに合わせて踏み込もうとした瞬間、肩に何かがひっかかった。引き倒されるように、体が前に崩れる。


「なんだ?」


 間髪入れず、金属鎧をまとった男の膝が跳ね上がった。とっさに手を顔の前にかざす。
 膝がぶつかって、掌越しに顔を打ち抜くような衝撃が走る。後ろに吹き飛ばされて、やわらかい芝生に転がった。


「くそ!」


 後転して膝立ちになる。 
 改めて長刀を見ると、刀身の先端辺りに鉤爪のようなでっぱりがある。剣の戻し際にあれを肩にひっかけられたのか。
 距離は5メートルほどか。切り込むか、仕切り直すか。


「【薙げよ、風】」


 僕が次の行動に出るより早く、男が手を前に突き出した。
 同時に風が正面から吹き付けた。耳元で風鳴りがして体が見えない手に持ち上げられるかのように浮いた。


「うわっ」


 一瞬の浮遊感の後に背中から芝生の上に落ちた。
 何かと思ったけど、単に吹き飛ばされただけだ。ダメージは無い。さっき都笠さんを転ばせたのもこれか。


「なかなか筋がいい。さすがは竜殺しだ」


 男が淡々とした口調でいう。
 スポーツ刈りのように短く切った茶髪に鋭い目つき。顔の下半分を、和風の鎧の頬当てのようなもので隠しているので表情までは分からない。
 機動性重視って感じで、左手や肩、膝と脛とかにプロテクターのように部分鎧をつけている。
 胸当てとかはつけていなくて、服には白地に赤で見たことがない紋章が染められていた。


 剣を交えてわかったけど、僕よりも圧倒的に強い。正直言って勝てる気がしないけど。
 ユーカが僕の横に寄り添うように立つ。都笠さんも枴を右手に、ハンドガンを左手に持って立ち上がった。
 銃を構え直そうとしたら、男が僕を手で制した。


「……止めておけ。無駄だ」
「止めるんだ、スミト。あいつは相手が悪過ぎる」


 盾と剣を構えて僕の横に来たアーロンさんが言う


「知ってるんですか?」
「ジェラール……風纏う騎士シュヴァリエ・ド・ラファール、ジェラール・ウェルズリーだ」


 緊張した面持ちでアーロンさんが頷く。
 いつもちょっと余裕を感じさせるアーロンさんのこんな顔は初めて見た。


「ガルフブルグでも最強の剣士の一人……そしてバスキア公の最側近だ。不味いことになったな」


 確かに、剣を交えた瞬間、とんでもなく強そうとは思ったけど、そんなに強いのか。
 ジェラールが僕らの方を一瞥して長刀をくるりと一回転させて切っ先を地面に刺した。風が吹き付けて髪がふわりと浮く。
 あれはユーカと同じ、風の属性付きの武器っぽいな。


 屋敷内に入ってきていた騎士というか従士たちが僕等を広く囲むように庭に展開する。
 数は精々10人も居なさそうだけど……相手がこの目の前の一人だけだったとしても切り抜けれるかは怪しい。


「落ち着け、竜殺し。私はお前を切りに来たわけではない」
「なんだって?」


 周りを警戒する僕等を見てジェラールが言った。
 てっきり衛視が貴族街に突撃して来た不埒者を討伐に来たのか、と思ったけど、そうじゃないんだろうか?


「……お前の処遇を決めるは私ではない」


 そんなことを言っている間に、門の方から馬車が入ってきた。





 馬車はさっき見た、ラクシャスの物どころじゃない豪華さ、そして大きさだった。
 4頭立ての馬車で、普段ガルフブルグでみるものより背が高くて、全長もリムジンのように長い。
 それぞれの角にコアクリスタルのランプが吊るされ、紺色の地に銀の縁取りがされている。屋根には何かの紋章を染めた細長い旗がはためいていた。


 石畳の上を走る馬車の大きなキャビンがわずかに上下しているのが見える。あれは多分車のサスのようなものを備えているのかもしれない。
 門を入ってすぐの所で馬車が止まった。


 周りにいる騎士たちが下馬して剣を閲兵のように正面で縦に構えた。御者が扉を開けて恭しく跪く。
 中から一人の男がステップを使わずに身軽に飛び降りてきた。鎧を着ているらしく、軽い金属音がする。 


 暗いからわかりにくいけど、僕よりは年上っぽい。身長も僕よりは高いけど、ジェラールよりは低い。
 肩くらいまで伸ばしたラフな感じの赤茶色の長髪。
 銀色のネックレスをかけて、銀糸で刺繍を施したファー付きの黒のロングコートのようなものを羽織っている。襟が立っていて、顔は見えにくい。
 ジェラールが一礼して、男が手でそれに応えた。そして僕等の方を向く。


 髪の間から覗く鋭い青い目で僕等を射貫くように見た。
 目力が強い、というか。コアクリスタルのライトと月明りだけで決して明るくないなかでも分かる。ダナエ姫の目も強い意志を感じさせるけど、こいつもそんな感じだ。
 その目で僕等を一瞥した。


「ふむ、お前が竜殺し、カザマスミトと……そっちが雷鳴トゥネル、ツカサスズか」


 よく通る、というか自信に満ちた声だ。あんた誰だ?という前に男が口を開いた。


「お初にお目にかかる。
俺はバスキア。アストレイ・ヴァルビーオ・バスキア。
バスキアの当主だ。お見知りおき願うぞ」









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