僕は御茶ノ水勤務のサラリーマン。新宿で転職の話をしたら、渋谷で探索者をすることになった。(書籍版・普通のリーマン、異世界渋谷でジョブチェンジ)

雪野宮竜胆/ユキミヤリンドウ

因果は巡るということ・下

 門の向こうには夜目にも手入れが行き届ている感じの庭が広がっていた。
 きちんと整えられた生け垣や庭木が立っていて、緑の芝生には簡易な石畳の歩道が設えられてる。
 所々にはコアクリスタルのランプが立っていて、ちょっとした公園のようだ。


 その向こうには、横に広い屋敷が有って、石畳の歩道が伸びていた。
 白い壁を黒っぽい木で縁取ったような、ツートンカラーが上品な感じの2階建ての建物だ。当主の性格のクズっぷりとは似ても似つかないモダンな作りだな。


 ハンマーを外に止めておくのは余りに目立ちすぎる。
 都笠さんがゆっくりとハンマーを邸内に入れて、前庭の真ん中、門と屋敷の中間あたりで停めた。
 運転席から飛び降りてきた都笠さんが僕を手招きする。何かあったかな?


「どうかした?」
「風戸君……いいの?」


「何が?」
「確かにこの状況じゃダナエ姫に頼るしかないと思うけどさ。
……士官しろって言われたらさすがに断り切れないでしょ」


 確かに。
 もし助けてくれたとしたら。そして、その代わりに仕官を求められたら。流石にお断りってわけにはいかないだろうとは思う。


「風戸君は宮仕えしたくないんじゃないの?」


 まあそういう気持ちが無いわけじゃないんだけど。


「うーん……別にどうしても嫌ってわけじゃないんだよね……多分」
「あら、そうなんだ?」


 都笠さんが怪訝そうな顔をした。


「組織に属するってことは、その組織の看板を背負わされるってことでしょ」
「まあね。
自衛隊も、不祥事起こしたらやたら自衛隊を強調されたからねぇ。勘弁してほしいわ」


 サラリーマンやってた時も、会社の看板は常に意識させられていた。
 会社のお陰でうまく行ったこともある。
 でも窮屈だったり、自分の気持ちを押し殺さざるを得なかった時もあった。自分の行動の責任が自分以外に波及してしまう。 


「そういうのにとらわれずに、自分の正しいと思うことをしたいって思ってた。
もちろん組織に属することの強みもわかるけどね」
「じゃあ、いいの?」


 話しているうちになんとなく気持ちがすっきりしてきた。
 仕事に限らず、何事も順位付けが大事だと思う。優先順位をどこに置くのか。


「いやだっていう気持ちが無いわけじゃないよ。でも……」


 僕が仕官するのが嫌である気持ちより、皆が無事に帰れる方がはるかに優先順位が高い。
 譲れないものは譲りたくない。でもなんでも思い通りにしたいなんて思ってるわけでもない。


「それより、此処の局面をみんなで切り抜ける方が大事だと思う」


 それに、ダナエ姫は今のところ仕える分には悪い主じゃなさそうだってのもある。
 いわゆる、こんなのの下になんて付きたくないって上司のタイプじゃない。


「そう………」


 都笠さんが何かをつぶやいたけど聞き取れなかった。僕の肩をポンと叩く。


「あたしはここで門を見張るわ」
「レイン。お前はスズのサポートをしろ、頼むぞ」


「はい」


 レインさんが頭を下げてハンマーに近寄る。
 都笠さんが前にワイバーンと戦った時に使っていた、89式より大きい機関銃を取り出した。MINIMI軽機関銃って名前だったかな。
 長い銃身を荷台に固定するようにして門の方に向ける。


「急いでね、風戸君」
「うん」


 手を振る都笠さんに応えて、屋敷に向かった。





 屋敷のドアを開けると、吹き抜け構造の大きめのホールになっていた。
 天井から吊り下げられたコアクリスタルの大きなランプが白い壁の部屋を明るく照らしている。電気の明かりにも負けてないな。


 床には装飾入りのえんじ色の絨毯が敷き詰められている。
 部屋の壁の一方には、額に入った絵ではなく古文書というか何か細かい文字を書いた紙が飾られていた。 


 ホールの真ん中には、50歳くらいの男の人が立っていた。
 ラクシャスが着ている礼装に近いけど、簡易な感じで袖が無くて丈が短い。黒色のベストと白のシャツのような組み合わせだ。
 綺麗な銀髪をポニーテールのようにしている。痩せているけど、鋭い目つきが印象強い。なんとなく執事さん兼護衛って感じだな。


 まず入ってきたラクシャスを見て一瞬明るい顔になるけど、そのあとから入ってきた僕等を見てすべてを悟ったように項垂れる。
 そのあと姿勢を正して、深々と僕等に頭を下げた


「すべての要求に従います」
「ヤンヌ!貴様まで!何を言っている!」


 怒鳴るラクシャスを一瞥して、もう一度ヤンヌさんなる人が頭を下げる。


「何故戦わない!貴様の力をもってすれば!」
「かわりに、どうか、旦那様のお命だけはお助け下さいますよう、伏してお願いいたします」


 ラクシャスの言動からしても、多分この人はスロット持ちだろう。
 きちんとした立ち姿勢とか、なんとなく立ち居振る舞いが戦いの訓練を積んでいる感じもする。


「どいつもこいつも!」


 多分、この人が最後の頼みの綱だったんだろう。無条件降伏ともいうべきセリフにラクシャスは怒りに震えているけど。
 どんな武器をもって、どんな能力を持ってるか知らないけど。ここで戦えば、一人じゃ僕とアーロンさん、セリエの3人には勝てないだろう。


 そして、正直言って感心した。
 こんな奴にでも忠義を尽くしてくれる人はいるわけか。ただ、庇われている主当人がその気持ちを分かっていなさそうなあたりが何とも不憫だ。


「とりあえず、殺すとかそういうつもりはありません。サヴォアの奥さんを渡してもらいたい」


 さっき死ぬ思いをさせられて、腹も立つけど。
 それはそれとして無意味な人殺しは後味が悪いのはやっぱり変わらない。どうしても必要なら腹は括るけど、そうせずに目的を達せられるならその方がいい。
 僕の言葉にヤンヌさんのこわばった表情が少し緩んだ。


「でしたら、こちらです」


 ヤンヌさんが踵を返して階段の方に向かって歩きだした。





 2階に上がって、ヤンヌさんの先導で回廊状の長い廊下を歩く。
 窓からは庭が見えるけど、前庭は見えない。ただ、遠目にだけど、屋敷を囲む道には特に動きは無いようにも見える。静かなもんだ。
 銃声が聞こえないところを見ると、とくに異常はないのだろう。


 後ろをチラ見すると、セリエは今にも走り出したい、という顔で僕の後ろを着いてきている。
 ユーカは僕の右手を握っている。期待のような、不安のような、色々な感情がないまぜになってる感じだ。
 静かな廊下に足音だけが響く。


 見た目がきれいに整っていた屋敷の外と違って、中はなんというか荒れた雰囲気だった。
 壁にも汚れが目立っていて、コアクリスタルのランプもところどころ切れている。
 ダナエ姫の邸宅の比べるのは酷だろうけど、調度品も少なくて殺風景だ。


 廊下には使用人らしき人もいるけど、ヤンヌさんが手で合図すると、みながそそくさと道を空けた。
 ラクシャスがそのたびに顔をゆがめて杖で床を突く。


「そういえば、アーロンさん。一つ聞いていいですか?」


 歩きながら、油断なく盾を構えて少し先を往くアーロンさんに声を掛けた。


「なんだ?」
「……なんで助けてくれたんです?」


 仮に新市街の広場から車で飛び出していく僕等を見たとして、それでなにか抜き差しならないことが起きたことが分かっても。わざわざ助ける義理は無いと思う。
 しかも今回は旧市街に乗り込んできてくれている。危険だなんてことは、僕等なんかよりはるかに知っているだろうに。


 アーロンさん達が居なかったらどうしようもなかったのは間違いないから、本当に助かった。
 でも此処までなんでしてくれたんだろうか。


「……貸し借りはデュラハンの件で、もう無しだと思ってましたけど」


 一寸間があって、アーロンさんが前を向いたまま口を開いた。


「……もしお前がただの探索者だったら……ハラジュクでのあの件で貸し借りなしにしただろうな」
「というと?」


 アーロンさんが歩きながら話を続ける。


「お前がアラクネと戦ってくれた時、お前はおそらく戦いの経験なんて何もなかったはずだ。
そうだよな?」
「ええ」


 なんせあの時はスロット武器も取ったばかりだったし、防御プロテクションもかかってなかった。
 今から思うと現実感がない中で無茶したもんだと思う。一歩間違ったら死んでたな。


「仮に経験があったとしても、あの場面なら逃げるのが当然だ。
初対面の俺たちを助ける義理なんてないからな」
「まあ……そうかもしれませんね」


「そもそも、お前が助けてくれなければ俺たちは死んでいて、ここにお前を助けには来れなかっただろうがな」
「そうですかね?」


 さっきの強さを見る限りアラクネ一体くらいなら何とかなった気もするけど。
 アーロンさんが僕の言葉をスルーして話を続ける。


「誰もが逃げる場面で、そんなお前が俺たちのために戦ってくれた。それは、誰にでもできることじゃない
……だからこそ、俺たちもお前に何かしないといけないと思ったのさ……だが」


 そう言ってアーロンさんが足を止めてこっちを振り返った。


「……これで完全に貸し借りは無しだ」


 アーロンさんがにやりと笑って、僕の胸をドンと拳で突く。


「俺たちが危ないところになったら、次はお前の番だぞ」
「そりゃ勿論」


 因果は巡るというかなんというか。
 あの時、逃げなかったことが今になってこんな風につながるとは思わなかった。


「……ここです」


 話しているうちにヤンヌさんの案内で辿り着いたのは、頑丈そうな木の扉がはめ込まれた2階の隅の部屋だった。


 本当にこの向こうにユーカのお母さんがいるのだろうか。
 実は勘違いなんてことは無いだろうか。罠だってことは無いだろうか。僕自身が当事者じゃないけど、心臓の鼓動が高まる


 ヤンヌさんが鍵穴に鍵を差し込んで回す。金属が擦れ合う音がして、カチャンと音を立てて鍵が外れた。
 ユーカが僕の手をぎゅっと握る。
 重々しい音を立てて木の扉が開いた。

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