僕は御茶ノ水勤務のサラリーマン。新宿で転職の話をしたら、渋谷で探索者をすることになった。(書籍版・普通のリーマン、異世界渋谷でジョブチェンジ)
逃避行開始、の前に渋谷に援軍を要請する。
都笠さんは地図を指でなぞりつつ何か独り言を言っている。
ソファにひっかけておいたジャケットを羽織ったところで、ライエルさんが声を掛けてきた。
「スミト殿、一つ伺いたい」
「なんでしょう」
「スミト殿は若をお助け下さるつもりであったようだが。
もしセリエ殿とユーカ殿が戦いたくない、逃げたい、と言ったらどうしたのかね?」
……それはあまり考えてなかったな。
「あー……どうですかね」
確かに言われてみれば、セリエが絶対にユーカや僕を危険にさらしたくない、と言う可能性は十分にあったわけで。そうなったらどうしたんだろうか。
口ごもってしまった僕を見てライエルさんが口を開いた。
「……スミト殿。
違う世界から来られたあなたの行動は我々にはわからないところは多いというのが率直なところでしてな。
例えば、スミト殿の、奴隷であってもその言い分を聞く、というのは正直言うと我々には理解しにくい」
「そうですか」
これについてはもう言っても仕方ないと思ってる。ガルフブルグではそういうもんなんだろう。
「奴隷はあくまで主の都合で買われるものに過ぎませぬ。
ですから、よほど幸運にも良い主に買われるような場合を除けば、奴隷は主に命を賭してまで仕えようとはせぬものです……まあ勿論、建前では命をかけて仕える、といいますがな」
えらくぶっちゃけた物言いをする人ではあるな、と思うけど。それが現実ってことだろう。
「そして、主も奴隷に過度な期待はしない。
だから働きが悪ければ売り払い、買い替えるわけですな」
なんか本当に自動車を買い替えるような感じだな。
「しかし言われてみれば、奴隷であっても一人の意志ある人間ですからな。相応に扱えばそれに応えてくれるのは当然かもしれません。
あの二人があのようにスミト殿に信頼を寄せるのはスミト殿のそういう姿勢によるものでしょう」
「そりゃどうも」
「ですが、我らの流儀も語ってよろしいかな」
「ええ、どうぞ」
「スミト殿が、セリエ殿やユーカ殿をどう思っているかは私には計り知れぬところはあります。
ですが、いずれにせよ、時には主は自分を信じて従うものに道を示さなければいけませぬ」
昨日、ゼーヴェン君も同じことを言っていた気がする。
主は奴隷には毅然と命令するものだ、だっけかな。
「上に立つ主は、従うものへ時に過酷であっても命じなくてはならない時がありましょう。
そうせざるを得ない時は来る。その重みを背負うことも主の務めなのです」
「……そういうもんですかね」
正直言って、命令するのは柄じゃないんだけど。
「……なんとなく言いたいことわかるな」
都笠さんが銃の弾倉をベッドに並べて確認しながら口をはさんできた。
「そうなの?」
「男の意地とか、騎士の誇りとか、そこら辺はどうでもいいけどさ。
風戸君、セリエやユーカはあなたについてくるのよ。他の誰でもない、風戸君にね。
風戸君はふたりの命を背負うのよ」
「うん」
銃の動作を確かめながら独り言のように話しているけど、口調は真剣だ。
「あの二人にとっては風戸君は指揮官なの。指揮官が土壇場でフワフワ迷っちゃダメなのよ。
優しいだけじゃなくて、指揮官の強さも持ちなさいってこと」
「いいことを言われるな、スズ殿。元の世界では名のある騎士団にでも属されていたのか?」
感心したようにライエルさんが言う。
「騎士団じゃないですけどね。さて、おしまい」
都笠さんが銃を次々と兵器工廠に仕舞って立ち上がった。
「風戸君、あんまりそういう柄じゃなさそうだけどね。でもそういうもんよ」
いつもの調子で僕の肩を叩いてそのまま部屋を出ていく。
「じゃあ後でね。エレベーターの所で待ってるわ」
指揮官としての強さか。あんまり何とか長みたな役職に居たことがないからピンとこない。
「そういえば、僕からも聞いていいですか?」
「なんだね?」
「ライエルさんはゼーヴェン君を止めるというか、絶対に逃げを最優先にすると思ってたんですけど。
いいんですか、こうなっちゃって?」
ライエルさんが鎧を身に着ける手を止めて僕を見る。
「……無論私の立場であればお止めすべきなのだが」
「ですよね」
ライエルさんのちょっといかつい顔に何とも言えない表情が浮かんで、小さく笑った。
「君に感謝する、スミト殿」
「何がです?」
「スミト殿、昨夜君と話して若は変わられた。何を言われたのか分からんが」
変わった、というか、本当の姿を見せた、というのに近いと思うけど。
「昨日までの若は、ただ命じるだけであった。だが今日の若は違った」
嬉しそう、というより。昔見た、子供の運動会の写真を自慢する上司の顔に似た笑顔だ。
「聞いておられるやもしれんが、若は戻られたらさる家に婿入りされる。
今後、人の上に立ち指揮をする立場になられる、今まで以上にな。
人に命ずることの重みをいまお分かりになるのは悪いことではない」
「でも死んでしまったらそれどころじゃないでしょ」
「そうならないようにお守りするのが我が務めよ」
鎧の留め金を確認して体を動かしている。一人でつけれるもんなんだな。
「しかし……こんなことをいうのも柄にもないが。
小さい時からお仕えしているが、わずか1日でああも変わられるとは……若者は侮れんものだ」
おもむろにライエルさんが肩を組んで、耳元に口を寄せてくる。
「ここだけの話だが……正直言って昨日までなら若の為に命を捨てるのは躊躇したかもしれん」
はっきり言うな、この人。
「だが、今日の若は違う。
もし私が若の代わりに倒れたとしても、若はそれを糧にしてくださるだろう。
命を懸けるに値する主になられた」
ライエルさんが鎧をつけ終わって血で汚れたマントを纏う。
「スミト殿、危ない時は私を盾にしてくれたまえ」
「……そういうの、好きじゃないんですけど」
誰かに守られて、そのために誰かが怪我するのはたまらなく後味が悪い。もう勘弁してほしい。
「だが、それが私の務めだ。君の仲間想いは分かる、だが必要なら躊躇するな。
若や君たちを守るのがわが務めであり、騎士の誉れだ」
昨日のセリエと同じ目でライエルさんが僕を見る。
つまり、そういう価値観であって、僕が何を言っても無駄だろう。
「……そうしますよ。
その代わり騎士の誉れとか言って死に急ぐのはやめてくださいね」
「無論よ。私も若の婚儀を見届けたいからな」
そう言ってライエルさんが部屋から出て行った。
ユーカ、セリエ、そして結果的にはゼーヴェン君。
僕自身はあまり意識していない言葉が結構人に影響を与えているってことに驚く。そしてちょっと怖くなった。
◆
エレベーターホールに集合して、出発前にライエルさんがジェレミー公に連絡した。
ジェレミー公もかなり渋ったけど、ゼーヴェン君が説き伏せた格好になった。
ついでに、僕から一つジェレミー公に頼みごと、というか援軍要請をした。これはさほど期待できないけど、打てる手は打った方がいい。
六本木の地図にマークをしたものをメイベルさんの伝書鳩でジェレミー公に送ってもらった。
セリエは酸の息で破れてしまったいつものメイド衣装のかわりにホテルのスタッフの制服らしきものを着ていた。ワインレッドと白のラインが入ったドアガール風のブレザーっぽい黒の上着にパンツルックだ。
いつもはスカートに隠れて見えないふんわりした尻尾が揺れている。
「いかがでしょうか?」
普段とは違う格好にちょっと恥ずかし気だ。普段と比べてちょっと凛々しい印象に見える。
都笠さんが相変わらずのニヤニヤ笑いで僕等を見ているのが微妙だ。
「いいよ。似合ってる」
嬉しそうに笑うセリエを横目で見つつエレベーターを動かして地下に下りる。
帰りにはホテルの地下の駐車場に止まっていたハイブリッドのミニバンを使うことにした。
気休め程度だけど、エンジン音が小さい方が多少マシだろうと思う。
「管理者、起動。動力復旧」
軽い音がして一瞬車体が揺れる。エンジン音はほとんど聞こえないけど、ドアハンドルについたボタンを押すとスライドドアが開いた。
たぶん最高級グレードっぽい白い革張りの豪華な内装と木目の内装。さすが高級ホテルには高級車があるなって感じだ。
都笠さんが運転席に乗り込み、ゼーヴェン君が助手席に座った。クッションに効いたシートに身を沈める。
「すごいな。
王族の馬車の椅子どころか、我が屋の椅子のどれよりも立派だぞ。お前の国ではどんなものがこれに乗っていたのだ?」
感心したように言うゼーヴェン君をとりあえず無視して、ライエルさんと駐車場の外に出て様子を伺った。
首都高の高架を支える柱が巨大な遺跡のように静かに太陽を浴びている。もとの六本木の姿を知っている僕としてはあいかわらず慣れない光景だ。
昨日いたリザードマンの群れはもういない。
車の方に合図を送るとミニバンが静かにスロープを上がってきた。
スライドドアを開けてライエルさんと僕が車に乗り込む。ドライバーは都笠さん、助手席はゼーヴェン君。
二列目は万が一の魔獣の襲撃に備えて前衛組の僕とライエルさん。最後尾にはセリエとユーカ、メイベルさんになった。
セリエは使い魔で空から見張る。昨日と同じように後ろから延ばされたセリエの手に手を重ねた。
エンジン音をほとんどさせずに、静かにミニバンが動き出す。都笠さんが顔をしかめるのが見えた。
「どうかした?」
「これじゃやっぱりチェイスは無理だわ」
ため息交じりに小さい声でいう。
「こういうの乗ったの初めてだけど……思った以上に重い。
ワイバーンが出てきたら開き直ってさっさと少しでも有利な地点で迎え撃つ方がいいわ
この車で逃げ切りは絶対に無理ね」
僕にはよくわからないけど、都笠さんがそういうならそうなんだろう。
◆
走り始めたところで、ジェレミーさんから通信が入った
『スミト君、いたぞ』
「そうですか。依頼を聞いてくれそうですかね」
『今この場にいる。直接話せるぞ』
わずかな間を置いて、通信機から久しぶりの声が聞こえた。
『……久しぶりね、スミト。あたしを頼ってくれるなんて嬉しいわ』
通信機越しだと印象が少し違うけど、オルミナさんだ。直接話すのは久しぶりだな。
「受けてくれますか?」
『ええ、ここの貴族様から聞いてるわ』
「一応言っておきますけど、ワイバーンと戦うかもしれませんよ?」
というか、話を振っておいてなんだけど、正直来てくれるとはあまり思ってなかった。よくこんな危ない仕事を請けるな
『竜殺しの称号を貰うのも悪くないわね。
それに報酬はしっかり貰ってるからね。今回はあなたのためだけにその分は働くわよ、安心なさい』
「そうですか……」
『それにね、長い付き合いにしたいといったでしょ?
あたしが役に立つってことを知ってもらいたいのよね』
なんとなく、だけど、この言葉は本音な気がする。頼んだ以上、今は信じよう。
「地図のどこかで合流ってことになりますけど、大丈夫ですか?」
この後どう転ぶかが全く分からない。無難に表参道まで辿り着ける可能性も有るし、ワイバーンと戦わざるを得ないってこともありえる。
現状では合流スポットは決められないから、さっき伝書鳩で送った地図に何ヵ所か番号を振っておいたんだけど。
『ええ、任せなさい』
こともなげな返事が返ってきた。
鍵の支配者は行ったことがある場所でないと移動できない、という話だった。というか、ギルドとかで調べてみたけど、セリエの知っている以上のことは分からなかった。
スロットの枠を食うのもあるんだけど、とにかく使い手が少ないらしい。
「来た事ないですよね……来れるんですか?」
『ひょっとしたら一度行ったことがあるのかもしれないわよ?』
冗談めかした口調で言ってくれるけど、さすがに今は冗談を聞ける状況じゃない。
本当に来てくれるか、来れないかで作戦も変わる。
『ふふ、安心しなさい。あたしはね、100年以上このスキルを磨いているのよ?
必ずスミトが言う場所まで行ってあげるわ』
100年かけて研鑽してきたスキル。それなら人間の記録とは違ってもおかしくないか。多分、僕が思うより汎用性があるんだろう。
「じゃあお願いします」
『今から移動してその辺に居るわ。必要になったら呼んで頂戴』
なんか、六本木のカフェで時間潰してるわ、駅に付いたら連絡してね、みたいな気軽さで言って通信が切れた。
「……信用できるのでしょうか?」
通信が終わった途端にセリエが言う。
使い魔を使っているから声は小さめだけど、あからさまに疑惑丸出しな口調だ。あの場面に立ちあえば当然ではある。
僕も正直心配してないわけではないけど。
アーロンさんに言わせると、金さえ払えば仕事はきちっとするってことらしいし、大丈夫だと思いたい。
「オルミナって、新宿で会ったあのナイスバディなエルフでしょ?わざわざ呼ぶってことはそんな強いわけ?」
「強いというか、スロット能力が便利なんだよ。テレポートみたいなやつなんだ」
あの人の鍵の支配者は便利というか。あれがあれば最悪でも全滅は避けられると思う。なんせ相手が相手だ。逃げ道は多い方がいい。
あと、一度危ない目に合わされているせいか、危険に巻き込んでもあまり気が引けないというのもあるんだけど、それはさすがに言わないでおいた。
「それは凄いわね。やるじゃん、あのオバサン」
つぶやくように言うと、そのまま都笠さんが前を向き直った。
六本木の細い裏路地を、赤坂通りを目指してミニバンが走る。ごちゃごちゃした路地だけど、カーナビがあるから楽だ。今は一方通行とかも気にしなくていい。
背の高いマンションとかに囲まれた細い路地は細い谷底にようだったけど、しばらく行くと建物の背が低くなって見通しが良くなった。統一感のないビルが左右に並ぶ。
窓から空を見上げるけど、今のところは何もない
「……今のところ異常はありません」
セリエが察したかのように言ってくれる
少し広めの車内を緊張感のある静寂が包む。
走り始めは都笠さんに車のことを色々と聞いてたゼーヴェン君もいつのまにか口を閉ざし、セリエの息遣いだけが聞こえる。
ワイバーンの巣がヒルズあたりだとしたら赤坂通りまではそれなりに距離がある。
赤坂通りから表参道へはほぼ真っすぐだ。そこまでいければそのまま逃げ切りの目もある。ゼーヴェン君にとっては不本意かもしれないけど、それはそれで悪くない。
考え事をしてたら、突然車が止まってスライドドアが開いた。
「風間君、ライエルさん、片づけて……出来れば静かにね」
都笠さんが指さす先には、昨日も見たリザードマンがフロントガラス越しに見えた。赤坂通りへの路地の出口をふさいでいる。
「俺に任せろ!」
「若、お供します」
僕が出る前に、ドアを開けてゼーヴェン君が飛び出した。銀色に輝くロングソードを持っている。ライエルさんがそれを追った。
一直線に走って行ったゼーヴェン君がリザードマンの繰り出す槍を剣で払いのける。
バランスを崩した一体目を袈裟懸けに切り倒した。角のファーストフード店のウインドウに血が飛び散り、リザードマンの甲高い悲鳴が上がる。都笠さんが顔をしかめた。
次の二体目が槍を構えるより早く、長い首を横なぎに振られた剣が切り飛ばす。今度は声は上がらない。狙ったのかな。
いずれにせよ勇ましいことを言うだけあって、なかなかの身のこなしだ。
「やるなぁ」
「当然です……旦那様は鍛錬を怠りなくされてますから」
メイベルさんがちょっと誇らしげな口調で言う。
ライエルさんとゼーヴェン君がリザードマンを圧倒してるのを見ていると、繋いだセリエの手にきゅっと力が入った。
「……ご主人様」
「どうした?」
「ワイバーンが……こちらに向かってきます」
「マジで?」
あのリザードマンの声が聞こえたんだろうか。かなり距離があるはずなんだけど。
赤坂通りの方に目をやるとライエルさんの斧が最後の一体のリザードマンの頭をたたき割る所だった。
ゼーヴェン君が剣を一振りして、刀身に付いた血を払う。
「いったん戻って!ワイバーンが来る」
「心得た」
「来たか!」
ライエルさんとゼーヴェン君が戻ってきて車に飛び乗った。
二人とも無傷で息も乱れていないけど、ゼーヴェン君は頬が紅潮して興奮した雰囲気だ。ライエルさんは顔や鎧に血が飛び散っているけど、普段と変わらない。
とりあえず動きが無ければワイバーンも諦める可能性は十分ある。流石に赤外線視覚とかで車の中までは見れまい、多分。
このまま見過ごしてくれればそれに越したことはない。それに迎え撃つにしても、此処はビルに囲まれた路地で、まだ迎え撃つのに適した場所じゃない。
息をひそめたところで……
「お兄ちゃん、後ろ!」
ユーカの声がして、バックミラーを見た都笠さんが舌打ちする。リアガラス越しに5体ほどのリザードマンが横道から顔を出しているのが見えた。
リザードマンが次々と威嚇するように声を上げて、そのまま槍を構えて此方に近づいてくる。
一瞬、太陽が影に隠れた時のように、車内が一瞬ふっと暗くなった。
「ワイバーンが……真上を……」
車が降ってこないところを見ると、まだ僕等がここにいることは分からないようだけど。これじゃ時間の問題か……
「……なんとか開けたところまで行くしかないわね」
「覚悟を決めるか」
ミニバンが動き、わずかに上り坂になっている路地を上がった。
ソファにひっかけておいたジャケットを羽織ったところで、ライエルさんが声を掛けてきた。
「スミト殿、一つ伺いたい」
「なんでしょう」
「スミト殿は若をお助け下さるつもりであったようだが。
もしセリエ殿とユーカ殿が戦いたくない、逃げたい、と言ったらどうしたのかね?」
……それはあまり考えてなかったな。
「あー……どうですかね」
確かに言われてみれば、セリエが絶対にユーカや僕を危険にさらしたくない、と言う可能性は十分にあったわけで。そうなったらどうしたんだろうか。
口ごもってしまった僕を見てライエルさんが口を開いた。
「……スミト殿。
違う世界から来られたあなたの行動は我々にはわからないところは多いというのが率直なところでしてな。
例えば、スミト殿の、奴隷であってもその言い分を聞く、というのは正直言うと我々には理解しにくい」
「そうですか」
これについてはもう言っても仕方ないと思ってる。ガルフブルグではそういうもんなんだろう。
「奴隷はあくまで主の都合で買われるものに過ぎませぬ。
ですから、よほど幸運にも良い主に買われるような場合を除けば、奴隷は主に命を賭してまで仕えようとはせぬものです……まあ勿論、建前では命をかけて仕える、といいますがな」
えらくぶっちゃけた物言いをする人ではあるな、と思うけど。それが現実ってことだろう。
「そして、主も奴隷に過度な期待はしない。
だから働きが悪ければ売り払い、買い替えるわけですな」
なんか本当に自動車を買い替えるような感じだな。
「しかし言われてみれば、奴隷であっても一人の意志ある人間ですからな。相応に扱えばそれに応えてくれるのは当然かもしれません。
あの二人があのようにスミト殿に信頼を寄せるのはスミト殿のそういう姿勢によるものでしょう」
「そりゃどうも」
「ですが、我らの流儀も語ってよろしいかな」
「ええ、どうぞ」
「スミト殿が、セリエ殿やユーカ殿をどう思っているかは私には計り知れぬところはあります。
ですが、いずれにせよ、時には主は自分を信じて従うものに道を示さなければいけませぬ」
昨日、ゼーヴェン君も同じことを言っていた気がする。
主は奴隷には毅然と命令するものだ、だっけかな。
「上に立つ主は、従うものへ時に過酷であっても命じなくてはならない時がありましょう。
そうせざるを得ない時は来る。その重みを背負うことも主の務めなのです」
「……そういうもんですかね」
正直言って、命令するのは柄じゃないんだけど。
「……なんとなく言いたいことわかるな」
都笠さんが銃の弾倉をベッドに並べて確認しながら口をはさんできた。
「そうなの?」
「男の意地とか、騎士の誇りとか、そこら辺はどうでもいいけどさ。
風戸君、セリエやユーカはあなたについてくるのよ。他の誰でもない、風戸君にね。
風戸君はふたりの命を背負うのよ」
「うん」
銃の動作を確かめながら独り言のように話しているけど、口調は真剣だ。
「あの二人にとっては風戸君は指揮官なの。指揮官が土壇場でフワフワ迷っちゃダメなのよ。
優しいだけじゃなくて、指揮官の強さも持ちなさいってこと」
「いいことを言われるな、スズ殿。元の世界では名のある騎士団にでも属されていたのか?」
感心したようにライエルさんが言う。
「騎士団じゃないですけどね。さて、おしまい」
都笠さんが銃を次々と兵器工廠に仕舞って立ち上がった。
「風戸君、あんまりそういう柄じゃなさそうだけどね。でもそういうもんよ」
いつもの調子で僕の肩を叩いてそのまま部屋を出ていく。
「じゃあ後でね。エレベーターの所で待ってるわ」
指揮官としての強さか。あんまり何とか長みたな役職に居たことがないからピンとこない。
「そういえば、僕からも聞いていいですか?」
「なんだね?」
「ライエルさんはゼーヴェン君を止めるというか、絶対に逃げを最優先にすると思ってたんですけど。
いいんですか、こうなっちゃって?」
ライエルさんが鎧を身に着ける手を止めて僕を見る。
「……無論私の立場であればお止めすべきなのだが」
「ですよね」
ライエルさんのちょっといかつい顔に何とも言えない表情が浮かんで、小さく笑った。
「君に感謝する、スミト殿」
「何がです?」
「スミト殿、昨夜君と話して若は変わられた。何を言われたのか分からんが」
変わった、というか、本当の姿を見せた、というのに近いと思うけど。
「昨日までの若は、ただ命じるだけであった。だが今日の若は違った」
嬉しそう、というより。昔見た、子供の運動会の写真を自慢する上司の顔に似た笑顔だ。
「聞いておられるやもしれんが、若は戻られたらさる家に婿入りされる。
今後、人の上に立ち指揮をする立場になられる、今まで以上にな。
人に命ずることの重みをいまお分かりになるのは悪いことではない」
「でも死んでしまったらそれどころじゃないでしょ」
「そうならないようにお守りするのが我が務めよ」
鎧の留め金を確認して体を動かしている。一人でつけれるもんなんだな。
「しかし……こんなことをいうのも柄にもないが。
小さい時からお仕えしているが、わずか1日でああも変わられるとは……若者は侮れんものだ」
おもむろにライエルさんが肩を組んで、耳元に口を寄せてくる。
「ここだけの話だが……正直言って昨日までなら若の為に命を捨てるのは躊躇したかもしれん」
はっきり言うな、この人。
「だが、今日の若は違う。
もし私が若の代わりに倒れたとしても、若はそれを糧にしてくださるだろう。
命を懸けるに値する主になられた」
ライエルさんが鎧をつけ終わって血で汚れたマントを纏う。
「スミト殿、危ない時は私を盾にしてくれたまえ」
「……そういうの、好きじゃないんですけど」
誰かに守られて、そのために誰かが怪我するのはたまらなく後味が悪い。もう勘弁してほしい。
「だが、それが私の務めだ。君の仲間想いは分かる、だが必要なら躊躇するな。
若や君たちを守るのがわが務めであり、騎士の誉れだ」
昨日のセリエと同じ目でライエルさんが僕を見る。
つまり、そういう価値観であって、僕が何を言っても無駄だろう。
「……そうしますよ。
その代わり騎士の誉れとか言って死に急ぐのはやめてくださいね」
「無論よ。私も若の婚儀を見届けたいからな」
そう言ってライエルさんが部屋から出て行った。
ユーカ、セリエ、そして結果的にはゼーヴェン君。
僕自身はあまり意識していない言葉が結構人に影響を与えているってことに驚く。そしてちょっと怖くなった。
◆
エレベーターホールに集合して、出発前にライエルさんがジェレミー公に連絡した。
ジェレミー公もかなり渋ったけど、ゼーヴェン君が説き伏せた格好になった。
ついでに、僕から一つジェレミー公に頼みごと、というか援軍要請をした。これはさほど期待できないけど、打てる手は打った方がいい。
六本木の地図にマークをしたものをメイベルさんの伝書鳩でジェレミー公に送ってもらった。
セリエは酸の息で破れてしまったいつものメイド衣装のかわりにホテルのスタッフの制服らしきものを着ていた。ワインレッドと白のラインが入ったドアガール風のブレザーっぽい黒の上着にパンツルックだ。
いつもはスカートに隠れて見えないふんわりした尻尾が揺れている。
「いかがでしょうか?」
普段とは違う格好にちょっと恥ずかし気だ。普段と比べてちょっと凛々しい印象に見える。
都笠さんが相変わらずのニヤニヤ笑いで僕等を見ているのが微妙だ。
「いいよ。似合ってる」
嬉しそうに笑うセリエを横目で見つつエレベーターを動かして地下に下りる。
帰りにはホテルの地下の駐車場に止まっていたハイブリッドのミニバンを使うことにした。
気休め程度だけど、エンジン音が小さい方が多少マシだろうと思う。
「管理者、起動。動力復旧」
軽い音がして一瞬車体が揺れる。エンジン音はほとんど聞こえないけど、ドアハンドルについたボタンを押すとスライドドアが開いた。
たぶん最高級グレードっぽい白い革張りの豪華な内装と木目の内装。さすが高級ホテルには高級車があるなって感じだ。
都笠さんが運転席に乗り込み、ゼーヴェン君が助手席に座った。クッションに効いたシートに身を沈める。
「すごいな。
王族の馬車の椅子どころか、我が屋の椅子のどれよりも立派だぞ。お前の国ではどんなものがこれに乗っていたのだ?」
感心したように言うゼーヴェン君をとりあえず無視して、ライエルさんと駐車場の外に出て様子を伺った。
首都高の高架を支える柱が巨大な遺跡のように静かに太陽を浴びている。もとの六本木の姿を知っている僕としてはあいかわらず慣れない光景だ。
昨日いたリザードマンの群れはもういない。
車の方に合図を送るとミニバンが静かにスロープを上がってきた。
スライドドアを開けてライエルさんと僕が車に乗り込む。ドライバーは都笠さん、助手席はゼーヴェン君。
二列目は万が一の魔獣の襲撃に備えて前衛組の僕とライエルさん。最後尾にはセリエとユーカ、メイベルさんになった。
セリエは使い魔で空から見張る。昨日と同じように後ろから延ばされたセリエの手に手を重ねた。
エンジン音をほとんどさせずに、静かにミニバンが動き出す。都笠さんが顔をしかめるのが見えた。
「どうかした?」
「これじゃやっぱりチェイスは無理だわ」
ため息交じりに小さい声でいう。
「こういうの乗ったの初めてだけど……思った以上に重い。
ワイバーンが出てきたら開き直ってさっさと少しでも有利な地点で迎え撃つ方がいいわ
この車で逃げ切りは絶対に無理ね」
僕にはよくわからないけど、都笠さんがそういうならそうなんだろう。
◆
走り始めたところで、ジェレミーさんから通信が入った
『スミト君、いたぞ』
「そうですか。依頼を聞いてくれそうですかね」
『今この場にいる。直接話せるぞ』
わずかな間を置いて、通信機から久しぶりの声が聞こえた。
『……久しぶりね、スミト。あたしを頼ってくれるなんて嬉しいわ』
通信機越しだと印象が少し違うけど、オルミナさんだ。直接話すのは久しぶりだな。
「受けてくれますか?」
『ええ、ここの貴族様から聞いてるわ』
「一応言っておきますけど、ワイバーンと戦うかもしれませんよ?」
というか、話を振っておいてなんだけど、正直来てくれるとはあまり思ってなかった。よくこんな危ない仕事を請けるな
『竜殺しの称号を貰うのも悪くないわね。
それに報酬はしっかり貰ってるからね。今回はあなたのためだけにその分は働くわよ、安心なさい』
「そうですか……」
『それにね、長い付き合いにしたいといったでしょ?
あたしが役に立つってことを知ってもらいたいのよね』
なんとなく、だけど、この言葉は本音な気がする。頼んだ以上、今は信じよう。
「地図のどこかで合流ってことになりますけど、大丈夫ですか?」
この後どう転ぶかが全く分からない。無難に表参道まで辿り着ける可能性も有るし、ワイバーンと戦わざるを得ないってこともありえる。
現状では合流スポットは決められないから、さっき伝書鳩で送った地図に何ヵ所か番号を振っておいたんだけど。
『ええ、任せなさい』
こともなげな返事が返ってきた。
鍵の支配者は行ったことがある場所でないと移動できない、という話だった。というか、ギルドとかで調べてみたけど、セリエの知っている以上のことは分からなかった。
スロットの枠を食うのもあるんだけど、とにかく使い手が少ないらしい。
「来た事ないですよね……来れるんですか?」
『ひょっとしたら一度行ったことがあるのかもしれないわよ?』
冗談めかした口調で言ってくれるけど、さすがに今は冗談を聞ける状況じゃない。
本当に来てくれるか、来れないかで作戦も変わる。
『ふふ、安心しなさい。あたしはね、100年以上このスキルを磨いているのよ?
必ずスミトが言う場所まで行ってあげるわ』
100年かけて研鑽してきたスキル。それなら人間の記録とは違ってもおかしくないか。多分、僕が思うより汎用性があるんだろう。
「じゃあお願いします」
『今から移動してその辺に居るわ。必要になったら呼んで頂戴』
なんか、六本木のカフェで時間潰してるわ、駅に付いたら連絡してね、みたいな気軽さで言って通信が切れた。
「……信用できるのでしょうか?」
通信が終わった途端にセリエが言う。
使い魔を使っているから声は小さめだけど、あからさまに疑惑丸出しな口調だ。あの場面に立ちあえば当然ではある。
僕も正直心配してないわけではないけど。
アーロンさんに言わせると、金さえ払えば仕事はきちっとするってことらしいし、大丈夫だと思いたい。
「オルミナって、新宿で会ったあのナイスバディなエルフでしょ?わざわざ呼ぶってことはそんな強いわけ?」
「強いというか、スロット能力が便利なんだよ。テレポートみたいなやつなんだ」
あの人の鍵の支配者は便利というか。あれがあれば最悪でも全滅は避けられると思う。なんせ相手が相手だ。逃げ道は多い方がいい。
あと、一度危ない目に合わされているせいか、危険に巻き込んでもあまり気が引けないというのもあるんだけど、それはさすがに言わないでおいた。
「それは凄いわね。やるじゃん、あのオバサン」
つぶやくように言うと、そのまま都笠さんが前を向き直った。
六本木の細い裏路地を、赤坂通りを目指してミニバンが走る。ごちゃごちゃした路地だけど、カーナビがあるから楽だ。今は一方通行とかも気にしなくていい。
背の高いマンションとかに囲まれた細い路地は細い谷底にようだったけど、しばらく行くと建物の背が低くなって見通しが良くなった。統一感のないビルが左右に並ぶ。
窓から空を見上げるけど、今のところは何もない
「……今のところ異常はありません」
セリエが察したかのように言ってくれる
少し広めの車内を緊張感のある静寂が包む。
走り始めは都笠さんに車のことを色々と聞いてたゼーヴェン君もいつのまにか口を閉ざし、セリエの息遣いだけが聞こえる。
ワイバーンの巣がヒルズあたりだとしたら赤坂通りまではそれなりに距離がある。
赤坂通りから表参道へはほぼ真っすぐだ。そこまでいければそのまま逃げ切りの目もある。ゼーヴェン君にとっては不本意かもしれないけど、それはそれで悪くない。
考え事をしてたら、突然車が止まってスライドドアが開いた。
「風間君、ライエルさん、片づけて……出来れば静かにね」
都笠さんが指さす先には、昨日も見たリザードマンがフロントガラス越しに見えた。赤坂通りへの路地の出口をふさいでいる。
「俺に任せろ!」
「若、お供します」
僕が出る前に、ドアを開けてゼーヴェン君が飛び出した。銀色に輝くロングソードを持っている。ライエルさんがそれを追った。
一直線に走って行ったゼーヴェン君がリザードマンの繰り出す槍を剣で払いのける。
バランスを崩した一体目を袈裟懸けに切り倒した。角のファーストフード店のウインドウに血が飛び散り、リザードマンの甲高い悲鳴が上がる。都笠さんが顔をしかめた。
次の二体目が槍を構えるより早く、長い首を横なぎに振られた剣が切り飛ばす。今度は声は上がらない。狙ったのかな。
いずれにせよ勇ましいことを言うだけあって、なかなかの身のこなしだ。
「やるなぁ」
「当然です……旦那様は鍛錬を怠りなくされてますから」
メイベルさんがちょっと誇らしげな口調で言う。
ライエルさんとゼーヴェン君がリザードマンを圧倒してるのを見ていると、繋いだセリエの手にきゅっと力が入った。
「……ご主人様」
「どうした?」
「ワイバーンが……こちらに向かってきます」
「マジで?」
あのリザードマンの声が聞こえたんだろうか。かなり距離があるはずなんだけど。
赤坂通りの方に目をやるとライエルさんの斧が最後の一体のリザードマンの頭をたたき割る所だった。
ゼーヴェン君が剣を一振りして、刀身に付いた血を払う。
「いったん戻って!ワイバーンが来る」
「心得た」
「来たか!」
ライエルさんとゼーヴェン君が戻ってきて車に飛び乗った。
二人とも無傷で息も乱れていないけど、ゼーヴェン君は頬が紅潮して興奮した雰囲気だ。ライエルさんは顔や鎧に血が飛び散っているけど、普段と変わらない。
とりあえず動きが無ければワイバーンも諦める可能性は十分ある。流石に赤外線視覚とかで車の中までは見れまい、多分。
このまま見過ごしてくれればそれに越したことはない。それに迎え撃つにしても、此処はビルに囲まれた路地で、まだ迎え撃つのに適した場所じゃない。
息をひそめたところで……
「お兄ちゃん、後ろ!」
ユーカの声がして、バックミラーを見た都笠さんが舌打ちする。リアガラス越しに5体ほどのリザードマンが横道から顔を出しているのが見えた。
リザードマンが次々と威嚇するように声を上げて、そのまま槍を構えて此方に近づいてくる。
一瞬、太陽が影に隠れた時のように、車内が一瞬ふっと暗くなった。
「ワイバーンが……真上を……」
車が降ってこないところを見ると、まだ僕等がここにいることは分からないようだけど。これじゃ時間の問題か……
「……なんとか開けたところまで行くしかないわね」
「覚悟を決めるか」
ミニバンが動き、わずかに上り坂になっている路地を上がった。
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