僕は御茶ノ水勤務のサラリーマン。新宿で転職の話をしたら、渋谷で探索者をすることになった。(書籍版・普通のリーマン、異世界渋谷でジョブチェンジ)
世界最強の武器は魔法ではなく質量である。
四角い吹き抜けのホール。今は2階の壁沿いの回廊にいる。
防御はかけなおしてもらって、一応戦闘の続きの準備はできた。
外壁、というか、ホールの外周はレストランやカフェ、ブランドショップになっているらしく、金色のフレームで仕切られたショーウインドウが続いている。
都笠さん達やゼーヴェンさん達はちょうど向かい側にいる。一番近いのは吹き抜けを囲むように作られた二階の回廊を回っていくことなんだけど……。
改めてホールの方を見た。
さっきまで暴れていたアンフィスバエナの上半身は安定して、あいかわらず吹き抜けのホールを縦に貫く柱のように屹立している。
アンフィスバエナの顔が自分のちぎれた尻尾というか、もう一つの首の方をみて、こちらを見た。
なんというか、殺気というか怒りがひしひしと伝わってくる。言葉は無くても目が合うと、人間と魔獣でも感情は何となくわかるな。
此方を睨んでいたアンフィスバエナの顔が揺らめくように動く……来る。
「気を付けて!」
僕の警告とほぼ同時に、アンフィスバエナが口を大きく開けて飛び掛かってきた。
どこかの動画で見たことが有る、獲物に飛びつく蛇の動きそのままだ。動きは見えるけど……サイズが違いすぎて迎撃は無理。
とっさに横に飛ぶ。巨大な蛇の顔が、突撃してくるトラックのように今僕等がいた場所に突き刺さった。轟音が響き、ガラスが飛び散り、白い煙が吹き上がる。
煙の中から蛇の口がバキバキと、金属の折れ曲がる音がした……通路をかみ砕く音だ。
頭がゆっくりと下がっていく。黄色い巨大な目がこちらをぎろりと睨み、口の中で噛んでいた通路の残骸をマズそうな仕草で吐き出した。
ホールの床にへし折れた手摺やガラス片や鉄骨が音を立てて落ちる。噛まれたときにはああなるのか。
「どうする?スミト殿」
回廊を回って向こう岸と合流したいけど、果たして可能なんだろうか。
また柱のような姿勢に戻ったアンフィスバエナが、今度は体を大きくくねらせた。巨大な胴体が鞭のようにしなって僕等の間近の回廊にぶち当たった。破片が散弾のように飛んでくる。
「くそっ!」
回廊に居ると危険だ。ブランドのロゴと、セールの張り紙がしてあるガラスをたたき割ってショップの中に飛び込んだ。
広々としたホールをアンフィスバエナの体が螺旋を描くようにうねっている。胴体が壁にぶち当たり、壁を飾っていた木や化粧石が吹き飛び、通路のガラスが砕け散る。
こうしてみると、可動域の広さが半端じゃない。長い胴体は鞭のようにしなる上に、サイズがバカでかいから車にぶつかられる位の威力がありそうだ。
文字通り竜巻のような攻撃が終わり、またアンフィスバエナがホールの中央にまっすぐ立った。
ホールの真ん中に陣取られているかぎり、胴体で薙ぎ払うも噛みつくも自由自在。どこでも攻撃範囲内か。
吹き抜けはあちこちに凹みが出来たり、残骸が壁に突き刺さったりと、戦闘が始まってから30分もたっていないのにメチャクチャになっていた。
こいつ相手に狭い回廊を渡って向こう岸まで行くのは……かなりリスクが高い。
ポケットから通信機を出して通話ボタンを押す
「都笠さん、聞こえる?」
『……聞こえるわ。そっちは大丈夫?』
スピーカーから雑音交じりの声が聞こえる。
「ごめん、そっちに行くのは無理だと思う」
『そうね。通路が落ちたみたいだし』
確かに、見ると回廊の一部が壊れてなくなっている。
ジャンプして越えられなくはないかもしれないけど……アクション映画のようにうまく行くかと言われると自信ない。
「こっちとそっちから攻撃しよう。挟み撃ちみたいに意識を逸らせるんだ」
『それでいいと思うわ。そっちに注意が向いているから、こっちも今なら長物が使える』
「スズ殿、若とは合流できたかね?」
ライエルさんが口をはさむ。
『まだよ。多分3階にいる』
「何とか合流できんかね?」
『……正確な場所が分からないからちょっと難しいわ
あたしとそっちで注意を引き付けましょ。そうすれば少しはリスクもさがるでしょ』
ライエルさんがなんとも焦ったような、苦々しいような微妙な表情を浮かべる。
本当のところは一刻も早く合流するなりなんなりして、無事を確認してほしいんだろうけど。それは今は難しい。わかってはいるんだけど、納得したくない、とそんな感じだ。
「……仕方ない。よろしくお願いする」
『そっちもね。風戸君、ユーカ、気を付けて。以上』
通信が切れた。
アンフィスバエナがこちらを見た。体を逸らせる。なんというか、深呼吸して息を吸い込むような動作だ。
さっきの酸の煙を吐くつもりか。でもこの距離でいくらなんでも、酸の息は届かないだろう。
アンフィスバエナが息を噴き出すように顔を前に突き出した。すぼめた口から紫色の液体がホースから噴き出す水のように飛び出す。
広々とした吹き抜けの空中を紫色の体液が、ぶちまけたペンキのように飛んでくるのが見える。ゆっくりと。酸の煙じゃなく、酸の体液をそのまま噴いてきた。
天井から釣り下がった照明の残骸に触れて照明が解け落ちる。ぶつかって礫のように散らばった酸の体液が飛んできた。
「まずい!」
慌ててショップの中に駆けもどった。ショップの中央のカウンターの後ろに飛び込むようにして隠れる。
強烈な刺激臭が漂った。顔を出してみると、吹き抜けに面したガラスが濛々と白い煙を上げていた。
カウンターにも酸の礫が当たったらしく、あちこちに穴が開き煙が上がっている。さすがに貫通するほどではなかったようだけど。
吹き抜けの外周の通路は半分くらい解け落ちて、外のガラスや廊下に近い棚は飴を曲げたかのように折れ曲がり解け落ちていた。
溶けたガラスの向こうでアンフィスバエナがもう一度同じ動きをする。そして、もう一回こちらに酸の体液が空中を飛んでくるのが見えた。
「もう一発来る!下がって!」
こんどは礫じゃないし、ガラスも溶けて穴が開いている。ショップの一番奥の壁際まで下がった。
酸がばしゃっとカウンターにかかった。今まで隠れていた木のカウンターが白い煙をげながら朽ちていく。
幾何学模様を織り込んだ絨毯が敷かれた床から刺激臭とともに煙いが上がり、石造りの床にえぐられた様に穴が穿たれた。
さっきのは煙状に吐いてきたから防御で止められたけど、あれの直撃を受けたら……防御がかかっててもひとたまりもないぞ。
アンフィスバエナがこちらを向いている。ちょっと遠いけど、見られている、というか視線を向けられているのは分かる。
うかつに動けないけど、ただ、こっちに意識が向いている間はセリエたちやゼーヴェンさんは多少なれども安全だ。ただ、ここはなんとか向こうから攻撃して気をひいて欲しい。
「……都笠さん?」
通信機に話そうとした、まさにその時。ホールに一発、銃声が響いた。
いい加減聞きなれた、89式のちょっと軽い連続した銃声とは違う、重く耳に残る銃声だ。
同時に、アンフィスバエナの胴から噴水のように紫色の血が噴き出した。酸の血がホールに落ちて、スモークでも炊いたかのように白っぽい煙が吹き上がり、巨体が隠れる。
「アンフィスバエナの胴を貫通したぞ、なんだあれは?」
「何かの銃だと思うんですけどね……」
何を使ったのか知らないけど、さっき言ってた長物とやらだろう。兵器工廠の中ににはおっかない銃を隠しているんだろうな。
甲高い咆哮を上げてアンフィスバエナの胴がのたうった。
太い体がのしかかるように吹き抜けの向こうの壁にぶつかっていき、格子状の飾り木がへし折れる。あのサイズに体当たりをくらっているのでは 重機で解体中のビルにいるのとしているのとほとんど変わらない。
「若!」
今までこっちを向いていた意識が今の一撃であっちを向いた。
もう一度、今度はこっちに引き付けないと。
「大丈夫?」
『なんとか。位置を変えるわ。そっちからも攻撃して』
回廊に走り出て呼びかけると、スピーカーから都笠さんの声が聞こえた。どうにか無事らしい。
「ライエルさん、あいつに攻撃できますか?」
「すまん、無理だ。私は魔法は使えん」
仕方ないか。僕等でやるしかない
「ユーカ、炎をあそこまで飛ばせる?」
ホールは結構広い。
ユーカの炎の扱いはかなりうまくなってきたけど、あそこまで届かせられるか。僕の魔弾の射手もあそこまで届くかは怪しい。
「うん、やってみるね……【アンタなんて、燃えちゃえ!】」
ユーカがフランベルジュを掲げて叫ぶと炎が立て続けに空中にさく裂する、けど微妙に届いていないらしく、アンフィスバエナの注意をこっちに曳くことはできない、というか無視されてしまった。
これならどうだ
「【貫け、魔弾の射手!】」
黒い弾丸が巨体にあたる。あれだけ的がデカければ外し様はないけど、背中の鱗にあたっただけで大した効果はなさそうだ。
こっちからだと弱点の腹が見えない。この位置じゃだめだ。
「少しでも近づくよ!」
「うん、お兄ちゃん」
吹き抜けの回廊を走る。少しでも近づいて、大火力の方を撃つか、腹を狙える場所に行くか。
あちこちが欠けた回廊が不安げなきしみ音を立てる。いきなり崩れたりしないことを祈るしかない
回廊の角を曲がったところ、少しさっきより胴が近い。ここなら狙えるか
銃を構えて心を落ち着ける。呪文を唱えようとしたその瞬間。ホールの空中に白い光が走った様に見えた。パチッという電気のような音も聞こえる。
「なんだ?」
「これは……」
髪が逆立つような感じがして肌がぴりぴりとふるえる。なんだこれ?
「メイベルの魔法だ……伏せろ、スミト殿、ユーカ殿」
ライエルさんが叫んで、僕らの頭を掴んで通路に引きずり倒した。
無理やり伏せさせられた姿勢で顔だけ上げていると、ホールの真ん中に一瞬まばゆい光が走った。同時に腹に響くような重たい音が轟く。雷が落ちた時のような音だ。
しかも、一回で終わらなかった。フラッシュを焚くように白い光が連続して瞬き、わずかに遅れて次々と轟音が響く。
「きゃあ!」
「なんだこりゃ」
「メイベルの魔法、雷帝の鉄槌だ!」
轟くような雷鳴の中でライエルさんの声が聞こえた。
息を詰めていると、音が止んだ。おそらく雷が鳴っていたのはせいぜい5秒とか何だろうけど、猛烈に長く感じた。
目を開けても視界が真っ白に染まっていて見えない。そして、甲高い咆哮が響いた。まだ死んでないのか。
何度も瞬きをしていると、白く染まっていた視界が徐々に戻ってくる。
雷撃か何かの魔法なんだろうか、壁のあちこちに線状の焦げ目が走っていた。天井につりさげられていたシャンデリアの残骸も真っ黒に焦げている。なんつー威力だ、これ。
アンフィスバエナの青黒いうろこにもそこかしこに焦げ目が残り、焼けただれたように煙が上がっていた。
でも、致命傷まで行っていればあの例の黒い渦が現れるはずだ。でてきてないってことは、まだ動く。
アンフィスバエナがもう一度、耳を劈く甲高い咆哮を上げた。口を大きく開け、長い胴をうごめかせる。
顔が唐突にこちらを向き直った。また酸を吐いてくるのか。今の外周はレストランになっている。一度下がるべきか。
しかし、アンフィスバエナはこちらを牽制するかのように一睨みしただけで、都笠さんたちの方へ向き直った。
マズい。銃と今の魔法の二連発で完全にあっちに意識が向いた。挟み撃ちにする、とか言いつつ、こっちからの攻撃はほとんどあいつに届いてない。
2階と3階の間あたりまで身を沈めて大きく口を開く。酸の息を吐く気だ。
「こっちを向け、このバケモン!【貫け、魔弾の射手!】」
「【アンタなんて!燃えちゃえ!】」
僕の黒い弾丸が腹に突き刺さって血が吹きだすのが見えた。続いて空中に火柱が吹き上がりアンフィスバエナの胴を焼く。
けど、大した効果は無かった。こっちを気にするそぶりは全くない。
「ブレスが来る!気を付けて!」
通信機に叫ぶ。
同時にアンフィスバエナの口から、さっきの何倍のもの広さの酸の煙が噴き出した。
二階の通路を紫の煙が薙ぎ払っていく。焼けこげるような音がして回廊が白い煙に覆われた。
「くそったれが!」
「セリエ!セリエ!」
「若!」
返事は勿論帰ってくるわけもない。
不吉な白煙が吹き上がり続け、刺激臭が立ち込める。どうなったんだ。アンフィスバエナが笑うように口を細く開けた。このクソ化けもんが。
もう一度走り出そうとした瞬間。
『風戸君!』
レシーバーから声が響いた。無事か。
同時にさっきと同じ銃声が轟いた。一瞬の間があってアンフェスバエナの巨体が大きく震える。
『風間君!こっちにきて!今すぐ!』
続いてもう一発。
蛇の長い体が硬直するようにピンと立ち上がる。うっすらとかかった煙の向こうで、頭から赤紫の血が噴き出しているのが見えた。わずかな間があって、長い体が力を失う。
柱が崩れるように巨体が傾ぎ、二階の吹き抜け廊下にぶち当たって、そのまま倒れ込んだ。天井からシャンデリアの残骸が落ちてホールの床で轟音を立てて砕け散る。
『今は二階の階段の近くに居るわ!早く!』
無事じゃない。何かが起きた、しかもよくないことなのは分かった。
慌てて回廊を走る。途中の回廊の裂け目は幸運にも飛び越えられる程度の幅だった。勢いをつけて飛び越える。
アンフィスバエナの体が黒い渦に吸い込まれて消えたのが視界の端で見えた。
防御はかけなおしてもらって、一応戦闘の続きの準備はできた。
外壁、というか、ホールの外周はレストランやカフェ、ブランドショップになっているらしく、金色のフレームで仕切られたショーウインドウが続いている。
都笠さん達やゼーヴェンさん達はちょうど向かい側にいる。一番近いのは吹き抜けを囲むように作られた二階の回廊を回っていくことなんだけど……。
改めてホールの方を見た。
さっきまで暴れていたアンフィスバエナの上半身は安定して、あいかわらず吹き抜けのホールを縦に貫く柱のように屹立している。
アンフィスバエナの顔が自分のちぎれた尻尾というか、もう一つの首の方をみて、こちらを見た。
なんというか、殺気というか怒りがひしひしと伝わってくる。言葉は無くても目が合うと、人間と魔獣でも感情は何となくわかるな。
此方を睨んでいたアンフィスバエナの顔が揺らめくように動く……来る。
「気を付けて!」
僕の警告とほぼ同時に、アンフィスバエナが口を大きく開けて飛び掛かってきた。
どこかの動画で見たことが有る、獲物に飛びつく蛇の動きそのままだ。動きは見えるけど……サイズが違いすぎて迎撃は無理。
とっさに横に飛ぶ。巨大な蛇の顔が、突撃してくるトラックのように今僕等がいた場所に突き刺さった。轟音が響き、ガラスが飛び散り、白い煙が吹き上がる。
煙の中から蛇の口がバキバキと、金属の折れ曲がる音がした……通路をかみ砕く音だ。
頭がゆっくりと下がっていく。黄色い巨大な目がこちらをぎろりと睨み、口の中で噛んでいた通路の残骸をマズそうな仕草で吐き出した。
ホールの床にへし折れた手摺やガラス片や鉄骨が音を立てて落ちる。噛まれたときにはああなるのか。
「どうする?スミト殿」
回廊を回って向こう岸と合流したいけど、果たして可能なんだろうか。
また柱のような姿勢に戻ったアンフィスバエナが、今度は体を大きくくねらせた。巨大な胴体が鞭のようにしなって僕等の間近の回廊にぶち当たった。破片が散弾のように飛んでくる。
「くそっ!」
回廊に居ると危険だ。ブランドのロゴと、セールの張り紙がしてあるガラスをたたき割ってショップの中に飛び込んだ。
広々としたホールをアンフィスバエナの体が螺旋を描くようにうねっている。胴体が壁にぶち当たり、壁を飾っていた木や化粧石が吹き飛び、通路のガラスが砕け散る。
こうしてみると、可動域の広さが半端じゃない。長い胴体は鞭のようにしなる上に、サイズがバカでかいから車にぶつかられる位の威力がありそうだ。
文字通り竜巻のような攻撃が終わり、またアンフィスバエナがホールの中央にまっすぐ立った。
ホールの真ん中に陣取られているかぎり、胴体で薙ぎ払うも噛みつくも自由自在。どこでも攻撃範囲内か。
吹き抜けはあちこちに凹みが出来たり、残骸が壁に突き刺さったりと、戦闘が始まってから30分もたっていないのにメチャクチャになっていた。
こいつ相手に狭い回廊を渡って向こう岸まで行くのは……かなりリスクが高い。
ポケットから通信機を出して通話ボタンを押す
「都笠さん、聞こえる?」
『……聞こえるわ。そっちは大丈夫?』
スピーカーから雑音交じりの声が聞こえる。
「ごめん、そっちに行くのは無理だと思う」
『そうね。通路が落ちたみたいだし』
確かに、見ると回廊の一部が壊れてなくなっている。
ジャンプして越えられなくはないかもしれないけど……アクション映画のようにうまく行くかと言われると自信ない。
「こっちとそっちから攻撃しよう。挟み撃ちみたいに意識を逸らせるんだ」
『それでいいと思うわ。そっちに注意が向いているから、こっちも今なら長物が使える』
「スズ殿、若とは合流できたかね?」
ライエルさんが口をはさむ。
『まだよ。多分3階にいる』
「何とか合流できんかね?」
『……正確な場所が分からないからちょっと難しいわ
あたしとそっちで注意を引き付けましょ。そうすれば少しはリスクもさがるでしょ』
ライエルさんがなんとも焦ったような、苦々しいような微妙な表情を浮かべる。
本当のところは一刻も早く合流するなりなんなりして、無事を確認してほしいんだろうけど。それは今は難しい。わかってはいるんだけど、納得したくない、とそんな感じだ。
「……仕方ない。よろしくお願いする」
『そっちもね。風戸君、ユーカ、気を付けて。以上』
通信が切れた。
アンフィスバエナがこちらを見た。体を逸らせる。なんというか、深呼吸して息を吸い込むような動作だ。
さっきの酸の煙を吐くつもりか。でもこの距離でいくらなんでも、酸の息は届かないだろう。
アンフィスバエナが息を噴き出すように顔を前に突き出した。すぼめた口から紫色の液体がホースから噴き出す水のように飛び出す。
広々とした吹き抜けの空中を紫色の体液が、ぶちまけたペンキのように飛んでくるのが見える。ゆっくりと。酸の煙じゃなく、酸の体液をそのまま噴いてきた。
天井から釣り下がった照明の残骸に触れて照明が解け落ちる。ぶつかって礫のように散らばった酸の体液が飛んできた。
「まずい!」
慌ててショップの中に駆けもどった。ショップの中央のカウンターの後ろに飛び込むようにして隠れる。
強烈な刺激臭が漂った。顔を出してみると、吹き抜けに面したガラスが濛々と白い煙を上げていた。
カウンターにも酸の礫が当たったらしく、あちこちに穴が開き煙が上がっている。さすがに貫通するほどではなかったようだけど。
吹き抜けの外周の通路は半分くらい解け落ちて、外のガラスや廊下に近い棚は飴を曲げたかのように折れ曲がり解け落ちていた。
溶けたガラスの向こうでアンフィスバエナがもう一度同じ動きをする。そして、もう一回こちらに酸の体液が空中を飛んでくるのが見えた。
「もう一発来る!下がって!」
こんどは礫じゃないし、ガラスも溶けて穴が開いている。ショップの一番奥の壁際まで下がった。
酸がばしゃっとカウンターにかかった。今まで隠れていた木のカウンターが白い煙をげながら朽ちていく。
幾何学模様を織り込んだ絨毯が敷かれた床から刺激臭とともに煙いが上がり、石造りの床にえぐられた様に穴が穿たれた。
さっきのは煙状に吐いてきたから防御で止められたけど、あれの直撃を受けたら……防御がかかっててもひとたまりもないぞ。
アンフィスバエナがこちらを向いている。ちょっと遠いけど、見られている、というか視線を向けられているのは分かる。
うかつに動けないけど、ただ、こっちに意識が向いている間はセリエたちやゼーヴェンさんは多少なれども安全だ。ただ、ここはなんとか向こうから攻撃して気をひいて欲しい。
「……都笠さん?」
通信機に話そうとした、まさにその時。ホールに一発、銃声が響いた。
いい加減聞きなれた、89式のちょっと軽い連続した銃声とは違う、重く耳に残る銃声だ。
同時に、アンフィスバエナの胴から噴水のように紫色の血が噴き出した。酸の血がホールに落ちて、スモークでも炊いたかのように白っぽい煙が吹き上がり、巨体が隠れる。
「アンフィスバエナの胴を貫通したぞ、なんだあれは?」
「何かの銃だと思うんですけどね……」
何を使ったのか知らないけど、さっき言ってた長物とやらだろう。兵器工廠の中ににはおっかない銃を隠しているんだろうな。
甲高い咆哮を上げてアンフィスバエナの胴がのたうった。
太い体がのしかかるように吹き抜けの向こうの壁にぶつかっていき、格子状の飾り木がへし折れる。あのサイズに体当たりをくらっているのでは 重機で解体中のビルにいるのとしているのとほとんど変わらない。
「若!」
今までこっちを向いていた意識が今の一撃であっちを向いた。
もう一度、今度はこっちに引き付けないと。
「大丈夫?」
『なんとか。位置を変えるわ。そっちからも攻撃して』
回廊に走り出て呼びかけると、スピーカーから都笠さんの声が聞こえた。どうにか無事らしい。
「ライエルさん、あいつに攻撃できますか?」
「すまん、無理だ。私は魔法は使えん」
仕方ないか。僕等でやるしかない
「ユーカ、炎をあそこまで飛ばせる?」
ホールは結構広い。
ユーカの炎の扱いはかなりうまくなってきたけど、あそこまで届かせられるか。僕の魔弾の射手もあそこまで届くかは怪しい。
「うん、やってみるね……【アンタなんて、燃えちゃえ!】」
ユーカがフランベルジュを掲げて叫ぶと炎が立て続けに空中にさく裂する、けど微妙に届いていないらしく、アンフィスバエナの注意をこっちに曳くことはできない、というか無視されてしまった。
これならどうだ
「【貫け、魔弾の射手!】」
黒い弾丸が巨体にあたる。あれだけ的がデカければ外し様はないけど、背中の鱗にあたっただけで大した効果はなさそうだ。
こっちからだと弱点の腹が見えない。この位置じゃだめだ。
「少しでも近づくよ!」
「うん、お兄ちゃん」
吹き抜けの回廊を走る。少しでも近づいて、大火力の方を撃つか、腹を狙える場所に行くか。
あちこちが欠けた回廊が不安げなきしみ音を立てる。いきなり崩れたりしないことを祈るしかない
回廊の角を曲がったところ、少しさっきより胴が近い。ここなら狙えるか
銃を構えて心を落ち着ける。呪文を唱えようとしたその瞬間。ホールの空中に白い光が走った様に見えた。パチッという電気のような音も聞こえる。
「なんだ?」
「これは……」
髪が逆立つような感じがして肌がぴりぴりとふるえる。なんだこれ?
「メイベルの魔法だ……伏せろ、スミト殿、ユーカ殿」
ライエルさんが叫んで、僕らの頭を掴んで通路に引きずり倒した。
無理やり伏せさせられた姿勢で顔だけ上げていると、ホールの真ん中に一瞬まばゆい光が走った。同時に腹に響くような重たい音が轟く。雷が落ちた時のような音だ。
しかも、一回で終わらなかった。フラッシュを焚くように白い光が連続して瞬き、わずかに遅れて次々と轟音が響く。
「きゃあ!」
「なんだこりゃ」
「メイベルの魔法、雷帝の鉄槌だ!」
轟くような雷鳴の中でライエルさんの声が聞こえた。
息を詰めていると、音が止んだ。おそらく雷が鳴っていたのはせいぜい5秒とか何だろうけど、猛烈に長く感じた。
目を開けても視界が真っ白に染まっていて見えない。そして、甲高い咆哮が響いた。まだ死んでないのか。
何度も瞬きをしていると、白く染まっていた視界が徐々に戻ってくる。
雷撃か何かの魔法なんだろうか、壁のあちこちに線状の焦げ目が走っていた。天井につりさげられていたシャンデリアの残骸も真っ黒に焦げている。なんつー威力だ、これ。
アンフィスバエナの青黒いうろこにもそこかしこに焦げ目が残り、焼けただれたように煙が上がっていた。
でも、致命傷まで行っていればあの例の黒い渦が現れるはずだ。でてきてないってことは、まだ動く。
アンフィスバエナがもう一度、耳を劈く甲高い咆哮を上げた。口を大きく開け、長い胴をうごめかせる。
顔が唐突にこちらを向き直った。また酸を吐いてくるのか。今の外周はレストランになっている。一度下がるべきか。
しかし、アンフィスバエナはこちらを牽制するかのように一睨みしただけで、都笠さんたちの方へ向き直った。
マズい。銃と今の魔法の二連発で完全にあっちに意識が向いた。挟み撃ちにする、とか言いつつ、こっちからの攻撃はほとんどあいつに届いてない。
2階と3階の間あたりまで身を沈めて大きく口を開く。酸の息を吐く気だ。
「こっちを向け、このバケモン!【貫け、魔弾の射手!】」
「【アンタなんて!燃えちゃえ!】」
僕の黒い弾丸が腹に突き刺さって血が吹きだすのが見えた。続いて空中に火柱が吹き上がりアンフィスバエナの胴を焼く。
けど、大した効果は無かった。こっちを気にするそぶりは全くない。
「ブレスが来る!気を付けて!」
通信機に叫ぶ。
同時にアンフィスバエナの口から、さっきの何倍のもの広さの酸の煙が噴き出した。
二階の通路を紫の煙が薙ぎ払っていく。焼けこげるような音がして回廊が白い煙に覆われた。
「くそったれが!」
「セリエ!セリエ!」
「若!」
返事は勿論帰ってくるわけもない。
不吉な白煙が吹き上がり続け、刺激臭が立ち込める。どうなったんだ。アンフィスバエナが笑うように口を細く開けた。このクソ化けもんが。
もう一度走り出そうとした瞬間。
『風戸君!』
レシーバーから声が響いた。無事か。
同時にさっきと同じ銃声が轟いた。一瞬の間があってアンフェスバエナの巨体が大きく震える。
『風間君!こっちにきて!今すぐ!』
続いてもう一発。
蛇の長い体が硬直するようにピンと立ち上がる。うっすらとかかった煙の向こうで、頭から赤紫の血が噴き出しているのが見えた。わずかな間があって、長い体が力を失う。
柱が崩れるように巨体が傾ぎ、二階の吹き抜け廊下にぶち当たって、そのまま倒れ込んだ。天井からシャンデリアの残骸が落ちてホールの床で轟音を立てて砕け散る。
『今は二階の階段の近くに居るわ!早く!』
無事じゃない。何かが起きた、しかもよくないことなのは分かった。
慌てて回廊を走る。途中の回廊の裂け目は幸運にも飛び越えられる程度の幅だった。勢いをつけて飛び越える。
アンフィスバエナの体が黒い渦に吸い込まれて消えたのが視界の端で見えた。
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