僕は御茶ノ水勤務のサラリーマン。新宿で転職の話をしたら、渋谷で探索者をすることになった。(書籍版・普通のリーマン、異世界渋谷でジョブチェンジ)

雪野宮竜胆/ユキミヤリンドウ

ガルフブルグの姫君と面会し、それ以上の予期せぬ出会いをする。

 渋谷に戻ったのは夕方だったけど、すでに一般人が門をくぐれる時間を過ぎていたので、渋谷で一晩を明かすことにした。


 今日は泊まりとわかった時点でこれ幸いとばかりに、安全な場所を中心に、目いっぱい二人につき合わされた。
 まあ正式な依頼として塔の廃墟に連れてくる、というのを受けたんだから、ガイドくらいはサービスしてもいいだろう。


 しかし中に入ってみたい、中がどんな風なのかを見たいといわれてヒカリエの20階まで階段で上らされたのは、さすがに勘弁してほしかった。
 ヒカリエはレストランには行ったことがあるけど、ここまで上ったのは初めてだ。というか、普段はこのエリアはオフィスで入れないはずだ。
 高層階から景色を見て喜んでいるのはほほえましかったけれど、20階まで昇るのはしんどい。


 登り切ったところでそろそろ日が暮れてきた。窓から夕日が差し込んでくる。
 普段ならどこまでも続く輝くような東京の夜景が広がる時間だけど。今は赤い西日に照らされたビルが墓標のように見えるだけで、動く車も電気の明かりも見えない。
 渋谷のスクランブルのところにだけ明かりがともり始めている


「なんか寂しいね」
「……そうだね」


 都笠さんがつぶやく。
 奇妙な環境に慣れたつもりでも、こういうのを見ると一抹の懐かしさというか寂寥感というか、言いしれない感情がわいてくる。
 遠くを見る僕に、セリエが静かに身を寄せてきた。


 ちなみに、さすがに帰りは階段下りを僕が拒否して、管理者アドミニストレーターでエレベーターを使った。これはこれで喜んでくれたから良しとしよう。





 翌日、門をくぐってガルフブルグに帰った。
 乗合馬車でパレアに帰ってベル君とシャルちゃんに別れを告げる。完成したら連絡をしてもらうことを約束して別れた


 ガルフブルグに戻って3週間ほどが経ったが、音沙汰がない。部品を分析して、こちらで作って、実際に試すんだから、そう簡単にはいかないだろう。
 やることもないので、サンヴェルナールの夕焼け亭で手伝いをしたり、アーロンさん達と一緒に魔獣を狩って生活費を稼いだり、渋谷に行ってフェイリンさんに探索の助言をしたりしながら時を過ごした。


 4週間たっても連絡がなく、苦戦しているのか、と思った4週間と3日目。
 魔獣狩りを済ませて、アーロンさん達と夕飯を食べるために一度戻ってきたところに、ベル君が自転車に乗って現れた。


「久しぶり」
「元気?」


「はい。完成しました。真っ先に皆さんに見てほしくて」


 壁に立てかけられた純ガルフブルグ製の固定ギア自転車。
 ハンドルはシンプルなストレートバー仕様。フレームは太くて武骨だけど、地金むき出しかと思ったら錆止めらしき塗装もしてある。地味だけどなかなかしっかりした作りだ。


「乗ってみた?」
「もちろんです」


 こころなしか痩せた感じのベル君が答える。相当走り回ったんだろうか。


「ここ3日間ほど毎日走ってました。
あの塔の廃墟からとってきたのにくらべるとまだ重いんで上り坂が大変です。それと下り坂もあぶみが回り続けるんで足が疲れますね」


 あぶみってなんのことだろうと一瞬考えたけど、ペダルのことか。
 固定ギアの面倒なところは、タイヤの回転に応じてペダルも回り続けることだ。だから下り坂では結構足が疲れる。
 シンプルな構造故に癖もある、それが固定ギアだ。まあそれが好きって人もいるんだけど。


「で、この自転車、じゃなくて二輪鉄馬ってどうやって売るの?」


 作ることのアドバイスはできるにしても売る方の手伝いはできない。眼鏡を売るのに難儀したこともそうだけど、見知らぬ物を買ってもらうってのはかなりハードルが高い。


「はい、いろいろ考えたんですが……工業ギルドを通じてブルフレーニュ家に売り込もうと思います」
「へえ、なんで?」


「前もお話ししましたけど、今4大公が競って工房に新しいものを作らせてるんですけど。
その中で一番熱心なのがブルフレーニュ家なんです」
「ああ、そうなんだ」


 そういえば、発火壺なるオイルライターを作った工房もその家から報奨金を貰ったとかいう話をしていたな。
 よほど先進的な当主なのか、それとも単なる物好きなのか。


「資金的なところもそうなんですが、大公家の紋章を使わせて頂けるって聞いたので」


 いわゆる王室御用達の工房ってな感じになるんだろうか。
 いずれにせよ商売をやる上で、どこかの傘下に入るなら、組む相手を選ぶのは大事なのは日本の会社にも通じるところはある。


「オルドネスには売り込まないの?」


 この間、ジェレミーさんの通行証には散々お世話になったので少しは名前を出してみる。


「オルドネス公は、今は塔の廃墟からの品物をほぼ独占してますからね。
工房への働きかけはまだそこまで積極的じゃないんです」


 なるほどね。そういうことならまあわかる。


「近日中にはギルドを通じて申請を出してみようと思います。
話によると、工房まで誰かが来て価値があるものか確かめてくれるそうなんですよ。
よかったらスミトさんたちも立ち会ってもらえませんか?」


「いいよ。僕もどんな評価されるか見たいしね」


 異世界製自転車の製造には僕のアイディアも入ってるわけだし、受け入れられるか興味ある。


「じゃあ、日取りが決まったらご連絡しますね」
「うん。待ってるよ」


 暫くは待たされるだろうと思ったけど……2日後にベル君がまたやって来た。
 なんでも翌日にブルフレーニュ家から使者がくることになったらしい。なんともフットワークの軽いことだ。





 わずか数日で話がまとまるとは思わなかった。昼の鐘が鳴る頃に来る、という話らしいので、午前中に二人の工房まで来た。


「随分なんというか向こうの対応が早いよね」
「貴族様って暇なんじゃないの?」


 都笠さんが何気に失礼なことを言う。
 でも言われてみると、貴族が日常で何してるか想像もつかない。僕の乏しい想像力では庭園でお茶会してるとか、そのくらいしか思いつかなかった。
 ベル君とシャルちゃんは緊張した面持ちで自転車の最終調整をしている。落ち着かない様子だ。


 そして、昼の鐘が遠くから響いてくる中。時間通りに石畳を叩く蹄の音が聞こえてきた。


「来たかな?」


 馬の嘶く声がして、工房の前に馬車が止まる。二人が立ち上がって扉の方を見つめる。
 小さい窓のすりガラス越しにでもわかる、かなりの大型馬車だ。黒に豪勢な金の装飾がされているのがみえた。


 見ていると、工房の扉が開けられて、まず最初に御者らしき人が入ってきてドアの方に頭を下げる。
 続いて工房に入ってきたのは……和服、というか弓道の衣装のような着物に袴を穿いた女の子だった。





「はぁ……」
「ほぉー」


 一瞬ため息を漏らして、セリエとユーカに睨まれた。都笠さんもぽかんとした顔で見ている。


 なんというか完璧な美人だ。年は18歳くらいだろうか。
 透き通るような白い肌、冷たい感じの青い目。たぶん東京のルージュを引いてるんだろうなって感じのきらめくような赤い唇。
 輝くような金髪を大きめの団子風に結い上げて簪のようなものでまとめている。


 そしてなにより、気品がある、という言葉がふさわしい雰囲気。
 多分、本当の位の高い貴族なんだろう。セレブってやつはこんな感じなのだろうか。もちろんそんなにの会ったことはないけど。


 着ているものは弓道衣装のような形だけど、地味な白地の袷に黒の袴じゃなく、白地に緑と淡い桃色で花のようなものを染めてあり、袴も濃い紫色の布に白い糸で細やかな刺繍が入っている。
 上にはマントのように赤地に白で鳥と波のような文様を描いた羽織を羽織っていた。東京からの持ち込み品だろうか。


 着てるのが金髪の女の子なのだけど、着こなしが完ぺきで和風コスプレ感はまったくない。
 こっちの世界の放浪願望者ワンダラーは日本の服を好んで着ているから、スーツ姿とか和服姿っていうのも見たことはある。
 でも総じて着方が違和感がある。ネクタイが変だったり、和服が着崩した感じだったり、とそんな感じだ。まあそりゃ見本がないから当たり前なんだけど。
 この人についてはそういう違和感がなく、一流の弓道選手のような佇まいだ。


 その後ろには、これまた袴姿のちょっと年配の男性が控えている。こちらの着物は白黒で地味だ。
 背が高い。180センチは超えているだろう。ところどころ黒髪が混ざった短めの白髪に短く整えた髭。
 50歳は超えているっぽいけど立ち姿はしっかりしていて年より若く見える。ジェレミー公もそうだけど、老いてなお盛んって感じだ。


 腰には刀のようなものを挿している。なんというか、格好も含めて侍っぽい。
 お偉方の専属の護衛と思ったけど、スロット武器を持っていないんだろうか。


 ぼけっと見つめている僕らを見て、女の子が口を開いた。


「妾はダナエティア・ラクロア・ブルフレーニュ」


 お嬢様然とした感じではない、はっきりした口調だ。 
 ベル君とシャルちゃんが弾かれた様に膝をついて頭を下げる。続いてセリエとユーカも膝をついた。
 ブルフレーニュを名乗るってことは……4大公家の直系の人だ。慌てて僕と都笠さんもそれに倣った。


「ふむ。苦しゅうない。それより、お主らの成果とやらを見せてみよ」


 満足げに……何て呼べばいいんだろう。ダナエ姫でいいのか、が促した。慌ててシャルちゃんが立ちあがる。


「え……っとブルフレーニュの、あの、姫君に、えーと、お越しいただけるとは光栄です。あの……私たちがが作りましたのはですね……」


 シャルちゃんが話始めるが、緊張でガチガチだ。
 たしかにブルフレーニュ家が一番技術革新に熱心らしいけど。執事とかが来るんじゃなくて血族が来るとは思ってなかったんだろうな。
 僕らの感覚だと、それこそ皇室の人とか、ハリウッドスターが突然目の前に現れた感じなんだろうか。


「……僕たちが作ったのは二輪鉄馬です。
これには塔の廃墟の部品は使っていません。全部私達で作りました」


 ベル少年が立ち上がって堂々と言う。シャルちゃんがほっとした顔をした。なかなかいいとこ見せるな。
 ベル少年が壁に立てかけていた自転車を曳いてくる。


「これです。ご覧ください」
「ふむ」


 ダナエ姫が促すと後ろの男の人が出てきて自転車を確認し始めた。
 ブレーキを握って前後に動かしたり、タイヤを触ったりと、なんというか手馴れた感じだ。


「どうだ?」
「……すこし乗ってみますが、よろしいかな?」


 男がベル君に聞いた。


「はい、勿論」


 男が自転車を曳いて外に出る。ベル君とシャルちゃんに続いて僕らも外に出た。 
 男が慣れた様子で男が自転車にまたがる。袴姿のオッサンが、ファンタジー風な異世界で自転車に乗ってる姿は中々シュールだ。 
 転ぶこともなく道を少し向こうまで走り角の向こうに消えていく。ふたりがほっと溜息をついた


 待つこと5分ほど。暫くして男が自転車に乗って戻ってきて、これまた慣れた様子で降りた。


「どうだ?」
「そうですな……癖がある乗り味ですが……」


 ダナエ姫が聞く。ベル君とシャルちゃんが息をのむのが分かった。


「……完全な自製と考えれば、なかなかよくできています。
試してみなければわからない部分もありますが、使用に耐えると考えてよいでしょう。多少重いですが、これは改良の余地ありでしょうな」
「そうか。よし」


 ダナエ姫が頷くとこちらを向き直る。


「では、何を望む?名誉か、金か?」


「えっと……?」


 質問の意味が分からなかったのか、ベル君とシャルちゃんが顔を見合わせる。


「もし汝らが名誉を望むなら……この二輪鉄馬の製造は汝らに任せよう。
工房の正面の妾の紋章を掲げることも許す。必要ならば資金の援助もしてやろう」


 4大公の紋章を掲げるってことは、結構すごいことなんだろう。名誉を望むなら、とはよく言ったもんだ。


「もし金を望むのであれば……しかるべき額を支払うゆえ、その二輪鉄馬の設計図や製法を我らに譲ってもらうことになる。
その金で新しく商売を始めるもよし、二人で幸せに暮らすもよし。
ただし、そうなれば汝らはこの二輪鉄馬の製造には携わることは許さぬ」


 この話を聞く限り、自転車の製造を独占したいんだろうな。自分の紋章を掲げた工房で作らせるか、設計図を買い取って自作するかってところか。


 特許なんてない世界ではあるけど、貴族の権力が大きい世界だし。金を貰ったうえでどこかで密造なんてできないだろう。そうなったら子供二人消すくらい造作もなさそうだ。
 まあこの二人はそういう悪知恵ははたらないいだろうけど。


「だが、妾としては汝らの能力を高く評価しておる故に、我が元にとどまってほしいと思うておる。
名誉を望むことを期待しておるぞ」


 2人がまた顔を見合わせる。


「決まってるよね、ベル君」
「うん!」


「僕たちは、名誉を希望します。
もっとこの二輪鉄馬をいいものにしたい。塔の廃墟にものにいつか追いついて見せます」


 まあこの二人ならそういうだろうな。ダナエ姫が満足げにうなづく


「ふむ。その心意気やよし。
より軽く、より素晴らしい二輪鉄馬を作るのじゃ。いずれはこの二輪鉄馬にはすべて妾と汝らの紋章を刻もう。それに恥じぬものを目指すようにせよ。
そして、こののちも末永く妾に仕えるのじゃ。よいな?」


「はい!」


 喜び一杯という顔で二人が僕らを見た。嬉しさオーラが伝わってくるようで、僕も嬉しくなる。


「ふむ。ところで、シャーリーと申したな。その顔に掛けているものはなんじゃ?」


「あ……えっと、これは、眼鏡というものでして」
「見せてみよ」


 ダナエ姫がシャルちゃんから眼鏡を受け取ってかける。そして、顔をしかめた。


「なんじゃこれは。目がかすむだけじゃぞ」


「それは塔の廃墟のものです。
目が悪い、というか悪魔が目に幕を掛けた者のためのものですからな。
姫はそうではありませぬゆえ、無用のものです」


 男が言う……この人は眼鏡を知ってるのだろうか?


「そうか」


 ようやく緊張から解放されたって感じで二人が安堵の表情を浮かべる。誰も居なければ声を出して喜びたいんだろうな、という雰囲気だ。
 僕らのことをよそに、ダナエ姫と男が話をしている。


「これを使えば、どうだ、かねてからお主が申していた、何と申したか……そうだユウビンというのか、あれも出来るのではないか?」


「……そうですね。制度の整備と周知にはかなり時間がかかるでしょうが、二輪鉄馬をある程度数がそろえられれば、市民でも信書を送れるようになるでしょう。
姫の独占事業にできればメリットは大きいでしょうな」


 郵便だって?


「ふむ。ではその整備に関する報告を行うように」
「心得ました」


 男が恭しくダナエ姫に頭を下げる。
 2人が話している間にベル君とシャルちゃんがこっちを向き直って頭を下げてきた


「改めて、ありがとうございます、スミトさん、スズさん、セリエさん、ユーカちゃん」
「知恵を貸していただいて、本当に感謝してます」


「いや、気にしないでいいよ、ここまで来たのは君らの努力の結果でしょ」


 どっちかというと、あの男が何なのかの方が気になる。聞いてみていいものなんだろうか。
 迷っているうちに、ダナエ姫が今度は僕に声を掛けてきた。 


「ふむ。汝がスミトか。噂は聞いておる。例の塔の廃墟の探索者であるな」
「はい。その通りです」


 確信をもった感じの問いかけだ。なんというか曖昧にごまかせる雰囲気じゃないので素直に答える。


「ふむ、よい機会じゃ。汝らも妾に仕えぬか?そこの……」
「都笠鈴です」


「スズとやらも。汝らも塔の廃墟の住人なのであろ?悪いようにはせぬぞ」


 悪いようにしないっていわれても。あまりに突然すぎる。
 今日あったばかりの貴族に、いきなり自分に仕えろと言われても。


「ソウテンイン、説明いたせ」
「はい、姫」


 男が進み出てきた。
 背が高い以上になんというか威圧感がある。袷の間から見える胸板は鍛え上げたって感じで、僕よりよっぽど頑丈そうだ。


「ふむ。風戸澄人君に都笠鈴君か」


 落ち着いた渋い声だ。なんというかいかにも頼れる年長者っぽい。


「……君らはどこから来たのかね?」
「どういうことです?」


 意図が分かりにくい質問だ。都笠さんと顔を見合わせる。
 黙って男が僕らを見つめた。


「別に。言葉通りの意味だよ……私は神岡だ」
「え?」


「……知っているかね?長野と富山の間の山あいの街なのだが」
「……まさか」


 男が小さくほほ笑む。


「同胞とあうのは久しぶりだよ。
私は筝天院そうてんいん籐司朗とうしろう。……日本人さ」









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