僕は御茶ノ水勤務のサラリーマン。新宿で転職の話をしたら、渋谷で探索者をすることになった。(書籍版・普通のリーマン、異世界渋谷でジョブチェンジ)
異世界にミュージックバーを作ろう
戻ってみると、朝ご飯の支度が出来ていた。パンの焼けるいい匂いがする。
「おかえりなさいませ、ご主人様」
「おはよう、お兄ちゃん」
ユーカはまだ眠そうだ。セリエは相変わらず一部の隙もないメイドルックだ。
「おはよう、スミト君。どこに行っていたのかね?」
「ちょっと、アーロンさんと会いに。昨日の件について相談を」
「そうか、それは助かる」
ヴァレンとユーカはもう席についていて、セリエは後ろに控えるように立っている。昨日の夕食の時と同じだ。
レナさんは厨房にいるらしく、姿が見えない。
「セリエ、どうしたの?座らないと。もうご飯だよ」
「いいのですよ、お嬢様。セリエは後で食べますから。そうだな、セリエ」
ヴァレンが言う。ユーカがヴァレンとセリエをかわるがわる見た。
「……セリエ、座りな」
「あの……でも」
「スミト君。君は知らないかもしれないが、それはここでは相応しくないのだよ」
ヴァレンが言う。
特に悪いと思っているわけじゃなくて、当たり前なんだろう、彼にとっては。
「そうですか……じゃあ昨日の話をする前に少し聞いてください、ヴァレンさん」
これは僕が言わなければいけないことだ。それが一応主人である僕の務めだろうと思う。
「なんだね?」
「一つ言わせてください。
あなたのサヴォア家への忠誠心は分かるし苦労もしてきたんでしょう。セリエはサヴォア家では身分が下だったのかもしれません。
でもここ何年か、ユーカを守ったのはセリエです」
「セリエにとって主たるお嬢様の為に働くのは当然だろう。特段褒めることでもない」
「いや、称えるべきことです。身分なんて関係ない」
「……そういうものか?」
「そうです……セリエを見下すことは僕が許さない」
ヴァレンは釈然としないという表情を浮かべている。ここで僕が引くわけにはいかない。僕が口を開くより前にユーカが口を開いた
「エルネスト叔父さん、どういうこと?セリエはみんなと一緒にご飯食べちゃいけないの?身分が低いから?」
「いえ、お嬢様。そういうことではなく、礼儀の話をですね……」
「セリエはね!ずっと……ずっと……あたしを……守ってね……辛いことを……それなのに……」
ユーカが泣き出して、セリエがユーカの頭をそっと抱えた。レナさんが運んだ来た料理を手にしたまま固まってる。
広間にユーカのしゃくりあげる声だけが流れた。自分で言い出したこととはいえ、気まずい感じだ。
「……そうだな。確かに、そうかもしれない」
長い沈黙の末、ヴァレンが口を開く。
「すなまかった、セリエ。座ってくれ。レナも」
釈然としない、という表情はまだ少し変わらないけど、いきなり変わるわけもないか。セリエがおずおずと僕の横の椅子に座る
「……ありがとうございます、ご主人様」
「いいんだ」
僕がそうしたかっただけだから、とは言わなかった。
サラリーマン時代、なんども見下された。下っ端だから、小さい会社だから。仕事だから言い返せないことなんて何度でもあった。
でも今は言い返してもいいだろう。今は僕の言葉の責任は、僕だけが背負うことができる。ただ、ここまで言った以上は結果を出さないといけないけど。
◆
「ではあらためて、説明します」
食事が終わった後。大きな丸テーブルを僕、セリエ、ユーカ、ヴァレンさん、レナさんが囲む。
その真ん中にさっき買ったばかりのラジカセを置いた。
「見てください、これは僕の世界の道具です。ここのボタンを押すとですね」
カセットのオーケストラが流れ始める。皆がしばし聞き入った
「そういえば、お兄ちゃんが初めてご飯食べさせてくれたところでも、誰も居ないのに音楽が聞こえてたよね」
そういえばそんなこともあったような。
「あれもこの道具だよ。でもよく覚えてるね」
「大事な思い出だもん」
「これはいったい……どういう仕組みなのだね?」
ヴァレンさんが感心したように言う。
「これは僕の世界の音楽を演奏するための機械……じゃなくて魔道具です。
で、すみませんが、レナさん、その鏡を貸してもらっていいですか?」
渡された鏡、というかCDを受け取って枠を外す。簡単な留め金で止めていただけなのですぐ外れた。
「ちょっと、壊さないでよ。気に入ってるんだから」
CDは日本人のピアノロックのバンドのものらしい。ピアノに寄り掛かったイケメン兄ちゃん3人がこっちをみてさわやかに笑っている。
「これは鏡じゃないんですよ」
ボタンを押してCDトレイにCDを乗せ再生する
ちょっとアップテンポな涼やかなピアノの音がスピーカーから流れた。前奏が終わると張りのあるボーカルとギターが混ざる
「おお、これは?」
「へえ。なんか踊りたくなっちゃうわね。で、なんなの、これ」
「あの鏡には音楽が封じ込められているんです。で、これはその音楽を聴くための道具なんです」
渋谷で学習したことだけど、ガルフブルグの住人に僕らの世界の機械について説明してもわかるわけがない。
電気がどうだの、光信号がどうだの、磁気保存がどうだのいってもしょうがない。営業じゃないけど、相手にわかるように話さないといけない
「これならどうですかね。音楽が流れる酒場」
「……音楽と言えば吟遊詩人の演奏くらいで、楽団の音楽が聴けるのは貴族くらいだ。
この道具を使えるのなら素晴らしいことだ」
「ただし、これを使うためには、僕と同じく管理者を習得してもらいたいんです」
「え?このままではいけないのでしょうか?
管理者は使っておられなかったと思いますが」
セリエが聞いてくる。
「この機械は電池ってので動くんだ。
でも電池は使えばなくなってしまう。ランプのコアクリスタルみたいなもんなんだよ」
いずれ。いつになるかわからないけど、電池の用に気づく人が出て来ると思う。そうなれば今度は電池の取り合いになる。
この世界の商人や探索者の目ざとさはレトルトの一件で散々わからされた。長期的に考えれば、物に頼らずスキルに頼る方が優位に保てると思う。
「なので、僕と同じように管理者を使えるようになってほしいんです。あれがあれば、この道具を使える。
ヴァレンさん、あなた、ユーカのお父さんに仕えていたんですよね。じゃあスロットは持ってますか?」
「持ってはいるぞ、勿論。だが私のスロットは全部埋まっている」
うーん。そりゃそうか。やっぱり空いてれば全部埋めたくなるのが人情か。
「だが、確か……」
「私は空きがあるわよ」
レナさんだ。意外なところから声がかかった。
「特殊スロットの空きはありますか?」
「ええ。というか、特殊スロットしか持ってなんだけどね」
それはなんとも巡り合わせがいい。
「じゃあお願いしていいですか?」
「私で良ければ、任せなさい」
◆
スロットの設定を行うためのスロットシートなる魔道具は教会が主に管理しているらしい。そんなわけで、レナさんやセリエ達と一緒に教会に行った。
なぜかアーロンさん達もついてきてくれた。
「お前がまたなにか面白いことをやるんなら見ておきたいからな」
「儲け話なら俺も興味あるぜ」
まあ減るもんじゃないし、知ってる顔がいる方が心強い。
ガルフブルグの宗教はよくわからないけど、多神教なのは分かった。
門が開いた教会には火の神らしいのが祭られていたけど、サンヴェルナールの夕焼け亭の近くの教会には狼の毛皮らしきものを纏った小さな女の子の像が祭られていた。
スロットシートを使うためにはいくばくかの寄付をしなければいけないらしい。それを支払うと、教会の侍従が金の枠をはめた小さな箱が運んでてきた。
赤い布張りの箱の中に入っているのは黄ばんだ紙。あの新宿であの子供が僕に渡したのと同じものだ。
そういえばあの紙は、全部のスロットを埋めたところでいつの間にか無くなってしまった。
レナさんがスロットシートに手を触れるとシートがふわりと浮かびあって小さな文字が映し出された。
「しかし……スロットを埋めずに置いておく人もいるんだね」
空きを埋めないのは勿体ない気もするけど。
「そうですね。スロットを持つ人間は少なくありません。数の差はありますけど、5人に一人くらいはスロットをもっています。
しかしほとんどはスロット一つだけ、数も少ないものでして」
「魔法スロットや回復スロットは数が少なくても使いようがありますけど。
特殊スロットはあまり日常では使わないものが多いのです」
レインさんとセリエが説明してくれる。
「探索者なら残さず埋めるがな。空きがあるのは意味がない」
アーロンさんが話を引き取ってくれた。
「そういえば、このスロットシートってのはなんなんです?」
これは前から疑問だった。才能を数値化する道具ってなんなんだろう?
「なんでこんなステータス表示みたいな道具があるのかなってさ」
「ステータス表示?」
「いや、こっちの話」
「スロットシートは、始原の魔法使い、マーリン様が作られたといわれる魔道具です。
マーリン様は、鑑定というスキルをお持ちでした。それに近い魔道具を作られたのです」
「昔、人間は自分のスロットがわからなかったんだ。
だが、あれのおかげで俺たちは自分たちのスロットを把握し、より自分に適した力を得ることができるようになったわけさ」
「それは便利ですね」
偉大なる先人だな。
「……そうとも言えんぞ」
アーロンさんが言う。
「そうなんですか?」
自分の才能が数字で分かって、最適な能力を選べるなんてすばらしいと思うけど。
「ガルフブルグに限らず、どの国でも親は子供に一度はスロットシートを持たせるんだ。素晴らしい才能が眠っていないかってな。
だが、素晴らしいスロットを持っていても、あくまでスロットの力は魔獣と戦ったりする、いわば戦闘の才能だ」
「わかるだろ?誰もがそういう生き方を望むわけじゃねぇ。
だけど、すげぇスロットの持ち主は本人の意思に関係なく、戦いの場に出させられてしまうんだ。素晴らしい才能が常に人を幸せにするとは限らないってことさ」
地下鉄でのユーカの姿を思い出した。
素晴らしいスロット能力を持っていることと、それを使いこなすことは別。戦いに全然向いていない人に強力なスロットがあることが分かってしまったら。
それは幸せな事かは確かにわからない。
「それに、貴族の家ではスロットがないというのは結構つらいこともあるんだぜ。
特に武門の家ではな」
リチャードがいつもの明るい感じとは少し違う感じでいう。
確かに才能が数字で見えてしまう、というのは確かにある意味非常に残酷な時もあるだろう。いいことばかりじゃないか。
「お、スミト、あったよ。
管理者、第5階層。これでいいのかい」
第5階層で電化製品の稼働、というかオーディオの稼働はできるんだろうか。こればかりは試してみないとわからない。
「ひょっとしたら無駄になるかもしれないけど、いいですか?」
「いいよ。どうせ使ってないものだからね」
レナさんがあっけらかんと答える。
「スキルのセットをされますか?」
司祭さんが聞いてきた。
「はい」
「では神への供物を」
回りくどいけど、寄付しろってことか。がめついな。まあいいけど。
侍従の人に割符を一枚手渡すと、それを取り上げてかわりに狼の銀細工を恭しく持ってきてくれた。その銀細工をレナさんが司祭さんに手渡す。
一応、直接お金を受け取るわけではなく、体裁は整えるって感じか
「では僕たる何時に恵みを与える……管理者?第5階層?大地の神ユークレイドは汝の才を祝福せん」
司祭さんが口ごもるあたり、管理者のスキルはホントにマイナーなんだなとわかった。
僕は勝手に取らされたわけだけど、先人でとった人は何を考えていたのか知りたい。
◆
スキルを取ったら、早々にサンヴェルナールの夜明け亭に戻った。
最大の問題は、管理者の第五階層でこれを動かせるかってことだ。
ラジカセの電池を抜く。
「じゃあいいですか?管理者、起動、電源復旧と言いながらこの箱に手を触れて下さい」
「電源復旧ってなんなのさ?」
「そこはまあ気にせず」
「じゃあいくよ……管理者、起動、電源復旧」
レナさんが、コンポに手をかけて管理者を起動させる。
息を詰めて見守る中、電源ライトが赤く光り液晶ディスプレイに文字が現れた。再生キーを押すとクラシックが流れ始める。
「成功!」
「やったね、おにいちゃん」
「レナ、でかしたぞ」
ほっと一安心って感じだ。
「あ……でも、これ結構疲れるんだね」
レナさんが額を押さえながらいう。
いわゆるMPを消費する感覚は初めてだと結構しんどいかもしれない。僕もそうだったけど。ただ、こればかりは慣れてもらうしかない。
「じゃあしばらくはこれで何とかしてください。僕らは一度、塔の廃墟に戻ります」
「なぜだね?これで十分じゃないのか?」
「この建物の大きさを考えればもう少しいいスピーカーがほしいですし、本体ももっといいものを使うほうがいいです」
ラジカセは音は専門のスピーカーに劣る。これ本体がかなりコンパクトサイズだし。ここはわりと広い部屋なので、できればいいものを使うほうがいい。
「あと、塔の廃墟でCDをかき集めてきます。
こっちでも鏡の売れ残りとかがあったら買っておいて、お客さんが喜びそうなのをピックアップしてください」
日本の、というか地球の音楽でこの世界の人の好みに合うのが何かまではわからない。こればかりは僕は協力できない。
「わかった。頼むぞ。スミト君」
◆
ガタつく馬車に再び揺られ、門をくぐって、4日ぶりほどに渋谷に戻った。凸凹してないアスファルトの地面というのはじつに楽だ。スタバビルを見るのも久しぶりだ。
電化製品をさがすなら新宿の方がいいかな、と思っていたところで書記官が声を掛けてきた。
「あ、スミトさん、ちょうどいいところに。
申し訳ないんですけど、今すぐシンジュクへ行ってもらえませんか?」
「行くつもりでしたけど、どうしてですか?」
「さきほどシンジュクから連絡がきましてですね、変な人が来てるんだそうです」
「それをなんで僕に言うんですか?」
「それがですね。
報告によれば、その人は私達とも放浪願望者とも違う服を着ていて、あんたたち誰だ?ニホンジンじゃないなって言ってるそうなんですよ」
ニホンジン……
「ニホンジンって私達にはなんだかわからないんですけど……お願いできませんか?」
「……行ってみます」
ここまではっきり聞いてくる以上、もはや僕の正体はばれてるだろう。今からすっとぼけてもどうしようもない。
それに……日本人か。僕と同類がいるってことか。
「おかえりなさいませ、ご主人様」
「おはよう、お兄ちゃん」
ユーカはまだ眠そうだ。セリエは相変わらず一部の隙もないメイドルックだ。
「おはよう、スミト君。どこに行っていたのかね?」
「ちょっと、アーロンさんと会いに。昨日の件について相談を」
「そうか、それは助かる」
ヴァレンとユーカはもう席についていて、セリエは後ろに控えるように立っている。昨日の夕食の時と同じだ。
レナさんは厨房にいるらしく、姿が見えない。
「セリエ、どうしたの?座らないと。もうご飯だよ」
「いいのですよ、お嬢様。セリエは後で食べますから。そうだな、セリエ」
ヴァレンが言う。ユーカがヴァレンとセリエをかわるがわる見た。
「……セリエ、座りな」
「あの……でも」
「スミト君。君は知らないかもしれないが、それはここでは相応しくないのだよ」
ヴァレンが言う。
特に悪いと思っているわけじゃなくて、当たり前なんだろう、彼にとっては。
「そうですか……じゃあ昨日の話をする前に少し聞いてください、ヴァレンさん」
これは僕が言わなければいけないことだ。それが一応主人である僕の務めだろうと思う。
「なんだね?」
「一つ言わせてください。
あなたのサヴォア家への忠誠心は分かるし苦労もしてきたんでしょう。セリエはサヴォア家では身分が下だったのかもしれません。
でもここ何年か、ユーカを守ったのはセリエです」
「セリエにとって主たるお嬢様の為に働くのは当然だろう。特段褒めることでもない」
「いや、称えるべきことです。身分なんて関係ない」
「……そういうものか?」
「そうです……セリエを見下すことは僕が許さない」
ヴァレンは釈然としないという表情を浮かべている。ここで僕が引くわけにはいかない。僕が口を開くより前にユーカが口を開いた
「エルネスト叔父さん、どういうこと?セリエはみんなと一緒にご飯食べちゃいけないの?身分が低いから?」
「いえ、お嬢様。そういうことではなく、礼儀の話をですね……」
「セリエはね!ずっと……ずっと……あたしを……守ってね……辛いことを……それなのに……」
ユーカが泣き出して、セリエがユーカの頭をそっと抱えた。レナさんが運んだ来た料理を手にしたまま固まってる。
広間にユーカのしゃくりあげる声だけが流れた。自分で言い出したこととはいえ、気まずい感じだ。
「……そうだな。確かに、そうかもしれない」
長い沈黙の末、ヴァレンが口を開く。
「すなまかった、セリエ。座ってくれ。レナも」
釈然としない、という表情はまだ少し変わらないけど、いきなり変わるわけもないか。セリエがおずおずと僕の横の椅子に座る
「……ありがとうございます、ご主人様」
「いいんだ」
僕がそうしたかっただけだから、とは言わなかった。
サラリーマン時代、なんども見下された。下っ端だから、小さい会社だから。仕事だから言い返せないことなんて何度でもあった。
でも今は言い返してもいいだろう。今は僕の言葉の責任は、僕だけが背負うことができる。ただ、ここまで言った以上は結果を出さないといけないけど。
◆
「ではあらためて、説明します」
食事が終わった後。大きな丸テーブルを僕、セリエ、ユーカ、ヴァレンさん、レナさんが囲む。
その真ん中にさっき買ったばかりのラジカセを置いた。
「見てください、これは僕の世界の道具です。ここのボタンを押すとですね」
カセットのオーケストラが流れ始める。皆がしばし聞き入った
「そういえば、お兄ちゃんが初めてご飯食べさせてくれたところでも、誰も居ないのに音楽が聞こえてたよね」
そういえばそんなこともあったような。
「あれもこの道具だよ。でもよく覚えてるね」
「大事な思い出だもん」
「これはいったい……どういう仕組みなのだね?」
ヴァレンさんが感心したように言う。
「これは僕の世界の音楽を演奏するための機械……じゃなくて魔道具です。
で、すみませんが、レナさん、その鏡を貸してもらっていいですか?」
渡された鏡、というかCDを受け取って枠を外す。簡単な留め金で止めていただけなのですぐ外れた。
「ちょっと、壊さないでよ。気に入ってるんだから」
CDは日本人のピアノロックのバンドのものらしい。ピアノに寄り掛かったイケメン兄ちゃん3人がこっちをみてさわやかに笑っている。
「これは鏡じゃないんですよ」
ボタンを押してCDトレイにCDを乗せ再生する
ちょっとアップテンポな涼やかなピアノの音がスピーカーから流れた。前奏が終わると張りのあるボーカルとギターが混ざる
「おお、これは?」
「へえ。なんか踊りたくなっちゃうわね。で、なんなの、これ」
「あの鏡には音楽が封じ込められているんです。で、これはその音楽を聴くための道具なんです」
渋谷で学習したことだけど、ガルフブルグの住人に僕らの世界の機械について説明してもわかるわけがない。
電気がどうだの、光信号がどうだの、磁気保存がどうだのいってもしょうがない。営業じゃないけど、相手にわかるように話さないといけない
「これならどうですかね。音楽が流れる酒場」
「……音楽と言えば吟遊詩人の演奏くらいで、楽団の音楽が聴けるのは貴族くらいだ。
この道具を使えるのなら素晴らしいことだ」
「ただし、これを使うためには、僕と同じく管理者を習得してもらいたいんです」
「え?このままではいけないのでしょうか?
管理者は使っておられなかったと思いますが」
セリエが聞いてくる。
「この機械は電池ってので動くんだ。
でも電池は使えばなくなってしまう。ランプのコアクリスタルみたいなもんなんだよ」
いずれ。いつになるかわからないけど、電池の用に気づく人が出て来ると思う。そうなれば今度は電池の取り合いになる。
この世界の商人や探索者の目ざとさはレトルトの一件で散々わからされた。長期的に考えれば、物に頼らずスキルに頼る方が優位に保てると思う。
「なので、僕と同じように管理者を使えるようになってほしいんです。あれがあれば、この道具を使える。
ヴァレンさん、あなた、ユーカのお父さんに仕えていたんですよね。じゃあスロットは持ってますか?」
「持ってはいるぞ、勿論。だが私のスロットは全部埋まっている」
うーん。そりゃそうか。やっぱり空いてれば全部埋めたくなるのが人情か。
「だが、確か……」
「私は空きがあるわよ」
レナさんだ。意外なところから声がかかった。
「特殊スロットの空きはありますか?」
「ええ。というか、特殊スロットしか持ってなんだけどね」
それはなんとも巡り合わせがいい。
「じゃあお願いしていいですか?」
「私で良ければ、任せなさい」
◆
スロットの設定を行うためのスロットシートなる魔道具は教会が主に管理しているらしい。そんなわけで、レナさんやセリエ達と一緒に教会に行った。
なぜかアーロンさん達もついてきてくれた。
「お前がまたなにか面白いことをやるんなら見ておきたいからな」
「儲け話なら俺も興味あるぜ」
まあ減るもんじゃないし、知ってる顔がいる方が心強い。
ガルフブルグの宗教はよくわからないけど、多神教なのは分かった。
門が開いた教会には火の神らしいのが祭られていたけど、サンヴェルナールの夕焼け亭の近くの教会には狼の毛皮らしきものを纏った小さな女の子の像が祭られていた。
スロットシートを使うためにはいくばくかの寄付をしなければいけないらしい。それを支払うと、教会の侍従が金の枠をはめた小さな箱が運んでてきた。
赤い布張りの箱の中に入っているのは黄ばんだ紙。あの新宿であの子供が僕に渡したのと同じものだ。
そういえばあの紙は、全部のスロットを埋めたところでいつの間にか無くなってしまった。
レナさんがスロットシートに手を触れるとシートがふわりと浮かびあって小さな文字が映し出された。
「しかし……スロットを埋めずに置いておく人もいるんだね」
空きを埋めないのは勿体ない気もするけど。
「そうですね。スロットを持つ人間は少なくありません。数の差はありますけど、5人に一人くらいはスロットをもっています。
しかしほとんどはスロット一つだけ、数も少ないものでして」
「魔法スロットや回復スロットは数が少なくても使いようがありますけど。
特殊スロットはあまり日常では使わないものが多いのです」
レインさんとセリエが説明してくれる。
「探索者なら残さず埋めるがな。空きがあるのは意味がない」
アーロンさんが話を引き取ってくれた。
「そういえば、このスロットシートってのはなんなんです?」
これは前から疑問だった。才能を数値化する道具ってなんなんだろう?
「なんでこんなステータス表示みたいな道具があるのかなってさ」
「ステータス表示?」
「いや、こっちの話」
「スロットシートは、始原の魔法使い、マーリン様が作られたといわれる魔道具です。
マーリン様は、鑑定というスキルをお持ちでした。それに近い魔道具を作られたのです」
「昔、人間は自分のスロットがわからなかったんだ。
だが、あれのおかげで俺たちは自分たちのスロットを把握し、より自分に適した力を得ることができるようになったわけさ」
「それは便利ですね」
偉大なる先人だな。
「……そうとも言えんぞ」
アーロンさんが言う。
「そうなんですか?」
自分の才能が数字で分かって、最適な能力を選べるなんてすばらしいと思うけど。
「ガルフブルグに限らず、どの国でも親は子供に一度はスロットシートを持たせるんだ。素晴らしい才能が眠っていないかってな。
だが、素晴らしいスロットを持っていても、あくまでスロットの力は魔獣と戦ったりする、いわば戦闘の才能だ」
「わかるだろ?誰もがそういう生き方を望むわけじゃねぇ。
だけど、すげぇスロットの持ち主は本人の意思に関係なく、戦いの場に出させられてしまうんだ。素晴らしい才能が常に人を幸せにするとは限らないってことさ」
地下鉄でのユーカの姿を思い出した。
素晴らしいスロット能力を持っていることと、それを使いこなすことは別。戦いに全然向いていない人に強力なスロットがあることが分かってしまったら。
それは幸せな事かは確かにわからない。
「それに、貴族の家ではスロットがないというのは結構つらいこともあるんだぜ。
特に武門の家ではな」
リチャードがいつもの明るい感じとは少し違う感じでいう。
確かに才能が数字で見えてしまう、というのは確かにある意味非常に残酷な時もあるだろう。いいことばかりじゃないか。
「お、スミト、あったよ。
管理者、第5階層。これでいいのかい」
第5階層で電化製品の稼働、というかオーディオの稼働はできるんだろうか。こればかりは試してみないとわからない。
「ひょっとしたら無駄になるかもしれないけど、いいですか?」
「いいよ。どうせ使ってないものだからね」
レナさんがあっけらかんと答える。
「スキルのセットをされますか?」
司祭さんが聞いてきた。
「はい」
「では神への供物を」
回りくどいけど、寄付しろってことか。がめついな。まあいいけど。
侍従の人に割符を一枚手渡すと、それを取り上げてかわりに狼の銀細工を恭しく持ってきてくれた。その銀細工をレナさんが司祭さんに手渡す。
一応、直接お金を受け取るわけではなく、体裁は整えるって感じか
「では僕たる何時に恵みを与える……管理者?第5階層?大地の神ユークレイドは汝の才を祝福せん」
司祭さんが口ごもるあたり、管理者のスキルはホントにマイナーなんだなとわかった。
僕は勝手に取らされたわけだけど、先人でとった人は何を考えていたのか知りたい。
◆
スキルを取ったら、早々にサンヴェルナールの夜明け亭に戻った。
最大の問題は、管理者の第五階層でこれを動かせるかってことだ。
ラジカセの電池を抜く。
「じゃあいいですか?管理者、起動、電源復旧と言いながらこの箱に手を触れて下さい」
「電源復旧ってなんなのさ?」
「そこはまあ気にせず」
「じゃあいくよ……管理者、起動、電源復旧」
レナさんが、コンポに手をかけて管理者を起動させる。
息を詰めて見守る中、電源ライトが赤く光り液晶ディスプレイに文字が現れた。再生キーを押すとクラシックが流れ始める。
「成功!」
「やったね、おにいちゃん」
「レナ、でかしたぞ」
ほっと一安心って感じだ。
「あ……でも、これ結構疲れるんだね」
レナさんが額を押さえながらいう。
いわゆるMPを消費する感覚は初めてだと結構しんどいかもしれない。僕もそうだったけど。ただ、こればかりは慣れてもらうしかない。
「じゃあしばらくはこれで何とかしてください。僕らは一度、塔の廃墟に戻ります」
「なぜだね?これで十分じゃないのか?」
「この建物の大きさを考えればもう少しいいスピーカーがほしいですし、本体ももっといいものを使うほうがいいです」
ラジカセは音は専門のスピーカーに劣る。これ本体がかなりコンパクトサイズだし。ここはわりと広い部屋なので、できればいいものを使うほうがいい。
「あと、塔の廃墟でCDをかき集めてきます。
こっちでも鏡の売れ残りとかがあったら買っておいて、お客さんが喜びそうなのをピックアップしてください」
日本の、というか地球の音楽でこの世界の人の好みに合うのが何かまではわからない。こればかりは僕は協力できない。
「わかった。頼むぞ。スミト君」
◆
ガタつく馬車に再び揺られ、門をくぐって、4日ぶりほどに渋谷に戻った。凸凹してないアスファルトの地面というのはじつに楽だ。スタバビルを見るのも久しぶりだ。
電化製品をさがすなら新宿の方がいいかな、と思っていたところで書記官が声を掛けてきた。
「あ、スミトさん、ちょうどいいところに。
申し訳ないんですけど、今すぐシンジュクへ行ってもらえませんか?」
「行くつもりでしたけど、どうしてですか?」
「さきほどシンジュクから連絡がきましてですね、変な人が来てるんだそうです」
「それをなんで僕に言うんですか?」
「それがですね。
報告によれば、その人は私達とも放浪願望者とも違う服を着ていて、あんたたち誰だ?ニホンジンじゃないなって言ってるそうなんですよ」
ニホンジン……
「ニホンジンって私達にはなんだかわからないんですけど……お願いできませんか?」
「……行ってみます」
ここまではっきり聞いてくる以上、もはや僕の正体はばれてるだろう。今からすっとぼけてもどうしようもない。
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