寝取られ令嬢は英雄を愛でることにした

早瀬黒絵

【コミカライズ記念】騎士爵家の日常

 






 夕方、日も沈んだ頃。

 屋敷の前に馬車が停まったのを見て、刺していた刺繍道具を置いて部屋を出る。

 少し早足で廊下を抜けて向かうのは正面玄関。

 やや息を切らせながら玄関ホールへ着けば、愛する夫と二人の子供が丁度中へ入ってくるところであった。



「お帰りなさい、あなた」



 そのまま近付けば夫が振り向く。

 広げられた両腕の中へ飛び込んだ。



「ただいま、エディス」



 相変わらず雄々しい獅子の頬に口付ける。

 グルル、と満足そうな唸る音が可愛らしい。

 出会った頃からもう二十年近く経つけれど、夫であるライリーは昔と変わらず格好良くて、モフモフの鬣は触り心地が良く、歳を重ねたことで獅子の顔は更に凛々しくなったように思う。

 それに威厳も増して、英雄に相応しいどっしりと落ち着いた貫禄がついた。

 ……だけど尻尾が揺れてるわ。かわいい。

 お返しに獅子の鼻先がそっと頬に触れた。

 それから体を離して子供達へ向く。



「リリィとユーリもお帰りなさい」



 ライリーと同じ馬車で帰って来た我が子達を抱き締める。



「ただ今戻りました」

「ただいま、母上」

 

 それぞれの頬へおかえりのキスをする。

 優しい子供達はいつもそれに返してくれた。



「今日はどうだった? リリィはお父様に勝てたかしら?」



 リリアンは毎日、自分の父親であるライリーに挑んだり、稽古をつけてもらったりしているのよね。

 ライリーいわく「俺よりも剣の才能がある」らしく、日々の鍛錬も欠かさない。

 しかも実践的な戦い方を好む。

 何度も目にしているが、拳や足技も平気で使うし、場合によっては騎士の誇りとも言える剣を手放すことさえあって、綺麗な顔に似合わぬ泥臭い戦い方をする。

 何故そのような戦い方ばかり学ぶのか問うと、綺麗な型通りの剣では魔獣や人には勝てないからだと至極明瞭な答えが返ってきた。

 ライリーも実戦向きの戦い方をするので、相手をしているうちに覚えたというのもあるかもしれない。

 リリアンが僅かに眉を下げた。



「いいえ、今日もこてんぱんにやられました。父上はまだまだ現役でお強いです。他の騎士達と三人がかりでも全く敵いません」

「ふふ、ライリーはとても強いものね。でも目標が高い方がリリィはやる気が出るでしょう?」

「はい、父上を越えるのが目標ですから。……しかし咆哮を使うのだけは少し狡いと思います」



 チラとリリアンが父親を横目で見る。

 ライリーが誤魔化すように視線を逸らした。

 ライリーの咆哮は、大抵の人間に恐怖を覚えさせ、混乱させたり戦意を喪失させたりする。

 滅多に使うことのない咆哮を上げたということは、それだけリリアン達も健闘したのでしょうね。

 ……わたしはあれが平気なのよね。



「そういえば母上は父上の咆哮を怖がりませんよね」

「そうね、雄々しくて素敵だわ。あの空気を震わせるビリビリとした感じがとっても好きよ」

「並みの騎士ですら怯えてしまうのに、母上は騎士達よりも度胸があります。何故平気なんですか?」



 首を傾げるように考える仕草をするリリアンに「どうしてかしら、愛のなせる技かもしれないわね」と笑って返し、隣のユリウスへ視線を向ける。



「ユーリは今日から魔術具の製作の練習だったでしょう?」

「うん、魔術具を作るってすごく難しいね。正しい魔力量で付与しないと、核になる魔石が弾け飛ぶんだ。練習用の魔石を三つも粉々にしちゃった」



 魔力量が多過ぎて加減ができなかったのかしら。

 魔石って小さなものでも結構な量の魔力を蓄えておくことが可能なのに。

 それだけユリウスの魔力量が多いのね。



「それは俺もショーン様から聞いたが喜んでいたらしい」

「あら、そうなの?」



 失敗したのに喜ばれたのね。

 ユリウスが頷いた。



「『これだけ壊して立っていられるなんて君の魔力量は国内随一だ!』って大笑いしながら背中を叩かれた。怒るどころか褒められたよ」



 そう言ったユリウスは嬉しそうだった。



「明日はもう少し上手にできると良いわね」

「うん、今日で何となく調整のやり方が分かったから明日は壊さずにできるかな」

「頑張って。でも無理はダメよ?」



 ユリウスが頷いて「もう心配させないよ」と言う。

 二人共すくすくと成長して、あっという間にわたしと変わらないほどまで大きくなった。

 十七歳になったリリアンは美しいながらも精悍な顔立ちであり、騎士服がよく似合っている。長い髪を後頭部で纏めて化粧は一切せず、それでも端整な顔は損なわれていない。

 父親から受け継いだ剣の腕と剛力とで、異例の早さで王太子の近衛騎士となった。

 国王陛下付きの近衛の打診も既に来ているとか。

 次に魔獣討伐で大きな功績を挙げれば国王陛下付きの近衛になれるだろう。

 だが今だにわたしの夫であり、リリアンの父であるライリーが英雄として健在しているため、すぐに功績を挙げられるかは別の話だけど。

 男性騎士達の中に混じって訓練する機会が増えたからか、リリアンは男らしい性格や口調に育った。

 でも根は真面目で素直な良い子だわ。

 ただ母親としては、一見すると美青年にも見える娘が毎日のように城のメイド達から菓子やら手紙やらを貰っているのだけは気にかかる。

 ……まるで前世にあった宝塚のようだ。

 案外、当たらずとも遠からずかもしれないわね。

 返事はしないらしいが、渡された手紙は全てきちんと目を通して保管してるところが父親の生真面目さを感じさせる。

 そして十五歳になったユリウスも成長した。

 顔立ちはわたしに似て儚げな風貌で、下がった目尻が優しげな美青年に育った。剣もそれなりに扱えるが、魔術方面に傾倒したためか痩身なのだ。

 昔は多過ぎる魔力に体が耐えられず寝込むことも多かったが、ショーン殿下がユリウスの魔力を移すための魔石を融通してくれたことがきっかけで、ユリウスはショーン殿下をとても慕っている。

 最初は魔石に興味を持ったが、ショーン殿下から魔術や魔術具の話を聞いてからはそちらに興味が寄り、今では殿下の弟子として魔術師見習い中である。

 ショーン殿下も自身の知識や作り上げた魔術の数々を残すために数人の弟子を抱えているのだけれど、昔はよく溜め息を漏らしていた。



「子供って何するか分からなくて怖いよね〜」



 と、会う度に苦笑していた。

 弟子のほとんどが最初は十歳前後だった上に、男の子の割合の方が多かったこともあり、毎日大騒ぎだったそうだ。

 しかも子供というのは大人が考えもしないことをやったり、言い出したりする。

 ショーン殿下とフローレンス様の間にも二人の子供が生まれたが、両方女児で、それぞれ今年で十五歳と十二歳になるが性格はどちらも物静かで控えめな淑女に育っておられる。

 だから男の子達のあり余る元気さに手を焼いていたようだ。

 そして殿下とフローレンス様のご次女のレティシエラ様は特に魔術に秀でており、父親である殿下の弟子としてユリウスと共に魔術や魔術具の作り方などを学んでいらっしゃるそうだ。

 ……レティシエラ様はユリウスが好きなのよね。

 前にお茶会でこっそり相談された。

 だけど多分、母親であるフローレンス様も、父親であるショーン殿下も、それを知っていらっしゃると思う。

 お二人は政略だったけれど恋愛結婚なさったし、お二人の子供達はそういったものがないそうなので、子供達には好きな相手と結婚してもらいたいのかもしれない。

 ……でもユリウスは気付いているのかしら?

 わたしに似た儚げな相貌だけれど、意外と神経は図太くて、気付いていても気付かないふりをしている可能性もある。

 今は魔術に夢中だから恋愛に興味がないということもあるだろうし、そこはレティシエラ様に頑張っていただくしかない。

 まあ、レティシエラ様とユリウスは兄弟弟子もあって仲が良いようなのでのんびり見守るとしよう。

 つい玄関ホールで話し込んでいると、パタパタと軽い足音が聞こえて来た。

 廊下の向こうから弾丸のように小柄な体が飛び出してくる。



「父上、姉上、兄上、おかえりなさい!」



 その弾丸をライリーが受け止めた。

 父親によく似た黄金色の長いふわふわの髪が乱れてしまっていたが、そんなことはお構いなしに弾丸──末っ子のヨシュアが顔を上げた。



「今日は早かったね!」



 ヨシュアは十一歳になった。

 父親譲りの目を引く黄金のような金髪に、煌めく金の瞳は猫科の動物に似た縦の瞳孔を持ち、その手の爪は整えてあるが実は鋭く、笑った口元には普通の人よりやや長い犬歯が覗く。

 それでも小柄で華奢で、顔立ちはわたしに生き写しのヨシュアは可愛らしい。

 ……成長が段々と遅くなっていることだけが心配だけど。

 魔獣の呪いの影響か、ヨシュアは同年代の子より、ずっと成長が遅く、心身共にゆっくりと育っている。

 十一歳だが、パッと見は七、八歳くらいに見える。

 ライリーはいまだにショックを受けて、ヨシュアに引け目を感じているようだけど、わたしはヨシュアの成長の遅さを親孝行と感じていた。

 リリアンもユリウスも成熟するのが早く、あまり手もかからず、あっという間に手を離れていってしまった。

 それももちろん親孝行である。

 だが、もう少し子供と接していたかった。

 そんなわたしの願いを叶えるようにヨシュアはのんびりと成長してくれている。

 元気過ぎるほど元気で手がかかる子だ。

 見た目はともかく中身は男の子なので悪戯はするし、走り回るし、なかなか落ち着いていられない。

 でも家族も使用人達もヨシュアが大好きだ。

 いつも笑顔で明るく、前向きなこの子は誰にでも物怖じせずに接するし、懐くので、皆からも可愛がられている。

 ライリーがヨシュアを抱き上げた。



「今日は良い子にしていたか?」



 ヨシュアが元気な声で「うん!」と頷いた。

 すると横にいたリリアンが苦笑した。



「ヨシュア、嘘は良くないぞ」

「えっ?」

「口の横に食べかすがついてる」



 リリアンがハンカチを取り出してヨシュアの口元を拭ってやると、ヨシュアが「しまった」という顔をする。

 そろりとわたしへ振り返った。



「ヨシュア、また夕食前にお菓子を食べたのね?」



 わたしが腰に手を当てると小さな肩がしゅんと下がる。



「ごめんなさい……」



 それが悪いことだと分かっているようだ。



「せっかく料理長達が美味しい夕食を用意してくれているのに、お菓子を食べたら、夕食が食べられないでしょう? ヨシュアが料理を沢山残したら、料理長達が悲しむわ」

「でもお菓子をくれたのは料理長だよ」

「あら」



 まさか料理長がお菓子を与えるとは。

 ……いえ、この家の人間は誰だって子供達に甘かったっけ。



「それに、お菓子もクッキー二枚だけだし、食べられるように夕食は少なめにしてねってお願いもしてあるよ」



 キリッとした顔でヨシュアが言う。

 自分なりに考えて、そうやって提案出来たのは偉いと思う。

 少し前だったらそんなことは考えつかなかっただろう。



「そう、きちんと自分で考えられたのは偉いわ。だけど、食事よりもお菓子ばかり食べていては大きくなれないわよ?」

「そうだよ、好き嫌いしてると身長伸びないよ」



 ユリウスが穏やかな声で同意してくれた。

 昔はよく寝込んでいたユリウスは、今では姉のリリアンよりも背が高くなっていた。

 ヨシュアはユリウスくらいまで大きくなりたいと思っているので、ユリウスの言葉に「う、」と言葉を詰まらせた。

 ライリーも「そうだな」と頷く。



「体を大きく強くしたいなら、菓子ではなく、食事をしっかり食べることが大事だ」

「食事は体を作る基礎だからな」



 父親と姉まで言うものだからヨシュアは押し黙った。

 でも元々物分りの良い子なので、すぐに反省してくれた。



「……これからは夕食の前にお菓子は食べない」



 わたしは出来る限り優しく微笑んでヨシュアの頬にキスをする。



「そうね、偉いわ、ヨシュア」



 よしよしと小さな頭を撫でる。



「つい話し込んでしまったわね。さあ、三人とも着替えて夕食にしましょう。ヨシュアはわたしと一緒に先に食堂へ行きましょうね」



 ライリーが頷き、ヨシュアを降ろす。

 そうして屈んだライリーに口付ける。

 パチチ、と光が散って、獅子の姿が人のそれへと変化する。

 もう一度ライリーがわたしの頬へ口付けた。

 それを受けてからヨシュアと手を繋ぐ。

 ライリーとリリアン、ユリウスは着替えるために一旦自室へ戻っていった。

 その背を見送り、ヨシュアと食堂へ向かう。



「ねえ、母上、今日の夕食何か知ってる?」



 ご機嫌な様子のヨシュアに聞かれる。



「あら、何かしら? ヨシュアは知ってるの?」



 小さなヨシュアに合わせてゆっくりと歩く。

 ニコニコ顔のヨシュアが頷いた。



「ぼく知ってるよ!」

「じゃあお母様に教えてくれる?」

「うん、今日はね、父上の大好きな牛肉のステーキだって! それに母上の好きなラズベリーソースのチーズケーキがデザートに出るよ!」

「まあ、そうなのね。それは嬉しいわ」



「教えてくれてありがとう」とヨシュアに微笑む。

 ヨシュアがパッと破顔した。



「どういたしまして! それとね、姉上の好きなとうもろこしのスープもあって、兄上の好きなトマトもサラダに出て──……」



 ヨシュアの話を聞きながら食堂へ続く廊下を歩く。

 この幸せな時間がずっと続けばいいのに。

 いずれこの子も手を離れていく。

 そうなればライリーと二人で過ごすことになる。

 ……あら、それはそれで幸せね。

 昔のように、二人でデートでもしようかしら。



「母上、楽しそう!」



 ヨシュアの言葉にわたしは頷く。



「ええ、ヨシュア達のおかげで毎日とても楽しいし、お母様はとっても幸せよ」



 夫だけでなく可愛い子供達もいるのだもの。

 わたしは世界一の幸せものだわ。






 ──── 騎士爵家の日常(完)────

コメント

  • ノベルバユーザー564916

    一気読みしました。とても楽しめました

    1
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