寝取られ令嬢は英雄を愛でることにした

早瀬黒絵

ゼノン=ファーメリア

 




 ゼノンは幸せそうに礼拝堂から退場していく主人の背中を見ながら、風魔術に花を乗せて散らしていた。

 主人から頼まれた仕事ではあるが、それ以上にゼノン自身も祝福の意をこめている。

 闇魔術の影に収納した花は大量だ。

 小さな色とりどりの花を出しては風に乗せ、すぐに落ちてしまわないように微弱な風を礼拝堂の上部に発生させて全体に花を降らせる。

 礼拝堂を出て行く主人が振り返り、軽く手を振ったのが見えた。

 その口元が「ありがとう」と動くのが分かった。

 ゼノン=ファーメリアはマスグレイヴ王国の国境沿いにある領地の街で生まれた。

 父親はおらず、五歳までは街で母と共にひっそりと、穏やかに暮らしていた。

 だがゼノンに魔力があることが判明すると、ある日突然父だと名乗る男がゼノンの前に現れた。

 その父親は領主であり、侯爵家の当主でもある男だった。

 母親は昔、侯爵家で働いており、その時に侯爵の手付きになったのだ。

 ゼノンと当主は確かによく似ていた。

 そして母親とゼノンは当主の屋敷の敷地内になる小さな別邸に連れて来られ、そこで暮らすことになった。

 母親は孤児院育ちで身分が低く、いくら魔力を持っているからと言っても侯爵家の家名を名乗ることは出来なかった。

 それなのに侯爵はゼノンに正妻との子供達と同等の教育を受けさせた。

 元より外で遊ぶのも何かを学ぶのも好きだったゼノンは、貴族の礼儀作法などの教育だけでなく、剣術や魔術の訓練でも実力を発揮していった。

 それこそ正妻の子達よりも優れていた。

 当然だが、正妻も、その子供達もそんなゼノンを快く思わなかった。

 侯爵の見ていないところでゼノンは虐められた。

 食事をもらえなかったり、訓練だと称して木剣を持った子供達相手に素手で戦えと言われたり、正妻に折檻されたことも何度もあった。

 自分だけならば好きにすれば良いと思っていた。

 ただ母親にまで被害が及ぶのは許せなかった。

 別邸まで来た子供達が母親を木剣で殴っている姿を見た時、ゼノンの怒りは爆発した。

 気付けば闇魔術で子供達をボロボロに叩きのめし、逃げられないように拘束してしまっていた。

 これはさすがに侯爵の耳に入り、ゼノンは叱責を受けたが、その実力は惜しかったのか侯爵はゼノンを手放すことはなかった。

 その後、魔術師への道を目指すよう言いつけられたゼノンはより良い師を得るために、そして正妻達と引き離すために王都へ連れて来られた。

 母親を屋敷に残していきたくはなかった。

 だが一緒に来ることは叶わなかった。

 王都にある侯爵家のタウンハウスで暮らしながらゼノンは更に魔術の勉強をすることとなる。

 師は元宮廷魔術師だった。

 物を教えるのが上手く、権力に媚びず、穏やかな性格の老人だった。

 毎日屋敷に閉じ込められて、教育を受けさせられ続けるゼノンを哀れに思ったのだろう。

 ある日、師は一人の少年を伴って訪れた。

 柔らかな茶髪に同色の瞳の少年は師が今仕えている家の子だと言う。

 メキメキと才覚を発揮するゼノンの話を聞いて、どうしても会ってみたいと言うので連れて来たらしい。

 その少年は「ライル」と名乗った。

 歳は同じくらいだろうか、長い髪を後ろで一つに括り、ちょっと垂れ目で、のんびりとした少年だった。



「ねえ、闇魔術で影を操れるんでしょ? 僕は使えないんだよね。いいなあ、見せてよ〜」



 貴族なんてみんな自分勝手だと身構えていたゼノンは、少年の貴族らしくない緩い口調に脱力したのを覚えている。

 魔術が大好きで、少年も魔術師を目指しているそうだ。

 あんまりしつこく絡んでくるのでゼノンが影で少年を拘束して引き離すと、少年はむしろ嬉しそうに歓声をあげた。



「うわあ、すごいね! 何これ面白い!」



 闇魔術の、中でも影を操る魔術は敬遠されやすい。

 黒々とした影から同色の蔦のような蛇のようなものが伸びる様は人々に恐怖か嫌悪を与えやすいのだ。

 だが少年、ライルは全く怖がらなかった。

 それどころかゼノンの闇魔術を羨ましがった。



「それがあったら便利だねえ。試しにあそこにある剣、取ってきてよ」

「……」



 影で木剣を取って渡すとライルは喜んだ。

 その日から、師はライルも連れて来て、三人で魔術の授業をすることが当たり前になった。

 そしてゼノンはライルの実力に驚いた。

 ライルは全属の魔術を満遍なく、しかし一般の魔術師よりもずっと上手に使いこなせるのだ。

 ただ闇魔術の影の操作は出来ないらしい。

 代わりに光属性の方が強いそうで、治癒魔術はすぐに使えるようになった。

 おかげで多少授業中に怪我をしてもライルに治してもらえたので、ゼノンもライルも、攻撃魔術で訓練することが増えた。

 師の老人は魔術について色々と教えてくれたが、基本的には二人の好きなようにさせてくれたので、ゼノンは魔術の授業が一番好きだった。

 ある程度の年齢になるとゼノンは外出を許されるようにはなったものの、貴族にはなれず、十六歳で成人を迎えると侍従見習いとして侯爵に連れ回されるようになった。

 その頃にはもう教育は全て終わっていた。

 だが魔術の授業がなくなってしまったことをゼノンは残念に思った。

 それでも侍従見習いとして侯爵について学び、ようやく見習いから侍従になると、侯爵がある日こう言った。



「今日からお前にはあるお方の従者になることが決まった。いいか、お前には勿体ないほど名誉なことだ。絶対に主人の機嫌を損ねるんじゃないぞ」



 どうやらそれは侯爵の予想外の出来事らしく、苦虫を噛み潰したような顔をしていた。

 ゼノンに拒否権はない。

 少ない荷物を纏めて、用意された馬車に乗り込む。

 どこへ行ってもどうせ同じだ。

 そう思いながら車窓を眺めていたゼノンだったが、馬車が貴族街を抜けた辺りでおかしいと感じ始めた。

 そして馬車は大通りを抜けて王城に着いた。

 驚くゼノンを他所に馬車は王城の敷地内に入り、ガラガラと進んで行く。

 やがて馬車は一つの宮の前で停まった。

 馬車から降りて、荷物が降ろされると、ゼノンを残して侯爵家の馬車はさっさと帰ってしまう。

 侯爵家のタウンハウスよりもずっと大きな宮を呆然と見上げていたゼノンに聞き覚えのある声がかかった。



「やあ、ゼノン、いらっしゃい」



 緩い口調で話す、自分と同年代の少年ライルは茶髪ではなく、月光を透かしたような銀髪にルビーみたいな紅い瞳をしていた。

 その外見的特徴は王族やそれに近しい血筋特有のもので、王城の敷地内に宮を持つということは、王族であることを示している。

 とっさに礼を執ったゼノンにライルが笑う。



「そういう堅苦しいのはやめてよ。僕と君は友人なんだから。あ、でも今日から君は僕に仕えるから主従でもあるってことかなあ」



 ゼノンは今度こそ絶句した。

 良き友人だと思っていたライルが王族だった。

 そこで不意に王族の一人の名前を思い出した。



「僕はショーン・ライル=マスグレイヴ。この国の第二王子だよ。改めてよろしくね〜」



 差し出された手にゼノンは一瞬躊躇した。

 けれども、ライルの目は変わらずゼノンを友人として捉えていることが分かり、ゼノンはその手を取った。



「よろしくお願いします、ショーン様」



 ライル改めショーンはニッと口角を引き上げた。

 悪戯が成功した子供のような表情に、ゼノンも気付けば微かに笑っていた。

 その日からゼノンはショーンの侍従となり、数年仕えた後に近侍に選ばれることとなる。

 それと同時に正式にゼノンの身はショーン預かりとなった。

 ショーンはゼノンの母親を王都に呼び寄せ、王家の目の届く教会に入れさせた。

 そこで己と同じ境遇の孤児達の世話をしながらくらすことになったゼノンの母親だが、その暮らしは彼女にとても合っていたようで、ゼノンが会いに行くといつも笑顔を浮かべていた。

 人質である母親をショーンに取られた侯爵は、ゼノンに対して命令を下すことは出来ない。

 侯爵家の血筋ではあるが、家名を名乗らせなかったため、貴族として当主の命令に従う義務もない。

 ゼノン=ファーメリアという平民上がりの優秀な使用人は完全にショーンのものとなったのだった。

 それまでにも色々とショーンと侯爵の間で小さないざこざがあったものの、ショーンはゼノンを手放さなかったし、ゼノンの母親を諦めることもしなかった。

 だからこそゼノンはショーンに忠誠を誓っている。

 自分と母親を救ってくれた恩人であり、主人であり、良き友人でもあるショーンにこの先の人生をかけて仕えていくことを願った。

 そして今日、主人の大事な日を迎えることが出来た。

 それにゼノンには友人が増えた。

 一人はこの国の英雄で、一人はその妻だ。

 ふと視線を動かせば英雄夫妻が視界に映る。

 妻の方が堪え切れずといった様子で泣いていたが、その顔には嬉しそうな笑みが浮かんでいる。

 夫である英雄は妻を気にしつつも、ゼノンと目が合うと「よくやった」という風に頷く。

 二人が心の底から主人の結婚を祝福してくれているのが伝わってきて、ゼノンは思わず笑みが浮かんだ。

 幼い頃の自分が味わった苦しみや悲しみが砂のようにこぼれ落ちて消えていくような気がした。

 麗らかな日差しの差し込む礼拝堂の片隅で、ゼノンは自身が散らせた花々を見上げる。

 ……おめでとう、ライル。

 ゼノンは心の内で親友に祝福の言葉を捧げた。

 そして後片付けが大変そうだと苦笑した。





 

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