寝取られ令嬢は英雄を愛でることにした

早瀬黒絵

幸福な時間

 




 お式の後のパーティーも始終和やかな雰囲気で進み、問題も起きず、無事に終えることが出来た。

 皆様、帰る時も不満はなさそうだった。

 というよりもコサージュが大活躍してくれて、あの素晴らしい宝石のついたコサージュはしばらくの間、社交界での話題になるだろう。

 実際そのように何人かの御夫人に言われた。

 ちなみにショーン殿下がお帰りになられる際にこっそりとライリーのお休みについて教えてくれた。



「ライリーは明日から三日間休みを取らせたから、新婚夫婦仲良くね」



 その意味を正しく理解してしまい、真っ赤になってしまったのは言うまでもない。

 その背後でクラリス様とフローレンス様が二人揃って口元を押さえつつ、キラキラした目でこちらを見ていた。

 ……さすがにそこまでは教えませんよ?

 夫婦の大事な時間ですもの。

 そしてゼノン様がライリーに何やら話しかけて、ライリーが動揺していたのもちょっと気になった。

 一体何を言われたのかしら。

 わたし達をからかって満足したのかショーン殿下達も帰られて、わたし達も、使用人達も肩の荷が下りた。

 広間の片付けは明日にして、残ったお料理やお酒は使用人達にふるまうことした。

 元よりライリーとそうしようと決めていた。

 結婚式の準備からお客様の対応やら、パーティー中も皆良く働いてくれたもの。

 今日くらいは羽を伸ばしても構わないだろう。

 お料理もお酒もかなり残っているため使用人達が食べたり飲んだりするには十分なほどある。

 それを伝えると使用人達はとても喜んでくれた。

 実はこっそり全員に特別手当も支給することにしているのだけれど、それは明日、片付けを終えてからになる。

 一応、タペストリーやレース、宝石の飾りなどの高価なものだけは仕舞い、後は使用人達に好きに過ごしてもらう。

 わたしとライリーは自室へ戻ることにした。

 リタとユナはついて来て、ドレスを脱がせてくれたり入浴の手伝いをしてくれたりした。



「明日の朝まで私共は離れた部屋で控えております」

「でも何かありましたらお声がけくださいね」



 いつも通り丁寧にマッサージや髪を乾かして、わたしに夜着を着せると二人はにっこりと笑った。

 そうよね、結婚した日の夜は初夜だものね。

 今までは未婚の女性らしく布の面積の多い、透け感のない生地だったが、今日からは違う。

 鏡の中のわたしは白い夜着を着ている。

 でも布の面積が少なくて、裾は膝上までしかなく、胸元と裾部分はほぼレースだけで肌が透けて見える。

 前のわたしが生きていた世界でも、女性の夜着にこういうものがあったなと思い出した。

 どの世界でも男性はこういうのがお好きなのかしら。

 その上から厚手のローブを着せられ、人気のない廊下をリタとユナに前後を挟まれて歩いて行く。

 そして三階へ上がり、初めて、ライリーの寝室に足を踏み入れた。

 あまり装飾のない部屋だが、それがライリーらしいと思った。シンプルだが地味という意味ではない。



「それでは失礼します」

「おやすみなさいませ、奥様」



 リタとユナがそう言い、わたしからサッとローブを取り払って去っていった。

 ……抵抗する間もなかったわ。

 ベッドサイドにのみ明かりのつけられた部屋は薄暗く、とりあえず明るいベッドに歩み寄る。

 近くのテーブルにはワインとグラスが二つ。

 ……いつもここでライリーは寝てるのよね。

 そっとベッドに座り、シーツを撫でてみる。

 そして今日からはここでわたしも眠る……。

 試しにちょっとだけ横になってみると、洗いたてのシーツの石鹸とお日様の匂いがする。



「……エディス?」



 突然聞こえた声にバッと起き上がる。

 すると、予想以上に近い位置にライリーがいて驚いてしまった。



「あ、えっと、その……」



 金色の瞳がジッと見下ろしてくる。

 その視線が焼けるように熱い気がして、落ち着かなくなる。

 今、わたし、物凄く薄着なのに……。

 急に夜着が心許なく感じて胸元でギュッと手を握って俯いていると、隣にライリーが腰を下ろした。

 頬に手が添えられて顔を上げれば、ライリーの顔が近付いてきて触れるだけの口付けがされる。

 パチリと光が弾けて人の姿にライリーは戻った。



「今日はお疲れ様。招待客も皆、満足そうだった。君がきちんと対応してくれたおかげだ」



 すりすりと頬に添えられた手の親指がわたしの目元を労わるように優しく撫でる。



「それは、だって当然のことだわ。わたしはもうライリーの妻だもの。その務めを果たしただけよ」



 少しくすぐったくて身を捩ると、こつんと額が合わせられる。

 間近にある蕩けそうな金色の瞳がわたしの瞳を覗き込むように見て、嬉しそうに笑う。



「そうだな、君は今日から俺の妻だ」



 笑っているのにその目は真剣で。

 その金色の瞳には熱がこもっている。

 触れたら火傷してしまいそうなほど熱を孕んだ瞳が、愛おしそうにわたしを見つめてくる。



「名実共に、妻にしてもいいか?」



 そんなに熱い視線を向けてくるのに、ライリーはわたしに最後の選択を委ねてくれた。

 それともこれは乞うているのだろうか。

 いいえ、どちらでもいいわ。

 わたしを求めてくれているのだから。

 ライリーの首に腕を伸ばす。



「……ええ、でも、優しくしてね」



 そして言い終わらないうちに口付けられる。

 噛みつかれるようなそれに頭の片隅で、優しくって言ったのにともう一人のわたしが苦笑する。

 だけど全然嫌じゃなくて。

 深くなる口付けをわたしは受け入れた。






* * * * *






 ……誰かが髪を撫でている感覚がする。

 ああ、この大きくて温かな手はライリーね。

 心地好くて、目を閉じたままその手に擦り寄れば、唸るように小さな笑い声がした。

 それにつられて重たい瞼を開ければ、人の姿のライリーが片肘をついて少し上半身を起こした状態でわたしを見つめている。

 近付いてきた顔に自然と瞼が閉じる。

 深めの口付けをしたライリーが顔を離すと目尻を下げて微笑んだ。



「おはよう、エディス」



 甘さを含んだ声にわたしも返す。



「おはよう、ライリー」



 でもわたしの声は大分掠れていた。

 ライリーはそれを聞くと起き上がり、ベッドサイドのテーブルからグラスと水差しを取ると、中身をグラスに注いで渡してくれた。

 それを受け取って半分ほど一気に飲んだ。

 視線をカーテンに向けてみると、薄っすらと隙間から朝日が差し込んでいるのが分かった。



「起きるにはまだ早い」



 わたしがそれ以上飲まないと分かるとグラスをサイドテーブルに避けてくれた。

 抱き寄せられると、お互い何も身につけていないため、素肌が重なり、昨夜の記憶が思い起こされる。

 ……恥ずかしい……。

 顔が赤くなっている自覚がある。

 恥ずかしくてライリーの胸に顔を寄せて隠そうとしたけれど、スルリと大きな手が耳を辿った。



「真っ赤だな。……可愛い」



 それは昨夜散々言われた言葉だった。

 今まで綺麗だとか美しいだとかという言葉はかけられたけれど、可愛いと言われたのは昨夜が初めてで、その言葉を口に出されると心臓がドキドキと早鐘を打つ。

 俯くわたしの頭や耳にライリーが何度も口付けを落としてくる。

 出会った当初は凄く照れ屋で奥手だったのに。

 嬉しいやら恥ずかしいやら、何だか悔しいような気さえしてきて、だけどそれ以上に心が満たされている。



「……幸せだな」

「……幸せね」



 お互いの声が重なった。

 驚いて顔を上げると、ライリーも驚いた様子で目を丸くしてわたしを見下ろした。

 そして二人揃って吹き出した。

 わたし達、本当に似た者同士ね。

 ライリーがわたしの額に、目元に、鼻先に、頬に、順繰りに口付けていく。

 シーツの中に埋もれていた左手を取られてその甲と薬指にも丁寧に口付けられた。

 まるで何かの儀式のようだった。

 だからわたしも重い体を動かして少しだけ起き上がり、同様に口付けを返す。

 額に、目元に、鼻先に、頬に、それから左手の甲と薬指に。

 ギュッと感極まった風に抱き寄せられる。



「エディス、愛してる。君だけをずっと愛したい」



 僅かに言葉尻が掠れていた。

 わたしはライリーの背中に腕を回した。



「愛してるわ、ライリー。わたしもずっとあなただけを愛したい。……いい?」

「ああ、もちろんだ」

「ねえ、獅子の姿になって?」



 唇に触れるだけの口付けが落ちる。

 パチ、と光が弾けて獅子の姿になった。

 その獅子の額に、目元に、鼻先に、頬に、左手の甲に、薬指にもう一度口付けた。

 そして最後に思いっきり抱き着く。



「どちらのライリーも愛しい旦那様よ」



 グルル、と唸り声がしたかと思うと、ベッドに縫い付けられる。

 上に覆いかぶさったライリーが感情を抑えた平坦な声で唸るように言った。



「今そう呼ぶのは卑怯だぞ。君の体のことを考えて我慢しているのに……」



 あら、ライリーだって昨夜のことを思い出させるようにわたしに可愛いと言ったじゃない。

 首に腕を回して引き寄せる。



「夫婦なんだから我慢はなしよ」



 触れるだけの口付けをして、ライリーを人の姿に戻すとそのまま深く口付けられる。

 ……本当に我慢していたのね。

 余裕のないその勢いがとっても嬉しい。

 結婚したら、朝起きた時に獅子の姿のライリーの毛並みを整えるのが夢だったけれど、しばらくは無理そうね。

 それはそれで楽しみがあっていいかもしれない。

 大きな手の熱さを感じながら、離れかけた唇に、今度はわたしの方から噛みついた。






* * * * *




 
「お声が全然かからないですね〜」



 使用人の控え室に待機しながらユナが言った。

 昨夜、リタもユナも他のメイドと交代でパーティーの食事を堪能した。

 ただ仕事柄、酒は飲んでいない。

 それから仮眠を取りつつ、寝室からやや離れた控え室で一夜を過ごした。

 外はもうかなり明るくなっているものの、昨日無事に結婚式を挙げて夫婦となった主人達は部屋から出てくる気配がない。



「今まで旦那様はかなり我慢されておりましたから、奥様も大変でしょうね〜」



 結婚する前より二人は同じ屋根の下で暮らしていた。

 しかし、この屋敷の主人であるライリーは貴族のしきたりに則って、結婚するまでエディスの純潔を守っていた。

 それを使用人なら誰でも知っている。

 だからこそ全く部屋から出てくる気配のない主人達に「まあ、そうだろうなあ」と納得こそすれ、不満は特に感じなかった。

 むしろ、やっと夫婦になれて良かったという祝福の気持ちの方が強い。



「ユナ、あまり下品な話はおやめなさい」

「はあい」



 先輩であるリタの注意にユナは返事をする。

 そして何やら手元にある本に熱心に書き物をし始めたので、リタは「おや?」と思った。



「何を書いているの?」



 リタの問いにユナがニコッと笑う。



「日記です。昨日の分が書けてなかったから、今のうちに書こうと思って! 忘れないように昨日の感動をちゃんと書いておかないと!」

「そう。……その日記、外に出してはいけませんよ?」



 使用人は仕えている主人達家族のことを外に漏らしてはいけない。

 日記にそれを書いているのだとしたら、その日記が誰かの手にもし渡ってしまえばウィンターズ騎士爵家の内情が筒抜けになってしまう。

 ……まあ、ユナの様子を見る限り筒抜けになるのは旦那様と奥様の仲睦まじさだろう。

 ユナもさすがに理解しているのか頷いた。



「はい、絶対に出しません!」



 その明るい返事にリタは少しだけ心配になった。

 侍女としての仕事は出来るユナだが、少々抜けている部分もあるが玉に瑕なのだ。

 だが主人であるライリーもエディスも、そういうところも含めてユナを気に入っているらしい。

 忠誠心だけは人一倍あるので多分大丈夫だろう。



「それにしても本当に良かったです。旦那様と奥様が御結婚されて。奥様がお屋敷に引き取られた時に『旦那様はこの方と結婚されるんだ』とは思ってましたけど、無事に夫婦になられてホッとしました」



 日記を書きながらユナがしみじみと呟く。

 それにはリタも思わず頷いた。



「そうね。結婚するまではあくまで婚約者という立場であって、それが解消されたり破棄されたりすることも珍しくないもの」

「奥様も一度婚約を破棄されていますもんね」

「こら、そういうことは軽々しく口にしてはいけませんよ」

「はあい、ごめんなさい」



 また注意をされてユナはちょっと首を竦めた。

 でもユナは嬉しかった。

 出会った当初は使用人の自分よりも瘦せすぎで、貴族の御令嬢とは思えないボロボロの古着を身に纏ったいくつか年下のエディスは、ユナから見ても哀れであった。

 そんなエディスを助けたライリーが自分の仕える主人であることが誇らしかったし、主人の婚約者という大事な存在の侍女に選ばれたことも誇らしかった。

 けれども仕えていくうちにユナはエディスを主人として、人として好きになったし、まだまだ世間知らずなところのあるエディスを年下の友人のような、妹のような存在にも感じていた。

 だからライリーとエディスが着々と仲を深め、互いに愛し合っていく姿を見るのは気恥ずかしい以上に嬉しかった。

 昨日の結婚式ではちょっと泣いてしまったほどだ。



「早くお二人の子供が見たいです」



 きっと可愛いだろうなあとユナは想像する。

 ライリーに似た格好良い男の子でも、エディスに似た儚げな可愛い女の子でも、両方でも良い。

 幸せな二人に素敵な家族が舞い降りてきますようにとユナは願った。

 その呟きに「この様子なら、そう遠くないうちに会えるでしょうね」とリタも僅かに目尻を下げた。

 リタもユナも顔を見合わせると、自分達の仕える主人達のこれからの幸せを願って小さく笑う。

 そこでタイミングを図ったかのように、チリンチリンと主人達が使用人を呼ぶベルの音が涼やかに響き渡るのだった。
















 寝取られ令嬢は英雄を愛でることにした 続々編(完)
 

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