寝取られ令嬢は英雄を愛でることにした
結婚式(1)
結婚式の当日。
前日に宣言されていた通り、わたしはいつもより早く起こされた。
そうしてまだ寝惚け眼の状態で朝食だという果物を食べ、朝から浴室に入れられた。
入浴し、昨夜と同様に香油を塗られて全身をマッサージされ、これでもかというほど髪を梳られる。
入浴だけで三時間以上もかかった。
それから部屋に戻るとドレスを着せられる。
髪を整え、いつも通り薄く化粧を施すと、外出用に帽子や手袋もつける。
そして玄関ホールへ向かうと、先に準備を終えていたライリーが待っていた。
「おはようございます、ライリー」
「ああ、おはよう」
互いに抱き寄せ、口付けを交わす。
すると光が弾けてライリーの姿が人から獅子のものへと変化する。
今日一日は獅子の姿で過ごすそうだ。
今日だけはオーウェルもライリーについて行くとのことで、馬車を二つ用意し、一つにライリーとわたし、リタとオーウェルが乗り、もう一つの馬車にユナと護衛達が乗り込んだ。
教会へ行く途中の道すがら、ウィンターズ騎士爵家の紋章の入った馬車を見かけた人から「おめでとう!」と手を振られることもあった。
それに笑顔で手を振り返しつつ、教会へ向かう。
教会に着くとわたしとライリーは別々の控え室に通された。
そこでリタやユナ、先に来て待機していたお母様やお針子達の手を借りてドレスに着替える。
せっかく着てきたドレスは早々に脱がされた。
コルセットから締め直すのだけれど、もう無理だというくらいぎっちり腰を絞られて、朝食が軽いもので良かったと内心で安堵した。
次にスカートを穿き、ドレープが美しく見えるようにお針子達が丁寧に整える。
それから上着を着る。引きずるほどに長い裾はその端までフリルや刺繍によって華やかで美しい。
合間に昼食の時間になったため、片手で摘めるお菓子や軽食を僅かに摂る。
手の汚れを拭いた後に手袋をはめて、椅子に腰掛けた状態で靴を履かせてもらう。
髪は一度梳り、その後で複雑に結い上げられた。
結婚後は貴族の女性は髪を纏め上げるものとなる。
そして今日だけはしっかりと化粧を施してもらう。
ユナが持ってきた姿見の中には婚礼衣装を身に纏った美しい女性がいた。
プラチナブロンドは絹のように艶めき、雪のように白い肌は傷一つなく、菫色の瞳は髪と同色の睫毛に縁取られて煌めいている。
白いドレスには同色の光沢のある糸で緻密な刺繍が施されており、少し身動ぐだけでも華やかな柄を浮かび上がらせてくれる。首回りはほぼレースのみで、胸元から腰まであるフリルとリボンは腰を細く見せ、足元へ下りるほど淡い菫色になるスカートは白単色の眩しさを和らげている。肩口にレースが重ねられ、剥き出しの腕の露出を減らし、長いレースの手袋によって貞淑さを表す。
その場にいた全員がほうと感嘆の息を吐く。
「ああ、綺麗よエディスさん」
「ええ、本当に」
「月の女神様が嫉妬しそうなくらいお綺麗です!」
お母様の言葉にリタもユナも頷いた。
急に照れ臭くなってわたしは微笑んだ。
「わたしが綺麗になれたのは、みんなのおかげだわ。今日まで頑張ってくれてありがとう」
「っ、エディス様ぁ……」
ユナが泣きそうな顔をして、リタに「泣くのはまだ早いですよ」と言われていた。
それを見ていたら緊張も解ける。
重たいドレスも、注目されるのも、実はちょっと苦手なのだけれど、ライリーとの結婚式だと思うと耐えられる。
……ああ、やっと夫婦になるんだわ。
今更になって実感が湧いてくる。
お母様が近寄ってきてわたしの手を取った。
「あなたはこれからエディス=ウィンターズ騎士爵夫人となります。でもね、結婚してもあなたはベントリー伯爵家の者で、私と夫の可愛い娘よ。いつでも実家に帰ってらっしゃいな。……旦那様と喧嘩した時もね」
最後だけは声を落としてお母様は言った。
驚いて見れば、パチリとウィンクされる。
「おめでとう、エディスさん」
「お母様……っ、ありがとう!」
ギュッと抱き付けば「あらあら」と言いながら抱き締め返してくれる。
親子になって時間はまだ短いけれど、わたしにとっては実の両親よりも、ベントリー伯爵家のお父様とお母様はずっと大好きな両親である。
皺になるからと体が離される。
「良い? お式で泣いてはダメよ? ウィンターズ様に、招待客の皆様に、綺麗なあなたを見せて差し上げなさい」
お母様の言葉に頷き返す。
「はい」
「幸せになるのよ?」
「はい……っ」
もう既に出そうな涙を何とか堪える。
お母様が苦笑しながらわたしにヴェールを被せた。
そして教会の者が控え室に訪れた。
どうやら招待客が全員集まったそうだ。
時刻は午後の一時を少し過ぎた頃になっていた。
お母様が差し出した手に、自分のそれを重ねる。
リタがドレスの裾を持ち、ユナが扉を開けた。
控え室から礼拝堂までの長くない廊下をゆっくりと歩いて行く。
重たいドレスと手に持ったブーケが本番であることを実感させる。
そして廊下の先、礼拝堂の扉の前に立つライリーを見つけて、ドキリと胸が高鳴った。
近衛騎士の制服によく似た真っ白な婚礼衣装は同色の刺繍糸で繊細な刺繍が施され、私のドレスと同じく、身動ぐと華やかに光を反射させる。肩にかかった深紅のマントは金糸の垂れ房が連なり、腰のベルトには装飾性の高い細身の剣が帯剣されている。
獅子の黄金色の毛並みも今までで一番輝いている。
触らなくとも、そのモフモフサラサラの毛並みが分かる。結婚式がなければ即座に抱き着きたいくらい美しい。
側に行き、ぼうっと見上げれば、向こうも同様にぼうっとこちらを見つめている。
束の間、互いに見惚れてしまった。
ゴホン、と咳をする音に我へ返った。
ライリーのお父上が出したものだった。
「ベントリー伯爵令嬢。……いや、エディスさん、うちの息子をどうかよろしく頼む」
お父上の言葉にしっかりと頷き返す。
「はい、大事にいたします」
そう言えばおかしそうにお父上は笑った。
そしてお母様がライリーに言う。
「どうか、エディスさんと幸せになってくださいね」
それにライリーが頷いた。
「はい、必ず幸せになります」
お母様がそれに嬉しそうに微笑んだ。
そしてライリーの差し出した左腕に、わたしはお母様から手を離し、そっと自分の手を添える。
扉の両脇にいる聖騎士に目線で問われて二人で頷き返した。
扉が両側に大きく開かれる。
「新郎新婦のご入場です」
その声に合わせるように音楽が鳴り響く。
入り口に二人で立ち、一度立ち止まる。
そして右足から一歩。立ち止まり、左足から一歩。と、ゆっくりと祭壇までの道のりを進んでいく。
視界の両側には大勢の貴族達が座っている。
殆どは見知らぬ人々だった。
だが進んでいくと最前列に王族の方々が座っており、その後ろにベントリー伯爵家やウィンターズ男爵家の人々が座っていた。
あら、フローレンス様はショーン様の横に座っていらっしゃる。
見知った人々を見つけるとホッとする。
祭壇の下の階段まで進み、一歩一歩慎重に段を上がり、ようやく祭壇の前へ着いた。
それまで響いていた音楽がピタリと止む。
祭壇の向こうには意外にも歳若い男性が立っていた。若いと言っても五十代か四十代後半ほどで、月光を透かしたような銀髪に真紅の瞳を持った人物に内心で驚いた。
その外見から、王族であることは明白だった。
王族であり、そして教会の聖下でもあるということか。
聖下は穏やかに目尻を下げてわたし達を見た。
「空は曇りなく、風もなく、小鳥達の囀りの美しく響くこの良き日に、二人の男女が共に人生を誓い合う」
聖下の朗々とした声が礼拝堂に響く。
手元の本を聖下が開いた。
「愛には偽りがあってはなりません。悪を忌み嫌い、善から離れてはなりません。互いに兄弟愛をもって心から愛し、競って尊敬し合なさい。熱心で怠らず、心を燃やし、主に仕え、希望をもって喜び、苦難を耐え忍び、弛まず祈りに励みなさい」
ステンドグラスから差し込む光を背に受け、聖句を語る聖下は厳かで、美しく、神聖なものに見えた。
布擦れの音一つしない礼拝堂に声は響く。
「聖なる人々の貧しさを自分のものと考えて力を貸し、手厚く人をもてなしなさい。あなたがたを迫害する者の上に祝福を願いなさい。祝福を願うのであって、呪いを求めてはなりません。喜ぶ者とともに喜び、泣く者とともに泣きなさい。互いに思いを一つにし、高ぶらず、身分の低い人々の仲間となりなさい。自分は賢い者だとうぬぼれてはなりません。誰に対しても悪に悪を返さず、すべての人の前で善いことを行うよう心がけなさい。できることなら、あなた方の力の及ぶかぎり、すべての人と平和に暮らしなさい」
そして本から顔を上げた聖下がわたし達を見る。
「ライリー=ウィンターズ。あなたは多くの魔獣を討ち、多くの人々を助けました。そして、それは多くの命を奪ったということでもあります。それを忘れてはなりません」
「はい」
ライリーは聖下の言葉に神妙に頷いた。
「エディス=ベントリー。あなたは多くの人々より慈悲を与えられました。そして、今度はあなたが多くの人々へ慈悲を与えなさい。それを忘れてはなりません」
「はい」
わたしも神妙に頷く。
ふっと聖下の顔に笑みが浮かんだ。
それはまるで子の成長を喜ぶ親のような表情だった。
「新郎ライリー=ウィンターズよ、あなたはエディス=ベントリーを妻とし、健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、妻を愛し、敬い、慰め合い、共に助け合い、その命ある限り真心を尽くすことを誓いますか?」
その問いかけにライリーが口を開いた。
「はい、私の妻は生涯彼女だけだと誓います」
その言葉にハッと息を呑んだ。
ライリーの方を見たいけれど、今は聖下から顔を背けてはいけないので、目だけでチラとライリーを見る。
けれどライリーも正面を向いているため、表情を窺うことは出来ない。
聖下が一瞬、面白そうに目を細めた。
「新婦エディス=ベントリーよ、あなたはライリー=ウィンターズを夫とし、健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、夫を愛し、敬い、慰め合い、共に助け合い、その命ある限り真心を尽くすことを誓いますか?」
震えそうになる唇を一瞬抑え、頷いた。
「はい。生涯彼だけを愛し、夫とすることを誓います」
それは婚姻届に書いた内容だった。
ライリー=ウィンターズは側室や愛人を持たず、妻をエディスだけとし、離婚も再婚もしない。
陛下が承認を下す書類にライリーはそう記した。
そうして、今も大勢の前で宣言してくれた。
滲みそうになる視界を何度も瞬きをして、何とか涙をやり過ごす。
聖下が満面の笑みで頷いた。
「皆様、この二人の誓いに異議はございますか?」
誰一人として声を上げる者はいなかった。
「それでは二人の誓いは今ここに宣言されました。教会の代表として、私ディアート・カリム=マスグレイヴとお集まりいただいた皆様がこの誓いの証人となりましょう」
本を閉じた聖下に教会の者が近付いた。
その手には箱が恭しく持たれている。
それを受け取った聖下が祈りの言葉を口にし、箱にかけられていた布を取り払った。
そして差し出された箱には一対の指輪が納められていた。
黄色と紫色に分かれた、でも二色で一つという、不思議な色合いの宝石が二つあった。四角いその宝石は金と銀の植物に覆われ、華やかで美しい。
その指輪の片方をライリーが手に取り、わたしの左腕をそっと持ち上げると左手の薬指にその指輪を優しくはめた。
ライリーとわたしの瞳の色だわ。
金と銀の植物は、二人の髪色を真似たものか。
わたしも震えそうになりながら、指輪を取り、差し出されたライリーの左手の薬指に指輪をはめた。
獅子の毛並みに覆われた太い指で指輪が輝く。
「この二人の未来に、結婚に祝福を」
正面に向き直り、礼を取ったわたし達の額に、聖下の指先がそっと触れていった。
それから互いにまた向き合う。
ライリーがヴェールをそっと捲り上げる。
そして額に獅子の鼻のちょっと冷たい感触とモフモフな口元の毛の感触がふにっと触れる。
少しくすぐったくて、気持ちよくて、でもどうしようもなく嬉しさがこみ上げてくる。
離れたライリーの頬に右手を伸ばす。
そして屈んでくれたライリーの額に、わたしも口付けを一つする。
毛並みはやっぱりモフモフでサラサラで大変心地好いものだった。
「ここに二人の婚姻は成った。どうか若き二人に祝福の拍手をお送りください」
聖下の言葉にわっと拍手が礼拝堂に響き渡る。
それにライリーと二人で礼を取る。
顔を上げる際に目が合い、わたしはライリーに満面の笑みを受けた。
するとライリーが小さくグルルと唸り、わたしを素早く横向きに抱き上げた。
「え、ちょっと、ライリー?!」
しかし機嫌の良さそうな唸りと、女性の招待客からの羨ましげな黄色い悲鳴が拍手に混ざる。
「やっと君を手に入れた」
わたしを抱き上げたまま歩き出すライリーに、わたしは怒ることも出来ず、結局は笑ってしまった。
「わたしを離さないでね」
「ああ、もちろんだ。一生離さない」
そうしてライリーはわたしを抱き上げたまま礼拝堂を進んだ。
嬉しくて嬉しくて、耐え切れなかった涙が零れ落ちると、ライリーが目元に口付けてくる。
モフモフが何度も顔に触れる。
お返しに頬に口付ければ、それを囃し立てるように拍手が大きくなった。
それを全身に受けながら礼拝堂を出る。
わたしは今日、エディス=ウィンターズになった。
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