寝取られ令嬢は英雄を愛でることにした

早瀬黒絵

結婚式準備(1)

 




 帰国してから三日目。

 その日はお屋敷にお母様とデザイナー、そしてお針子達が数名が訪れた。

 式に着るためのドレスの調整のためだ。

 昼食後にやって来たお母様達はわたしが応接室に入ると挨拶を交わしドレスを出して飾ってみせてくれた。

 応接室は広めとは言えど、わたしとお母様、リタやユナ、デザイナー、お針子が数名に豪奢なドレスが飾られると部屋は狭くなった。

 それでも飾られたドレスを見て、お母様もわたしも思わず感嘆の溜め息を漏らしてしまう。

 ドレスはデコルテが大きく開いたものであったが、そのデコルテ部分は真っ白な絹糸で編まれた繊細なレースで覆われているため、肌はあまり透けないように工夫されている。

 上着は白く、裾へいくほどに僅かに淡い紫色になっており、袖は手首まである。胸元から腰の辺りまで光沢のあるリボンが連なり、腰の細さを強調するためか更にフリルが胸元から後ろへ伸びる裾の縁を飾っていた。

 そんな上着は白い布に光沢のある糸で緻密な刺繍が施され、ふんわりと大きく広がるスカートは光沢があり、そこにやはり白い大粒の真珠がいくつも縫い付けられて光が当たる度にキラキラと輝く。

 用意された白い靴は淡い紫色の糸で上着と同様の刺繍が施されていて、人々からはほぼ見えないだろう足元も華やかに彩ってくれるに違いない。

 デコルテ部分と同じ繊細なレースのヴェール。

 一メートルはあろうかという引き裾。

 手袋ですら一目で高級と分かる布地を使用している。

 一生に一度だけの特別なドレスだった。



「本当に、これをわたしが着るの……?」



 あまりの美しさに見惚れてしまう。

 お母様が嬉しそうに頷いた。



「ええ、そうよ。エディスさんのために皆さんが寝る間も惜しんで縫ってくれたの。それにこの真珠、実は陛下が手配してくださったのよ」

「えっ? 陛下が?!」

「英雄と婚約者のお式に相応しいドレスにするためだって。でもきっと結婚のお祝いね」



 それは嬉しいような恐れ多いような……。

 とにかく衣装合わせが終わったら急いで国王陛下へお手紙を書かなければ。

 ライリーにもこのことを話さないと。

 もしライリーが知っていたら、感謝の手紙を書こうと言ってくれただろうから、恐らく知らないでしょう。



「さあ、エディスさん。着て見せてちょうだい」



 わくわくした様子でお母様が言う。

 既に応接室の一角、ドレスの周囲に目隠しの布がかけられ、着替える準備は出来ている。

 お母様とお針子に促されてそこへ入れば、あれよあれよという間に着ていたドレスは脱がされてしまった。

 そうして下着姿のわたしに今度はお針子達やリタ、ユナが数人がかりで美しいドレスを着せていく。

 コルセットは思い切り絞られたし、ドレスは全て身に纏うと少々ずっしりと重く感じる。

 それでもリタやユナが何度も頷くので多分似合っているのだろう。

 布が取り払われると、待っていたお母様が目を輝かせて近付いて来た。



「あらあら、まあまあ! なんて綺麗なの! まるで妖精のお姫様のようだわ!!」



 どこか涙ぐんだ様子でわたしを見つめるお母様に、わたしも思わずじんわりと涙が滲みそうになった。

 こんなに喜んでもらえるなら着て良かった。

 お針子達は様子を見ながらあちこち縫ったり確かめたりするので動けないが、お母様は自身のハンカチで目元を拭う。



「もっと色味のあるドレスの方が良いのではと思ったけれど、白いドレスも素敵ね。それにライリー様の選んだデザインがエディスさんによく似合っているわ」



 さすが婚約者ね、とお母様は笑った。

 大きな姿見で自分の姿を確認する。

 長く艶のあるプラチナブロンドが白いドレスに流れて、それがまるでドレスの一部のように見えた。

 ドレスの裾が淡い紫色で、それが菫色の瞳とよく合っている。

 リタやユナのおかげでツルツルつやつやの白い肌がドレスと相まって確かに人ならざる者のように感じられた。

 見慣れた自分のはずなのに、着るものが違うだけでこうも印象が変わるのね。

 少し気にしていた長身もこのドレスだとふんわりとスカートが綺麗に広がって、腰を細く見せ、とても華奢に見える。

 儚げだとよく言われる顔立ちは白いドレスのせいか余計に儚く、けれどとても美しく見える。

 このドレスを着て、婚礼の衣装に身を包んだライリーの横に立ったらどれほど幸せだろう。

 想像するだけで胸が喜びに震えてしまう。



「裾持ちは誰が行うの?」

「私です」

「それなら、こことここをこうして持って……。そう、そうすると裾の刺繍が一番綺麗に見えるの」

「分かりました」



 お針子とリタが話している。

 そう、裾はリタが持ってくれるのね。

 本来は親族やずっと勉学を教えてくれた女家庭教師などにやってもらうのだけれど、わたしには生憎と頼める相手がいなかった。

 アーヴはやりたがったみたいだが、基本的に結婚式の裾持ちは女性が行うため、残念ながら出来なかったらしい。

 わたしとしてはリタでもアーヴでもいい。

 どちらもわたしにとっては大切な家族だもの。



「早くライリー様にもお見せしたいわ」



 式の当日まで婚約者の花嫁衣装を夫となる男性は見てはならない。

 だからこの姿を見せるのは少し先の話である。



「そうね、きっととても喜ばれるでしょう」



 お母様と顔を見合わせ、笑いが弾ける。

 ああ、わたしもライリー様の婚礼衣装を着た姿を見てみたいわ。

 夫となる男性がそうであるように、妻となる女性も結婚式当日までは相手の婚礼衣装を見ることは叶わない。

 ……でもそれでいいのかもしれない。

 お式の前に見てしまったら、特別な衣装の意味がない。

 そして、着飾った互いを見て、夫婦は更にお互いを愛しく感じるのだろう。

 ああ、早くお式の日にならないかしら。







* * * * *








 同時刻、同じ屋敷の中。

 エディスが使っている応接室とは違う、離れた位置にある別の応接室にて、ライリーも婚礼衣装の合わせを行なっていた。

 基本的に男性の婚礼衣装と言っても普段より少し豪華というくらいで、型はほぼ同じである。

 そして本来であれば相手の色か黒を身に纏うのだが、今ライリーが着ているのは白だった。

 それに服も、明らかに騎士服を模したことが分かる形であった。

 ライリーがエディスのドレスを選んだように、エディスがライリーに選んだのは、騎士服によく似たこれだ。

 白地に、裾や袖、襟元などに金糸で華やかな刺繍が施され、マントは真紅。着慣れた近衛騎士の制服とそっくりだ。

 鏡に映るライリーは現在、獅子の姿だ。

 エディスは言った。



「ライリーにとって、騎士という立場はとても大事なものでしょう? 呪いを受け、それでも続けられたお仕事であり、ライリーの努力が認められた素晴らしいお仕事でもありますわ。それにお式でも騎士のような格好でいることで、出席される方々にも、国内外へも、あなたが国に忠誠を誓った騎士であることを忘れていないと表すことが出来るでしょう」



 でも、と呟いたエディスは頬を染めていた。



「近衛騎士の制服を着ているライリーが本当は一番輝いて見えるの。だけど婚礼衣装まで制服をそのまま着るのも良くありませんから、うんと素敵な衣装にしていただきますわ」



 そうしてデザイナーをあれこれと話し合っていた。

 今日届けられた婚礼衣装を着て驚いた。

 近衛騎士の制服に似ているが、それよりも随分と華やかで、けれど動きづらさがない。

 それに腰のベルトも帯剣することを前提に作られており、服も体を動かしやすく、刺繍やフリルが多少多く感じるが下品な様子もない。

 着替えを済ませるとオーウェルが剣を差し出した。



「旦那様、こちらを」



 受け取り、ベルトに通せばすんなりと剣はそこに収まった。

 殆どこの状態で良いのではとも思ったが、どうやらデザイナーと針子達はそうは思っていないらしく、周りを忙しなく動いている。

 ライリーは極力彼女らを驚かせたり怖がらせたりしないよう、黙って静かに佇んでいた。

 姿見を改めて見る。

 新鮮味は少々薄いが、この衣装ならば、白いドレスのエディスの横に並ぶと丁度良いかもしれない。

 それにエディスが騎士というライリーの立場を重んじてくれているのは嬉しかった。

 呪いを受けた時、ライリーにはこれしかなかった。

 一時は騎士を辞めようかと悩んだ時期もあったものの、結局ライリーには騎士になる道しか残されていなかった。

 呪いすらも利用して騎士にしがみついた。

 自分では浅ましいと思っていたはずなのに、エディスはそれを「努力」と認めてくれた。

 ライリー=ウィンターズという一騎士の努力の結果だと言ってくれた。



「俺は獅子の呪いがあったから英雄と呼ばれているが、実際は他に道がなかっただけだ」




 素直にそう吐露したライリーをエディスは抱き締めてくれた。



「あなたにとって、例えそうだったとしても、呪いを受けた苦悩や悲しみから目を背けずにいたのでしょう? それってとても難しいことよ。それしか道がなくたって、逃げてしまう人だっているわ。でもライリーは呪いと向き合って頑張ったの」



 まるでライリーの欲しい言葉が分かっているかのように、エディスは言った。

 自分よりも細くて白い手が優しく背中に回され、もう片手がそっと頬に触れた時の感触を覚えている。

 とても大事なものに触れるようなその手付きが泣きたくなるほど嬉しかった。



「ライリー、死なないでいてくれてありがとう。騎士を諦めないでいてくれてありがとう。わたしを受け入れてくれて、ありがとう」



 雨のように降る言葉は心の傷を癒してくれる。

 エディスは出会った時からそうだった。

 ライリーをいつだって褒めて、肯定して、全身で好意を、愛情を示した。

 同じように呪いを受けて獅子の姿になっても良いと言ってくれた。

 固く閉じて臆病になっていたライリーの心に、干からびた土に水をやり続けてくれた。

 それは渇いた心に染み込み、固まった土を柔らかく解し、内にあった種は驚くほど早いスピードで芽吹いたのだ。



「あなたが好きよ。誰よりも愛してるわ」



 言葉で、態度で、エディスは伝えてくれる。

 ライリーにとってエディスの存在は奇跡だった。

 獅子の姿を恐れず、能力に怯えず、鋭い牙や爪にも臆さない。それどころか可愛いだなんて言う。獅子の毛並みが大好きで、自分からいつも押してくるくせに、押し返されると少し弱い。

 むしろエディスの方が可愛いと思う。

 思わず声も出さずに小さく笑ってしまった。

 近くにいた針子がギクリと体を強張らせたが、気付かないふりをする。

 やはりライリーを可愛いと称するのはエディスくらいのものだろう。

 だが、それでいい。

 エディスが分かってくれるなら十分だ。



「いかがでしょう? どこか動き難いところや、不快に感じられる点はございませんか?」



 デザイナーが問うてくる。

 それにライリーは頷き返した。



「いや、ない。とても着心地が良いし、デザインも華やかで婚礼衣装として申し分ないと思う」

「それは良うございました。では、こちらの衣装はこれで決定させていただきますね」

「ああ。よろしく頼む」



 早く式の日にならないものか。

 婚約者ではなく妻としてエディスが欲しい。

 彼女が側にいる確証が欲しい。

 誰にも渡したくない。



「早くエディスのウェディングドレスが見たい」



 ライリーの呟きを聞き取ったオーウェルは、好々爺然とした笑みを浮かべながら主人の着替えを手伝ったのだった。





* * * * *

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