寝取られ令嬢は英雄を愛でることにした
エリュシアナ
ミーシャ様のお茶会の翌日。
午後になると来客があった。
前日のうちに手紙が届いていたので驚くことはなく、わたしもライリーも落ち着いて彼らを迎えることが出来た。
ただ部屋にはわたし達だけではなく、ミーシャ様と侍女、そしてフォルト様やレイス様もいらっしゃる。
ミーシャ様はお茶会の主催側として。
フォルト様はわたし達側の代表として。
広めの部屋に、ミーシャ様、フォルト様、ライリーとわたしがいる。侍女とレイス様、リタは後ろに控える。
そんな中、訪れたグランデリー公爵夫妻は酷く申し訳なさそうな様子である。
当の本人の公爵令嬢も顔色が悪い。
「この度は、エルミーシャ王女殿下のお茶会にて娘が皆様に無礼な振る舞いをしたことを謝罪致します。……誠に申し訳ございません」
「殿下への態度だけでも許しがたいというのに、ベントリー伯爵令嬢にまで失礼なことを言い、大変不愉快な思いをさせてしまいました」
「全ては娘の教育が行き届かなかったことが原因です。我々グランデリー公爵家はどのような罰でも受け入れる所存でございます。国に責はありません! どうか、どうか御容赦を……!」
公爵と夫人はソファーから立ち上がると、床に膝をつき、頭を下げて謝罪の言葉を口にする。
わたしはその姿に驚きのあまりすぐに反応出来なかった。
公爵家の当主と王妹である女性が恥も外聞もかなぐり捨てて地に伏している。
そして夫人は令嬢の背中を押すと、自分達と同様に地面に膝をつけさせ、頭を下げさせた。
思わずライリーを見れば、驚いた顔をしていた。
しかしミーシャ様とフォルト様はあまり驚いた様子がなく、お二人は公爵令嬢へ目を向けていた。
顔色の悪かった公爵令嬢は両親の姿を目にして、夫人に地へ伏せさせられて、ショックに震えている。
「お父様、お母様……」
呆然と両親を呼ぶが、どちらも返事はない。
公爵も夫人も頭を下げたままだからだ。
「公爵や夫人のお気持ちは分かりましたわ」
ミーシャ様がそう声をかける。
「我々としてもあまり大事にしたくはありません。それに、当事者であるライリーもエディス嬢もこの件に関して確かに不快に感じたそうですが、だからと言って国交にヒビを入れるようなことはしたくないそうです」
フォルト様の言葉にライリーと共に頷く。
昨日、公爵令嬢が帰った後もミーシャ様は何度も謝罪の言葉を口にして、その後に手紙まで送ってくださった。
確かに公爵令嬢の振る舞いは不快だったけれど、ミーシャ様の言葉と公爵家からの深い謝罪の意が汲み取れる文面の手紙が届いたため、わたしはもう気にしていない。
でもだからと言ってなかったことには出来ない。
ぶるぶると震える公爵令嬢をミーシャ様がきつい眼差しで見据えた。
「グランデリー公爵令嬢、あなたもするべきことがあるのではなくて?」
それに公爵令嬢がビクリと肩を跳ねさせた。
御両親に色々と言われたのか、叱られたのか、昨日の高飛車な様子は全く見られない。
青ざめた表情でミーシャ様を見上げた。
助けを求めるような、縋るような、そんな視線にミーシャ様はサッと扇子で顔を隠す。
拒絶された公爵令嬢は愕然と目を見開き、そしてゆるゆると頭を下げていく。
「も、申し訳、ございません……」
蚊の鳴くような声だった。
ミーシャ様がパチリと扇子を閉じる。
「それは何に対しての謝罪?」
怒りを隠そうともしない声だ。
公爵令嬢は身を縮こませながら言う。
「お、王女殿下のお茶会を、乱し、英雄様の婚約者に対し、無礼な振る舞いをして、ふ、不快にさせてしまいました……」
「そうね、おかげでせっかくのお茶会も台無しだったわ! ……それにエディス様はわたしのお友達なのよ。お友達を悪く言われてとても嫌な気持ちになったわ」
自分でも態度が悪かったことは理解しているらしく、公爵令嬢は酷く落ち着かない風であった。
それに対してミーシャ様の表情が怒りから一転、泣きそうなものへと変わった。
それは年相応の表情だった。
「それなのにエディス様もウィンターズ様も『あなたは悪くありません』『だから謝らないでください』と言ってくれて、その時、わたしがどんな気持ちだったか分かる? 恥ずかしいし、申し訳ないし、二人の優しさが伝わってきて、言葉にならないくらい悲しかった」
あなたは王女にそんな思いをさせたの。
そうミーシャ様がおっしゃられて、公爵と夫人が顔をつらそうに歪めた。
そしていっそう深く頭を下げる。
「娘は今までも散々我が儘放題に過ごして参りました。全てはそれを正せなかった我々の責任です」
「ミーシャ様……。いえ、エルミーシャ王女殿下、そしてベントリー伯爵令嬢、ウィンターズ様、本当に申し訳ございません……!」
それを見た公爵令嬢の顔がくしゃりと歪んだ。
「……だって……」
公爵令嬢が顔を上げるとミーシャ様を睨んだ。
「わたくしだって同じだったわ! あなたが生まれてから、おじさまはあなたのことばかり可愛がって、わたくしのことなんて見向きもされなくなった! 周りからは『忘れられたのね』って馬鹿にされて、悔しくて、恥ずかしくて、悲しかった!!」
美しいハニーブロンドを乱して公爵令嬢が叫んだ。
きっと、それが本心なのだろう。
「だからってあんなことするべきじゃないわ!」
「分かってるわよ!!!」
言い返すミーシャ様の声を遮るように、令嬢は叫び続けた。
「でもおじさまから愛されなくなって、お父様もわたくしへあまり構ってくれなくなったし、お母様もわたくしよりも自分に似たあなたのことを可愛がってばかり!! 教師達もわたくしよりもあなたの教育係になりたいと辞退する!! みんな『エルミーシャ様』『エルミーシャ様』ってあなたのことしか言わないのよ?! 放置されたわたくしの気持ちがあなたに分かる?!」
そして公爵令嬢は隣にいる両親をギッと睨み付けた。その目は憎しみに染まっていた。
「何を……。私達はお前を愛してる」
「ええ、そうよ、あなたは私達の可愛い娘だわ」
「嘘はやめて!! どうせお父様もお母様も実の娘のわたくしよりも殿下の方がいいんでしょう!?」
公爵も夫人も呆然とした表情で娘を見ている。
長年溜まってきた鬱憤が爆発したのだ。
でも不思議と恐れや不快さはなかった。
その気持ちは昔のわたしも持っていたものだもの。
フィリスばかり可愛がられ、フィリスばかり甘やかされ、いつだって両親が口にする名前はフィリス、フィリス、フィリス。
昔のわたしもフィリスに嫉妬してた。
そして両親に愛されたいと願っていた。
今はもう、ライリーがいて、ベントリー伯爵家の人々がいて、お屋敷の人達がいて、友人だって沢山出来た。
でも公爵令嬢は多分、誰もいなかったのだ。
気付けば立ち上がっていた。
「寂しかったでしょう」
床に膝をついている公爵令嬢を抱き寄せる。
怒りや悲しみで震える体は小さく感じられた。
わたしよりもやや背が低く、触れた肩は薄く、わたしに触れられて驚いたように小さく跳ねた。
それでも構わずに抱き締めた。
「両親からの愛を感じられないのはつらいわ。だって、子供にとって親は神様みたいな存在だもの。愛されたい、もっと自分を見て欲しいと思うのは当たり前よ」
抱き寄せた体が震えている。
「わたしもそうだったわ。両親は妹ばかり可愛がってね、昔は、それを見るのがつらかった」
抱き寄せた背中をゆっくりと摩ると腕の中の令嬢の強張っていた体から少しずつ力が抜けるのが分かった。
「あなたもそうだったのね。王女殿下がお生まれになって、きっと誰もが喜ばれたことでしょう。王族の姫君に誰もが夢中になって。それがあなたには放置されたように感じられた。自分への愛情が薄れてしまった。そう、思ったのね」
きっとミーシャ様がお生まれになった時は盛大にお祝いが行われ、国中の貴族は祝いの言葉を口にし、生誕祭が開かれ、臣下達は誰もが出席しただろう。
それからはお生まれになったミーシャ様のことが貴族の間ではよく話題に上がったのだろう。
もしかしたら、それまでは公爵令嬢の話が社交界ではよくされていたのかもしれない。
王妹の娘ならば、社交界の中心とまではいかずとも、それなりに人々の輪の中で目立っていたはずだ。
きっと周りに人も沢山いただろう。
それが急になくなったとしたら?
周りの人々だけでなく、両親まで王女殿下のお祝いに気を取られてしまったとしたら?
特に母親は王の妹であり、甥である王太子を少なからず可愛がっていただろうし、その子供が自身の母親や自分に似ていたら更に可愛く感じるだろう。
公爵令嬢は色味こそ母親とそっくりだが、気の強そうな顔立ちは父親である公爵に似ている。
だからこそ、娘の自分よりも顔立ちの似たミーシャ様の方が母親は好きなのだと思ったのではないかしら。
父親が臣下として祝っていたとして、その当時、公爵令嬢はまだ幼かったはずだ。
子供心に両親の愛が別の方向にいってしまったと感じたのかもしれない。
抱き寄せた体はの震えは消え、肩の辺りにしっとりと濡れた感触が広がっていく。
「ご、ごめんなさい……っ」
呟くような声はずっと幼く感じられた。
「あんな、態度をとって、ごめんなさいっ。失礼なことを言って、ごめんなさい……!」
涙交じりの声に頷き返す。
「羨ましかったの……。わたくしには誰もいないのに、あなたには心から、愛し愛される人がいて。……わたくしも、そのように愛されたいって。英雄様の婚約者なら、きっと、またみんなの話題に戻れると思って……」
「そうでしたのね」
「ごめんなさい、ごめんなさい……」
抱き着いてくる令嬢の背を撫でる。
見れば、公爵夫妻は酷く驚いたような、それでいて後悔しているような表情で令嬢を見つめている。
ミーシャ様もこのような事態になるとは思っていなかったのだろう。驚きに目を丸くしていた。
「理由はどうあれ、公爵令嬢のしたことは変わりませんよ」
フォルト様の冷静な声が響く。
それに公爵令嬢が頷いた。
「……はい。わたくしは殿下やお二人に無礼な振る舞いを致しました。修道院へ入るか、領地へ戻ります。そしてもう二度と社交の場に出ないと誓います」
フォルト様が僅かに目を細めた。
「つまり表舞台から降りると?」
「ええ、社交界にいる限り、わたくしはまた同じ過ちを犯すでしょう。それならば、いっそ王都より離れた地で過ごした方がいいと思うのです。公爵家の令嬢が修道院か自領に戻るとなれば、それは罰になりませんでしょうか?」
泣いたせいでお化粧も崩れてしまっていたけれど、そう言って真っ直ぐにフォルト様を見る公爵令嬢は凛としていた。
あの高飛車な時よりもずっと美しい。
娘の言葉に公爵夫妻はハッと息を詰めた。
そしてフォルト様が頷き返す。
「そうですね、それが妥当でしょう。あなたはどちらに行くつもりですか?」
「出来れば修道院に。もう周りの人々を見て苦しみたくはありませんの」
「分かりました。……令嬢が修道院へ入ることで公爵家の責任は果たされたこととします」
令嬢は静かに微笑んだ。
貴族の令嬢が修道院へ入れられるというのは、かなり重い罰である。
ミーシャ様も、公爵夫妻も、小さく息を呑んだ。
「エリュシアナ……」
公爵が娘の名前を呼んだ。
しかし令嬢は微笑んだままだ。
「今まで迷惑ばかりかけてごめんなさい。……修道院で心安らかに過ごすわ」
どこか悲しげな笑みだったが、強い意思を感じられるそれに公爵は肩を落とした。
夫人も涙の滲む目で娘を見たけれど、結局、かける言葉が見つからなかったらしい。
「エルミーシャ王女殿下、ベントリー伯爵令嬢、ウィンターズ様。本当に申し訳ございませんでした」
公爵令嬢はもう一度頭を下げた。
そして頭を上げるとわたしを見る。
「わたくしが言えた義理ではありませんが、どうかお幸せに」
そう言った令嬢は晴れ晴れとした表情を浮かべていた。
令嬢が修道院へ行くことで公爵家にこれ以上の責は問わないことが決定し、公爵と夫人はふらふらと立ち上がったが、どことなく気力をなくしたようであった。
ミーシャ様も少しショックを受けているようだ。
でも公爵令嬢の件はミーシャ様には何の非もない。
……両親の愛を感じられず、それが苦しくて、悲しくて、公爵令嬢はどんな形でも良いから自分を見て欲しかったのね。
偶然そうならなかっただけで、もしかしたらわたしもそうなっていたかもしれない。
そう思うと無礼な振る舞いなんてどうでもよくなってしまった。
「あの、落ち着いたらお手紙を書いても良いでしょうか?」
そう声をかけると令嬢は驚き、そして明るい笑顔を見せた。
「わたくしはあなたに失礼なことばかりしたのに? ……変わった方ね」
でも待ってるわ、と言われて頷き返す。
そして顔を赤くして「ドレスを汚してしまってごめんなさい」と謝られた。
わたしはそれに大丈夫だと笑って言った。
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