寝取られ令嬢は英雄を愛でることにした
グランデリー公爵家
* * * * *
その夜、グランデリー公爵家に届いた手紙が波紋を生んでいた。
差出人はこの国の第一王女殿下である。
それを受け取ったのはグランデリー公爵だ。
当然、王族からの手紙なので届いてすぐさま目を通し、書かれていた内容を二度ほど読み返し、胃が痛くなった。
グランデリー公爵には子供が二人いる。
一人は嫡男のエリオット。
もう一人が長女のエリュシアナ。
二人は双子であったが、性格は正反対である。
生真面目で物静かなエリオットは大変手のかからない子であったが、逆にエリュシアナは奔放で、幼い頃ならば子供だからと許されたが、今は我が儘で問題をよく引き起こす女性に育ってしまった。
父として娘を大事にしてきたつもりだが、やはり陛下の愛情がエルミーシャ殿下に移ってしまったのが気に入らないのだろう。
エルミーシャ殿下が生まれて以降は我が儘な性格に拍車がかかり、何とかしようとあれこれ手を打ってみたものの、余計に酷くなった気がする。
妻ですら娘には手を焼いていた。
夜会で年若い異性に声をかけ、美しい見目の者ばかりを侍らせ、夜遊びも増えた。どうも仮面舞踏会に頻繁に出入りしているらしい。淑女としてはあるまじき行いだ。
それを叱った時は少しばかりバツの悪そうな顔をしたものの、反省した様子もなく、謹慎させてやっと仮面舞踏会への出入りはやめた。
しかし国内のエリュシアナの評判は地に堕ちた。
王妹の娘であり、公爵家の令嬢となれば、その血筋や立場を欲して本来なら国内の貴族から見合いを求められるはずだった。
だがあまりの奔放さと我が儘具合に見合いは全くなかった。
稀に子爵家や男爵家、豪商から来ることもあったが、公爵家に釣り合うとはとても言えない。
そのような家に嫁がせればどのような噂が立つか想像に難くない。
おまけにエリュシアナは装飾品が大好きだ。
結婚し、他家に嫁いでも、公爵家での暮らしと同じだけの質を求めるだろう。
見合いを求める家は、その家柄にしては裕福ではあるけれども、エリュシアナの望む生活は送れまい。
そうなればあのエリュシアナのことだ。
三日と経たずに離縁を言い出すだろう。
結局、今の今まで婚約者すらいない娘であった。
「……いや、今はそのようなことを考えている場合ではない」
公爵はベルを鳴らして使用人を呼ぶと、妻を連れて来てくれるよう頼んだ。
使用人はすぐに公爵夫人を連れて戻ってきた。
使用人に労いの言葉をかけてから下がらせる。
「それで、旦那様、どうかなさいましたの? またエリュシアナが何かしたのですか?」
亡き王妃に、そしてエルミーシャ殿下に似た妻が溜め息混じりに問うて来る。
現国王陛下の妹である妻は元王女であった。
このグランデリー公爵家に嫁いでくれて、共に陛下を、この国を、領地を支えている良き理解者であり、愛しい妻であり、素晴らしい女性でもある。
公爵は手紙を差し出した。
「これを読んでくれ」
「まあ、ミーシャ様からね?」
手紙を受け取った夫人は差出人に僅かに目元を和ませた。
そして封筒から便箋を取り出し、中身を読み始めると、その眦は段々とつり上がっていく。
手紙を持つ手が微かに震えている。
最後まで読み終えたのか顔を上げた。
「なんてこと! マスグレイヴ王国よりいらした英雄とその婚約者にこのような振る舞いをするなんて外交問題になりますわ!」
怒りと羞恥とでその顔が赤くなる。
公爵も肩を落とし、胃の辺りを撫でた。
「今から手紙を出して、お許しをいただけたら明日謝罪に伺うしかない」
「……ええ、そうね、あの子も連れて行きましょう。その前にエリュシアナを呼んでちょうだい」
「そうだな、今度こそ反省させなければ」
もう一度ベルを鳴らして使用人を呼ぶ。
そうして今度はエリュシアナを連れてくるように言うと、使用人と共に不機嫌そうな娘がやって来た。
しかし公爵と夫人の顔を目にすると、ギクリと小さく肩を跳ねさせた。
今まで何度も叱られているからか両親が怒っていることに関しては敏かった。
居心地が悪そうに視線を落とす。
「お父様、お母様、何でしょうか?」
夫人が眦をつり上げて問う。
「エリュシアナ、あなた、わたし達に話さなくてはならないことがあるのではなくって?」
「? 何のこと?」
けれどエリュシアナは小首を傾げた。
本当に分かっていない様子に公爵も眉を顰めた。
きちんと公爵令嬢に見合う教育はさせてきたはずなのに、何故分からないのか。
「今日、エルミーシャ殿下の宮に行っただろう。そこで国賓であるライリー=ウィンターズ殿とその婚約者であるエディス=ベントリー伯爵令嬢に非常に無礼な振る舞いをしたそうじゃないか」
公爵の言葉にエリュシアナが不愉快そうな顔をした。
「まさかあれくらいで手紙を寄越したの? お父様、あの場で恥ずかしい思いをさせられたのはわたくしの方ですわ」
「そうか。……この手紙を読む限り、非はお前にあるように私は思うのだが」
堂々とした娘に公爵は見せつけるように手紙を開き、読む仕草をする。
「お前は招待されてもいないのにお茶会に割って入り、椅子がないからとベントリー伯爵令嬢に席を譲るよう強要し、それを断られると今度は英雄の婚約者に相応しくないと貶めたそうだな」
エリュシアナは国が招いた客に、そして王女殿下が招待したお茶会で、その招待客に、席を譲れと言ったのだ。
しかも相手は英雄と名高いライリー=ウィンターズ殿がやっと見つけたという婚約者である。
あの威圧感のある獅子の姿を恐れないらしい。
ウィンターズ殿はどの国でも有名だ。
その身に受けた呪いもさることながら、その強さは、一人で騎士数百人に匹敵すると言われている。
実際、ウィンターズ殿はマスグレイヴ王国だけでなく、他国の魔獣討伐にも出向いているが、負けた話は聞いたことがない。
元より魔術に関しても他国より一歩秀でているマスグレイヴに、これほどの騎士がいるとなれば、周辺国は彼の国と不仲になるのを避けるのは当然である。
今回のこれは国交に影響が出かねない問題だった。
「まあ、とんでもない! わたくしはただお茶会に混ざりたくてお願いしただけですわ。だって公爵家の令嬢のわたくしが座るには、一番立場の低い者が席を譲るべきでしょう? それに英雄様の婚約者はそれに相応しい血筋や立場の者がなるべきだと申し上げさせていただいただけですわ」
だが、娘だけはそれが理解出来ていない。
エリュシアナは言ってみれば、この国の中では王族や公爵当主に次いで強い立場であった。
現国王の妹の子。直系に近い血筋。
そして公爵家という爵位。
妻がエリュシアナに近付き、その肩を掴んだ。
「あなたは何を言っているの? 冗談よね?」
エリュシアナが不思議そうに妻を見る。
「いいえ。だって、おかしいでしょう? 英雄様の婚約者がただの伯爵令嬢だなんて。わたくしの方が歳だって近いし、女性としての魅力もありますし、血筋や地位だって英雄様に相応しいとお母様も思いませんか?」
嬉しそうにそう話す娘に妻が後退る。
まるでありえないものでも見たかのようだ。
「いいえ、いいえ! ウィンターズ様は英雄と謳われていてもマスグレイヴ王国では騎士爵位を授かった一騎士に過ぎません。伯爵令嬢ならば地位が高過ぎも低過ぎもなく、最も丁度良いのよ。下手に公爵家などと、それも他国の家の者など娶ったら、ウィンターズ様のお立場が悪くなってしまうのよ?」
「そうだぞ。国の中枢に関わり、力のあるウィンターズ殿が他国の高位貴族の娘を娶りなどしたら、下手をすればウィンターズ殿が他国との繋がりがありと判断されて騎士としていられなくなってしまうかもしれないんだぞ?」
他国の高位貴族の娘を娶り、もしもその女性がウィンターズ殿を唆してマスグレイヴ王国の内情を漏らさせたり、裏切らせたりしたら?
それが明るみになった瞬間、マスグレイヴ王国とその国との戦争が始まってしまう。
そうでなかったとしても、ウィンターズ殿にあらぬ疑いをかけさせないためにも、彼はマスグレイヴ王国内で妻を見つけるのが一番良いのだ。
あちらの王家が認めている以上は婚約者であるベントリー伯爵令嬢は身辺調査をされ、その上で問題なしと判断されたはずだ。
それを他国の、しかも王族に近しい者が反対するなんて、内政干渉と取られる可能性もある。
「なあんだ、そうでしたの。騎士爵位ではわたくしに相応しくありませんわね」
それなのに当の本人はそのようなことを言う。
全く理解しようとしていないのが丸分かりである。
妻が恐ろしいものを見たかのごとく、エリュシアナを見て、そして一度きつく目を閉じると意を決した様子でこちらを見た。
「旦那様、このままでは我が家だけでなく、我が国にまでこの子は不利益を齎しますわ」
「ああ、そのようだ。……残念だが」
そしてエリュシアナを見る。
親の欲目を抜きにしても美しい娘だ。
何事もなければ、同じ公爵家か、侯爵家、もしかしたら王族の妻となることも出来たかもしれないのに。
それら全てを娘自身が潰したのだ。
その奔放さによって。
「エリュシアナ」
「はい、お父様」
こうしているだけならば公爵令嬢として申し分なく見えるというのに。
「お二人は国賓である。そして国賓とは、国交に関係の深い場合が多い」
「ええ、存じ上げております」
「その国賓に無礼な振る舞い……、国賓を不愉快にさせるようなことがあれば、それは国同士の問題に発展する。そしてその問題を起こした家は責任を取らねばならない」
硬い声音に何かを感じたのか、エリュシアナの顔が僅かに強張った。
そして慌てた様子で言い募ろうとする。
「ですから、今日の出来事はわたくしが……」
「今回は王女殿下が直々にお手紙をくださったのだ。先ほどからお前は自分は自分はと言っているが、お前は王女殿下よりも立場が高いのか? 公爵家の令嬢たるお前が、第一王女殿下よりも、偉いと思っているのか?」
「っ、い、いえ、そのようなことはありません!」
遮った公爵の冷たい声にエリュシアナは震えながら何とか返事をした。
ここで「そうだ」などと言ったならば、公爵は娘をそのまま修道院へ押し込もうと思っていた。
矯正の余地なしと判断しただろう。
だがさすがに王族より己が上だなどとは思っていないらしい。
散々公爵令嬢であることを口にしていたのだから、地位に関して分からないはずもない。
「我がグランデリー公爵家が国賓に無礼を働いたと言われたのだぞ? 幸い、まだ王女殿下とウィンターズ殿、ベントリー伯爵令嬢お三方の心の内に留めてくださっているが、これが明るみになれば陛下の叱責は免れぬ」
「陛下の叱責……」
「我が家も何らかの形で責任を取らされる。このような家に置いておけぬと私とエルメアは離縁させられ、爵位も落とされることもあるのだぞ。問題を起こしたお前は罪人として、王家の血筋の恥として生涯幽閉されるだろう」
「お父様とお母様が離縁? わたくしが幽閉……?」
ようやく分かったのかエリュシアナの顔は青い。
妻がそれに追い打ちをかけるように言った。
「当然でしょう。国とあなたならば、国のためになる方を取るに決まっています」
「でも陛下は、おじさまはわたくしのことを……」
「……確かに陛下は少々身内に甘い方ですが、国の不利益になると判断なされば身内だろうと切るでしょう」
「そんな、わ、わたくしは……」
いやいやと首を振りながらエリュシアナが下がる。
しかし、出入り口にぶつかり、腰が抜けたようにその場に崩れ落ちた。
それを夫人も公爵も手助けすることはない。
「ようやく理解しましたか。あなたはそれだけのことをしでかしたのですよ」
「明日、もしも許していただけたら謝罪をしに行く。お前も来なさい。そして、お二人に心から謝るんだ」
エリュシアナのエメラルドグリーンから涙が零れ落ち、それがドレスにシミを作る。
両親の言葉を噛み下し、そしてやっと、エリュシアナは頷いた。
本当にきちんと理解したのかは少々疑わしいが、それでも怯えたように泣くエリュシアナがこれまでのことを反省してくれることを願った。
妻は泣くエリュシアナを、痛みを堪えた表情で見つめていた。
母親としては泣く娘を見れば抱き締めたくなる。
公爵も、涙する娘を見るのはつらい。
だが全ては娘自身が、そして娘を正しい方向へ戻せなかった我々の責任である。
ここで優しく抱き締めてしまえばエリュシアナはまた公爵家の、両親の庇護下にあると安心してしまう。
だから今は何もするべきではない。
ベルを鳴らせば、使用人とエリュシアナの従者が現れた。
「エリュシアナを自室に下がらせてくれ」
「……かしこまりました」
従者の青年は礼を取り、座り込むエリュシアナを何とか立たせると支えながら部屋を出て行った。
……我が儘ではあったが、昔はもっと利口で、不器用だが優しい子だったのに。
あの従者は元は貧民層の子供だった。
貧しさのあまり餓死しそうになっていた少年をエリュシアナは拾い、そして自分の従者にするのだと言った。
身寄りもない少年は必死に礼儀作法や使用人の心得、仕事を学び、娘の従者となった。
またあの頃のような優しさを取り戻してほしい。
娘が扉の向こうへ消えると、公爵は目を閉じた。
「手紙を書くが、君はどうする?」
「ミーシャ様へは私が返事を書きます。あなたはウィンターズ様とベントリー伯爵令嬢へお伺いの手紙をお送りしてちょうだい」
「分かった。そちらはよろしく頼む」
公爵の言葉に夫人は小さく口元に形だけの笑みを浮かべた。
このような状況でなければ、夫に頼られることを夫人は喜んだだろう。
だから形だけの笑みで応えるしかなかった。
公爵は溜め息を零すと手紙を書くことにした。
* * * * *
その夜、グランデリー公爵家に届いた手紙が波紋を生んでいた。
差出人はこの国の第一王女殿下である。
それを受け取ったのはグランデリー公爵だ。
当然、王族からの手紙なので届いてすぐさま目を通し、書かれていた内容を二度ほど読み返し、胃が痛くなった。
グランデリー公爵には子供が二人いる。
一人は嫡男のエリオット。
もう一人が長女のエリュシアナ。
二人は双子であったが、性格は正反対である。
生真面目で物静かなエリオットは大変手のかからない子であったが、逆にエリュシアナは奔放で、幼い頃ならば子供だからと許されたが、今は我が儘で問題をよく引き起こす女性に育ってしまった。
父として娘を大事にしてきたつもりだが、やはり陛下の愛情がエルミーシャ殿下に移ってしまったのが気に入らないのだろう。
エルミーシャ殿下が生まれて以降は我が儘な性格に拍車がかかり、何とかしようとあれこれ手を打ってみたものの、余計に酷くなった気がする。
妻ですら娘には手を焼いていた。
夜会で年若い異性に声をかけ、美しい見目の者ばかりを侍らせ、夜遊びも増えた。どうも仮面舞踏会に頻繁に出入りしているらしい。淑女としてはあるまじき行いだ。
それを叱った時は少しばかりバツの悪そうな顔をしたものの、反省した様子もなく、謹慎させてやっと仮面舞踏会への出入りはやめた。
しかし国内のエリュシアナの評判は地に堕ちた。
王妹の娘であり、公爵家の令嬢となれば、その血筋や立場を欲して本来なら国内の貴族から見合いを求められるはずだった。
だがあまりの奔放さと我が儘具合に見合いは全くなかった。
稀に子爵家や男爵家、豪商から来ることもあったが、公爵家に釣り合うとはとても言えない。
そのような家に嫁がせればどのような噂が立つか想像に難くない。
おまけにエリュシアナは装飾品が大好きだ。
結婚し、他家に嫁いでも、公爵家での暮らしと同じだけの質を求めるだろう。
見合いを求める家は、その家柄にしては裕福ではあるけれども、エリュシアナの望む生活は送れまい。
そうなればあのエリュシアナのことだ。
三日と経たずに離縁を言い出すだろう。
結局、今の今まで婚約者すらいない娘であった。
「……いや、今はそのようなことを考えている場合ではない」
公爵はベルを鳴らして使用人を呼ぶと、妻を連れて来てくれるよう頼んだ。
使用人はすぐに公爵夫人を連れて戻ってきた。
使用人に労いの言葉をかけてから下がらせる。
「それで、旦那様、どうかなさいましたの? またエリュシアナが何かしたのですか?」
亡き王妃に、そしてエルミーシャ殿下に似た妻が溜め息混じりに問うて来る。
現国王陛下の妹である妻は元王女であった。
このグランデリー公爵家に嫁いでくれて、共に陛下を、この国を、領地を支えている良き理解者であり、愛しい妻であり、素晴らしい女性でもある。
公爵は手紙を差し出した。
「これを読んでくれ」
「まあ、ミーシャ様からね?」
手紙を受け取った夫人は差出人に僅かに目元を和ませた。
そして封筒から便箋を取り出し、中身を読み始めると、その眦は段々とつり上がっていく。
手紙を持つ手が微かに震えている。
最後まで読み終えたのか顔を上げた。
「なんてこと! マスグレイヴ王国よりいらした英雄とその婚約者にこのような振る舞いをするなんて外交問題になりますわ!」
怒りと羞恥とでその顔が赤くなる。
公爵も肩を落とし、胃の辺りを撫でた。
「今から手紙を出して、お許しをいただけたら明日謝罪に伺うしかない」
「……ええ、そうね、あの子も連れて行きましょう。その前にエリュシアナを呼んでちょうだい」
「そうだな、今度こそ反省させなければ」
もう一度ベルを鳴らして使用人を呼ぶ。
そうして今度はエリュシアナを連れてくるように言うと、使用人と共に不機嫌そうな娘がやって来た。
しかし公爵と夫人の顔を目にすると、ギクリと小さく肩を跳ねさせた。
今まで何度も叱られているからか両親が怒っていることに関しては敏かった。
居心地が悪そうに視線を落とす。
「お父様、お母様、何でしょうか?」
夫人が眦をつり上げて問う。
「エリュシアナ、あなた、わたし達に話さなくてはならないことがあるのではなくって?」
「? 何のこと?」
けれどエリュシアナは小首を傾げた。
本当に分かっていない様子に公爵も眉を顰めた。
きちんと公爵令嬢に見合う教育はさせてきたはずなのに、何故分からないのか。
「今日、エルミーシャ殿下の宮に行っただろう。そこで国賓であるライリー=ウィンターズ殿とその婚約者であるエディス=ベントリー伯爵令嬢に非常に無礼な振る舞いをしたそうじゃないか」
公爵の言葉にエリュシアナが不愉快そうな顔をした。
「まさかあれくらいで手紙を寄越したの? お父様、あの場で恥ずかしい思いをさせられたのはわたくしの方ですわ」
「そうか。……この手紙を読む限り、非はお前にあるように私は思うのだが」
堂々とした娘に公爵は見せつけるように手紙を開き、読む仕草をする。
「お前は招待されてもいないのにお茶会に割って入り、椅子がないからとベントリー伯爵令嬢に席を譲るよう強要し、それを断られると今度は英雄の婚約者に相応しくないと貶めたそうだな」
エリュシアナは国が招いた客に、そして王女殿下が招待したお茶会で、その招待客に、席を譲れと言ったのだ。
しかも相手は英雄と名高いライリー=ウィンターズ殿がやっと見つけたという婚約者である。
あの威圧感のある獅子の姿を恐れないらしい。
ウィンターズ殿はどの国でも有名だ。
その身に受けた呪いもさることながら、その強さは、一人で騎士数百人に匹敵すると言われている。
実際、ウィンターズ殿はマスグレイヴ王国だけでなく、他国の魔獣討伐にも出向いているが、負けた話は聞いたことがない。
元より魔術に関しても他国より一歩秀でているマスグレイヴに、これほどの騎士がいるとなれば、周辺国は彼の国と不仲になるのを避けるのは当然である。
今回のこれは国交に影響が出かねない問題だった。
「まあ、とんでもない! わたくしはただお茶会に混ざりたくてお願いしただけですわ。だって公爵家の令嬢のわたくしが座るには、一番立場の低い者が席を譲るべきでしょう? それに英雄様の婚約者はそれに相応しい血筋や立場の者がなるべきだと申し上げさせていただいただけですわ」
だが、娘だけはそれが理解出来ていない。
エリュシアナは言ってみれば、この国の中では王族や公爵当主に次いで強い立場であった。
現国王の妹の子。直系に近い血筋。
そして公爵家という爵位。
妻がエリュシアナに近付き、その肩を掴んだ。
「あなたは何を言っているの? 冗談よね?」
エリュシアナが不思議そうに妻を見る。
「いいえ。だって、おかしいでしょう? 英雄様の婚約者がただの伯爵令嬢だなんて。わたくしの方が歳だって近いし、女性としての魅力もありますし、血筋や地位だって英雄様に相応しいとお母様も思いませんか?」
嬉しそうにそう話す娘に妻が後退る。
まるでありえないものでも見たかのようだ。
「いいえ、いいえ! ウィンターズ様は英雄と謳われていてもマスグレイヴ王国では騎士爵位を授かった一騎士に過ぎません。伯爵令嬢ならば地位が高過ぎも低過ぎもなく、最も丁度良いのよ。下手に公爵家などと、それも他国の家の者など娶ったら、ウィンターズ様のお立場が悪くなってしまうのよ?」
「そうだぞ。国の中枢に関わり、力のあるウィンターズ殿が他国の高位貴族の娘を娶りなどしたら、下手をすればウィンターズ殿が他国との繋がりがありと判断されて騎士としていられなくなってしまうかもしれないんだぞ?」
他国の高位貴族の娘を娶り、もしもその女性がウィンターズ殿を唆してマスグレイヴ王国の内情を漏らさせたり、裏切らせたりしたら?
それが明るみになった瞬間、マスグレイヴ王国とその国との戦争が始まってしまう。
そうでなかったとしても、ウィンターズ殿にあらぬ疑いをかけさせないためにも、彼はマスグレイヴ王国内で妻を見つけるのが一番良いのだ。
あちらの王家が認めている以上は婚約者であるベントリー伯爵令嬢は身辺調査をされ、その上で問題なしと判断されたはずだ。
それを他国の、しかも王族に近しい者が反対するなんて、内政干渉と取られる可能性もある。
「なあんだ、そうでしたの。騎士爵位ではわたくしに相応しくありませんわね」
それなのに当の本人はそのようなことを言う。
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「ああ、そのようだ。……残念だが」
そしてエリュシアナを見る。
親の欲目を抜きにしても美しい娘だ。
何事もなければ、同じ公爵家か、侯爵家、もしかしたら王族の妻となることも出来たかもしれないのに。
それら全てを娘自身が潰したのだ。
その奔放さによって。
「エリュシアナ」
「はい、お父様」
こうしているだけならば公爵令嬢として申し分なく見えるというのに。
「お二人は国賓である。そして国賓とは、国交に関係の深い場合が多い」
「ええ、存じ上げております」
「その国賓に無礼な振る舞い……、国賓を不愉快にさせるようなことがあれば、それは国同士の問題に発展する。そしてその問題を起こした家は責任を取らねばならない」
硬い声音に何かを感じたのか、エリュシアナの顔が僅かに強張った。
そして慌てた様子で言い募ろうとする。
「ですから、今日の出来事はわたくしが……」
「今回は王女殿下が直々にお手紙をくださったのだ。先ほどからお前は自分は自分はと言っているが、お前は王女殿下よりも立場が高いのか? 公爵家の令嬢たるお前が、第一王女殿下よりも、偉いと思っているのか?」
「っ、い、いえ、そのようなことはありません!」
遮った公爵の冷たい声にエリュシアナは震えながら何とか返事をした。
ここで「そうだ」などと言ったならば、公爵は娘をそのまま修道院へ押し込もうと思っていた。
矯正の余地なしと判断しただろう。
だがさすがに王族より己が上だなどとは思っていないらしい。
散々公爵令嬢であることを口にしていたのだから、地位に関して分からないはずもない。
「我がグランデリー公爵家が国賓に無礼を働いたと言われたのだぞ? 幸い、まだ王女殿下とウィンターズ殿、ベントリー伯爵令嬢お三方の心の内に留めてくださっているが、これが明るみになれば陛下の叱責は免れぬ」
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「そんな、わ、わたくしは……」
いやいやと首を振りながらエリュシアナが下がる。
しかし、出入り口にぶつかり、腰が抜けたようにその場に崩れ落ちた。
それを夫人も公爵も手助けすることはない。
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「明日、もしも許していただけたら謝罪をしに行く。お前も来なさい。そして、お二人に心から謝るんだ」
エリュシアナのエメラルドグリーンから涙が零れ落ち、それがドレスにシミを作る。
両親の言葉を噛み下し、そしてやっと、エリュシアナは頷いた。
本当にきちんと理解したのかは少々疑わしいが、それでも怯えたように泣くエリュシアナがこれまでのことを反省してくれることを願った。
妻は泣くエリュシアナを、痛みを堪えた表情で見つめていた。
母親としては泣く娘を見れば抱き締めたくなる。
公爵も、涙する娘を見るのはつらい。
だが全ては娘自身が、そして娘を正しい方向へ戻せなかった我々の責任である。
ここで優しく抱き締めてしまえばエリュシアナはまた公爵家の、両親の庇護下にあると安心してしまう。
だから今は何もするべきではない。
ベルを鳴らせば、使用人とエリュシアナの従者が現れた。
「エリュシアナを自室に下がらせてくれ」
「……かしこまりました」
従者の青年は礼を取り、座り込むエリュシアナを何とか立たせると支えながら部屋を出て行った。
……我が儘ではあったが、昔はもっと利口で、不器用だが優しい子だったのに。
あの従者は元は貧民層の子供だった。
貧しさのあまり餓死しそうになっていた少年をエリュシアナは拾い、そして自分の従者にするのだと言った。
身寄りもない少年は必死に礼儀作法や使用人の心得、仕事を学び、娘の従者となった。
またあの頃のような優しさを取り戻してほしい。
娘が扉の向こうへ消えると、公爵は目を閉じた。
「手紙を書くが、君はどうする?」
「ミーシャ様へは私が返事を書きます。あなたはウィンターズ様とベントリー伯爵令嬢へお伺いの手紙をお送りしてちょうだい」
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