寝取られ令嬢は英雄を愛でることにした

早瀬黒絵

親交会(1)

 




 それから三日後。

 今日は夜会の日である。

 朝からわたしは準備に追われ、食事も自室で合間に軽食で済ませるといった具合であった。

 起きて朝食を食べると、それから湯を浴びて、全身をこれでもかと洗われ、香油を擦り込みながら痛いくらいに揉まれ、髪にも香油をつけられると乾かし、執拗なほど梳られる。

 顔にも化粧水などをこれでもかと叩き込まれた。

 午前中では足りず、軽食を食べてからも、それは続けられた。

 浴室を出ると今度は手足の爪を整え、磨かれる。

 その間に今夜着るドレスが用意された。

 淡い紫色で金糸の刺繍が施されている。ドレスは胸元までしかなく、そこから上は首元まで金糸のレースで覆われており、腕も肘上までの長いレースの手袋がある。

 わたしとライリーの瞳の色だ。

 あまり派手さはないが、しかし地味というわけでもなく、上品なドレスだと思う。

 何度も何度も梳り、艶の出た髪を側頭部から少しだけ髪を取り、三つ編みにして両側から後ろへ纏める。纏めた部分には木製のバレッタを一つ。

 リチャードの件があった日に注文したものだ。

 木製のバレッタは琥珀がはめ込まれており、それを透かして琥珀の内側に凛々しい獅子が彫り込まれている。

 ドレスを身に纏い、いつも通り薄く化粧を施してもらう。

 やっと終わったと一息吐く頃には夕方近くになっていた。

 リタが甘い果実水を用意してくれて、それを飲みながらぐったりとしてしまう。

 夜会ってこれが苦手なのよね。

 準備だけで半日かかるし、疲れてしまう。

 ソファーに座っているとリタがやって来た。



「旦那様がお見えになりました」

「お通ししてちょうだい」



 そうしてすぐにライリーは部屋に入ってくる。

 わたしを見ると眩しそうに目を細めた。

 わたしもライリーの姿に見惚れてしまう。

 獅子の姿に近衛騎士の服はやはり似合う。

 黄金の鬣に真っ白な騎士服が眩しくて、でも赤いマントと腰に巻いたベルトが良い差し色になっている。

 王城内でも帯剣を許されて良かった。

 ほう、と溜め息を漏らすとライリーが近付いて来て、ソファーに腰掛ける。



「とても綺麗だ……」



 大きな手の平でそっと頬を撫でられる。



「ライリーもとてもカッコイイわ。今日の夜会でも、きっと誰よりも素敵よ」



 頬に添えられた手に自分のそれを重ねる。

 下りてきた獅子の顔の頬に口付ける。

 するとライリーもお返しとばかりに鼻先をわたしの頬に押し当てた。

 モフモフした口元が触れて心地好い。



「美しい君を他の男に見せたくないな」

「あら、わたしだってカッコイイあなたを夜会に行かせたくないわ」



 互いに額を合わせて小さく笑う。

 立ち上がったライリーが差し出した手に、わたしも自分の手を重ね、立ち上がった。

 そしてリタやユナに顔を向ける。



「それでは留守をお願いね」

「はい」

「行ってらっしゃいませ」



 ユナとリタが頭を下げる。

 それを見届け、ライリーと共に部屋を出た。

 廊下にはフォルト様やレイス様、他の騎士達が既に待ってくれていた。

 目が合ったフォルト様が励ますようにパチリと片目を瞑ってみせる。

 そのどこか愛嬌のある仕草に自然と笑みが浮かぶ。

 ライリーの、英雄の婚約者として認められているのはわたしよ。堂々としていればいいの。

 エスコートしてくれるライリーを見上げる。

 金色の瞳は優しくわたしを見下ろしていた。



「それじゃあ行こうか」



 フォルト様の言葉に頷き、歩き出す。

 案内役の使用人が先頭に立っている。

 それが男性だったため一瞬体が強張ってしまったが、ライリーがそっと背中に手を当ててくれたことで、なんとか歩ける。

 気にしていないつもりだったけれど、あの囮にされたことが、わたしの中では結構ショックだったようだ。

 でも今はライリーが側にいる。

 だから大丈夫と自分に言聞かせる。

 長い道のりを歩いて、夜会の会場へ着く。

 シェルジュ国の騎士達が入り口を守護していた。

 そしてわたし達が通されると声が響く。



「マスグレイヴ王国の騎士団の皆様の御入場です!」



 王宮は元より豪奢なのに更に飾り付けられて、眩いばかりに会場は明かりに照らされている。

 それはそれは絢爛豪華であった。

 だが訪れている貴族達の衣装は見慣れたものが多い。

 どうやら今夜の親交会のためにマスグレイヴ風のドレスやマスグレイヴが産出している布地を使ったドレスなどで統一してくださっているらしい。

 この中にいてもわたし達の装いは悪目立ちしない。

 でも少しだけマスグレイヴの夜会よりもドレスが華やかで、美しいドレス達に見惚れてしまいそうになる。

 わたしが見ているように人々もこちらを見ている。

 周りからの突き刺さるような視線を受けて、わたしはあえて笑みを浮かべてライリーに寄り添った。

 ライリーもわたしの腰に腕を回す。

 フォルト様が「やれやれ」と言いたげに微かに目を細めたが、何も言われなかった。

 最初に国王陛下へ御挨拶を行う。



「シェルジュ王国国王陛下に御挨拶申し上げます」



 この騎士団の代表であるフォルト様が言う。

 それに合わせて全員で礼を取った。

 数段上の玉座に腰掛けた陛下が頷く。



「面を上げよ。……この度は我が国内の魔獣討伐を手伝ってくれたことに、礼を言う。そなた達のおかげで民達もこれからも健やかに過ごせるだろう」

「ありがたきお言葉光栄に存じます」

「今宵はそなた達への感謝と歓迎を込めたものだ。親交を深めるも良し、ダンスや食事を楽しむも良し。各々、存分に楽しんでいかれよ」

「はい、お言葉に甘えさせていただきます」




 そうしてもう一度礼を取り、下がる。

 特に何も言われなかったことにホッとする。

 その後、夜会が始まると騎士達は食事を楽しむことにしたようで、料理の並べられたテーブルの周りに集まっていた。

 それぞれ、騎士服姿ではあったけれど、胸元のハンカチやマントの留め具などがカラフルだったので、恋人や婚約者のいる人達は相手の色を身につけているのだろう。

 フォルト様は銀糸の房のついた髪留めだ。

 なるほど、婚約者の髪の色である。

 レイス様は特に見受けられなかった。

 ライリーはマントの留め具が紫色だ。



「エディス、せっかくだから一曲踊らないか?」



 差し出されたライリーの手に頷き返す。



「ええ、久しぶりに踊りましょう」



 手を重ねれば、無理のない穏やかな動きで踊りの輪の中へ誘導される。

 さすがに獅子の姿は恐ろしいのか、わたし達の周りは少し開けたが、気にしない。

 ライリーの肩に手を添える。

 腰に添えられた大きな手は安心感があった。

 始まる曲に合わせて動き出す。

 歩幅が違うはずなのに、ライリーとのダンスはいつだってとても踊りやすいのだ。

 こちらに合わせてくれる。

 それでいて、繋がった手が、腰に添えられた手が、その大きな体がまるでこちらだと言うようにわたしを導いてくれる。

 ライリーとのダンスが好きだ。

 わたしだけをジッと見つめてくれる。

 世界に二人きりになったみたいに感じる。

 それだけでわたしは幸せになれる。

 わたし達は婚約者だから続けて踊ることが出来る。

 二曲続けて踊り、ライリーに促されてダンスの輪を外れる。

 そのまま椅子に座らせられると、側を通りかかった使用人からライリーが飲み物を受け取ってくれる。



「ありがとう」



 差し出されたそれの中身は果実水だった。

 わたしは基本的にお酒はほぼ飲まない。

 飲めることには飲めるけれど、好んで飲むほどではないため、普段はもっぱら紅茶や果実水である。

 ライリーはそれを知っているのだろう。

 かく言うライリーはワインを飲んでいる。

 色んな人に話しかけられるかと思っていたが、どうやら殆どの人はライリーの外見に恐れをなしているらしい。

 ヒソヒソと囁く声や視線は感じるが近付いて来ない。

 やっと誰か近付いて来たかと思えば宰相とアルブレド様だった。……今は元宰相と言うべきね。



「こんばんは、楽しまれておりますかな?」



 もう宰相ではなくなったが、それでも堂々とした様子を見る限り、中枢を離れたことをあまり苦に思っていないようだ。



「ええ、煌びやかで少々気後れしてしまいそうですが。それに私のような見た目の者も招待していただけて……」

「ほっほ、何をおっしゃる。英雄を招待せんで、一体誰を招待すると言うのかね?」



 元宰相はどうやら機嫌が良いらしい。

 共にいるアルブレド様も穏やかに微笑んでいる。



「ベントリー伯爵令嬢は今夜もお美しいですね」



 アルブレド様のお世辞ににこりと笑う。



「ありがとうございます。ライリー様が選んでくださったドレスなので、褒めていただけて嬉しいですわ」

「そうですか。……あなたは本当にウィンターズ殿を好いていらっしゃるのですね」



 笑みが苦笑に変わる。

 横にいた元宰相も何故か肩を竦めた。

 そしてライリーが上機嫌にわたしの肩に触れる。



「彼女が婚約者で私は幸せです」



 ライリーの言葉に笑みこぼれる。

 もふ、と頬に鼻先が押し当てられた。



「ダンスでもと思ったのですが、どうやらそれは野暮なようですね」



 アルブレド様の残念そうな様子に申し訳なくなった。



「申し訳ありません。ダンスはライリー様だけ、と決めておりますの」

「……本当に残念です」



 また苦笑をしたアルブレド様が、挨拶回りがあるのでと離れていった。

 それを見送ると元宰相がこちらを見る。



「今夜は二人とも離れない方がいいでしょうな。何分、英雄殿は我が国でも引く手数多だ」



 小声で言われて二人で頷き返す。



「ええ、そのつもりです」

「それなら良いが。……ああ、私の娘は我が国の貴族と結婚させることにしたので、心配せずとも引き合わせたりせんよ」

「まあ、そうなのですか?」



 ライリーがちょっとだけ疑わしげに見ていたからか、元宰相がカラカラと明るい声を上げて笑った。

 あれだけ娘自慢をしていたのに。



「英雄や宮廷魔術師の妻にとも思っていたんだが、やはり自国内の方が会いやすい。何より娘自身がそのように重い立場は自分には務まらないと言うのでな」



 やっぱりそういう考えはあったのね。

 しかし娘本人がそう言っているからとあっさり考えを改める辺り、元宰相も娘には甘いらしい。



「娘さんを愛していらっしゃるのですね」

「うむ、遅くにやっと授かった子でな。しかも妻に似て美人で控えめで、親の欲目抜きにしてもなかなかの器量良しなのだ」



 そう言う元宰相は親の顔をしていた。

 ベントリー家のお父様みたいに、目尻を下げて嬉しそうに笑う姿は娘を可愛がる一人の父親だった。

 その様子にライリーも表情を緩める。

 これを見てしまうと警戒する必要がないのは分かるものね。



「君達もいずれ結婚して子供が出来たら、同じように思うだろうよ」



 わはは、と楽しそうに笑って元宰相も挨拶のために離れていった。

 それに思わずライリーと顔を見合わせた。

 結婚して、子供が出来たらって、つまりそういうことをするってことよね?

 ライリーがごほんと咳払いをした。

 毛並みに覆われているので分からないが、もし人の姿だったらライリーの顔は赤かっただろう。

 そういうわたしもきっと顔が赤いはずだ。

 互いにグラスに口をつけて誤魔化していると、別の人影が現れた。



「御機嫌よう」



 小さなその人影に慌てて席を立つ。

 ライリーと共に礼を取ると、その人影が困ったように首を傾けた。



「急に声をかけてごめんなさい」

「……いえ、王女殿下にお声をかけていただけるとは光栄に存じます」



 一瞬、ライリーと視線を合わせ、そしてライリーが王女殿下に返答することにした。



「顔を上げて。そんなにかしこまらないで」



 その言葉にライリーとわたしは顔を上げる。

 目の前には小さな王女殿下がいた。

 柔らかそうな金色のふわふわの髪に、翡翠をはめ込んだような大きく美しい瞳。幼いながらも整った顔立ちは将来かなりの美人になるだろう。ピンク色のドレスはフリルやリボンがあしらわれて可憐さを引き立てている。

 そして王女殿下には見覚えがあった。



「この間はお二人の邪魔をしてごめんなさい」



 先日会った、あの女の子だった。



「いえ、お気になさらずに」



 ライリーはさすがに立ったままでは失礼だと感じたのか、片膝をつけて視線を下げた。

 王女殿下にソファーを勧めると彼女は素直に側にあったそれへ腰掛けた。

 その横には侍女がついている。

 侍女も、この間見かけた人物であった。



「あなた達も座って」



 そう言われて、わたしとライリーは隣り合ってソファーに座ることにした。

 ライリーの腕が当たり前のように腰に回る。



「わたしはシェルジュ王国の国王陛下であるお祖父様の孫娘であり、この国の第一王女である、エルミーシャ・ディエラ=シェルジュよ」

「マスグレイヴ王国より参りましたライリー=ウィンターズと申します。こちらは婚約者のエディス=ベントリー伯爵令嬢です」

「王女殿下に御挨拶申し上げます」



 王女殿下の名乗りにわたし達も応える。

 すると王女殿下はそわそわと視線を動かし、小さな手を前で合わせると声を落とした。 



「あのね、お二人の話を聞いて、本当はずっと話してみたいと思っていたの。でもお祖父様もお父様もみんなもなかなか許してくれなくて。……でも今日はやっと許してもらえたわ」



 照れ隠しかはにかむ姿は年相応で可愛らしい。

 横に控えている侍女も目元を和ませている。

 それでね、と王女殿下が続ける。



「こんなことをいきなりお願いするのは失礼だって分かってるわ。でも、もしかしたら今日しか会えないかもしれないから、だから、その……」



 言いづらそうに言葉が濁される。

 王女殿下が意を決したように顔を上げた。


 

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