寝取られ令嬢は英雄を愛でることにした
ルーディウス・エル=ガルフレンジア
* * * * *
ルーディウス・エル=ガルフレンジアは殺風景な部屋にいた。
家具も最低限で、数少ないソファーに座ったまま、毎日何時間もそこでぼんやりと過ごす。
彼の最も古い記憶は乳母と共に暮らしていたものだ。
ミネア共和国にて、ひっそりと息を殺すように、乳母と身を寄せ合って暮らした日々はルーディウスにとっては一番幸せな時間だった。
乳母は彼をとても大切に慈しんでくれた。
乳母は彼に「あなたはガルフレンジア皇国の尊き血の生き残りです。でも、そのことは誰にも話してはなりません」と言った。
だから普段はルディと名乗っていた。
古い小さな借家に乳母と二人。
ルーディウスは乳母を母のように慕っていた。
乳母も、恐らく我が子のように接してくれた。
皇国だとか尊き血だとか、そんなことはどうでも良かった。
城での暮らしも、自分を逃した騎士達のことも、本当を言うとあまり覚えていなかった。
ルーディウスはただ平和に暮らしたかった。
だがある日、乳母と買い物に行った帰り道でその男に出会ってしまった。
ボロボロのローブを身に纏った男。
乳母はその男を哀れんで買いたてのパンを与えた。
男は何も言わなかった。
それから買い物に行く度に、乳母は男に食べ物を与え続けた。
ルーディウス達も裕福なわけではない。
それでも乳母は「苦しんでいる人を見つけたら、あなたも手を差し伸べてあげなさい」と言った。
だからモヤモヤする気持ちを押し隠してルーディウスは乳母の行いを黙って見ていた。
けれど、それからしばらくして、乳母が倒れた。
戦争で逃げた際に傷を負っていたらしい。
彼はそれを今の今まで知らなかった。
しかし医者にかかるほどお金もない。
どうしようと途方に暮れていたルーディウスに、ローブの男が声をかけた。
初めて聞いた男の声は少し掠れていた。
「何か困ってるようだが、手伝えることかあるか? ……いつもパンをくれる礼をしたい」
それにルーディウスは泣きながら言った。
いつも一緒にいる乳母が倒れたこと。
昔の怪我が治らず、それで苦しんでいること。
医者にかかりたいがお金がないこと。
それらを伝えると男は立ち上がった。
「私は少しだけど治癒魔術が使える」
治せるかどうかは分からないが、という男にルーディウスは少しだけ希望が見えた。
男を借家へ招き、ベッドで苦しむ乳母の下へ連れて行った。
男は乳母を見ると手を翳した。
何かよく分からない言葉を口にすると乳母が淡く光り、それまで苦しそうだった呼吸が僅かに穏やかになった。
「治ったの?」
「いや、傷が大きすぎて私では治せない。少しだけ苦しみを和らげてやることしか出来ない」
「そんな……」
治らなければ意味がない。
か細い声で名前を呼ばれてルーディウスはベッドに駆け寄った。
乳母は目を覚まし、側にルーディウスとローブの男を見つけて小さく微笑んだ。
「あなた、お名前、は?」
「……ガイズだ」
乳母の問いに男が、ガイズが答えた。
「そう、ガイズさん……。こんなことを、頼む、のは……おかしいけれど、私が死んだら、ルディを、お願いします……」
「死ぬなんて言わないでよ!」
「ごめんなさい、ルディ……」
ベッドの縁にしがみつくルーディウスに、乳母は申し訳なさそうに眉を下げた。
それはルーディウスが我が儘を言うとよく見せる表情だった。
「私が?」
ガイズは怪訝そうな声で聞き返す。
それに乳母がとつとつと話し出した。
ルーディウスの出自、自分の立場、戦争により逃げ出したこと。
騎士達と共にいたが途中で別れてしまったこと。
この怪我は逃げる際に負ったこと。
今までは身を潜めてくらしていたこと。
「私達には頼る者が、もういないのです……。でもルディを一人にするなんて、出来ません。もし、もしあなたが、少しでも恩義を感じて、くださっているのなら……。どうか、ルディを。ルーディウス様を……」
乳母の縋るような眼差しに男はしばし沈黙した。
けれど、結局は一つ頷いた。
「分かった」
その短な返事に安心した様子で微笑んだ。
そして乳母はルーディウスを見た。
「ルーディウス様、今まで、とても楽しかった。あなたのことは、本当の息子のように、思って……」
「僕だってそうだよ! ナタリーは僕にとってはお母さんだったよ!!」
「ああ、嬉し……い……」
幸せそうに微笑んで、乳母は目を閉じた。
そして二度と起きることはなかった。
ルーディウスは乳母に縋って泣いた。
記憶はそこで途切れた。
次に目を覚ますとルーディウスは床に転がっていた。
手足を縛られ、布を口に噛まされている。
どうやら場所は借家であった。乳母が亡くなったのとは別の部屋だが、住み慣れた家だからすぐに居場所は分かった。
ルーディウスの部屋だった。
そして扉が開いてガイズが入ってくる。
「もう目が覚めたのか」
どこか面倒臭そうにそう言った。
そして床に染料で何かを書き始める。
それが終わるとルーディウスを引きずって、その床に書かれた模様の上に落とした。
よく分からないものの逃げようともがくルーディウスをガイズは冷たい目で見下ろす。
またガイズの口から聞いたことのない音が響く。
床の模様が光り、ルーディウスの胸が痛む。
もがいて、暴れて、模様の外へ逃げようとしたが、まるで見えない壁があるように出られなかった。
光は数秒続いた。
そして唐突に消えた。
「『暴れるな』」
ガイズの言葉に体ががちりと固まった。
縛られていた縄や布が外されたのに、ルーディウスの体は指一本すら動かせない。
喋ろうとしても口は開かなかった。
「お前は今日から私の奴隷だ」
愉快そうにガイズが笑う。
それからの日々は地獄だった。
ルーディウスはガイズの下僕として扱われた。
逃亡した際に持ち出した宝飾品のおかげで金に余裕はあり、乳母はそれに殆ど手をつけずに残していたため労働をさせられることはなかったが、ルーディウスは自由を失った。
ガイズの許可なしには口も開けない。
反抗すれば息も出来ないほど胸が痛む。
ルーディウスはガイズの操り人形であった。
その後、ガイズは何やら人を集め出した。
そうしてしばらくすると山賊のような者達にルーディウスを引き合わせた。
事前に「こう言え」と言葉を覚えさせられた。
その山賊のような者達は、かつてルーディウスと乳母を守った皇国の近衛騎士だと言われた。
彼らはルーディウスを見て涙を流した。
自分達の剣を捧げると。
ガイズの許可で動けるようになったルーディウスは、覚えさせられた言葉しか口に出来なかった。
だが男達はそれに喜んでいた。
それからはルーディウスは亡国の皇子として賢者などという組織の頂点に祭り上げられた。
だがルーディウスに出来ることは何もない。
実質的にはガイズが頂点であった。
十歳のルーディウスはただのお飾りである。
しかもガイズはルーディウスに変な腕輪をつけさせた。それはつけていると体の力を抜き取られる不思議なもので、ルーディウスはいつもそのせいで疲れていた。
側には自分を隷属させた男が常に目を光らせており、自分に誓いを立てた男達は自由に話すこともままならないルーディウスを崇める。
ルーディウスは死ぬことも許されなかった。
食事を拒否しても、命令されると体が自分の意思に関わらず無理に口へ入れられる。
死に繋がる行為は全て禁じられた。
それからはずっと操られてきた。
ぼんやりとソファーに腰掛けていたルーディウスの耳に複数の足音と扉を開ける音が聞こえた。
どこからか人の話し声もする。
やがて声が近付き、部屋の扉が壊された。
この部屋の扉は外から鍵がかけられて、ルーディウスは出ることが出来なかった。
そもそも出ること自体禁じられていたが。
破壊された扉の向こうから人影が室内へ押し入ってくる。
それは獅子の姿をしており、他にもシェルジュ国の赤い騎士服を身に纏った者達であった。
それを見てルーディウスは安堵した。
この国の騎士がここに来たということは、少なくともガイズが捕まったということだ。ガイズ以外、この場所は知られていないはずなので恐らくそうであろう。
あれが捕まったなら僕も解放される。
獅子が室内を見回し、そしてルーディウスを見ると何やらゴソゴソと懐を漁った。
そして取り出したものを手に、ルーディウスに近付いて来る。
見たこともない獅子の姿だが恐ろしくはない。
その金色の瞳には理知的な光が窺えた。
獅子は座ったままピクリともしないルーディウスをソファーに寝かせ、服を捲ると、胸元に持っていた小瓶の中身を垂らした。
赤い液体がポタポタと胸元へ落ちる。
それが胸元の刻印に触れるとジュッと音を立てた。
刻印が輝き、胸に痛みが走る。
だが一瞬の出来事で、次の瞬間には胸元にあったはずの刻印が跡形もなく消え去った。
恐る恐る手に力を入れれば己の意思で動く。
胸元に触れてみるが、刻印の痕跡はない。
目尻を熱いものが伝う。
どういうわけか目の前の獅子はルーディウスに施された隷属の刻印を消してくれたらしい。
「ガイズや賢者の者達は我々が捕縛しました。もう、あなたを縛りつける者はおりません」
やや聞き取り難いが獅子はそう言った。
ルーディウスは口を開いた。
小さな口は何か言葉を紡いだが、獅子は聞き取れなかったのか、顔を寄せてくる。
それにルーディウスはもう一度言った。
「……ころして……」
大好きだった乳母はもうこの世にいない。
この数年間、自由を奪われたルーディウスの心は傷付き、疲れ、弱っていた。
例え生きたとしても頼るあてもない。
亡国の皇子などなんの意味もない。
ルーディウスは早く愛する母の下に行きたかった。
ずっと大切に慈しんでくれた乳母の下に。
* * * * *
「と、皇子は死を望んでいます」
ガイズの記憶を元に亡国の皇子を保護しに向かったライリーであったが、その報告をする獅子の顔はまるで他者を威嚇するように牙を剥いていた。
知らぬ者が見たら恐れるだろう。
だが、その表情が苦渋から来るものだと知っているフォルトは恐れることはない。
「そっか。……皇子は十歳だっけ?」
「ウルグ=ネルシェイクの言葉が確かならばそうでしょう。しかし実際は七、八歳ほどに見えました。筋肉も殆どなく痩せ細って痛々しいほどです」
「ガイザードが反抗しないよう、満足に食事を与えなかったみたいだからね」
皇子は保護され、王城の貴族用の牢に使われている部屋へ今はいる。
監視も兼ねて世話をする使用人が数名つけられたみたいだが、どちらかと言えば自決しないように気を配る方が問題だろう。
まだ十歳の子供が殺してくれと言う。
亡国の皇族だったばかりに利用された。
おまけに魔力を吸う腕輪がつけられていた。
あれは腕輪の持ち主に、腕輪をはめた対象の魔力を与える奴隷用の腕輪であった。
魔力封じの刻印がありながら、ガイズが問題なく魔術を使えていたのは、ルーディウスの魔力を奪っていたからだろう。
毎日限界まで魔力を搾り取られてルーディウスの体は悲鳴を上げていたはずだ。
しかしガイズはルーディウスから声を奪っていた。
だから訴えることも出来なかった。
元々魔力のある者が魔力切れを起こすと酷い倦怠感と息苦しさ、手足の痺れや震えなど様々な症状が現れる。
きっと、それらをずっと耐えて来たのだ。
自由を奪われ、魔力を奪われ、声も奪われ、頼れる者もおらず、まだ幼いルーディウスには毎日が地獄だっただろう。
「皇子はどうなるのでしょうか」
ライリーがやや暗い声で呟く。
形だけとは言えど賢者の頂点にいた者だ。
未成年で操られていたという点を前面に押し出せば、処刑は免れるかもしれないが、それでも一生軟禁されるだろう。
亡国の皇族という血筋は厄介である。
しかし本人が死を望んでいる。
「処刑はされなくとも、多分毒杯なんじゃないかな。亡国の血を残しても後々悪用されかねないし、本人がそう望んでいる以上シェルジュ国は『本人の意思』を尊重すると思う」
フォルトの言葉にライリーは肩を落とした。
ルーディウスも被害者であった。
ガイズに隷属させられた哀れな亡国の皇子。
「僕の方からそれとなく働きかけて、苦しまない方法にしてもらえるようにするよ」
フォルトに出来るのはそれくらいしかない。
助けたところで苦しみが続くだけだ。
それならば、最期は苦しまずに逝けるように配慮を促す程度ならば出来る。
どちらにせよ皇子は生き残っても自由はない。
フォルトはルーディウスに憐れみを感じていた。
皇国が愚かな振る舞いをしなければ、彼は今頃、皇国の皇子として不自由なく暮らしていたかもしれないのに。
本人にはどうしようもないことだった。
九年前、戦争が始まった時点でルーディウスの運命は決まってしまったのだ。
フォルトは己の弟と同じ年頃の皇子が憐れだった。
「死が救いになることもあるよ」
そう言い、ライリーの肩を軽く叩く。
ライリーはそれに黙って頷いた。
* * * * *
ルーディウス・エル=ガルフレンジアは殺風景な部屋にいた。
家具も最低限で、数少ないソファーに座ったまま、毎日何時間もそこでぼんやりと過ごす。
彼の最も古い記憶は乳母と共に暮らしていたものだ。
ミネア共和国にて、ひっそりと息を殺すように、乳母と身を寄せ合って暮らした日々はルーディウスにとっては一番幸せな時間だった。
乳母は彼をとても大切に慈しんでくれた。
乳母は彼に「あなたはガルフレンジア皇国の尊き血の生き残りです。でも、そのことは誰にも話してはなりません」と言った。
だから普段はルディと名乗っていた。
古い小さな借家に乳母と二人。
ルーディウスは乳母を母のように慕っていた。
乳母も、恐らく我が子のように接してくれた。
皇国だとか尊き血だとか、そんなことはどうでも良かった。
城での暮らしも、自分を逃した騎士達のことも、本当を言うとあまり覚えていなかった。
ルーディウスはただ平和に暮らしたかった。
だがある日、乳母と買い物に行った帰り道でその男に出会ってしまった。
ボロボロのローブを身に纏った男。
乳母はその男を哀れんで買いたてのパンを与えた。
男は何も言わなかった。
それから買い物に行く度に、乳母は男に食べ物を与え続けた。
ルーディウス達も裕福なわけではない。
それでも乳母は「苦しんでいる人を見つけたら、あなたも手を差し伸べてあげなさい」と言った。
だからモヤモヤする気持ちを押し隠してルーディウスは乳母の行いを黙って見ていた。
けれど、それからしばらくして、乳母が倒れた。
戦争で逃げた際に傷を負っていたらしい。
彼はそれを今の今まで知らなかった。
しかし医者にかかるほどお金もない。
どうしようと途方に暮れていたルーディウスに、ローブの男が声をかけた。
初めて聞いた男の声は少し掠れていた。
「何か困ってるようだが、手伝えることかあるか? ……いつもパンをくれる礼をしたい」
それにルーディウスは泣きながら言った。
いつも一緒にいる乳母が倒れたこと。
昔の怪我が治らず、それで苦しんでいること。
医者にかかりたいがお金がないこと。
それらを伝えると男は立ち上がった。
「私は少しだけど治癒魔術が使える」
治せるかどうかは分からないが、という男にルーディウスは少しだけ希望が見えた。
男を借家へ招き、ベッドで苦しむ乳母の下へ連れて行った。
男は乳母を見ると手を翳した。
何かよく分からない言葉を口にすると乳母が淡く光り、それまで苦しそうだった呼吸が僅かに穏やかになった。
「治ったの?」
「いや、傷が大きすぎて私では治せない。少しだけ苦しみを和らげてやることしか出来ない」
「そんな……」
治らなければ意味がない。
か細い声で名前を呼ばれてルーディウスはベッドに駆け寄った。
乳母は目を覚まし、側にルーディウスとローブの男を見つけて小さく微笑んだ。
「あなた、お名前、は?」
「……ガイズだ」
乳母の問いに男が、ガイズが答えた。
「そう、ガイズさん……。こんなことを、頼む、のは……おかしいけれど、私が死んだら、ルディを、お願いします……」
「死ぬなんて言わないでよ!」
「ごめんなさい、ルディ……」
ベッドの縁にしがみつくルーディウスに、乳母は申し訳なさそうに眉を下げた。
それはルーディウスが我が儘を言うとよく見せる表情だった。
「私が?」
ガイズは怪訝そうな声で聞き返す。
それに乳母がとつとつと話し出した。
ルーディウスの出自、自分の立場、戦争により逃げ出したこと。
騎士達と共にいたが途中で別れてしまったこと。
この怪我は逃げる際に負ったこと。
今までは身を潜めてくらしていたこと。
「私達には頼る者が、もういないのです……。でもルディを一人にするなんて、出来ません。もし、もしあなたが、少しでも恩義を感じて、くださっているのなら……。どうか、ルディを。ルーディウス様を……」
乳母の縋るような眼差しに男はしばし沈黙した。
けれど、結局は一つ頷いた。
「分かった」
その短な返事に安心した様子で微笑んだ。
そして乳母はルーディウスを見た。
「ルーディウス様、今まで、とても楽しかった。あなたのことは、本当の息子のように、思って……」
「僕だってそうだよ! ナタリーは僕にとってはお母さんだったよ!!」
「ああ、嬉し……い……」
幸せそうに微笑んで、乳母は目を閉じた。
そして二度と起きることはなかった。
ルーディウスは乳母に縋って泣いた。
記憶はそこで途切れた。
次に目を覚ますとルーディウスは床に転がっていた。
手足を縛られ、布を口に噛まされている。
どうやら場所は借家であった。乳母が亡くなったのとは別の部屋だが、住み慣れた家だからすぐに居場所は分かった。
ルーディウスの部屋だった。
そして扉が開いてガイズが入ってくる。
「もう目が覚めたのか」
どこか面倒臭そうにそう言った。
そして床に染料で何かを書き始める。
それが終わるとルーディウスを引きずって、その床に書かれた模様の上に落とした。
よく分からないものの逃げようともがくルーディウスをガイズは冷たい目で見下ろす。
またガイズの口から聞いたことのない音が響く。
床の模様が光り、ルーディウスの胸が痛む。
もがいて、暴れて、模様の外へ逃げようとしたが、まるで見えない壁があるように出られなかった。
光は数秒続いた。
そして唐突に消えた。
「『暴れるな』」
ガイズの言葉に体ががちりと固まった。
縛られていた縄や布が外されたのに、ルーディウスの体は指一本すら動かせない。
喋ろうとしても口は開かなかった。
「お前は今日から私の奴隷だ」
愉快そうにガイズが笑う。
それからの日々は地獄だった。
ルーディウスはガイズの下僕として扱われた。
逃亡した際に持ち出した宝飾品のおかげで金に余裕はあり、乳母はそれに殆ど手をつけずに残していたため労働をさせられることはなかったが、ルーディウスは自由を失った。
ガイズの許可なしには口も開けない。
反抗すれば息も出来ないほど胸が痛む。
ルーディウスはガイズの操り人形であった。
その後、ガイズは何やら人を集め出した。
そうしてしばらくすると山賊のような者達にルーディウスを引き合わせた。
事前に「こう言え」と言葉を覚えさせられた。
その山賊のような者達は、かつてルーディウスと乳母を守った皇国の近衛騎士だと言われた。
彼らはルーディウスを見て涙を流した。
自分達の剣を捧げると。
ガイズの許可で動けるようになったルーディウスは、覚えさせられた言葉しか口に出来なかった。
だが男達はそれに喜んでいた。
それからはルーディウスは亡国の皇子として賢者などという組織の頂点に祭り上げられた。
だがルーディウスに出来ることは何もない。
実質的にはガイズが頂点であった。
十歳のルーディウスはただのお飾りである。
しかもガイズはルーディウスに変な腕輪をつけさせた。それはつけていると体の力を抜き取られる不思議なもので、ルーディウスはいつもそのせいで疲れていた。
側には自分を隷属させた男が常に目を光らせており、自分に誓いを立てた男達は自由に話すこともままならないルーディウスを崇める。
ルーディウスは死ぬことも許されなかった。
食事を拒否しても、命令されると体が自分の意思に関わらず無理に口へ入れられる。
死に繋がる行為は全て禁じられた。
それからはずっと操られてきた。
ぼんやりとソファーに腰掛けていたルーディウスの耳に複数の足音と扉を開ける音が聞こえた。
どこからか人の話し声もする。
やがて声が近付き、部屋の扉が壊された。
この部屋の扉は外から鍵がかけられて、ルーディウスは出ることが出来なかった。
そもそも出ること自体禁じられていたが。
破壊された扉の向こうから人影が室内へ押し入ってくる。
それは獅子の姿をしており、他にもシェルジュ国の赤い騎士服を身に纏った者達であった。
それを見てルーディウスは安堵した。
この国の騎士がここに来たということは、少なくともガイズが捕まったということだ。ガイズ以外、この場所は知られていないはずなので恐らくそうであろう。
あれが捕まったなら僕も解放される。
獅子が室内を見回し、そしてルーディウスを見ると何やらゴソゴソと懐を漁った。
そして取り出したものを手に、ルーディウスに近付いて来る。
見たこともない獅子の姿だが恐ろしくはない。
その金色の瞳には理知的な光が窺えた。
獅子は座ったままピクリともしないルーディウスをソファーに寝かせ、服を捲ると、胸元に持っていた小瓶の中身を垂らした。
赤い液体がポタポタと胸元へ落ちる。
それが胸元の刻印に触れるとジュッと音を立てた。
刻印が輝き、胸に痛みが走る。
だが一瞬の出来事で、次の瞬間には胸元にあったはずの刻印が跡形もなく消え去った。
恐る恐る手に力を入れれば己の意思で動く。
胸元に触れてみるが、刻印の痕跡はない。
目尻を熱いものが伝う。
どういうわけか目の前の獅子はルーディウスに施された隷属の刻印を消してくれたらしい。
「ガイズや賢者の者達は我々が捕縛しました。もう、あなたを縛りつける者はおりません」
やや聞き取り難いが獅子はそう言った。
ルーディウスは口を開いた。
小さな口は何か言葉を紡いだが、獅子は聞き取れなかったのか、顔を寄せてくる。
それにルーディウスはもう一度言った。
「……ころして……」
大好きだった乳母はもうこの世にいない。
この数年間、自由を奪われたルーディウスの心は傷付き、疲れ、弱っていた。
例え生きたとしても頼るあてもない。
亡国の皇子などなんの意味もない。
ルーディウスは早く愛する母の下に行きたかった。
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「と、皇子は死を望んでいます」
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「ガイザードが反抗しないよう、満足に食事を与えなかったみたいだからね」
皇子は保護され、王城の貴族用の牢に使われている部屋へ今はいる。
監視も兼ねて世話をする使用人が数名つけられたみたいだが、どちらかと言えば自決しないように気を配る方が問題だろう。
まだ十歳の子供が殺してくれと言う。
亡国の皇族だったばかりに利用された。
おまけに魔力を吸う腕輪がつけられていた。
あれは腕輪の持ち主に、腕輪をはめた対象の魔力を与える奴隷用の腕輪であった。
魔力封じの刻印がありながら、ガイズが問題なく魔術を使えていたのは、ルーディウスの魔力を奪っていたからだろう。
毎日限界まで魔力を搾り取られてルーディウスの体は悲鳴を上げていたはずだ。
しかしガイズはルーディウスから声を奪っていた。
だから訴えることも出来なかった。
元々魔力のある者が魔力切れを起こすと酷い倦怠感と息苦しさ、手足の痺れや震えなど様々な症状が現れる。
きっと、それらをずっと耐えて来たのだ。
自由を奪われ、魔力を奪われ、声も奪われ、頼れる者もおらず、まだ幼いルーディウスには毎日が地獄だっただろう。
「皇子はどうなるのでしょうか」
ライリーがやや暗い声で呟く。
形だけとは言えど賢者の頂点にいた者だ。
未成年で操られていたという点を前面に押し出せば、処刑は免れるかもしれないが、それでも一生軟禁されるだろう。
亡国の皇族という血筋は厄介である。
しかし本人が死を望んでいる。
「処刑はされなくとも、多分毒杯なんじゃないかな。亡国の血を残しても後々悪用されかねないし、本人がそう望んでいる以上シェルジュ国は『本人の意思』を尊重すると思う」
フォルトの言葉にライリーは肩を落とした。
ルーディウスも被害者であった。
ガイズに隷属させられた哀れな亡国の皇子。
「僕の方からそれとなく働きかけて、苦しまない方法にしてもらえるようにするよ」
フォルトに出来るのはそれくらいしかない。
助けたところで苦しみが続くだけだ。
それならば、最期は苦しまずに逝けるように配慮を促す程度ならば出来る。
どちらにせよ皇子は生き残っても自由はない。
フォルトはルーディウスに憐れみを感じていた。
皇国が愚かな振る舞いをしなければ、彼は今頃、皇国の皇子として不自由なく暮らしていたかもしれないのに。
本人にはどうしようもないことだった。
九年前、戦争が始まった時点でルーディウスの運命は決まってしまったのだ。
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