寝取られ令嬢は英雄を愛でることにした
アルム村のヒューイ
* * * * *
ヒューイは十四年前、小さな村に生まれた。
仲の良い両親と少し喧嘩っ早い兄、そして自分の四人家族であった。
貧しいけれども、毎日真面目な父親が働き、母親は家事をこなし、兄はなんだかんだ言って幼い自分の面倒を見てくれた。
小さな家に身を寄せ合って暮らしていた。
ずっと、そんな暮らしが続くと思っていた。
けれど九年前、ヒューイの世界は変わった。
ヒューイの生まれた村はガルフレンジア皇国という今は既に存在しない国の端の方にあった。
ガルフレンジア皇国は九年前、周辺国家と戦争に陥った。
ヒューイには理由は分からなかったが、シェルジュ王国、ウィランズ王国、そしてアルステッド連合国の三国を相手にガルフレンジア皇国は戦うこととなった。
唯一参加しなかったミルア共和国はどの国にも協力しなかったが、ガルフレンジア皇国を助けてくれることもなかった。
戦争が始まった九年前にシェルジュ王国との国境付近にあったヒューイの村はあっという間に蹂躙された。
幼いながらにヒューイは覚えていた。
シェルジュ王国の真っ赤な騎士服を身に纏った男達が突然村に押し寄せ、戦う術のない村人達を殺し、家捜しをしてある物は全て奪っていった。
少ない金を、装飾品を、食べ物を、純潔を、そして命を。
父親は母親と兄とヒューイを逃がすために殺された。
母親は口に出すのもおぞましい行いをされた上で殺された。
兄は母親を助けようとして殺された。
残ったヒューイは戦う術を知らなかった。
だからか、殺されることはなかったが、母親似の外見のせいか奴隷として売り飛ばされた。
僅か五歳で奴隷紋を刻まれ、愛玩奴隷としてシェルジュ王国の貴族に買い取られた。
その後の生活は酷いものだった。
敵国の人間というだけで同じ奴隷からも見下され、買い取った貴族からは毎日のように暴力を振るわれ、食事は日に一度、カビたパンと全く具もなければ味もしないスープだけだった。
粗相をした日は食事すらもらえない。
寒く暗い地下室に押し込められる。
生きるために従順になった。
それでも両親と兄を殺した国の人間だと思うと、心の底からじわりじわりと怒りや憎しみが湧き出したが、それでも我慢し続けた。
十二歳になるまでの三年間耐えた。
その間にガルフレンジア皇国は敗戦し、王族は皆殺しに、貴族達の半数以上も戦死し、生き残りは降伏したという。
国土は戦争に参加した三国に切り分けられ、国は地図から消えた。
それをヒューイは他の奴隷から聞いた。
「お前の国は負けたらしいよ。敗戦国の奴隷なんて、今後どうなることやら」
シェルジュ王国出身の奴隷はそう嗤った。
だけどその奴隷も死んだ。
十二歳の冬、買い取られた先の貴族の屋敷に賊が押し入り、貴族も使用人も皆殺しにされた。
その賊はガルフレンジア皇国の国旗を掲げていた。
皇国の元騎士の生き残りだった。
ヒューイは同じ皇国の出身であることを告げ、仲間に迎え入れられた。
それから一年は賊の一員として生きた。
シェルジュ王国とヴィランズ王国の境に隠れ、両国の村や、行き交う商人などを襲い、燻る復讐心を宥めて過ごした。
そして一年前、賢者と名乗る男と出会った。
男はローブに身を包み、怪しく見えたが、ガルフレンジア皇国の尊きお方に仕えていると言った。
そしてヒューイ達に賢者に入るよう勧誘してきた。
賊の仲間は大半が元騎士だったため、尊きお方にまた仕えられると知り、喜んで承諾した。
ヒューイは尊きお方なんてどうでも良かった。
ただ、賢者に入ればシェルジュ王国に、ガルフレンジア皇国を消し去った三国に復讐出来ると言われたから入ったのだ。
そしてそこでヒューイは力を得た。
ローブの男、ガイズが術式を施した魔石を身体に取り込めば魔獣の力が手に入る。
ヒューイは復讐のためなら苦痛など怖くなかった。
取り込んだ魔石の影響で肌は硬質な鱗のようなもので覆われ、爪や歯は鋭くなり、夜目が利くようになった。
それに魔力も宿り、多少の魔術が使えるようになる。
この魔獣の混じった身体でヒューイは賢者の一員として活動した。
三国の人間は数え切れないほど殺したし、活性化する前の魔石を集めて術式を施す手伝いをした。
賊の頭だったウルグも魔石を取り込んだ。
ウルグはクマの魔獣の魔石だったらしく、以前よりも屈強になり、尊きお方のために「いつかガルフレンジア皇国を再建する」のだと言っていた。
ヒューイは三国の人間を苦しめられさえすれば、それで良かった。
三国に魔獣を撒き散らすという計画はヒューイにとっては最高の計画だった。
いつ現れるかも分からない魔獣に怯えて過ごせばいい。
だからガイズとウルグに協力した。
当時の戦争で他の国も三国に加担していたと聞けば、それらの国へ撒き散らす魔石を必死で集めた。
活性化する前の魔石を集めるのは大変だ。
魔力の溜まった原石は、魔石を取り込んだ影響か本能的に分かったが、それは魔獣化する直前にならないと分からないため、時には術式が間に合わずに魔獣化してしまい戦うことも少なくなかった。
それでも鋭い爪と牙、硬い鱗、そして魔術があれば何とかなった。
ずっと、そうしていくつもりだった。
…………それなのに。
「うーん、ライリーとはちょっと違うみたいだねえ」
鉄格子の向こうから覗き込まれ、睨み返す。
くすんだ金髪に地味な顔立ちの男と暗い茶髪の男、獅子の顔を持つ男、そしてシェルジュ王国の騎士がそこにいる。
首にはめられた魔術に魔力を吸い取られ、目を覚ますとヒューイの体は人間のそれに戻っていた。
魔石の力を失った体は非力だ。
元々、ヒューイは成長期に栄養が足りず、実年齢よりも幼い体つきである。
魔獣の要素がなくなってしまった今、どう抗おうとも、彼らに勝つことは出来ない。
「地下で見た時は鱗っぽいのあったよね?」
「はい、魔術具を装着させてしばらくしたら、このように人の姿になりました」
「じゃあ魔力がなくなると人に戻るってこと? ライリーはそういうのはなかったし、成り方がそもそも違うのかもしれないね。興味深いよ」
まじまじとくすんだ金髪に見つめられる。
腕の拘束がなければぶん殴ってやるのに。
赤服の騎士が聞く。
「本当にこれを連れて行くおつもりで?」
「ええ、それが約束ですからね。僕達は協力する代わりに魔術師をもらう。これともう一人」
「ローブの男とクマの男は我が国が処罰致します」
「本当はそっちが良かったんだけど、まあ、仕方ないですね」
その会話に思わず口を挟んでしまった。
「お前ら、ガイズとウルグをどうする気だ!」
ヒューイの声に全員が振り向く。
「どうって、処刑するんだよ」
くすんだ金髪の男が平然と言った。
処刑? 処刑だって?
またオレから仲間を奪うのか!
「ふざけんな! 九年前お前らがオレ達の村や家族を殺したくせに! オレ達は復讐しただけだ!! 悪いのはお前らだろ?!」
赤服の騎士が顔を顰めた。
「やはりお前もガルフレンジア皇国の生き残りか」
「オレは忘れないぞ! シェルジュ国の騎士達が村を襲ったことも! 母さん達にしたことも!!」
「……騎士達の略奪か。あれはやり過ぎだった」
ヒューイは怒りに任せて怒鳴る。
「やり過ぎだった? なら、何であんなことさせたんだ!! オレ達はただ静かに暮らしていただけなのに!!」
床に座り込んでいるヒューイの視線に合わせるように、赤服の騎士が片膝をつく。
「すまなかった。……言い訳に聞こえるだろうが、私が騎士団長になった五年前からは、そのような行為を禁止している。あの戦争を経験し、あんなことはするべきではないと学んだ者も多い」
「だから何だよ? 学んだ? 禁止した? ……それで母さん達が帰って来るのかよ?! 死んだ人間が生き返るのか?!!」
怒りで視界が真っ赤になったような気がした。
ヒューイにとってシェルジュ国は最も憎むべき国であり、そこに住む人々全てが憎かった。
あのような行いをしておきながら、幸せそうに笑っているのが許せなかった。
それを今更謝罪されたところで何になる?
後悔しても殺された人々は戻らない。
反省しても時間は巻き戻らない。
むしろ、ヒューイにとってはその善人面に憎悪が増しただけであった。
「あのさあ、もしかしてガルフレンジア皇国のしたことを知らないの?」
くすんだ金髪の男が言う。
「戦争の発端は皇国だよ。周辺国と和平を結んでおきながら、皇国は海賊と手を組み、周辺国の貿易海路を長年邪魔していたんだ。海賊が奪ったものを買い取り、それを周辺国へ高値で売り払う。その行いは和平に反する。だから周辺国の怒りを買い、戦争に陥った。自らの行いで首を絞めたんだ」
「嘘だ!!」
「嘘じゃない。僕はマスグレイヴ国出身だけど、ガルフレンジア皇国の歴史も学んだから知っている」
「マスグレイヴ王国はシェルジュ王国を支援してた国って聞いた! そんな国の人間の言葉なんて信じられるか!!」
ヒューイは頭を振って否定した。
くすんだ金髪の男が屈み、ヒューイと同じ目線になると、鉄格子の向こうから覗き込んだ。
「じゃあ、君は何であの戦争が起きたのか知ってるのかい?」
「……知らない。だけどお前らが母さん達を殺したんだ! 村のみんなを殺したんだ!!」
「僕達マスグレイヴ王国はあの戦争には一切関わってないよ。支援もしてない」
ヒューイは一瞬言葉に詰まる。
 
「でも助けてくれなかった!」
それにくすんだ金髪の男が心底不思議そうにヒューイを見た。
「何で僕達が助けなくちゃいけないの? さっきも言ったけど、先に周辺国を裏切ったのは皇国だよ。確かに民は何も知らなかっただろうし、三国の行いは褒められたものではないよ。でもね、恨むなら、そういう行いを選んだ当時の王を恨むんだね」
「っ、だって……」
王族を恨むなんて考えたこともなかった。
だって何も知らなかったから。
……オレ、なんにも知らなかったんだ。
ただガイズやウルグの言うことを聞いて、そうなんだって思ってただけだ。
「言っておくけど、君だって同じことをしたんだよ」
「え……?」
顔を上げるとくすんだ金髪の男が笑う。
「シェルジュ国とヴィランズ国の国境で人々を襲ったよね。戦争に参加していなかった旅人や商人達を自分達の欲望のために襲って殺したんだ。君の村を襲った騎士と何が違うの?」
ザッと血が下がるのを感じた。
今まではそれが復讐になると思っていた。
でも戦争とは無関係だと指摘されて、ヒューイは確かにそうだと理解してしまった。
何の罪もない人々を襲って殺した。
憎い奴らと同じことを、オレはした?
「そんな、ガイズもウルグもそれが、復讐になるって……言った、から……」
頭を振りながら後退るヒューイに、くすんだ金髪の男が更に言葉を重ねる。
「それに戦争に関わっていないマスグレイヴや他の国にも活性化した魔石をばら撒いたね。あれでどの国も大なり小なり人的被害があるんだよ。君は、君が大嫌いだったことを、人々にしたんだ。平穏な日常が突如奪われ、愛する者を一方的に喪う悲しみや苦しみ、一生癒えない傷を彼らにつけたんだ」
今までの暮らしが頭の中を流れていく。
集めた魔石に特殊な術をかけた。
それを手伝うとガイズもウルグも褒めてくれた。
それが撒かれれば、憎い奴らに、戦争に参加した国々に復讐出来ると思った。
でも本当にオレが復讐したかったのは誰だ?
騎士を向けたシェルジュ国か?
助けてくれなかった他の国か?
戦争に参加した三国か?
それとも、戦争を招いた皇国か?
一番古い記憶が蘇る。
父親と母親、兄が笑っている光景だ。
そしてそれが炎に塗り潰される。
「逃げろ!」
騎士達を抑えながら叫ぶ父親。
「母さんを離せ!」
小さな体で騎士に向かって行った兄。
「ヒューイ、あなた、だけ……で、も……」
血を吐きながら倒れた母親。
ヒューイが復讐したかったのは、家族を殺した騎士達であって、それ以外の人間ではない。
一体、いつの間に変わってしまったのか。
でもガイズとウルグは言った。
三国の人間は敵だ。復讐するべき相手だ。
だけど戦争に参加していない人まで傷付ける必要はあるのだろうか。
考えようとすると頭痛に襲われる。
思わず頭を抱えるとくすんだ金髪の男が立ち上がり、ヒューイを見下ろした。
「どうやら洗脳されているようです」
「洗脳?」
「恐らくですが」
せんのう? センノウ? 洗脳?
誰が誰をセンノウなんてしたんだ?
オレがセンノウされてる?
そんなこと、誰が……。
………………ガイズ?
ズキリと突き刺す痛みに思考が纏まらない。
痛い。何で。どうして。ガイズ。
「ああ、君は眠った方がいいよ。大丈夫、次に目が覚めた時には多分治ってるからね」
くすんだ金髪の男の妙に柔らかな声がする。
それに促されるように眠気が襲ってくる。
……痛い、ガイズ、痛い……。
目を閉じる寸前にヒューイが見たのは、淡く輝く美しい術式とくすんだ金髪の男がこちらに手を翳す姿だった。
* * * * *
ヒューイは十四年前、小さな村に生まれた。
仲の良い両親と少し喧嘩っ早い兄、そして自分の四人家族であった。
貧しいけれども、毎日真面目な父親が働き、母親は家事をこなし、兄はなんだかんだ言って幼い自分の面倒を見てくれた。
小さな家に身を寄せ合って暮らしていた。
ずっと、そんな暮らしが続くと思っていた。
けれど九年前、ヒューイの世界は変わった。
ヒューイの生まれた村はガルフレンジア皇国という今は既に存在しない国の端の方にあった。
ガルフレンジア皇国は九年前、周辺国家と戦争に陥った。
ヒューイには理由は分からなかったが、シェルジュ王国、ウィランズ王国、そしてアルステッド連合国の三国を相手にガルフレンジア皇国は戦うこととなった。
唯一参加しなかったミルア共和国はどの国にも協力しなかったが、ガルフレンジア皇国を助けてくれることもなかった。
戦争が始まった九年前にシェルジュ王国との国境付近にあったヒューイの村はあっという間に蹂躙された。
幼いながらにヒューイは覚えていた。
シェルジュ王国の真っ赤な騎士服を身に纏った男達が突然村に押し寄せ、戦う術のない村人達を殺し、家捜しをしてある物は全て奪っていった。
少ない金を、装飾品を、食べ物を、純潔を、そして命を。
父親は母親と兄とヒューイを逃がすために殺された。
母親は口に出すのもおぞましい行いをされた上で殺された。
兄は母親を助けようとして殺された。
残ったヒューイは戦う術を知らなかった。
だからか、殺されることはなかったが、母親似の外見のせいか奴隷として売り飛ばされた。
僅か五歳で奴隷紋を刻まれ、愛玩奴隷としてシェルジュ王国の貴族に買い取られた。
その後の生活は酷いものだった。
敵国の人間というだけで同じ奴隷からも見下され、買い取った貴族からは毎日のように暴力を振るわれ、食事は日に一度、カビたパンと全く具もなければ味もしないスープだけだった。
粗相をした日は食事すらもらえない。
寒く暗い地下室に押し込められる。
生きるために従順になった。
それでも両親と兄を殺した国の人間だと思うと、心の底からじわりじわりと怒りや憎しみが湧き出したが、それでも我慢し続けた。
十二歳になるまでの三年間耐えた。
その間にガルフレンジア皇国は敗戦し、王族は皆殺しに、貴族達の半数以上も戦死し、生き残りは降伏したという。
国土は戦争に参加した三国に切り分けられ、国は地図から消えた。
それをヒューイは他の奴隷から聞いた。
「お前の国は負けたらしいよ。敗戦国の奴隷なんて、今後どうなることやら」
シェルジュ王国出身の奴隷はそう嗤った。
だけどその奴隷も死んだ。
十二歳の冬、買い取られた先の貴族の屋敷に賊が押し入り、貴族も使用人も皆殺しにされた。
その賊はガルフレンジア皇国の国旗を掲げていた。
皇国の元騎士の生き残りだった。
ヒューイは同じ皇国の出身であることを告げ、仲間に迎え入れられた。
それから一年は賊の一員として生きた。
シェルジュ王国とヴィランズ王国の境に隠れ、両国の村や、行き交う商人などを襲い、燻る復讐心を宥めて過ごした。
そして一年前、賢者と名乗る男と出会った。
男はローブに身を包み、怪しく見えたが、ガルフレンジア皇国の尊きお方に仕えていると言った。
そしてヒューイ達に賢者に入るよう勧誘してきた。
賊の仲間は大半が元騎士だったため、尊きお方にまた仕えられると知り、喜んで承諾した。
ヒューイは尊きお方なんてどうでも良かった。
ただ、賢者に入ればシェルジュ王国に、ガルフレンジア皇国を消し去った三国に復讐出来ると言われたから入ったのだ。
そしてそこでヒューイは力を得た。
ローブの男、ガイズが術式を施した魔石を身体に取り込めば魔獣の力が手に入る。
ヒューイは復讐のためなら苦痛など怖くなかった。
取り込んだ魔石の影響で肌は硬質な鱗のようなもので覆われ、爪や歯は鋭くなり、夜目が利くようになった。
それに魔力も宿り、多少の魔術が使えるようになる。
この魔獣の混じった身体でヒューイは賢者の一員として活動した。
三国の人間は数え切れないほど殺したし、活性化する前の魔石を集めて術式を施す手伝いをした。
賊の頭だったウルグも魔石を取り込んだ。
ウルグはクマの魔獣の魔石だったらしく、以前よりも屈強になり、尊きお方のために「いつかガルフレンジア皇国を再建する」のだと言っていた。
ヒューイは三国の人間を苦しめられさえすれば、それで良かった。
三国に魔獣を撒き散らすという計画はヒューイにとっては最高の計画だった。
いつ現れるかも分からない魔獣に怯えて過ごせばいい。
だからガイズとウルグに協力した。
当時の戦争で他の国も三国に加担していたと聞けば、それらの国へ撒き散らす魔石を必死で集めた。
活性化する前の魔石を集めるのは大変だ。
魔力の溜まった原石は、魔石を取り込んだ影響か本能的に分かったが、それは魔獣化する直前にならないと分からないため、時には術式が間に合わずに魔獣化してしまい戦うことも少なくなかった。
それでも鋭い爪と牙、硬い鱗、そして魔術があれば何とかなった。
ずっと、そうしていくつもりだった。
…………それなのに。
「うーん、ライリーとはちょっと違うみたいだねえ」
鉄格子の向こうから覗き込まれ、睨み返す。
くすんだ金髪に地味な顔立ちの男と暗い茶髪の男、獅子の顔を持つ男、そしてシェルジュ王国の騎士がそこにいる。
首にはめられた魔術に魔力を吸い取られ、目を覚ますとヒューイの体は人間のそれに戻っていた。
魔石の力を失った体は非力だ。
元々、ヒューイは成長期に栄養が足りず、実年齢よりも幼い体つきである。
魔獣の要素がなくなってしまった今、どう抗おうとも、彼らに勝つことは出来ない。
「地下で見た時は鱗っぽいのあったよね?」
「はい、魔術具を装着させてしばらくしたら、このように人の姿になりました」
「じゃあ魔力がなくなると人に戻るってこと? ライリーはそういうのはなかったし、成り方がそもそも違うのかもしれないね。興味深いよ」
まじまじとくすんだ金髪に見つめられる。
腕の拘束がなければぶん殴ってやるのに。
赤服の騎士が聞く。
「本当にこれを連れて行くおつもりで?」
「ええ、それが約束ですからね。僕達は協力する代わりに魔術師をもらう。これともう一人」
「ローブの男とクマの男は我が国が処罰致します」
「本当はそっちが良かったんだけど、まあ、仕方ないですね」
その会話に思わず口を挟んでしまった。
「お前ら、ガイズとウルグをどうする気だ!」
ヒューイの声に全員が振り向く。
「どうって、処刑するんだよ」
くすんだ金髪の男が平然と言った。
処刑? 処刑だって?
またオレから仲間を奪うのか!
「ふざけんな! 九年前お前らがオレ達の村や家族を殺したくせに! オレ達は復讐しただけだ!! 悪いのはお前らだろ?!」
赤服の騎士が顔を顰めた。
「やはりお前もガルフレンジア皇国の生き残りか」
「オレは忘れないぞ! シェルジュ国の騎士達が村を襲ったことも! 母さん達にしたことも!!」
「……騎士達の略奪か。あれはやり過ぎだった」
ヒューイは怒りに任せて怒鳴る。
「やり過ぎだった? なら、何であんなことさせたんだ!! オレ達はただ静かに暮らしていただけなのに!!」
床に座り込んでいるヒューイの視線に合わせるように、赤服の騎士が片膝をつく。
「すまなかった。……言い訳に聞こえるだろうが、私が騎士団長になった五年前からは、そのような行為を禁止している。あの戦争を経験し、あんなことはするべきではないと学んだ者も多い」
「だから何だよ? 学んだ? 禁止した? ……それで母さん達が帰って来るのかよ?! 死んだ人間が生き返るのか?!!」
怒りで視界が真っ赤になったような気がした。
ヒューイにとってシェルジュ国は最も憎むべき国であり、そこに住む人々全てが憎かった。
あのような行いをしておきながら、幸せそうに笑っているのが許せなかった。
それを今更謝罪されたところで何になる?
後悔しても殺された人々は戻らない。
反省しても時間は巻き戻らない。
むしろ、ヒューイにとってはその善人面に憎悪が増しただけであった。
「あのさあ、もしかしてガルフレンジア皇国のしたことを知らないの?」
くすんだ金髪の男が言う。
「戦争の発端は皇国だよ。周辺国と和平を結んでおきながら、皇国は海賊と手を組み、周辺国の貿易海路を長年邪魔していたんだ。海賊が奪ったものを買い取り、それを周辺国へ高値で売り払う。その行いは和平に反する。だから周辺国の怒りを買い、戦争に陥った。自らの行いで首を絞めたんだ」
「嘘だ!!」
「嘘じゃない。僕はマスグレイヴ国出身だけど、ガルフレンジア皇国の歴史も学んだから知っている」
「マスグレイヴ王国はシェルジュ王国を支援してた国って聞いた! そんな国の人間の言葉なんて信じられるか!!」
ヒューイは頭を振って否定した。
くすんだ金髪の男が屈み、ヒューイと同じ目線になると、鉄格子の向こうから覗き込んだ。
「じゃあ、君は何であの戦争が起きたのか知ってるのかい?」
「……知らない。だけどお前らが母さん達を殺したんだ! 村のみんなを殺したんだ!!」
「僕達マスグレイヴ王国はあの戦争には一切関わってないよ。支援もしてない」
ヒューイは一瞬言葉に詰まる。
 
「でも助けてくれなかった!」
それにくすんだ金髪の男が心底不思議そうにヒューイを見た。
「何で僕達が助けなくちゃいけないの? さっきも言ったけど、先に周辺国を裏切ったのは皇国だよ。確かに民は何も知らなかっただろうし、三国の行いは褒められたものではないよ。でもね、恨むなら、そういう行いを選んだ当時の王を恨むんだね」
「っ、だって……」
王族を恨むなんて考えたこともなかった。
だって何も知らなかったから。
……オレ、なんにも知らなかったんだ。
ただガイズやウルグの言うことを聞いて、そうなんだって思ってただけだ。
「言っておくけど、君だって同じことをしたんだよ」
「え……?」
顔を上げるとくすんだ金髪の男が笑う。
「シェルジュ国とヴィランズ国の国境で人々を襲ったよね。戦争に参加していなかった旅人や商人達を自分達の欲望のために襲って殺したんだ。君の村を襲った騎士と何が違うの?」
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でも戦争とは無関係だと指摘されて、ヒューイは確かにそうだと理解してしまった。
何の罪もない人々を襲って殺した。
憎い奴らと同じことを、オレはした?
「そんな、ガイズもウルグもそれが、復讐になるって……言った、から……」
頭を振りながら後退るヒューイに、くすんだ金髪の男が更に言葉を重ねる。
「それに戦争に関わっていないマスグレイヴや他の国にも活性化した魔石をばら撒いたね。あれでどの国も大なり小なり人的被害があるんだよ。君は、君が大嫌いだったことを、人々にしたんだ。平穏な日常が突如奪われ、愛する者を一方的に喪う悲しみや苦しみ、一生癒えない傷を彼らにつけたんだ」
今までの暮らしが頭の中を流れていく。
集めた魔石に特殊な術をかけた。
それを手伝うとガイズもウルグも褒めてくれた。
それが撒かれれば、憎い奴らに、戦争に参加した国々に復讐出来ると思った。
でも本当にオレが復讐したかったのは誰だ?
騎士を向けたシェルジュ国か?
助けてくれなかった他の国か?
戦争に参加した三国か?
それとも、戦争を招いた皇国か?
一番古い記憶が蘇る。
父親と母親、兄が笑っている光景だ。
そしてそれが炎に塗り潰される。
「逃げろ!」
騎士達を抑えながら叫ぶ父親。
「母さんを離せ!」
小さな体で騎士に向かって行った兄。
「ヒューイ、あなた、だけ……で、も……」
血を吐きながら倒れた母親。
ヒューイが復讐したかったのは、家族を殺した騎士達であって、それ以外の人間ではない。
一体、いつの間に変わってしまったのか。
でもガイズとウルグは言った。
三国の人間は敵だ。復讐するべき相手だ。
だけど戦争に参加していない人まで傷付ける必要はあるのだろうか。
考えようとすると頭痛に襲われる。
思わず頭を抱えるとくすんだ金髪の男が立ち上がり、ヒューイを見下ろした。
「どうやら洗脳されているようです」
「洗脳?」
「恐らくですが」
せんのう? センノウ? 洗脳?
誰が誰をセンノウなんてしたんだ?
オレがセンノウされてる?
そんなこと、誰が……。
………………ガイズ?
ズキリと突き刺す痛みに思考が纏まらない。
痛い。何で。どうして。ガイズ。
「ああ、君は眠った方がいいよ。大丈夫、次に目が覚めた時には多分治ってるからね」
くすんだ金髪の男の妙に柔らかな声がする。
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