寝取られ令嬢は英雄を愛でることにした

早瀬黒絵

シェルジュ国(2)

 


 煌びやかな廊下を右へ左へと進み、いくつかの階段を上ったり下りたりして、迷路のような道を歩いていく。

 城の構造が複雑なのはどこも一緒なのね、

 すれ違う使用人達がライリーを見て小さく悲鳴を上げたが、ライリーは一瞥すらくれなかった。

 初めてライリーを目にしたら驚くのは仕方ない。

 でも怯えるのはどうかと思うのよね。

 感じる視線を無視してわたし達は長い廊下を黙って進んで、ようやくそれらしい扉の前に到着した。

 分厚い扉は植物の彫刻が施されており、鮮やかな色が塗られ、大きく、重そうである。

 扉の左右に立つ騎士が守っているのだろう。

 騎士達が鋭い視線でライリーを見遣った。

 案内役の騎士がわたし達について言い、扉を守護する騎士達が頷く。

 そして騎士達が扉を押し開けた。

 広い室内に、二階分ほど抜いた天井は高く、宮殿の外装や内装と同様に彫刻や金が翡翠の装飾が煌びやかである。

 広げられた絨毯の上を静かに進む。



「マスグレイヴ王国騎士団、御到着されました!」



 室内中に響く声でわたし達の到着が告げられる。

 絨毯の上を進みながら、そっと視線を巡らせれば、左右には幾人かの騎士達が控えていた。

 玉座のある場所より数段下の、やや離れた位置で立ち止まり、わたし達はそれぞれ礼を取った。



「国王陛下にご挨拶申し上げます。この度は我がマスグレイヴ王国の申し出に応じてくださり感謝申し上げます。マスグレイヴ王国より参りました、宮廷魔術師長ジョエル=フォルト以下騎士団でございます」




 顔は伏せたまましばし待つ。



「皆、面を上げよ」



 その声に顔を上げる。

 一瞬だけ陛下のお顔を拝見する。

 鮮やかな金髪に翡翠色の瞳が美しく、なるほど、この国の王族がこの色合いだから宮殿もそのような色味にしているのだなと納得した。

 七十代近い老齢の王は細身で、豪奢な衣服が少し重そうだが、玉座に座る姿はどこか静謐で凛としていらっしゃる。

 すぐに視線を陛下の足元へ下げる。



「長旅、御苦労であった。此度の件は貴国だけでなく、我が国、そしてそれ以外の国でも深刻な問題となっておる。それを解決するというのであれば協力し合うのは当然のことよ」

「ありがとうございます。陛下の寛大な御判断により、この件は速やかに解決されることでしょう。微力ながら我らも御助力させていただきます」



 そして陛下の視線がライリーへ動く。



「して、そなたが英雄ライリー=ウィンターズ殿か」



 それにライリーが「はっ」と短く返事をする。

 そして獅子の顔を上げた。



「シェルジュ王国国王陛下にご挨拶申し上げます。マスグレイヴ王国が騎士、ライリー=ウィンターズと申します」

「真に獅子の姿なのだな……」

「恥ずかしながら獅子の魔獣を討ち取った際、呪いを受けてしまい、このような姿となりました」

「そうであったか。しかし命を懸けて国を、民を守ろうとしたそなたの働きは素晴らしいものであっただろう」



 ライリーの言葉に陛下はあご髭を軽く撫ぜ、感じ入るように言った。

 そしてしっかりとこちらを見遣る。



「此度の件も活躍を期待する。……長旅で疲れただろう。詳しい話し合いは体を休めてから行うと良い」

「お気遣いありがとうございます」



 そうしてもう一度礼を取る。

 そしてゆっくりと謁見の間を退室した。

 国王との謁見と聞いていたが、本当にただ顔を合わせるだけで終わってしまい、ホッとしたような拍子抜けしたような、何とも言えない気分だった。

 その後は使用人達によってそれぞれあてがわれた部屋へ案内された。全員部屋は近くにしてくれたらしい。

 ちなみにライリーはわたしの隣の部屋だ。

 部屋と言っても続きの間と使用人の控えの間、寝室、そして浴室、使用人の部屋があるためかなり広い。

 部屋には先に来ていたリタとユナ、護衛のシーリスとクウェントも来ていた。



「エディス様、おかえりなさいませ」



 リタがすぐに紅茶の用意をしてくれる。

 温かなそれを一口飲むと一気に力が抜けた。

 少々お行儀は悪いが、ソファーに深く腰掛けて背もたれに脱力して寄りかかるわたしにユナが小さく苦笑を漏らす。



「お疲れ様です」

「ありがとう。さすがに国王陛下とお会いするのは緊張するわね」

「何かお言葉を交わされたのですか?」

「いいえ、わたしは何も」



 まあ、話しかけられることはないと思っていたから、こちらとしてもその方が良い。

 わたしはあくまで英雄の婚約者。

 向こうからしても婚約者が同行しているという程度の認識で、わざわざ国王陛下が声をかける理由もないのだ。

 紅茶を飲み干すとおかわりが注がれる。



「この部屋は安全そう?」



 扉の左右にいる護衛二人に問う。



「はい、覗き穴や隠し通路などはありませんでした」

「魔術の痕跡もないので、盗聴の心配もないです」



 それならばこの部屋で寛いでも大丈夫ね。

 覗きや盗聴が出来るようにされた部屋は城に限らず、貴族の屋敷なんかにもある。

 しかしそういった部屋に通されなかったのは意外であった。

 もしそういう部屋だった場合、あれこれと理由をつけて部屋を替えてもらうつもりだった。

 わたしの部屋にはライリーが訪れる。

 リタやユナならばまだしも、他国の見知らぬ人間にライリーと二人でいる時の様子を覗き見られたり、自分の生活を監視されたりするのは嫌だ。



「ありがとう。二人のおかげで安心してこの部屋で過ごせるわ」

「我々は右隣の部屋におりますので、何かありましたら何なりとお呼びください」

「ええ、でもあなた達もよく休んでね」



 シーリスとクウェントは礼をして部屋を出た。

 右隣が護衛二人、左隣がライリーの部屋となった。

 向かい側はフォルト様とレイス様という安心安全な配置である。

 恐らく、この後にライリー達は賢者について宰相と話をするのだろうから、わたしは大人しくしているに限るわね。

 ユナにお願いして刺繍道具を持ってきてもらう。

 無地のハンカチを何枚か持ってきているから、それにチクチクと針を刺しながら過ごすことにした。

 昼食は自室で摂った。

 夕食はフォルト様、レイス様、ライリー、わたしの四人が招かれて宰相と共に摂ることとなったが、わたしは最初の挨拶以降はほぼ口を開かずただ笑っていた。

 だって国の自慢や宰相の娘の話を聞かされたって反応に困るもの。

 三人共、娘の話になると無難な対応を取っていたけれど、わたしは内心では少し面白くなかった。

 貴族が娘について語るというのは遠回しに「我が家の娘と結婚する気はないか」と問いかけているようなものだ。

 フォルト様もライリーも婚約者がいる。

 フォルト様のことは知らずとも、ライリーの場合はわたしが横にいるのだから、こういう話題は常識的に考えてしないと思う。

 よほど娘に自信があるのだろう。

 早々に食事を済ませて自室へ戻る。

 ライリーもわたしのエスコートを理由に、いつもより食べた量が少ないのに席を立った。

 案内役のメイドについて部屋に戻るとライリーが「話がしたい」というのでこちらの部屋へ招き入れる。

 ユナに紅茶とお菓子を用意してもらう。

 わたし達はソファーへ腰掛けて息を吐いた。



「さっそく来たな」



 ライリーに的を絞ったわけではないようだけれど、優秀な者を引き抜こうという意思は感じ取れた。

 わたしのことは完全に無視してたわよね。

 それに気付いたライリーが途中から眉を顰めていたのだが、獅子の姿だからか、気付かれなかったようだ。



「フォルト様は途中からいい笑顔でしたわね」

「あれは聞き流してる時のお顔だ」

「なるほど」



 あのいい笑顔はそういうものなのね。

 あんな話をされて黙って聞いているからフォルト様らしくないなと思っていたが、単に聞き流していただけなら納得出来る。

 娘の話が出始めた時からレイス様の無表情は輪をかけて無になっていたし、レイス様も興味がなかったのでしょう。

 紅茶を飲むわたしの横で、ライリーがお菓子を食べる。やはり夕食は足りなかったらしい。

 もぐもぐとお菓子を食べているライリーを見ていると、先ほどまでのちょっと嫌な気持ちも消えていく。



「夕食前の話し合いで決まったが、賢者の捕縛または討伐は明日行うことになった。相手がこちらの情報を集める前に叩く」



 先に到着した使節団のおかげでシェルジュ国の騎士達も準備は既に整っているそうだ。

 ライリー達がそれで良いのであれば、わたしが何か言うことはない。



「そうですか。ではわたしは出来るだけ部屋に引きこもっていますわ」

「すまないが、そうしてくれ」



 でも殿下からいただいた魔術具があるから、そこまで心配する必要はないと思う。

 心配そうに見下ろされて微笑み返す。



「護衛もおりますもの、大丈夫ですわ」



 それよりもライリー達の方が心配だった。

 賢者はかなり魔術に精通しているはずで、もしかしたらライリー達は苦戦するかもしれない。

 そうならないことを願うしか出来ることはない。

 そっとライリーに抱き着き、その頬に口付けた。






 * * * * *







 翌朝、自室で朝食を摂った後にライリーの部屋へ行った。

 ライリーは既に身支度を整えており、マスグレイヴ王国の近衛騎士の制服に身を包んでいた。

 獅子の姿でのそれはやはり格好良い。

 わたしが部屋に入れば抱き締められた。

 大丈夫だと言われた気がした。



「……ライリーは今日も格好良いですわね」



 そう言って笑えば、ライリーも笑い返してくれる。



「エディスも今日も綺麗だ」

「ありがとうございます」



 リタとユナが頑張ってくれたおかげね。

 昨夜は二人にこれでもかと磨かれたので、今日のわたしは全身ツヤツヤである。

 宰相が娘を勧めてきた件を知った二人が「他の女性に負けないくらい美しくいたします」といつにも増してやる気を見せてくれたのだ。

 旅装束のものと違い、今着ているドレスはライリーの色である黄色で、フリルやレースがあって華やかで美しい。

 ライリーから初めてもらったネックレスとピアスもして、全身でライリーの婚約者であることを主張している感じになってしまったが、それくらいしないとまたライリーに粉をかけられる可能性もある。



「こんな美しい君を一人にするなんて不安だ……」



 こめかみに鼻が押し当てられる。

 もふもふな口元がふにっと顔に触れた。

 その頬に手を回して撫でる。

 ああ、相変わらず素晴らしいモフモフだわ。



「心配しすぎよ。いい子で待ってるわ」

「ああ、出来るだけ早く戻る」

「無理しないでくださいね」



 もう一度ギュッと抱き締め合い、体を離す。

 ライリーは剣を確かめ、わたしを隣の部屋までエスコートしてくれた。

 丁度向かい側の扉が開いてフォルト様とレイス様が出てきて、わたし達を見た。



「やあ、それじゃあ僕達は行ってくるよ」



 まるで散歩にでも行くような気軽さだ。

 片手をひょいと上げてのんびりと言うものだから、わたしも肩に入っていた力が抜ける。



「はい、皆様お気を付けてください」



 それぞれに「行ってくる」「行ってきまーす」「行って参ります」と挨拶をして廊下を歩いていく。

 その背が角に消えるまで見送った。

 ……さて、今日は静かにしていましょう。

 ライリー達の無事を願いながら部屋へ入った。

 持ってきた本でも読もうかしら。

 旅の間に馬車の中で読もうと思い持ってきたけれど、結局読まずにいた本が何冊かある。

 それを読みながら過ごせば時間なんてあっという間に過ぎるでしょう。






* * * * *

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