寝取られ令嬢は英雄を愛でることにした
ヴィネラ山脈(5)
朝食後、片付けをし、火の始末をしたわたし達は次の街へ向けて出発した。
相変わらず馬車にはフォルト様が浮遊と反射の魔術をかけてくれたので、今日の旅も大変快適なものだろう。
午前中は何事もなく、馬車の中でリタとユナと三人でのんびり過ごした。
昼食は今まで通り外で食べた。
午後は一度魔獣と遭遇した。
でもあっという間に討伐されたため、特にこれといって大きな問題も起きず、ライリーの言葉通り夕方より少し前に次の街へと到着した。
シェルジュ国とヴィランズ国の境にある街。
名前をシーランというそうだ。
あまり大きな街ではないが、ヴィネラ山脈を越える旅人や商人達が必ず立ち寄る街だそうで、活気がある。
門を潜り抜けて街へ入ると途端に人が増えた。
馬車の外から聞こえてくる喧騒が何だか懐かしく感じる。山の静けさに慣れた頃だったので、街の賑やかさがいつもに増してより大きく感じた。
「賑やかね」
「そうですね」
「私は賑やかな方がホッとします」
わたしの言葉にリタが頷き、ユナが楽しそうに窓の外へ視線を向けた。
人通りが多いからか馬車の動きはゆったりだ。
ちなみに街が見え始めた辺りで魔術を解除したため、今はガタゴトと馬車が揺れている。
この揺れも何だか久々な感じがする。
宿を取ると皆が忙しなく荷物を下ろす。
わたしはそれを宿の部屋から眺めていた。
部屋の前には護衛のシーリスとクウェントがいるため、室内にいるのはわたしだけだ。
こうやって一人になるのも久しぶりね。
ライリーの下へ来てから、侍女であるリタかユナが常に側に控えてくれていた。
その二人も今は荷下ろし中だ。
「本当にあの山を越えたのね」
夕焼けに染まり始めたヴィネラ山脈を見る。
旅と言っても、わたし自身は始終馬車の中にいるのであまり感慨深い気持ちにはならない。
そこまで国同士が離れているわけでもなく、建物や着るものが大きく変わらないことも、旅を実感出来ない理由の一つかもしれない。
でももうシェルジュ国なのよね。
部屋の扉が叩かれる。
声をかければ、荷物を持ったリタとユナが入って来た。
「エディス様、これからはドレスを着られますよ!」
嬉しそうにそう言うユナに苦笑する。
「今だってドレスでしょう?」
「それは旅用の簡素なものではありませんか。やはり綺麗なドレスがエディス様には一番です」
わたしからしたら旅用のドレスの方が過ごしやすいのだけれど、ユナの様子を見る限り、すぐにでもドレスを着替えさせられそうだ。
箱に収められたドレスをユナが楽しそうに運ぶ。
「エディス様、紅茶を淹れ直しましょうか?」
荷下ろしの前にリタが淹れてくれた紅茶はもう冷めてしまっているが、わたしは首を振った。
「いえ、いいわ。せっかく淹れてくれたんだもの」
それにあまり飲み過ぎると夕食が入らない。
一、二杯程度でやめておくべきだろう。
そうして夕焼けがヴィネラ山脈を赤く染め上げていく様を眺めながらのんびりと過ごす。
日が沈むと街の明かりがぽつりぽつりと灯り出し、夜空に星が瞬いていく。
夕食の時間まで、わたしは窓辺で街と月明かりに照らされた山脈を眺めて過ごしたのだった。
* * * * *
夕食はライリー達とは別だった。
ライリー達はわたしの護衛ということなので、同じ席について食事をすることは出来ない。
この中で、貴族はわたし一人なのだ。
わたしの親が雇ったのがライリー達。
そういうことになっている。
それならとわたしは部屋で食事を取ることにした。
どうせ一人で食べるなら、人目の多い場所で食べるよりかは、部屋でゆっくりと食べた方が落ち着ける。
夕食を摂り、食後の紅茶を飲んでいると来客があった。
「旦那様がいらっしゃいました。どうなさいますか?」
「お通ししてちょうだい」
リタがライリーを部屋へ入れ、ユナが紅茶の準備をする。
ライリーは部屋へ入って来るとわたしの下へ真っ直ぐに来て、額に口付けてきた。
わたしがソファーを勧めると隣へ腰を下ろす。
「食事は済ませたか?」
「ええ。でも少し寂しいです」
「……すまない」
申し訳なさそうにライリーが眉を下げたので、わたしは大丈夫だと体を寄せた。
「ライリーが謝ることではありませんわ」
頬へ手を伸ばし、傷跡を優しく撫でる。
わたしの手にライリーが頬をすり寄せる。
「そのことで話があって来たんだ」
ライリーの話によると昨夜、ヴィネラ山脈で野宿をしている時に賊に襲われたらしい。
襲撃してきた者達はほぼ討ち取ったそうだ。
わたしが「気付きませんでした」と言えば「フォルト殿が馬車を防音魔術で覆っていた」と返されて納得した。
疲れていても、外で騒ぎが起きればさすがにわたしでも目を覚ましただろう。
しかし魔術で音を遮断されれば別だ。
その賊は賢者が雇ったハンター崩れだったそうで、その集団の頭を捕まえて、雇った側に「依頼を完了した」と嘘の報告をさせることにしたという。
そうすれば次の襲撃はない。
その頭が裏切らないように見張りの騎士を三名つけたそうだ。
だが報告をさせても、騎士団がそのまま旅を続ければすぐに噂は賢者の耳に届くだろう。
簡単に嘘がバレてしまう。
そのため、王城に着くギリギリまでは騎士団であることを隠すことにした。
「幸い、ここから先は大きな街も多い。俺達がわざわざ魔獣を討伐しなくてもハンターは大勢いる」
もちろん、道中で魔獣が出れば討伐する。
そして生き残った騎士団が自国へ逃げ帰ったと思わせるため、騎士服姿の二名の騎士をマスグレイヴ国へ戻した。
そして残ったライリー達は騎士服ではなく、念のために用意していた私服と装備を身に纏い、ハンターか傭兵だと周囲に思わせることにした。
明らかに貴族の令嬢であるわたしがいるので、表向きはわたしと侍女二人の護衛として、わたしの両親に雇われたという設定を決めた。
貴族の、それも若い女性の旅となれば、それなりの数の護衛を連れていてもさほど不審がられないらしい。
もし人数について言及されてもわたしが「両親が心配性で」と言えばそれまでだ。
一応、聞かれたら「傭兵とハンターの両方を雇ったらしい」と言っておけば、人数の多さも誤魔化せる。
ちなみにライリーは傭兵側らしい。
フォルト様とレイス様はお抱えの魔術師。
つまりこの集団で一番上は表向きわたしである。
「まあ、エディスは貴族の御令嬢らしく優雅に過ごしてくれればいい。俺達が上手く演じるさ」
それなら難しいことは何もない。
王都まではそうして、王都へ入ったら、着替えてマスグレイヴ王国から派遣された騎士団として堂々と城へ入る。
ライリーが獅子の姿へ戻るのは、国王陛下との謁見の直前になるそうだ。
本当にギリギリまで英雄の存在は隠すのね。
「賢者を捕まえに行くまで、ライリーの存在は隠していた方がいいのではないかしら?」
「いや、あえて晒すことで動揺させるんだ。それで俺を狙いに来れば、こちらも堂々と戦う理由が出来る」
「昨夜の襲撃は理由にはならないの?」
「証拠がない。襲撃者の頭の証言だけではな……」
活性化した魔石のことは公には出せない。
だから他の理由が必要になる。
他国の騎士が賢者と戦う正当な理由が。
「その後は王城に滞在することになる。俺達はシェルジュ国と協力して賢者を討伐するが、その間、エディスは城で待機してもらう」
「分かりましたわ」
わたしは戦う術がないのでいても邪魔だもの。
留守番なのは当然だわ。
「……早く帰りたい」
ギュッと抱き締められ、ライリーが呟く。
「そうね、帰って結婚式の準備をしたいわ」
きっとお母様も気を揉んでることでしょう。
寄りかかれば頭の上に顎が置かれる感触がした。
「ああ、早く君を妻にしたい」
その熱のこもった声に顔が赤くなる。
ライリーから顔が見えなくて良かった。
きっと、今のわたしは顔が緩んでしまってるから。
* * * * *
翌日、わたしは旅装束ではない普通のドレスに身を包んでいた。
朝食はやはり部屋で摂った。
それからライリーに声をかけて、外出していいか聞くと、一緒に出かけることになった。
まあ、令嬢とその護衛という体でだが。
それにユナも一緒である。
街に出て、大通りを当てもなく歩く。
「宝飾店が多いわね」
通りに面する店の看板を見る限り、宝石や貴金属店などが軒を連ねている。
「シェルジュ国から宝石や貴金属を手に入れやすいのでしょう。小さなものであれば街の者達でも手に入る値段のようですよ」
護衛としてついているライリーが人々を目で示す。
よく見ればこの街の人は皆、何かしら装飾品を身につけていた。おしゃれね。
というか、ライリーのこの言葉遣いが懐かしい。
最初の頃を思い出す。
「何か買って行かれますか?」
「うーん、そうね、お母様へのお土産を買いたいわ。今は荷物になるから帰る時がいいわね」
「分かりました」
わたしの一歩後ろで歩くライリー。
街の人、特に女性がチラチラとライリーへ視線を向けているのが分かった。
人の姿のライリーって美丈夫だものね。
「ねえ、あそこで甘いものでも食べましょう」
丁度見つけたお店を示す。
ほんのりと甘い香りが漂ってくる。
朝食を食べたばかりだけど、美味しそうな匂いのせいか、ちょっと小腹が空いてしまった。
ライリーが笑って頷いた。
「お伴します、お嬢様」
差し出された手に、自分の手を重ねる。
そうしてライリーにエスコートされながらお店に入っていく。お店は開店したばかりなのか人気が少ない。
店員が来て、席へ案内される。
ライリーがわたしを座らせると別の席へ行こうとしたので、袖を掴んで引き止めた。
「ライリーもここに座って」
「ですが……」
「恋人なら一緒に座ってもおかしくないわ」
そう言えばライリーはキョトンとした後、とても嬉しそうに破顔すると、向かいの席についた。
「護衛と恋仲だと思われますよ?」
「別にいいわ。そういうのってよくありそうだもの、きっと大丈夫よ」
それにその方が堂々とライリーと歩けるもの。
メニュー表を見ると、どうやらこのお店はクレープというものの専門店らしい。
書かれているのを読む限り、薄く伸ばした生地に果物やクリームなどを入れた甘味だそうで、食べるのは初めてだ。
「ライリーは何にする?」
「そうですね、俺はこのベリーを使ったものを」
「じゃあわたしはチョコレートね」
ライリーが店員を呼び、二人分の注文をする。
飲み物は二人ともストレートの紅茶だ。
先に紅茶が出てくる。
それを飲みながら待っていれば注文したものがやって来た。
白いお皿の上に平たい三角形のものが載っている。色は黄色っぽくて、薄い生地の中にクリームや果物が入っているのが分かる。わたしのものは上からチョコレートソースがかかっていて、ライリーの方は赤い、おそらくベリーソースがかかっている。
ナイフとフォークで一口大に切り、口に運ぶ。
柔らかな生地は微かに優しい甘さがあり、中のクリームと甘さと果物の酸味、チョコレートソースの甘味とほんのりとした苦味が合わさってまったりとした甘さが綺麗に調和する。
生地の柔らかい食感も面白い。
「……美味しい」
「……思ったより酸っぱいな」
もう一口切り、ライリーへ差し出した。
「これも食べてみて?」
差し出したそれをライリーがぱくりと食べる。
「ん、チョコレートの方が美味いです。こっちの方が俺は好きかもしれない」
「チョコレートはほんのり苦みがあるのよね」
「俺もお返しをしないと」
今度はライリーがクレープを差し出してくる。
それを食べるとベリーの酸味が口に広がった。
クリームの甘味と、ベリーの方はカスタードクリームも入っているらしい。そこにイチゴやラズベリーなどが入っていて、甘酸っぱいベリーソースがかかっている。
ちょっと強めの酸味でさっぱり食べられる。
でも五感の鋭いライリーにはこの酸味は少々きついかもしれない。
「お皿を交換しましょうか? そのベリーのクレープ、ライリーには酸味がきつ過ぎませんか?」
ライリーが目を丸くする。
「いいんですか?」
「ええ、わたしはベリーの方も美味しく食べられますから、チョコレートはライリーが食べてください」
ライリーへお皿を寄せると、少し考えるようなしぐさをした後に、ライリーは自分のお皿をわたしの前へ移動させた。
こっそりお互いのお皿を交換する。
わたしはベリーのクレープをもう一口食べた。
うわあ、ここはかなり酸っぱい。大粒のラズベリーが入っていて、甘みよりも酸味の方がちょっと強い。
生地とクリームの甘みがあるから美味しいけれど、あのままライリーが食べたら酸っぱさに驚いたかもしれない。
ライリーはチョコレートのクレープを美味しそうに食べている。
やっぱりベリーのクレープは酸っぱかったのね。
あっという間にチョコレートのクレープをライリーは食べ終えてしまった。
わたしもベリーのクレープを食べる。
「せっかくだから今日はこの街の美味しいもの巡りをしましょう!」
クレープもなかなかに美味しかった。
他にも初めて見るものがあるかもしれない。
ライリーも頷いた。
「ええ、今日はお嬢様にお付き合いします」
そうしてわたし達は街を巡りながら、美味しいものや珍しいものを食べて回った。
腕を組んでいても、恋人同士だと言えばさほど目立たなかった。
まあ、お店の人には貴族の御令嬢が護衛に夢中になっている風に見えたかもしれないけれど。
フォルト様やレイス様達にもお土産を買って帰ると、特にフォルト様が喜んでいた。
後から知ったが、フォルト様はきちんとした料理よりも屋台の食べ物やお菓子の方が好きらしい。
そういえばいつも呼ばれて行くと、軽食も並んでいたが、常にオレンジジャムサンドクッキーばかり食べていたような。
お土産の中でも甘いものばかり取っていた。
「フォルト様、食べ過ぎです」
「あっ、返してよ〜」
「夕食が食べられなくなってしまいます」
夕食前にお土産を沢山食べて、それを見咎めたレイス様に怒られていた。
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