寝取られ令嬢は英雄を愛でることにした

早瀬黒絵

ヴィネラ山脈(1)

 




 翌々日は気持ちいいほどの快晴だった。

 熱が出たものの、丸一日ベッドで休んだおかげか、今朝にはすっかり熱も下がっていた。

 ライリーだけでなく、リタやユナにも心配されたけれど、今日のわたしは至って健康である。

 考えてみたらわたしの体はある意味強いのよね。

 継母達に虐待されても耐え切っていたもの。

 しかも今は健康的になった。

 だから多少疲れが出ても、きちんと休めば、こうしてすぐ元気に戻れるのだ。

 朝食だってしっかり食べられたわ。



「いやあ、君が元気になって良かったよ」



 馬車に乗り込む前に日差しの暖かさを感じていると、フォルト様に声をかけられた。



「あっちはまだ疑ってるみたいだけどね」



 あっち、と目で示された方にはライリーがいる。

 目が合うとちょっと慌てた様子で逸らされた。

 今朝からずっとわたしを目で追っているライリーは、多分、わたしのことが心配で仕方ないのだろう。

 その気持ちは嬉しいが少し過保護でもある。



「エディス様、さあ、馬車の中へお早く」



 そうリタに声をかけられた。

 フォルト様が「おや、こっちにも」と笑う。



「まあ、無理はしないでね」

「はい、ありがとうございます」



 軽く手を振るとフォルト様は離れて行った。

 街を出てしばらくは、一昨日と同様にライリーの馬に相乗りするらしい。

 レイス様も同じく他の騎士の後ろへ乗るそうだ。

 わたしも馬車へと乗り込んだ。

 続いてリタとユナが乗る。

  騎士達が荷馬車に必要な物資などを積み込み、使節団の準備も整うと、ゆっくり馬車が動き出す。

 せっかく国境の街に来たのに回れなかったわね。

 でも二度と来れないわけじゃない。

 帰り道だって同じなのだから、その時にこの街を見て回ることも出来るでしょう。

 街を出たらそこからがヴィランズ王国である。

 街の門を馬車が抜けて、ついに入国した。

 辿る街道の先には連なる山々が見える。



「あれがヴィネラ山脈?」



 向かい側に座るリタへ訪ねると頷かれる。



「はい、そうですよ」

「……大きいわね」



 想像していたよりも高く山々が連なっている。

 なるほど、魔術でも使わなければ一晩であれを越えるのは無理そうだった。

 街が見えなくなったところで馬車が一旦止まる。

 窓から顔を覗かせれば、ライリーの後ろに乗っていたフォルト様がそこから降りるのが見えた。

 使節団の馬車へ手を翳す。

 すると前回同様に馬車の下部に術式が浮かび上がり、淡く発光し始めると、車体が微かに浮き上がる。

 あんな風になっていたのね。

 よくよく見ると車輪は地面についていない。

 次にフォルト様がこちらに近付いて来る。

 わたしが見ている目の前で詠唱を口にし、馬車へ手を翳せば、ふわりと一瞬体が揺れた。

 つい、まじまじと馬車の下にある術式を覗き込めば、フォルト様がニコリと笑って次の馬車へ向かって行った。

 何度見ても魔術って不思議だわ。

 こんな重たい馬車が宙に浮くなんて。



「エディス様、お身体を冷やしてしまうのでそろそろ窓を閉めましょう」



 ユナにそう言われて素直に窓を閉める。

 これから馬車は山を登っていく。

 山は野生の動物だけでなく魔獣も他に比べると多いらしい。

 それに場所によっては賊が潜んでいることもあるので、出来る限り早めに通り抜けたいそうだ。



「エディス様はまだ病み上がりなのですから、お休みください」



 ユナが座席にクッションを置き、そこに寄りかかるよう促される。

 そうすると今度はリタが毛布をかけてくれた。



「休憩の際にはお声をかけますので」



 リタがそう言い、ユナと共に見つめて来るので苦笑してしまう。

 これは休むまで見張ってるつもりね。

 山の景色も楽しみたかったけれど、あまり心配をかけるのも悪いので、目を閉じてクッションに寄りかかる。

 自分でも驚くほどすんなりと眠りに落ちた。







* * * * *








 馬車に魔術を施したフォルトがライリーの下へ戻る。

 その後ろへひょいと乗りながら言った。



「エディス嬢の馬車だけは防音もかけておいたよ」



 これで多少外が騒がしくとも、馬車の中で休んでいるだろうエディスの耳までは音が届かない。

 その気遣いにライリーが小さく頭を下げた。



「ありがとうございます」

「いいっていいって」



 ひらひらと手を振って応えた主人にライリーは前を向き、全体へ指示を出して、馬を走らせ始める。

 周囲を警戒しつつも頭の片隅で思い出す。



「この旅の中で最も危険なのは、明日のヴィネラ山脈越えだ。恐らく襲われる」



 エディスが熱を出した夜、ライリーを呼び出した主人はそう口にした。

 主人は耳が早い。

 それは彼の目や耳の代わりとなる者がいる証であり、その者達は主人自身に仕えているのだろう。



「それは山賊に、ということでしょうか?」

「表向きはね」

「実際には?」

「マスグレイヴ国からの魔獣討伐派遣をやめさせようと、賢者ワイズマンが雇ったハンター崩れかな」



 魔獣が討伐されて減ることは、賢者の売り物である活性化した魔石の入手数が減るということだ。

 それを邪魔したいのは当然か。



「シェルジュ国へ潜入させているからの情報だから確かだよ。向こうは僕達のことをただの騎士団だと思ってる。だからハンター崩れで何とかなるだなんて楽観視してるんだ」



 それはまた随分と我が国の騎士は甘く見られたものだ。

 だが同時にその気の緩みは好機でもある。



「どうなさいますか」



 主人はうっそりと笑う。



「頭以外は潰す。隠密に長けた騎士を何人か連れて来ているよね?」

「はい、御指示通りに」

「じゃあ三人選出して。潰したハンター崩れのふりをさせるから、それが出来る者を」

「分かりました」



 その意図をライリーは正確に理解していた。

 既にその三人も選出済みで、騎士達には山賊が出るだろう旨は伝えてある。

 リタやユナ、護衛達にも教えてあった。

 この山越えではエディスには馬車の中でほぼ過ごしてもらうことになるだろう。

 出来れば人を切る姿は見られたくないが、いざその時になれば、そうは言っていられない。



「!」



 ざわりと首元を悪寒が抜ける。

 魔獣らしき魔力の気配をいくつか感じた。



「前方に多数の魔獣反応あり!」



 ライリーの声に騎士達の表情が引き締まる。

 全体の速度が徐々に落ちていく。

 すると街道の前方にポツポツと影が現れた。

 それを視界に留めると馬達が止まる。



「魔獣を確認! ストーンニードルが二、グリーンウッドが三! レッドボアが一!!」



 先頭の騎士が魔獣の種類を報告する。

 ストーンニードルは硬い岩で出来たトゲを背に持つ大型のネズミで、グリーンウッドは動く樹木で顔のようなうろが正面に三つある。レッドボアはどこでも出現しやすい小型イノシシの魔獣である。小型と言ってもストーンニードルと大きさは同じだ。

 こちらに気付いて近付いて来る魔獣に、馬を降りて戦闘態勢に入る。



「第一、第二はストーンニードル、第三はレッドボア、第四と我々はグリーンウッドへ対応! 他は警戒を維持!」



 ライリーの指示に了解の声が上がる。

 二名一組で今回は編成しているため、魔物一匹につき一組で対応しても問題ないだろう。

 ストーンニードルは背のトゲを生かし、体を丸めて体当たりしてくるので、それを避けて柔らかい体の前面へ攻撃を行えば良い。

 レッドボアも突進さえ避けてしまえば多少は硬いが剣は通る。

 この中で厄介なのはグリーンウッドだ。

 風魔術で飛ばしてくる葉は一枚一枚が小さなナイフのように切れ味が良く、長い枝を伸ばしてしならせ、鞭のごとく振るってくるので近付き難い。

 ここが森の中でなければフォルトかレイスが火魔術で灰にするところなのだが、そうもいくまい。

 うぞうぞと木の根を動かしながら緩慢な動作でグリーンウッドが二体近付いてくる。

 これ以上近付かれると他の騎士達も巻き込んでしまう。

 ライリーとレイスを乗せていた騎士とその相棒の騎士。三人が前へ出る。

 フォルトとレイスは後方で全体を見ながら、場合によっては魔術によって支援を行うつもりだ。



「一体任せた」



 ライリーの言葉に二人の騎士が頷く。

 それを確認し、ライリーは剣を抜いた。

 グリーンウッドは移動自体は鈍足だが、木の葉と枝の攻撃は驚くほどに素早いので油断出来ない。

 剣を構えたライリーにグリーンウッドが何かを感じたのか動きを止め、その場で体である木を揺らす。

 落ちた葉が風に舞い上がった。

 ……来る!

 ライリーが駆け出すのと、風に舞った木の葉が鋭さを増して襲いかかって来たのは同時だった。

 真正面から木の葉混じりの風が吹く。

 もう後一歩で木の葉に引き裂かれると思われた瞬間、僅かな土埃を残してライリーの姿が消え、木の葉がライリーのいた地面へ容赦なく突き刺さる。

 グリーンウッドのうろからひび割れた老人のような呻き声が漏れる。

 ふ、とグリーンウッドに影が差した。

 持ち前の身体能力で跳躍したライリーは勢いのままに剣を振り下ろした。

 寸前で気付いたグリーンウッドが数本の枝を犠牲にして難を逃れ、僅かに後退する。

 そこへ更にライリーは踏み込み、二撃三撃と剣を振るう。

 その度にグリーンウッドの枝が減っていった。

 焦った様子でグリーンウッドがもう一度体を揺らし、木の葉の刃をライリーへ飛ばす。

 それを弾こうとしたライリーは感じた魔力に構えを解き、数の減った葉は突如現れた黒い壁に飲み込まれた。

 木の葉が効かないと分かると、グリーンウッドは根を伸ばして歩みを続けるライリーの足へと向ける。

 それに気付いたライリーは根を断ち切った。

 けれども、土の中から出てきた数本の根がライリーの右足に絡みつく。

 グリーンウッドはこれでライリーの動きを封じたと思い、耳障りな声を上げた。

 ライリーは己の足に絡みつく根を一瞥し、足に力を込めて踏み出した。バキベキボキ。音を立てて根が引き千切れた。

 姿は人間だが、ライリーは獅子の呪いにより身体能力が向上しただけでなく、その魔力を自身の体に巡らせることで常人にはありえない力を発揮出来る。

 魔術が使えないが身体強化だけは感覚で行えた。

 それでも全力ではない。

 ライリーは足に力を込めると駆け出した。

 元いた場所の土が少し抉れる。



「っ……!」



 走りながら伸びてきた枝を切り捨てる。

 グリーンウッドの枝がついに尽きた。

 次の枝が生えるまで数拍の間があった。

 そしてライリーは腕に魔力を少し巡らせると、剣を両手で握り、真横に薙ぎ払った。

 ザクリという音と共にうろから短い呻きがする。

 後方へグリーンウッドが倒れると、その樹木の体が上下に真っ二つに分かれて転がった。

 しばらくするとグリーンウッドの体や根が黒い塵となり、朽ちていく。

 振り返れば他の騎士達も討伐を終えたところである。

 残った魔石を回収したライリーはフォルトとレイスの下へ戻る。



「レイス殿、ありがとうございます」



 途中、木の葉を飲み込んだ黒い壁は、レイスの闇魔術による影の壁であった。



「微力ながら失礼致しました」

「いえ、おかげで討伐にかかる時間を短縮出来ました。それに木の葉を弾くと剣がかなり傷んでしまうので助かります」



 木の葉を弾くことも可能だったが、レイスの影の壁の方が確実に防ぐことが出来ただろう。

 何度もこれには助けられてきた。

 それに今ライリーが持っているのは他の騎士達と同じ剣であるため、木の葉を弾けば最悪刃こぼれをしたかもしれない。剣の破損は極力避けるべきだ。

 だからあれで正解であった。

 ライリーの言葉にレイスが口角を引き上げた。

 それは刹那の時間だったが、レイスがライリーの言葉に喜んだのは間違いない。



「は〜い、魔石どうも〜」



 横でフォルトは騎士達から魔石を回収していた。

 そこで報告を受けるが怪我人はいない。

 それにライリーは満足げに頷いた。

 見た目は王城に仕える一般の騎士だが、この任務のためにかなりの精鋭で揃えて来ているのだから、無傷なのは当然の結果である。

 馬達も落ち着いたものだ。

 魔石の回収と状況の確認を終えると、それぞれ馬に跨り、所定の位置に戻る。



「周辺、魔力反応なし。進め!」



 ライリーの指示により全体はまた動き出した。

 その日、これを含めて三度魔獣の襲撃に遭ったが、騎士団はそれらを悉く討ち取った。

 使節団を護衛していたハンター達は後にこう語った。

 あれほど安全な旅は経験したことがない、と。





* * * * *

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