寝取られ令嬢は英雄を愛でることにした

早瀬黒絵

初めての旅(5)

 


 わたしが笑うとライリーも嬉しそうに破顔した。



「エディス、ありがとう」



 それから一口分をフォークで取り、わたしの顔の前に差し出される。



「じゃあ一口だけ、な?」



 差し出されたそれに頬が熱くなる。

 まあ、これってあーんだわ!

 恋人達がよくやる愛情の示し方ね!

 そういえば、今まで一緒にお茶をしたりしていたのに、こうして食べさせ合ったことはなかった。

 でも病人でもないのに人に食べさせてもらうって、何だか凄く恥ずかしいわ……。



「エディス」



 名前を呼ばれ、促されるままそっと口を開けた。

 そこにケーキごとフォークが入れられる。

 口を閉じるとゆっくり引き抜かれる。

 ……思ったほど人参の味はしないのね。

 でもドライフルーツとナッツの食感も楽しく、優しい甘さで、ライリーの言う通りカボチャのケーキより食べやすいかもしれない。



「美味いか?」

「ええ、とっても美味しい」

「それは良かった」



 そうしてライリーが人参のケーキを食べる。

 あのフォーク、ライリーが使ったものだった。

 それをわたしも口をつけてしまった。

 これって、これって、間接キスというのよね?

 唇への口付けだってもうしているのに、どういうわけか、急に気恥ずかしくなってくる。

 きっと今のわたしは顔が真っ赤だわ。

 ライリーはわたしを見た。



「エディス? どうかしたか?」



 どうやらライリーは無意識だったらしい。

 ぺろりと唇についたクリームを舐めながら問われ、ついその唇に視線がいってしまう。



「あの、フォークが……。ライリーの使ったものを、わたしも使ってしまって……」

「あっ」



 ライリーが手に持ったフォークを見る。

 それから金色の瞳の目尻がサッと赤く染まった。

 お互いについ視線を逸らし、でも気になってしまって視線を向けると、やっぱり目が合ってしまう。



「す、すまない、気が回らなくて……」

「いえ、いいんですの。……嫌ではありませんから」



 そう言うと、不意にライリー様の顔が強張った。

 何か変なことを言ってしまったかしら?

 見れば何かに耐えるように手を握っている。

 あまりにも強く握るのでフォークが少し歪んでしまっており、そのことに気付いていない風だった。



「ライリー様?」



 首を傾げたわたしから、ライリーが視線を外す。

 フォークを持っていない方の手で口元を覆うとボソボソと言った。



「あまり可愛いことを言わないでくれ。君に口付けたくて堪らなくなってしまう」



 そうしてライリーは腰を浮かせると、体を伸ばしてわたしの額に一つ口付け、残念そうに離れていった。

 口付けって、唇にってこと、よね?

 旅を始めてから毎日の「いってらっしゃいのキス」と「おかえりなさいのキス」はしていない。



「わたしも、もう二日もしていなくて寂しいです」

「……そうか」



 唸るような呟きがして沈黙が降りる。

 でもお互いに顔が赤い。



「エディス、宿に戻ろう」

「え?」

「我慢出来ない」



 そう言ったライリー様がケーキをやや雑な動作で素早く食べ、紅茶を流し込んだ。

 エスコートされて席を立ち、会計を済ませ、真っ直ぐに宿への道を戻る。

 その間、ずっと握られた大きな手の熱さにドキドキと胸が高鳴っていた。

 ライリーの姿が変化する条件は口付けだ。

 わたしと、唇を重ねるだけの優しいものだ。

 でも旅の間は姿を変化させてはいけないと言われている。シェルジュ国までずっとだ。

 だが前にライリーとショーン殿下は「がっつりなら大丈夫」と言っていた。

 そしてライリーは我慢出来ないと言った。

 それは、つまり、宿に戻ったらがっつりな方の口付けをするということ?

 想像してしまうカッと体温が上がる。

 繋がる手に力がこもってしまった。



「……嫌か?」



 前を向いたままライリーに問われる。



「…………嬉しい」



 愛する人に求められるって幸せだわ。

 ライリーは黙って手を握り返してくれた。

 少し余裕のない足取りで宿に戻り、ライリーは護衛達に部屋で休むよう告げ、わたしの部屋へ来た。

 予定よりも早く戻ってきたわたし達にリタは驚くことなく礼を取り、ユナと共に部屋の隅に控える。

 正直、これからすることをリタとユナに見られるのはとても恥ずかしい。

 でもそれ以上に嬉しいと思うわたしがいる。

 抱き上げられたかと思うとライリーがそのままソファーに座ったので、わたしはその膝の上へ横向きに座ることになった。

 身を寄せ合うよりずっと距離が近い。



「ああ、エディス……」



 どこか甘えるように頬が合わせられる。

 すりすりと何度か頬同士が触れ、それから、肩口にライリーが顔を埋めてくる。

 首元まで詰まったドレスなのに、ライリーの吐いた熱い吐息が首に触れたような気がした。

 肩口に額が押し当てられる。

 ライリーって人の姿でも獅子の時と全く同じ仕草をするのよね。あまり手でベタベタと触らず、どちらかというと鼻というか頬というか、顔をこすりつけるような触れ方をする。

 でもそれがネコ科の動物が顔をゴロゴロすりすりしてるみたいで、とってもお可愛らしいのよね。

 じゃれるように肩に当てた額でぐりぐりされる。

 だからライリーの頭に触れて、髪を梳くように撫でる。黄金のように輝く髪はやや硬くて、でもサラサラで、指通りは意外と良い。

 ……あ、頭の形も良いのね。

 上げられた顔と目が合う。

 かなり近い、それこそ少しでも首を伸ばせば簡単に口付けてしまえそうな、そんな距離にある金色の瞳は蕩けそうに熱い視線を向けてくる。

 ライリーが僅かに顔を寄せた。

 唇同士は触れる寸前、躊躇うように一瞬止まる。

 ……お願い、やめないで。

 首を伸ばして自分の唇をライリーのものへ重ねる。

 そのまま離れると魔術が解除されてしまうので、触れ合わせた唇を更に押し付ける。

 薄っすら目を開けて窺えば、ギラリとこちらを見る金の瞳と視線が絡み合う。

 あ、ちょっとダメだったかしら?

 思わず顔を引こうとしたが、後頭部にライリーの手がかかり、がっちりと押さえ込まれてしまう。

 触れ合っていただけの唇にライリーの唇が噛み付くように重なり、開いた唇の隙間から熱いものが侵入して舌に触れた。



「ふ、……ん、っ」

「ん……」



 逃げようとした舌が熱いものに絡み取られる。

 互いの吐息が混ざり合い、どちらのものか分からない唾液を何とか飲み込みながら、歯をなぞる動きに体が跳ねる。

 い、息が続かない……!

 体の力が抜けかけると唇が離れた。



「はぁ……っ」



 肺いっぱいに空気を吸い込んでいるわたしを、ライリーの手が優しく撫でる。

 見上げれば、ぺろりと自身の唇を舐めるライリーがこちらを物憂げに見下ろしている。



「ラ、ライリー、もう少し、手加減して……」



 まだ息の荒いわたしの頬に口付けが落ちる。



「エディスが煽るのが悪い」



 それはさっき、わたしからしたことかしら。



「だ、だって、急にやめようとなさるから……」

「あまりがっつき過ぎて嫌がられないか心配だったんだ」

「嫌がるなんて、そんなことありませんわ」



 喜ぶならまだしもね。

 わたしの言葉にライリーはふっと笑う。



「そのようだな」



 そうして近付いてきた顔に目を閉じる。

 重なる唇の感触も好き。

 わたしより大きな口の、薄い形の良い唇は少し乾燥してカサついていて、でも柔らかい。

 ……ふふ、さっき食べたケーキの匂いがするわ。

 きっとわたしも同じなのでしょうね。

 口を開ければ熱いものがするりと我が物顔で入ってきて、好き勝手に口内を触られる。

 でもそれが嫌じゃない。

 それどころが気持ちいいような気さえする。

 互いの唾液も混ざって、そのうちどちらがどちらなのか境目が分からなくなってくる。

 先ほどは苦しくなったけれど、今度は途中途中で僅かに唇同士の間に隙間が出来て、呼吸が続く。

 長く深い口付けの後に唇ゆっくり離される。

 金色の瞳の色が濃くなっている。

 目尻が赤く染まり、ライリーの日焼けした肌が普段よりもほんのり赤く、触れている体も熱い。

 骨張った手の親指がわたしの唇を拭った。



「……そんな目で見るな。やめられなくなる……」



 そんな目ってどんなかしらね。

 ただライリーはそれでも目を逸らさない。



「ライリー、もっと、いいですわよ?」



 むしろこの二日間の寂しさを埋めるために、もっと欲しいと思う。

 太い首に腕を回せば金色の瞳が細められる。

 顔を寄せて瞳を覗き込んだ。

 ガッと唇を奪われる。



「んんっ」



 後頭部と背中に腕が回っている。

 逃がさないと言う風に抱き寄せられて、また重なった唇が何度も角度を変えて深く口付けてくる。

 羞恥心があったのは最初だけ。

 唇が重なる度にそれ以上の幸福感が生まれ、求められている喜びが生まれ、愛したい、愛されたいと願ってしまう。

 わたしの体力が持たなくて、降参するまでライリーに何度も何度も口付けられた。

 わたしの唇は少し腫れてるだろう。

 ライリーは機嫌が良さそうにわたしを抱き締め、ぐったりするわたしの肩口に顔を埋めている。



「……手加減、してくださいな」

「これでもかなり我慢してる」

「そ、そうですの……」



 ライリーの即答に顔が引きつりそうになる。

 これで我慢しているの?

 婚約中に口付けるだけでこれならば、結婚したら一体どうなってしまうのかしら。

 怖いような、嬉しいような、恥ずかしいような。

 でもやっぱりちょっと不安はある。

 わたしも体力をつけるべきかもしれないわね。

 寄せられた顔に決意する。

 帰ってきたら絶対に乗馬を習おう。



「……」

「……?」



 唇が触れる直前でライリーが固まった。

 驚いた表情だったので、わたしも目を丸くした。

 ライリーは眉を寄せると壁を見た。

 それからもう一度口付けをしようとして、やっぱり何やら鬱陶しそうに首を振ると壁を睨み付ける。

 そうして大きく溜め息を零した。



「フォルト殿に呼ばれた……」

「あら」

「くそっ、笛を使うのはなしだろ」



 ああ、あの笛ね。あれで呼ばれたの?

 動物にしか聞こえないという笛は、ショーン殿下が離れた場所にいるライリーを呼び出したり、指示を出したりするのによく使われるそうだ。

 それにしても笛で呼び出すとは。

 ライリーは今は人の姿だし、五感は変わらず鋭いので問題なく聞こえるだろうけれど、そんなに急いで呼び出す用事でもあるのだろうか。

 いまだ鳴っているのかライリーが耳に手を当てた。



「……すまない、行ってくる」



 よほど煩いのか顔を蹙めたまま言う。

 しょんぼりと肩を落とすライリーの頬へ口付ける。



「いってらっしゃいませ」



 はあ、ともう一度息を吐いてライリーが立つ。

 わたしも立ち上がって、乱れた服を整えてやれば、少しだけ雰囲気が和らいだ。

 名残惜しげに皮膚の硬い親指がわたしの唇をなぞり、頬に触れ、離れていった。

 笑顔で大きな背中を見送り、扉が閉まると、ソファーへ崩れ落ちる。

 ……は、恥ずかしい……っ!!

 その後、ユナが口紅を直してくれた。







* * * * *







 ライリーは鳴り止まない音に顔を蹙めた。

 普通の人間には聞こえない、高く鋭い笛の音が、先ほどから引っ切り無しに続いている。

 それも最初のうちは「来い」と短く呼んでいたのが、こちらが無視しようとすると「早く来い」に変わり、今は恐らく息が続く限り吹いているのだろう。

 廊下を歩きながら軽く髪を後ろへ撫で付け、襟元を正し、音の鳴る部屋の扉を叩く。

 そして開いた扉の中にはレイスがいた。



「中へどうぞ」



 相変わらず淡々とした様子で迎え入れられる。

 同時に笛の音が止んだ。

 中へ入り、後ろで扉が閉まると、片手に笛を持ったフォルトがベッドの縁に座って肩で息をしている。



「ちょっとお、なんで、すぐ、来ないのさあ」

「位置の把握からして急用ではないと分かっておりましたので」



 一つ部屋を挟んだ向こうから呼ばれたのだ。

 笛を使うよりも普通に呼んだ方は近い距離なのに、笛を使われ、それも婚約者との甘い時間を遮られたのだ。

 怒りは抑えたが淡々とした返事になる。

 それにフォルトが笛を手放した。



「いやいや、急用だよ?! 君達が婚姻前に進みすぎちゃわないようにっていう優しい上司の配慮だよ?!」



 離した笛が紐に引っ張られて服の下へ消える。

 首にかけられた紐で留めてあるので落とすことはなく、ローブで隠れているため、見られることもない。



「それくらいの忍耐力はあります」



 今度こそライリーはジロリとフォルトを見た。

 それにレイスが呆れた風に息を吐く。



「ですから、お止めしたのに……」

「だって戻ってきたかと思ったら部屋に閉じこもって、全然動かないんだから心配するでしょ?」



 どうやらフォルトは部屋に閉じこもったライリーとエディスが、婚姻前に一線を超えてしまうかもしれないと危惧したらしい。

 そういえば以前「僕ほどの魔術師ならば魔術を使用しなくても、近場に限り、強い魔力を持つものの居場所が何とな〜く分かる」と言っていた。

 その時は何を冗談をと思っていたが、冗談ではなかったようだ。



「でしたら部屋に確認しに来れば良いでしょう」



 部屋の扉を叩けばいい。

 ライリーもエディスも貴族として婚前交渉はしないようにしているし、ライリー自身もエディスが大事なので、安易に手を出すような愚は犯さない。

 それだけ大切にしたいのだ。

 確かに今日は大分グッときたが。

 それでも、そういった行為には及ばなかった。

 年上の男としての威厳や意地もあったかもしれない。



「いやいや、そういう場面に出くわすのって物凄く気まずいじゃないか! やだよ!」



 本当に嫌そうに顔を蹙めたフォルトに、ライリーは目を丸くしてしまった。

 レイスが横からライリーに耳打ちする。



「こう見えてフォルト様は初心ですので」

「余計なことをいうな!」



 レイスは首をひょいと引っ込めて飛んできた枕を避けると「汚れますよ」とそれを拾ってベッドへ戻す。

 少々赤い顔のフォルトをライリーは珍しく感じた。


 

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