寝取られ令嬢は英雄を愛でることにした
初めての旅(2)
そのお二人を眺めていると声をかけられた。
「エディス、長時間の馬車での移動は初めてだろう? 大丈夫か? どこか痛めていないか?」
いつもと違う青い騎士服姿のライリーが寄ってきて、抱き寄せられる。
その心配した様子の金の瞳に微笑み返す。
「大丈夫ですわ。馬車の居心地が思っていたよりもとても良かったので、とても快適でした」
あまり長時間馬車に乗り続けたことはないが、それでもさすがに何時間も座った体勢でいれば疲れるだろう。
それにお尻も痛くなる。
でもこの馬車の座席はとても柔らかくて、街道とは言えど街の外なので悪路になるかと思っていたが、揺れもそれほどなかった。
「そうか。……フォルト殿とエディスが乗る馬車は内装も座席も一見すると普通だが、実は高級品に替えてあるんだ。そのおかげだろう」
「まあ、そうなんですの?」
「ああ、フォルト殿が『長時間乗っても疲れない馬車がいい』と急いで交換させていた」
それも御自身の財産から費用を出していた。
そう聞いて思わず笑ってしまった。
だから長時間乗っているのにあまり疲れていないのね。フォルト様に内心で感謝することにした。
リタが用意してくれた敷き布の上で、フォルト様と近侍の魔術師と、ライリー、わたしの四人で寛ぐ。
他の騎士達も各々で休憩している。
「そうだ、まだ紹介してなかったよね? こっちはユール。僕の世話役兼部下ね」
「部下兼世話役です。ユール=レイスといいます、よろしくお願いします」
あら、近侍の名前を初めて聞いたわ。
でもきっとこれも偽名なのでしょうね。
ライリーとわたしも改めて自己紹介を行い、和やかに休憩を終えるとまた馬車に乗り込んだ。
今日は後三、四時間ほど走れば今夜宿泊予定の村へ着くそうだ。
フォルト様は今度は起きて過ごすらしい。
相変わらずだらりと力の抜けたような格好で座って、窓枠に頬杖をついて、外を眺めている。
視線を辿れば馬車の傍につく騎士がライリーに交代していた。
……馬に乗っているライリーも素敵ね。
思わずニコニコと眺めてしまう。
「婚姻届、出したんだって〜?」
フォルト様の茶化すような声に頷き返す。
「ええ、ですが承認は式の日に、ということになっておりますので、今はまだ婚約中ですわ」
「そうらしいねえ。でもそんなに早く出すとは思わなかったなあ。何で?」
不思議そうにフォルト様が首を傾げる。
それにわたしは困ったように笑った。
「ライリー様の意思表示、ですわね」
「意思表示?」
「プロポーズしていただきましたの。ライリー様はわたしといつ夫婦になっても良いとおっしゃってくださり、その決意を示すために早く出されましたの」
「……あのライリーがねえ?」
他にも理由があるだろう、と目で促される。
やっぱりフォルト様はお気付きになりますわよね。
そんな理由だけで早く出したわけではない。
「実は最近、ライリー様の第二夫人や愛人志望の方々からそれとなくお手紙やお誘いが届いているそうで、ライリー様がうんざりしておりまして。わたし、恥ずかしながらそれに嫉妬してしまいましたの」
騎士爵位もギリギリ一代限りの貴族なので、正妻以外にも女性を侍らせることが出来る。
とは言っても、それが出来るだけの財力も必要になってくるので全ての貴族がそうとは限らない。
「ははあ、分かった、それを聞いたライリーが勢いに任せて出したんでしょ?」
「ええ、まあ、そのようなものですわ」
その婚姻届に実は他にも書かれているのだけれど、それはわたしとライリーと、そして承認してくださる陛下だけの秘密になるだろう。
個人的にはそれが広がった方が嬉しい。
だがそうなると英雄が妻の尻に敷かれていると思われるかもしれなくて、ちょっと考えてしまう。
だから必要な時にだけ口に出せばいいのだ。
「愛されてるねえ」
どこか嬉しそうな声音に頷く。
「わたしもそれ以上に愛してる自信がありますわ」
「君達みたいなのを相思相愛と言うんだろうなあ」
「でも、フォルト様もそうでしょう?」
「まあね、エディス嬢のおかげで前よりもずっとお互いの距離が近くなったよ」
あら、もしかしてわたしがあれこれしたの、気付かれているのかしら。そうよね、気付くわよね。
わたしは黙ってニコリと笑っておいた。
* * * * *
それから数時間馬車に揺られて村へ着いた。
村と言ってもそれなりに大きくて、賑わっており、泊まる宿も結構大きかった。
わたしとリタとユナは同室で角部屋、わたしの右隣がライリー、ライリーの向こうがフォルト様とレイス様、といった具合になった。わたしの向かい側の部屋にはウィンターズから来ているわたしの護衛が二人。
ライリーとフォルト様達は周辺の魔獣を討伐するために、荷物を置いて情報を集めるとすぐに宿を出て行ったので、わたし達は留守番である。
村を見て回っても良いと言われたけれど、来た時にだいぶ目立っていたから外出はやめた。
代わりにユナと護衛の一人が買い物に出てくれて、近くのお店で買ってきたというお菓子でお茶会を開くことにした。
お茶会はわたしとリタとユナ、護衛の二人。
護衛の方々ともきちんと話してみたかったのよね。
一人はシーリス。あまり目立たない顔立ちの男性で、わたしの護衛によくついてくれている。
一人はクウェント。やや神経質そうな顔立ちの男性で、時々見かける護衛で、魔術も多少使えるそうだ。
最初は恐縮していた二人だったけれど、わたしとリタ、ユナが気軽に話しているのを見てか、緊張していたのは少しの間だけだった。
「そうなの? ではあなた達もライリー様のところへ来たのは最近のことなのね」
「ええ、お嬢様が婚約者になった際に護衛を理由に雇われましたので」
「我々は元は別の家に仕えていたのですが、そこのクソガ……坊っちゃまに気に入らないとクビにされました。そこを旦那様に拾っていただきました」
「まあ、それは大変でしたわね」
てっきりもっと前から雇われていたと思ってた。
そうしてクウェントは意外と口が悪いのね。
言いかけ、横にいたシーリスに脇を肘で突かれて慌てて言い直していたけれど、何を言おうとしていたのか分かってしまったわ。
でもつまり、ライリーはわたしを婚約者として屋敷に置くと決めた時点で護衛まで手配してくださっていたということで。
ちょっと頬が緩んでしまった。
「でもこれで良かったと思っています。旦那様の下はとても働きやすいです」
「ただお嬢様があまり出かけないから護衛って感じもしないですけど」
「こら、クウェント!」
クウェントをシーリスがまた肘で突く。
「ごめんなさいね。本当はお買い物もしたいの。だけど王都では色んな方に話しかけられて、落ち着いて出かけられないから……」
「お嬢様はあの一件で人気がありますからね」
元婚約者の起こした魔獣事件の際に、民を逃したことが、その時に現場にいた人々の口から広がったのだ。
内容はどれも好意的なもので嬉しいのだが、同時に尾ひれがついて大袈裟な噂になっている気がする。
そのせいかお屋敷を出て買い物をしようとすると、街の人々というか、お店の人や子供に話しかけられるのだ。
それが嫌というわけではない。
でもそのうち人集りが出来てしまうので、噂が落ち着くまではお屋敷でのんびり過ごしている。
「御結婚されたら、それはそれでまた目立つことになるでしょうから、今のうちに慣れた方がいいと思います」
クウェントの言葉に考える。
そうかもしれないわね。英雄の妻になれば、更に目立つことになるでしょうし、街中で話しかけられることも増えるかも。
変に引きこもるより堂々と過ごすべきかしら。
「そうね、王都に戻ったら考えてみるわ」
干した果物の混じったクッキーを食べる。
かなり固めに焼き締められていて、パキリと割れる音が少しばかり心地良い。
「ねえ、あなた達はここに来るまでどんなお仕事をしていたの? やっぱり前も護衛だったのかしら」
「そうと言えばそうですが、それ以前は流れのハンターをしておりました」
「我々は全員同じパーティーを組んだハンターで、いくつかの国を旅しながら魔獣を狩って稼いでましたね」
まあ、全員元ハンターなの?
魔獣討伐を主な仕事にしている方のことよね。
よく耳にする言葉だが、実際にハンターと話すのは初めてだわ。荒くれ者が多いと聞くし。
でも目の前にいる二人はそういう感じはない。
「今までどのような魔獣を狩ってきたの? 魔獣の素材ってどれくらいの額で売れるの? 魔獣の魔術ってどんな感じ?」
思わず前のめりになるわたしに、シーリスとクウェントが目を丸くし、そして吹き出した。
「お嬢様はハンターに嫌悪しないんですか」
「それどころか興味津々なんですね」
「ハンターが魔獣を狩ってくれるから商人達は安心して街道を行けるのだと聞いたわ。大事なお仕事よ。嫌うなんてないわ」
「貴族の御令嬢は『魔獣は野蛮なもので、それを狩るハンターも野蛮』と思うことが多いのですよ」
何よそれ。そうだとしたら魔獣討伐に出る騎士も野蛮ってことになるじゃない。おかしいわ。
むしろハンターは感謝されるべきなのよ。
毎日彼らが魔獣を討伐してくれるおかげで、街や村は魔獣に襲われずに済むのだし、そこで手に入る魔石は貴族達の装飾品にされることも多い。
荒くれ者もいるだろうが全員がそうではない。
現にシーリスとクウェントがそうだ。
そう言えば二人は笑った。
「ありがとうございます。お嬢様にそう言っていただけると、とても嬉しいです」
「旦那様がお嬢様を大事になさる理由が分かりました」
そう言った二人が、その後、ずっとウィンターズ騎士爵家の護衛として雇われ続けたのは別の話である。
* * * * *
二人の話を聞いているとあっという間に時間が過ぎて、ライリー達が宿へ戻ってくる。
それに気付いたシーリスが席を立った。
「旦那様がお戻りになられました」
それにクウェントが食べかけのクッキーを慌てて口の中へ放り込み、紅茶を流し入れた。
シーリスも立ったまま紅茶を飲み干し、二人分のカップを盆へ戻す。
二人は真っ直ぐに立ち、表情を引き締める。
「それでは我々は廊下にいますので」
「御用や外出の際はお声がけください」
二人して「紅茶と菓子を御馳走様でした」と述べるとピシッと背筋を伸ばして部屋を出て行った。
わずか一分足らずの出来事にわたしは目を丸くしつつ、何とか頷いて応えたが、扉が閉まってから首を傾げた。
「何で出て行くの?」
「旦那様が戻られたからですわ」
「今までのは護衛の仕事の内ってこと?」
「そういうわけではありませんが、護衛と、いえ、他の男性と楽しくお茶会をしているところを見て旦那様が嫉妬なさるかもしれません。ですので彼らは退室しました」
あら、そういうこと?
でも護衛の二人はライリーが選んだ人達でしょうに、その方達に嫉妬するものなのかしら?
ユナとリタも自分の分のカップと、残っていた取り分け皿を手早く片付け、部屋の隅へ立つ。
まるで示し合わせたようなタイミングで部屋の扉が叩かれた。
それにリタが誰何する。
「俺だ」
という声にリタが扉を開けた。
室内へライリーが入ると扉が締められる。
「おかえりなさい、ライリー。お疲れ様」
わたしもソファーから立ち上がって、近寄り、その大きな体に抱き着く。
首に腕を回して頬へ軽く口付けた。
「ああ、ただいま」
同じく頬へ返される。
基本的にシェルジュ国に着くまでライリーは人の姿を維持しなければならず、唇へのキスはそれまでお互いにお預けである。
任務のためとは言えど少し寂しい。
ライリーもそうなのか、頬へのキスの後も、腰に回る手が離れる気配はない。
「そうですわ、甘いものはいかが? この村のお菓子も素朴で美味しいですわよ」
「買いに出たのか?」
「いいえ、ユナと護衛のシーリスに買いに行ってもらったの。わたしが出ると目立つから」
旅装束だが平民から見ればドレスはドレスだ。
一目で貴族だと分かる格好なので、この村の中でうろつくのはかなり目立ってしまう。
ライリーと共にソファーへ腰かける。
騎士服から、僅かにだが森の匂いがした。
「魔獣の討伐は無事終わりまして?」
「ああ、この村の周りにいたのはスモールラットやレッドボアなんかの弱い魔獣ばかりだったから早く済んだよ」
「レッドボアは以前見たビッグボアとは違いますの?」
ビッグボアはとても大きくて硬そうだった。
ボアとついているのだから同じくイノシシの魔獣なのでしょう。でもビッグボアの印象が強くて、弱い魔獣というのがよく分からなかった。
ライリーの手がわたしの頭を撫でる。
「ビッグボアの三分の一くらいの大きさで、体色が赤みを帯びていて、魔術はあまり上手く使えない。普通のイノシシに近い。スモールラットはこれくらいの大きさのネズミで、歯が異常に硬い」
これくらい、と開かれた手の幅は軽く頭二個分以上はあって、想像したらげんなりする。
「全くスモールないですわね」
「そうだな、だがそれより大きくて強いのがいるから、スモールラットなんだろう」
「では大きいのはビッグラット?」
「残念、大きいのはグレイラットという」
そっちは色の名前なのね。
名付けた人、謎だわ。
ライリーはフッと笑うと立ち上がった。
汗を流したらまた来るという。
どうやら先に様子を見に来てくれたらしい。
テーブルから一枚だけクッキーを摘んで、行儀悪く食べながら部屋を出て行った背中を見送る。
「紅茶の用意をしておいてもらえるかしら?」
「かしこまりました」
きっとすぐに戻ってくるだろう。
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