寝取られ令嬢は英雄を愛でることにした

早瀬黒絵

初めての旅(1)

 





 シェルジュ国への派遣の話から五日。

 リタやユナなど、使用人達は大慌てで旅行の準備を整えてくれた。

 お母様はちょっと憤慨していたけれど、出来ることはしておいてくださるとおっしゃってくださった。

 今回の旅は変装したショーン殿下と護衛が数人、ライリーとわたし、リタやユナ、魔獣討伐という名目でライリーの部下達、そして使節団という大所帯だ。

 旅の最中、ライリーは常に人の姿でいるそうだ。

 わたしと侍女、ショーン殿下と護衛は馬車に乗り、他は殆どが馬に乗って向かう。

 使節団も馬車だそうだが関わることは少ないかもしれない。何せ乗る馬車が違うのだ。

 わたしも旅用の動きやすいドレスを急ぎ用意したが、たった五日間しかなかったので、全て既製品だ。お針子達はきっと夜通し手直し作業に追われたことだろう。

 ライリーもいつもの近衛騎士の服ではなく、旅の間は他の騎士達と同じ服装で紛れて過ごすらしい。

 入国寸前までは英雄の来訪を隠すつもりか。

 人の姿で青い騎士服を身に纏うライリーと旅用の控えめなドレスに身を包んだわたし、そしてリタを乗せた馬車は王城へ向かう。

 もう一つのシンプルな馬車は荷物用で、そちらにはユナとライリーの雇っている護衛が乗っているはずだ。



「シェルジュ国までどれくらいかかるの?」

「そうだな、二週間といったところか」

「そう、地図で見ると近そうなのに」

「途中で山を越えるんだ。一気に登ると体への負担が大きい。それを避けるためにもゆっくりと登っていく必要がある」



 ああ、そういうことね。

 旅の間の注意事項を聞いているうちに馬車は王城へ着き、そこには既に騎士達と荷馬車が二台待っていた。

 リタが先に降り、ライリー、そしてライリーの手を借りてわたしの順に降りる。

 でも馬車から出ると騎士達が微かに騒ついた。

 顔を上げれば視線が突き刺さるのが分かる。



「初めまして、エディス=ベントリーと申します。旅は初めてなので御迷惑をおかけしてしまうかもしれませんが、皆様どうぞよろしくお願い致します」



 その場でカーテシーを行い、やや声を張り上げて、全員に聞こえるように挨拶をする。

 シンと静まり返った中でライリーが咳払いをした。



「私の婚約者だが、よろしく頼む」



 途端に騎士達から声が上がった。

 全員が喋るので全ては聞き取れないけれど、概ね好意的なものであったため、ホッと息を吐く。

 そして祝福の声をかけられた。

 あまりに多いので浅く頭を下げることで応える。

 本当は一人一人に感謝の言葉を伝えたいが、それをするには少々人数が多い。

 その騎士達の中からヒョイと手が上がった。



「やあやあ、大人気だねえ」



 聞き覚えのない声と覚えのある緩い口調。

 気付いた騎士が慌てた様子で脇へ避けたため、その人物の姿が目に入る。

 濃い紫色のローブはフードや袖、裾などに金色のラインがが入っており、胸元には紅い宝石が輝いている。

 しかしフードの下の顔は記憶にあるものとは違う。

 ややくすんだ金髪に青白い肌。それに整い過ぎてもいないが不細工でもない、何というか記憶に残り難い顔立ちで、目は開いてるのか分からなくなるような糸目だった。

 思わずライリーを見れば微かに頷き返される。



「初めまして〜、僕はジョエル=フォルト。今日から君達と一緒に旅する宮廷魔導師だよ。よろしくねえ」



 ああ、なるほど、そういう設定ですのね。

 ライリーと共に礼を取る。

 宮廷魔導師は実は結構地位が高いのだ。

 特に胸元の石の色で階級が変わる。

 白は一番下、そこからオレンジ、赤、そして紅。一番上の紅は宮廷魔導師の中で最上位の地位。



「お久しぶりです、フォルト殿。こちらは私の婚約者のエディスです」

「初めまして、ベントリー伯爵家が長女エディス=ベントリーと申します。道中、よろしくお願い致します」

「こちらこそ。二人の仲の良さは知ってるけど、邪魔しちゃったらごめんね?」



 茶化す言葉にわたし達は苦笑した。

 それから気楽にフォルト様は騎士達へ「防御魔法かけておくから、後よろしく〜」と言って別に用意されていた馬車へ乗り込んでしまう。

 正直、フォルト様とライリーだとどちらが立場は上なのかしら?

 宮廷魔導師と英雄だもの。

 でもきっと今回の旅の指揮権はフォルト様にあるわね。ライリーの手を借りて同じ馬車へ、リタと共に乗った。

 ウィンターズ騎士爵家の馬車はここまでだ。

 ユナが乗っている馬車は紋章のないものなので、そのまま荷物の入れ替えもなくついて行くことになるのだろう。

 扉を閉めるライリーに小さく手を振る。

 金の瞳が僅かに和み、扉が閉まった。

 フォルト様が口元に人差し指を当て、こちらにウィンクしながら短く詠唱を呟く。

 パチリと、微かな音がした。



「はあ〜、演技ってめんどくさぁい」



 ぐたぁっとフォルト様──いえ、ショーン殿下が座席に倒れ込む。

 今のは防音の魔術か何かね。恐らく内側から外側へ音が漏れないのだと思う。

 カーテンが開いているので馬に乗った騎士達からは中の様子が見えているだろうから、変に勘ぐられたりはしないでしょう。

 そもそも馬車の音って結構大きいので、中で喋ってる内容が外へ漏れることも少ないのだが。

 行儀悪く寝そべるショーン殿下がこちらを見上げる。



「あ、この旅の間は僕はジョエル=フォルトだからフォルトって呼んで〜。役職も宮廷魔導師ってことになってるし」



 ひらひらと手を振られてリタと共に頷く。



「即席でお作りになった地位……というわけではない御様子ですね。そのローブも新品ではなさそうです」



 ローブは高級な材質だけれど、仕立てたばかりのパリッとした感じはなく、ほどよく着慣れたようだった。

 ショーン殿下──ややこしいので旅の間は偽名で呼びましょう──フォルト様がニッと口角を上げた。



「うん、僕のもう一つの名前。まあ、こっちは基本的に城下へお忍びに行ったり、新人の騎士や魔導師をからかいに行ったりする時に使ってる」

「……新人をいじめるのはどうかと思います」

「あはは、数少ない楽しみの一つなんだから大目に見てよ〜」



 へらりと笑って誤魔化される。

 これ以上は何を言ってもダメそうだ。

 フォルト様が言うことを聞くのは、きっとこの国の中でも数人くらいしかいないだろう。

 立場がどうこうというより、彼の性格的な問題で。



「さて、そんなことはいいとして、今回の件をもっと詳しく説明しようと思ってね。まずは日程について」



 ローブの中から取り出した紙をフォルト様が自身の膝の上へ広げる。地図だ。自国と周辺国が描かれている。



「今いるのがここ。で、目的地がこっちなんだけど、基本的に街道を通って行くから野宿は一回くらいかな。その一回もこの山を越える時だけ」

「ヴィランズ王国に一度入国しますわね。……これほど大人数で、それも騎士を大勢連れて入っても大丈夫なのでしょうか?」

「ああ、うん、そっちは許可を得てるからすんなり入れると思うよ。ヴィランズ王国も賢者あいつらの被害を受けてるしね、事情を説明したら入国許可どころか国内にいる間の宿まで用意してくれたよ」



 それで協力したって大きい顔されるのも癪だけどね、とフォルト様が嫌そうな顔をする。

 騎士や魔術師などの損害は被りたくないが、何もしないのも外聞が悪いし、いざ賢者ワイズマンの脅威がなくなった時に少しでも関わったという立場が欲しいのかしら。



「まあ、こっちも英雄が行くって言ってないし。正直に英雄が行くって話していたら、絶対にあっちはおこぼれ狙いで兵を出していただろうね」



 英雄が出たなら賢者も倒せるって思って?

 それは随分と不愉快な気分になるわね。

 こちらの戦力具合を見て、勝敗を予想して、でも何もしないわけにはいかないので、申し訳程度に協力してると。



「だからウィランズ国にいる間、三日くらいは快適に過ごせるよ。……野宿の経験はないよね?」



 小首を傾げて問われ、頷き返す。



「はい、申し訳ありません」

「いや、普通の御令嬢なら当然だから気にしないで。君達はこの馬車で寝て、僕はもう一つの馬車か、荷馬車の方で寝るから」

「いえ、そのようなことはさすがに……」

「いいのいいの、僕はジョエル=フォルトなんだから不敬じゃないよ。それに何度か遠征にもついて行ってるから僕は野宿も平気なんだ。何より、こういう時は女性が優先さ」



 ぱちりとウィンクされて困ってしまう。

 しかしこれ以上言うのも失礼だし……。



「……お言葉に甘えさせていただきます。御配慮いただき、ありがとうございます」

「どういたしまして」



 ニコリと笑うフォルト様にホッとする。

 この対応で良かったらしい。

 フォルト様は広げていた地図を畳み、仕舞う。



「で、日程がちょっと長めに設定されてるんだけどね、名目が『頻繁に出現する魔獣の討伐』だから道中それをしながら行くことになるよ」

「立ち寄った村や街で依頼を受けるのですか?」

「うん、村や街付近でこういう魔物が出ているから討伐してくれっていう依頼を消化していく。そうすれば旅費も手に入るし、通ったところの魔獣は減るし、賢者も僕達に目をつけると思う」

「目立たない方がよろしいのではないでしょうか?」



 チッチッチ、と舌を鳴らしながらフォルト様が右手の人差し指を振った。



「あえて目立つのさ。僕達のことを探るでしょ? で、来てるのがただの騎士団と魔術師だって分かれば、そこまで警戒しなくなる。討伐予定の魔獣もあまり強すぎないものを選ぶから、その程度の実力だと思われる」

「しかし油断していたら突然シェルジュ国に英雄が現れる、ということですか」

「そう、賢者やつらが慌てているところを突くつもり。逃げ出される前にね」



 うーん、でもそんなに上手くいくかしら?

 例えばシェルジュ国の内部に賢者の間諜が入り込んでいる可能性もあって、その場合はこちらの情報が筒抜けになっていることもあるだろう。

 一応、旅の最中はライリーは獅子の姿にならないようにと言われている。

 後はライリーの人の姿が、どこまで他国に広がっているかにもよるわね。



「間諜によって情報が漏れたりしておりませんか?」

「ああ、お互い国の中枢でもごく少数しか今回の件は知らないから情報が漏れたら出所はすぐに分かるよ。それに騎士達には魔獣討伐って名目の方しか伝えていないから」

「それしか伝えておりませんの?」

「うん、賢者のことは国同士の機密事項だから」



 そうでしたわね、国の機密事項でしたわ。

 活性化した魔石もそうでしたわね。

 うっかり話してしまわないよう気を付けましょう。



「でもわたしがいて不審がられませんか?」



 騎士団の中に明らかに戦えない女性がいる。

 それってとても目立つと思う。

 フォルト様はそれに頷いた。



「エディス嬢は『シェルジュ国の知り合いの下へ行く御令嬢』として過ごして欲しい。心配した御両親が頼み込んで娘を騎士団の一行に加わらせてもらったってことで」

「ではそのように合わせておきます」



 フォルト様がよろしくという風に笑った。



「それで、賢者は捕縛するのですか? それとも討伐してしまうのですか?」



 そのどちらかなのは確かだろうが。



「出来れば活性化した魔石の扱いを知っている魔術師は生かして捕まえたいね」



 どうやって魔石が魔獣化するのを防いでいるのか、魔術師としても気になるのね。

 わたしも気になったが、魔術師でもないし、こういうことはあまり深入りしない方が良さそう。



「その間、わたしはどうすれば……?」

「うーん、そうだねえ、僕達はシェルジュ国の王城に迎え入れられるから、王城の宛てがわれた部屋で待っていてもらうことになるかな」

「分かりました」



 わたしがついて行っても仕方ないわ。

 それなら静かに待っていましょう。

 ライリーの、英雄の婚約者らしく堂々とね。



「さあて、話はこんなものだと思うけど、何か質問はある?」

「いえ、ございません」

「じゃあ僕は一寝入りしよっかなあ」



 座席の上で器用に体の向きを変えて仰向けになると、片腕を頭の下へ差し入れて「おやすみ〜」と言うとフォルト様は目を閉じてしまわれる。

 すぐに聞こえた規則正しい寝息にリタと顔を見合わせた。

 待ってちょうだい、王族ってこんな簡単に人前で無防備に寝ていいものなの?

 気持ち良さそうな寝顔に呆れてしまう。

 まあ、でも、正直殿下と同じ馬車に乗り続けて会話が続くかどうかも謎だったから助かるのだけれど、それでもこれっていいのかしら。

 延々と魔術について語られたらどうしようかちょっと悩んでいたのに出鼻をくじかれた気分だった。

 リタと頷き合い、フォルト様が目を覚まされるまで車窓を眺めて過ごすことになったのは言うまでもない。

 さすがに自由にお喋りする勇気はなかった。






* * * * *








 それからフォルト様が起きられたのは三時間も後のことだった。

 どうやら昨夜は遅くまでやることがあったそうで、睡眠時間を削っていたため、眠くて仕方なかったらしい。



「いやあ、あんまり静かだったから一緒に乗ってるの忘れちゃってたよ」



 フォルト様としては、寝こけてもわたし達の話し声でそのうち起きるつもりだったのだとか。

 休憩のために馬車が停まり、その揺れで起きたようだ。

 寝癖がついたまま馬車から降りたフォルト様に、同じくローブ姿の人物が近付き、何やらあれこれと世話を焼いている。



「寝癖がついています。こちらの水をどうぞ。その間に寝癖を直します」

「あはは〜、ありがとう」



 何となく既視感を覚え、まじまじと見る。

 …………あ、あの方、ショーン殿下の傍らによく控えている近侍だわ。こちらも外見や声を変えているらしい。

  王子と近侍が、宮廷魔術師とその部下になったというわけね。


 

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