寝取られ令嬢は英雄を愛でることにした

早瀬黒絵

ユナの日記

* * * * *




 私、ユナ=リースにはお仕えするお嬢様がいる。

 お嬢様の名前はエディス=ベントリー様。

 私が働くウィンターズ騎士爵家の当主であり、この国の英雄と呼ばれるライリー=ウィンターズ様の婚約者で、ベントリー伯爵家の御長女でいらっしゃる。

 長く艶やかなプラチナブロンドに、雪のように白い肌、やや目尻の下がった涼やかな瞳は宝石みたいな菫色で、背が高く、けれど細身で、それが儚げな印象を与える美しいお嬢様だ。

 討伐した魔獣の呪いを受けて獅子のお姿になってしまった旦那様を愛してくださる特別な方。

 そして旦那様が愛する唯一の女性。

 私はそんなエディス様の侍女を務めている。

 朝の仕事はまず、エディス様の身支度の準備をすることから始まり、そして先輩のリタさんとエディス様を起こしに行く。

 まだ御結婚されていないため、エディス様と旦那様は部屋も別々だし、階も違う。

 旦那様はよほどエディス様が大事なのだろう。

 寝室へ入り、エディス様を起こす。



「……リタ、ユナ、おはよう」



 エディス様は寝起きがとてもお可愛らしい。

 まだ眠たいのを、何とか堪えて起き上がるのだけれど、寝惚け眼で枕元のヌイグルミを抱き寄せる。

 ヌイグルミは旦那様に似せたものだ。

 しばらくそれを抱いてぼうっとするエディス様を置いて、私はカーテンを開けて回り、リタさんが朝の温かい紅茶を用意する。

 そうしてエディス様はヌイグルミを膝の上へ置いたまま、リタさんから受け取った紅茶を飲むのだ。

 乱れたプラチナブロンドに、眠そうにとろんとした菫色の瞳が朝日にキラキラと輝いて、毎朝この姿を見るとちょっとだけ得した気分になれる。

 紅茶を飲み終える頃にはエディス様は覚醒する。

 その後、小さなブラシを手渡すと、エディス様は膝の上の旦那様ヌイグルミを丁寧にブラッシングして毛並みを整えてあげる。これは日課だ。

 その間に私とリタさんとでドレスや装飾品、洗面器などを用意する。

 ブラッシングが終わると顔を洗い、お顔に化粧水などをきちんと塗って、それからドレスに着替える。

 エディス様は美しい。

 着飾ると溜め息が漏れるほどだ。

 ドレスに着替え、リタさんが時間をかけて丁寧にプラチナブロンドを梳る。真っ直ぐな髪は殆ど絡んでいなくて、丹念に梳くと、絹のように滑らかな艶が出る。

 そして私はお化粧を行う。

 でも旦那様は化粧品の匂いを嫌うので、かなり控えめだ。元が美しいからか最低限のお化粧でもエディス様は十分お美しい。

 婚姻前だから髪はまだ下ろしている。

 結婚したらこの美しい髪は結い上げられる。

 それはそれで美しいのだろうが、下ろしている時のこの滑らかな様を披露出来ないのも、何だか惜しい。

 身支度が整うとエディス様は食堂へ向かう。

 旦那様と御朝食を共にされるのだ。

 本来ならば、まだ眠っていても良いのでしょうけれど、エディス様は旦那様のお見送りをしたいからと絶対に毎朝起きられる。

 朝食の後、お二人は互いの予定を確認する。

 そして、旦那様が出仕する際にはエディス様が旦那様に口付ける。

 すると光が弾けて、人の姿だった旦那様の姿が獅子へと戻る。

 獅子の姿で旦那様はエディス様の頬に鼻先を押し付けて、それから王城へ向かわれる。

 エディス様はそれを笑顔で見送る。

 何でも「いってらっしゃいのキス」だそうで、旦那様の姿を戻すためもあるが、仕事を頑張って欲しいという気持ちもこめられているらしい。

 最初の頃はとても照れていらして、それはそれで大変可愛らしかったが、今の堂々としたお姿も大変良いと思う。

 旦那様が扉の向こうへ消えた後も少しの間、エディス様は玄関ホールに留まっておられる。

 それから自室へ戻り、届いているお手紙を確認したり、返事を書かれたりと午前中は忙しそうに過ごす。

 昼食はお一人で摂られる。

 お寂しいのか、たまに旦那様の席のテーブルの上へ旦那様ヌイグルミを持参して置くこともある。

 そういう日は普段よりもゆったりお食べになる。

 午後は居間で読書や刺繍をして過ごされる。

 でも最近は旦那様より贈られた指輪を眺めては、ほうと幸せそうに溜め息を漏らされることが多い。

 そのうっとりしたお顔を旦那様に見せて差し上げたい。

 いえ、ダメですね。旦那様に見せるのは危ない。

 白い頬を赤く染めて、少し潤んだ菫色の瞳には熱がこもっていて、吐き出された吐息の甘い響きはきっと旦那様の理性を揺さぶるだろう。

 だからリタさんも言ってないのだと思う。

 それと、定期的に孤児院の子達がクッキーを持ってやって来る。

 旦那様もエディス様も気に入っているそのクッキーはシンプルだけど確かに美味しくて、どこか懐かしさを感じる素朴なものだ。

 エディス様は孤児院の子達が来ると必ずお会いになられる。

 シスターもついて来ており、子供達から直にクッキーを受け取ると、いつも笑顔で「ありがとう、楽しみにしていたのよ」とそれはそれは嬉しげにおっしゃられる。

 美しい笑みにませた男の子なんかは顔を赤くする。

 でも、エディス様が旦那様の婚約者だと知っているのですぐにがっかりする。それが少し可哀想で苦笑してしまう。

 帰る時にシスターに少し多めにお金を渡し、子供達にお土産のお菓子を持たせて見送る。

 買い取ったクッキーは旦那様もエディス様も食べるし、私達使用人のおやつにもなる。

 そういう来客もあれば、エディス様がお出かけになる場合もあるが、それは大抵第二王子殿下の御婚約者のフローレンス様か、旦那様の姉君のサヴァナ様のところが専らである。

 エディス様はあまり外出されない。

 それは生家での育ち方もあるのだろう。

 エディス様は元は子爵家の生まれで、その家で虐待されて育ったそうで、このお屋敷へ来た時はとても御令嬢とは思えない見た目だった。

 性格も、御令嬢にしては穏やかで控えめだ。

 物も欲しがらず、食事も何を出されても喜び、装飾品や流行りのドレスにも見向きもされない。

 生活に困らないだけで幸せだと言う。

 だから旦那様が何を贈っても大喜びだ。

 それに少し胸を打たれることもある。

 御令嬢なのに、大したことないものでも、まるで宝物をもらったように嬉しそうに笑う姿を見ると、ここに来るまでにどんな暮らしだったのか想像に難くない。

 ああ、エディス様はここに来れて幸せなのね。

 毎日笑顔のエディス様がいるだけで、屋敷の中も明るくなったような感じがして、自然に使用人達の笑顔も増える。

 それにエディス様は使用人達にも優しい。

 決して無理は言わないし、命令もしない。

 その口調はいつもお願いするもので、きつく言い付けることもなければ、叱責することもない。

 メイドがミスをしても「わたしもよく失敗するのよ」と笑ってお許しになる。

 だけど何でも笑ってお許しになるわけではない。

 新人のメイドが人の姿の旦那様に惚れて近付こうとすると冷たい眼差しで見るし、それでも諦めない場合は自ら注意して、どうしても心を入れ替えないならば辞めさせることもある。

 それに旦那様の悪口を言うのは絶対に許さない。

 一応言っておくけれど、愚痴と悪口は違う。

 仕事上での愚痴は見逃してもらえるけれど、旦那様を明らかに悪く言う類のものだとエディス様は容赦しない。

 叱責もしないが、注意もしない。

 ただ「そんな人のところでは働きたくないでしょう。今すぐ辞めてもらっても構いませんよ」と穏やかに微笑んで言うだけだ。

 まあ、その目は全く笑っていないのだけれど。

 そんなこんなで、このお屋敷で働いているのは英雄たる旦那様を尊敬している者や仕事に忠実なものが殆どだ。

 その旦那様もエディス様がいらしてからは雰囲気が柔らかくなり、屋敷内でもとても寛いでいて、良い影響を与えているエディス様のことを使用人達も歓迎している。

 以前のお屋敷はどこかピリピリした空気があって、旦那様も御実家より連れて来た使用人以外とはあまり関わらなかった。

 だが今は旦那様は使用人達を気にかけるようになった。

 元々、その空気さえ除けば待遇も給金も良い職場だったが、今は空気も良くなり、大らかな主人達の下で働きやすい職場に変わった。

 ウィンターズ邸に、旦那様に変化をもたらしたエディス様は凄い。

 あの獅子のお顔を前に全く恐れないのだ。

 旦那様が怒ったり不機嫌になったりしても、全然動じないし、それどころか機嫌を直してしまわれる。

 毎日お二人は仲睦まじく過ごしていらっしゃる。

 夕方になり、旦那様がお帰りになられるとエディス様はすぐにお出迎えに行かれる。

 読書中でも、刺繍中でも、何を置いてもまずはお出迎えに行かれる姿を見る度に、本当に旦那様はエディス様に愛されているなあと思う。

 そして玄関ホールにいる旦那様に熱い抱擁をする。

 次に「おかえりなさいのキス」をする。

 何でも「いってらっしゃいのキス」と「おかえりなさいのキス」は二つで一つらしく、絶対に欠かさない。

 旦那様のお帰りが遅くなると待つほどだ。

 エディス様の口付けで旦那様が獅子から人のお姿になり、エディス様の頬にお返しに口付ける。



「おかえりなさいませ」

「ああ、ただいま」



 お二人の声は甘い響きがある。

 きっと今、お二人の目には互いしか映っていないのだろう。それくらい喜色が滲んでいる。

 お二人は少し会話を交わした後に分かれ、旦那様は着替えに自室へ、エディス様は一足先に食堂へ向かわれる。

 食堂へ歩き出したエディス様に私も付き従う。

 定位置と化した席へエディス様が座って、出された紅茶を飲みながらしばし待つ。

 すると旦那様が食堂へ現れ、席に着いた。

 食事が配膳され、食前の祈りを捧げるとお二人はお食事を始められる。

 食事中の会話はあまり多くない。

 食事をお召し上がりになり、食後の紅茶や酒を嗜まれた後に、旦那様のエスコートを受けてエディス様は居間へ向かう。

 私達侍女は静かにその後を追う。

 そしてお二人は居間のソファーに座ると、今日あった出来事などを互いに話す。

 旦那様が喋っておられる時はエディス様が聞き役になり、エディス様が喋られる際は旦那様が。

 離れていた時間を補うようにお二人は寄り添い、楽しげに、穏やかに会話をされる。

 時々、見ていて恥ずかしくなるほどお二人の仲は良く、けれど、それを見られることが嬉しくもあった。

 互いに辛い思いをしてこられたお二人が、幸せそうに過ごす姿は見ている私達まで胸が温かくなる。

 私達は静かに気配を殺し、部屋の隅で主人達の幸福な日常を見守るのだ。

 エディス様が来てからはそれが私の日常になった。

 お二人はエディス様の就寝時間の直前までお話になり、そろそろ時間となると、旦那様がエディス様を部屋の前までエスコートなさる。

 そして就寝の挨拶を交わして分かれる。

 エディス様はいつも、旦那様の背中を名残惜しそうに眺めてから部屋に入られる。

 入浴し、寝巻きに着替えるとエディス様はお眠りになられる。

 旦那様の方は部屋に戻ると届いた手紙などの確認をし、返事を書いたり、残った仕事を片付けたりする。

 それから鍛錬されることも少なくないそうだ。

 そして入浴して、就寝されるらしい。

 私達はエディス様の侍女なので、明日のドレスなどを準備して、一人はエディス様の寝室の隣の控えの間で休む。

 夜中に呼ばれたことは一度としてないが、それも仕事だし、控えの間にも体を休められるスペースがあるからあまり辛くはない。

 私とリタさんと、古参のメイドの数人でこれは交代する。

 今日は私の番ではない。

 私も今日の報告を済ませて仕事を終えると、自室へ戻り、就寝の支度をして眠る。

 明日もエディス様にお仕えする。

 そう思うと気持ち良く眠りにつけるのだった。






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