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寝取られ令嬢は英雄を愛でることにした

早瀬黒絵

罪と罰(3)

 


 それは私に向けられたものではなく、横にいる近侍に向けられた問いであった。



「ショーン様の御判断にお任せ致します」

「じゃあ使っちゃおう。魔力消費が激しいのはともかく、これなら忘却の魔術がかかってても記憶を取り出せるし。アレ用意して、アレ」

「こちらにございます」

「あはは〜、さっすが分かってる〜」



 悪魔は本を近侍に返し、人の頭ほどもある大きな水晶玉を受け取ると、それを抱えて私へ顔を向けた。

 その口から聞き取れない言葉が溢れ出す。

 魔術の詠唱だ。

 魔術の詠唱は長いほど強力で、魔力を消費するほど強大なものが生み出される。

 そして悪魔の口からは聞いたこともないほど長い詠唱が流れ続けていることに恐怖を覚えた。

 その紅い瞳は私を捉えている。

 その魔術は私へ行使されようとしている。

 腹の底から湧き上がった恐怖に逃げようとしたが、縛り付けられた体が椅子ごとつかえ倒れ込んだ。

 体が光に包まれ、床に術式が浮かび上がる。



「激痛のせいで少し狂う者もいるらしいけど」



 どうせ処刑されるんだし、と悪魔の声がする。

 それ理解するよりも先に激痛が身体中を襲う。



「あ、ぐ、あがぁああああっっ?!!」



 痛みのあまり体が痙攣を起こす。

 痛い痛い痛い痛い痛いぃいいっ!!!?

 全身の痛みが脳へ直接叩き込まれているかのような
激痛に、のたうちまわる。

 痛みで視界がぼやけ、痛みを感じているのに何故か視界をいくつもの景色が流れていく。

 自領、働かされていた鉱山、粗末な部屋、粗末な食事、声をかけてきた男、森の景色、荷馬車、荷馬車の中──……一気にこれまでの記憶が脳に広がっていく。

 それは一瞬だったのか、一時間ほどだったのか。

 激痛の中ではまるで永遠のような時間だった。

 唐突にふっと激痛が弱まった。

 実際はもう治っていたのかもしれない。

 しかし体は激痛を覚えていて、まだ痛みが残っている気がした。

 飲み込めなかった唾液と汗とまた漏らしてしまったものとでベタベタになっているのが自分でも分かった。

 剥がされたはずの爪もズキズキと痛む。



「んー……。うん、記憶は無事保存出来たみたい」

「お疲れ様です」



 悪魔は水晶玉を近侍に渡すと近付いて来た。

 ヒョイと顔を覗かれて体が跳ねる。



「おお、意識あるんだ? 結構頑丈なんだねえ。前に使った時は廃人になっちゃってたのに」

「あちらの方がより多くの記憶を引き出したためかと愚考します」

「そういえばそうだっけ。あれはちょっと勿体なかったなあ。耐えられたら僕のとして教育しようと思ってたんだけど」

「まだ増やされるおつもりで?」

「手足も耳も、目も、多いに越したことはないでしょ」



 まだ痛みの残る頭で、滑っていく会話を何とか聞き取る。

 廃人……? 記憶を引き出す?

 今の魔術はそれだったのか?

 私の記憶を無理やり引き出したのか?

 それは、そのような魔術は禁術では……。



「とりあえず、関連してそうな記憶は全部引き出したから、これは処刑日まできちんと保つように手当てさせといて。あ、治療魔術はなしね」

「心得ております」

「よろしく」



 悪魔は水晶玉を受け取ると足取り軽く出て行った。

 残った近侍は頭を上げると、汚物を見る眼差しで私を見下ろした。

 そうして手を叩く。



「皆さん、お聞きの通り、これの手当てをしますのでお手伝いをお願い出来ますか」

「かしこまりました」



 どこからともなく出てきた人々が医療道具や薬などを手に牢へ入ってくる。

 何の気遣いもない動作で勢いよく椅子が立てられる。

 私が悲鳴を上げても無視されて、淡々と衣服を脱がされ、水で汚れを洗い流されると、質の良くない布で拭き取られ、傷の手当てをされる。

 少しでも自分の意思で体を動かそうとすると首筋に冷たく硬い感触が押し付けられて「動くな」と命令された。

 最後にボロボロの服を着せられる。



「どうしますか?」

「元の牢へ入れておいてください」

「分かりました」



 そして私はこの牢へ戻された。

 しかしあれから痛みが消えない。

 脳を、全身を蝕む痛みは強くはない。

 ただじわじわと続く痛みは、永遠に体を切りつけられているかの如く鋭いもので、眠っている時ですら痛みで目覚めることもあった。

 剥がされた爪などもう痛くない。

 いや、そんな痛みなど分からなくなっていた。

 エディスが、あの男が、あの悪魔が──……。

 思い出そうとすると恐怖に体が震える。

 痛い。いやだ。もう痛いのはいやだ。

 許さない。痛い。許さない。痛い。

 痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。



「う、うう……痛い、いたい……」



 血の滲む包帯を噛んで震えをやり過ごす。

 向かいの牢にいる者のことなど、リチャードはとうに忘れ去っていた。






* * * * *






 フィリスが王都に到着した翌日。

 中心街の広場には処刑台が組み立てられていた。

 既に数日前から触書きが出ていたこともあり、広場は大勢の人でごった返している。

 今日は元貴族二名の処刑が行われる。

 どちらも英雄の婚約者に所縁あるものだ。

 一人は元妹で、英雄の婚約者である姉を家族と共に長年虐待した挙句、姉と英雄、姉の養子先、そして王家を貶めようとした。侮辱された王家の怒りを買ったのだ。

 一人は元婚約者で、自ら別れたにも関わらず英雄の婚約者に復縁を迫って怪我を負わせようとしたこと、新しい婚約者となった元妹の行いを諌めなかったこと、自領から逃げ出して王都に魔獣を放ったことが罪となった。

 特に元婚約者に対しての民の怒りが強かった。

 戦うことの出来ない人々の住む王都で魔獣を放つということは、人々が死んでも構わなかったということだ。

 広場には話を聞いて怒りを覚えたものや野次馬以外にも、その場に居合わせて怪我を負った者や逃げ出した者達も犯人の顔を一目拝んでやろうと訪れていた。

 処刑台とは別に設けられた場には豪奢な椅子が一つ、それよりかは幾分質素な椅子が一つ、あった。

 豪奢な椅子には銀髪に紅い瞳の、一目で王族と分かる青年が座っている。

 もう一方の椅子には獅子の姿の男が座っている。

 王族の側には数人の人間が控え、それ以外にも護衛だろうか、騎士達があちこちに立っていた。



「あの方は第二王子殿下だ……」

「貴族の処刑なら陛下がいらっしゃるのでは?」

「何でも、今日処刑されるのはもう貴族じゃないらしい」

「なぁんだ、せっかく陛下の御尊顔を拝めるかと思ったのに。でも第二王子殿下も麗しいお方ね」

「殿下は分かるけどなんで英雄様が?」

「ほら、婚約者様に所縁があるからじゃない?」

「でも婚約者様はいないなあ」

「さすがに元妹と元婚約者の処刑を見には来ないでしょ。あたしだって知り合いの処刑だったら嫌さ」



 そんな風に広場は人々の話し声に埋め尽くされており、その様子をショーンとライリーは静かに眺める。

 民はエディスに同情している。

 だからこの二人の処刑も反対する声はない。

 ふと端の方が騒めき出した。

 主役の二人が広場へ現れたのだ。

 先にリチャードが鎖を引かれてやって来る。

 元は艶があっただろうフラクスンブロンドはまるで枯れ木のような色で、ボサボサに乱れており、落ち窪んだくすんだ青色の瞳は殆ど焦点が合っていない。

 擦り切れた服は薄汚れていて、肌もくすんだ色で、とても元は貴族だとは思えない有様だった。

 ふらふらと体を揺らして歩く姿が不気味だ。

 次に来たフィリスも酷いものだった。

 艶を失ったハニーブロンドは子供が編んで失敗したみたいにめちゃくちゃで、色の白い肌は美しいが、エメラルドグリーンの瞳がギロリと民衆を睨みつける。

 着ているドレスは色褪せて皺くちゃで、型も崩れていて、所々解れもあり、そんなドレスを着てまだ貴族という地位に縋りつこうとしているフィリスを誰もが嘲笑った。 

 元は愛らしく、彼女の自慢だった相貌も、北の修道院での暮らしと王都までの旅路で美しさは損なわれていた。

 二人が処刑台の上へ引っ立てられる。

 するとショーンが片腕を上げた。

 それを合図に鐘が鳴り、民衆が口を噤む。

 代わりにショーンの後ろから進み出て来た男性が手元の書類を掲げるように広げ、そこに書かれた二人の罪状を読み上げていく。

 内容は触書きとほぼ同じだった。

 ただ触書きよりか多少は詳しく語られ、広場にいた者達は、魔術によって拡声されたそれを聞き漏らすまいと耳を傾ける。

 ある者はその内容に眉を寄せた。

 ある者はその内容に憤った。

 ある者はその内容に呆れた。

 様々な反応はあったが、どれも一様に処刑される二人へ嫌悪の目を向けていた。



「──……以上により、両名を斬首刑に処す!」



 最後まで噛まずに言い切った男性は、書状を丸めると、己の仕事は終わったとばかりに後ろへ下がる。

 そしてショーンが、続いてライリーが立ち上がった。



「この女は血が繋がらぬとは言えど、姉を母と共に虐待し、その婚約者を寝取るという淑女にあるまじき行いをし、そして姉を陥れるために我が国の英雄だけでなく我ら王家すら貶める噂を流した」



 ショーンが民衆を見渡した。



「そしてこの男は己が捨てた女に復縁を迫り、危害を加えようとし、自領でも反省をせず、それどころか王都に舞い戻ると人々の行き交う往来に魔獣を放った」



 誰もが黙ってショーンの声を聞いている。



「そのことを陛下は重く受け止めた。特に男は無辜の民の命を危険に晒そうとした。これは重罪である」



 その言葉に民衆の中から同意の声が上がる。

 それにショーンは何度か頷き返した。



「よって、両者は斬首刑と相成った。しかし我ら王家は無慈悲にその決断を下したわけではない。……ライリー=ウィンターズ」

「はっ」



 それまで控えていたライリーが頭を上げる。

 鋭い獅子の視線に見渡され、一瞬、民衆が気圧される。

 ライリーは静かに口を開いた。



「この両名には己の行いを振り返る機会が与えられていた。女の姉であり、男の元婚約者である、私の婚約者も両名が心を入れ替えることを望んでいた。彼女は両名の度重なる悪意に耐え、それでも彼らのことを悪し様に罵ることはなかった」



 横でショーンが深く頷いた。

 彼は婚約者のフローレンスからも話を聞いていた。

 エディスは元妹や元婚約者の話は全くせず、例え出しても、こういうことがあったと淡々と出来事を口に出すだけで、決して罵ったり侮辱したりはしなかったと。

 そこはショーンも感心していた。



「彼女自身、両名の死は望んでいない。だが両名は己の道を突き進んだ。与えられた機会に気付かなかった。その結果が今だ。今日の処刑は両名のこれまでの行いが己へ返って来たものである」



 ライリーはそこで言葉を切った。

 これを言うべきか、ずっと悩んでいた。

 だが、言わなければ恐らく自分は後悔する。

 だから口を開こうとしたが、横から甲高い声がそれを邪魔する。



「違う違う違う! わたしは悪くないわ! みんなお姉様が悪いのよ!! お姉様が──……」

「うるせえ!」



 喚き出したフィリスの体に、民衆の中から投げられた石が当たった。

 それを元に、一つ、二つと小石が投げられ、野次が飛び交う。

 どれもフィリスを悪し様に言うものだった。

 ライリーは頭を下げようとしていた状態で固まってしまった。

 せめて、エディスの心のためにも、両名が死した後に死者を冒涜しないよう願いたかった。

 処刑した後は速やかに回収される予定だったのだ。

 だがこれではそれも難しいだろう。



「ライリー、諦めなよ」



 小声でショーンが言う。

 ライリーが横目に見た。



「……先程のはあなたの差し金ですね?」

「うん、国内にまだ残ってる馬鹿な貴族達への見せしめだよ。馬鹿が馬鹿をしたらどうなるかってね」

「そうですか……」



 喧騒が大きくなっていく広場をライリーは見た。

 横から「君達には悪いと思ってるよ」と呟きが聞こえてきて、ライリーは拳を握る。

 もうどうしようもなかった。

 ショーンが大きく息を吸う。



「これより刑を執行する!!」



 拡声されたそれに民衆の声も高まった。

 リチャードとフィリスが引きずられ、断頭台の下まで追いやられる。

 リチャードは遠目にも目の焦点が合っておらず、あまり反抗している様子がない。

 それに対してフィリスは激しく抵抗した。

 しかし自分よりも大柄で力の強い処刑人には敵わず、両名は断頭台に首と両手を突き出すような格好で押さえつけられる。

 断頭台の上部には大きな刃があり、その下に首と両手がある。その刃が首を切り落とすことは想像に難くない。

 リチャードはうな垂れたまま動かない。

 フィリスはガチャガチャと酷く暴れた。

 処刑人達が二つある断頭台の左右に立ち、後は刃を落とすだけとなった。

 ショーンは小さく息を吐き、そして吸う。



「やれ」



 それは静かな声だったが、不思議とよく響いた。

 フィリスの悲鳴と共に処刑人が刃を落とす。

 ガッと摩擦音を立てて落ちた大きな刃は真っ直ぐに両名のさらされた首に吸い込まれていった。

 ザクザク、と同じ音が連続して響く。

 刃が下まで落ちると同時に、両名の首と両手が下に置かれていた桶の中へ転がり落ち、血が処刑台を赤く濡らしていく。

 民衆はそれに歓声を上げた。

 ライリーはそれを拳を握って見届けた。

 自分の願おうとしていたことが身勝手なものだと理解していたし、それが受け入れられる可能性は低いとも分かっていた。

 民衆にとっては悪が潰えただけだ。

 ライリーとエディスにとっても、この先の不安要素がなくなったと思えば良いことである。

 だがエディスの涙を思い出すとそれを諸手を挙げて喜べない自分もいた。

 あの二人の行いは許されない。

 裁きを聞いた時は当然だと思った。

 それなのにこうして胸に残る蟠りは何なのだろうか。

 ショーンがライリーへ言う。



「誰かが死ぬことを心から喜べない。それが例え自分達に牙を剥いた者であっても。君はそれでいい。だからこそ英雄と呼ばれるんだ」



 そうでなくなった者はただの狂人さ。

 珍しく笑みを消した表情でショーンは囁いた。

 それは瞬きの間だけで、次に見た時にはその顔はいつもの飄々としたものへと変わっていた。



「さあ、帰ろう。王城にちょっと寄ってもらうけど、その後はもう帰っていい。今日はエディス嬢の傍にいてあげなよ」

「……お気遣いありがとうございます」

「どういたしまして」



 軽い調子で言い、壇上から下りるショーンや側近の者達の後をライリーも追う。

 そして断頭台へ目を向けた。

 あれは恐らく数日このままにされるだろう。

 しばらくエディスには外出しないよう言っておこう。

 ……いや、彼女のことだからしないだろう。

 二人の死体に背を向ける。

 群衆の歓声はしばらく鳴り止まなかった。






* * * * *

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