寝取られ令嬢は英雄を愛でることにした
罪と罰(2)
それをショーンも金髪の男も冷めた目で見ていた。
フィリスはその氷のような視線にギクリと体を震わせ、それでも涙を零す。
「お、王家を侮辱したつもりなどありませんでした。……申し訳、ございません……」
格子の前で床に手をつき、額が触れそうになるほど頭を下げてフィリスは謝罪の言葉を口にする。
ここに入れられる前に騎士が言っていた。
王家を侮辱した罪で自分は裁かれる。
でも、それさえ切り抜ければ助かるかもしれない。
そうしてお姉様のところに押しかければいい。
以前の、子爵家の暮らしよりかは自由はないかもしれないが、それでも修道院へ戻るよりかはいい。
必死に頭を下げながらも、口元に笑みが浮かぶ。
そうよ、お姉様ならきっとわたしを助けるわ。
「申し訳ございません、申し訳ございません……」
このわたしが涙混じりにここまで屈辱的なことをしているんだから、何とも思わないわけがないわ。
* * * * *
謝罪の言葉を繰り返すフィリスを、ショーンとライリーは冷静に見下ろしていた。
特にライリーは嫌悪感すら抱いている。
獅子の姿の自分を化け物と罵ったくせに、人の姿になったら見惚れ、姉を呼べと言ったかと思うと急に泣いて謝罪をする。
全てが身勝手で自己中心的で不快だった。
エディスが気にするからと様子を見に来たが、いっそ処刑の時だけ見に来れば良かったと少しばかりライリーは後悔していた。
「フィリス嬢、顔を上げて」
ショーンの言葉にフィリスが顔を上げる。
その喜色混じりの表情に吐き気がした。
いまだに許されると思っているらしい。
「僕達がここに来たのは君が反省してるか確認をしに来たというのもそうだけど、もう一つ、理由がある」
「な、何でしょう……?」
「もう一つの理由は、君に自分の罪をきちんと理解させるということなんだ」
フィリスの目が困惑に瞬いた。
「わ、わたしは反省しております。意図していなかったとしても、噂を流して王家の方々を貶めるようなことをしてしまいました。そのことをとても後悔して……」
「そう、そこなんだよね」
フィリスの言葉をショーンは遮った。
大袈裟にフィリスを指差し、その指を上へ向けて振る。
「フィリス嬢はさ、噂によって王家が貶められそうになったってことしか理解してないでしょ? 実際は『王家が認めた英雄とその婚約者を貶めるような噂を流したことにより、王家と英雄、その婚約者、婚約者の養子先の品位を落とそうとした』ってことなんだよ。分かる?」
「は、はい……」
「じゃあさ、君が謝罪しなきゃいけないのは誰?」
ショーンがこてんと首を傾げた。
フィリスは一瞬言葉に詰まり、けれど、考えて恐る恐る口を開いた。
「王家の方々と、英雄様と、その、婚約者と、婚約者の養子先、です」
「そうだよね! でも君は誰に謝ったの?」
やっと分かってくれたと言いたげにショーンが手を叩いて喜んだ。
それが馬鹿にされていると気付いたのかフィリスの顔が怒りか羞恥で赤く染まる。
それでも王族に歯向かってはまずいことは分かっているようで、唇を噛み締めていた。
「お、王家の、第二王子殿下、です」
「うんうん、その通り。つまり君は謝罪する相手もまともに分からないくらい、今回の件を考えていなかったってこと。それって全然反省してないってことだよね? だって謝罪しなくちゃいけない相手に全く謝ってないんだもん。許すわけないよねえ、ライリー?」
「…………え?」
ショーンが横のライリーの肩を叩いたことで、フィリスが目を丸くした。
信じられないという目で見つめられ、ライリーは不愉快さを隠しもせずに眉を顰めた。
「ライリー……? ライリー=ウィンターズ、様?」
唖然とした声にショーンが頷く。
「そう、君が化け物と蔑んだ英雄が彼だよ」
「うそ……、そんな、だって呪いは……っ?」
「婚約者のエディス嬢の愛のおかげで我らが英雄は人の姿を一時的に取り戻せるようになったんだ」
凄いでしょ、とショーンが笑う。
それにライリーは内心で、何故ショーン様がエディスのことで胸を張っているんですかと苦笑した。
ショーンがエディスを気に入っていることを、ライリーも知っている。
お気に入りを自慢したいのだろう。
こういう子供っぽいところがショーンにはあった。
「そうやって反省しないから許されないんだよ」
きちんと反省していたら公開処刑ではなく、慈悲のある毒杯で済んだかもしれないのに。
「それから君の御両親だけど、もう死んでるよ」
「え? しんで、る……?」
「父親、というかアリンガム子爵は毒杯を賜り、母親は非公開の処刑。どちらも既に終えている」
フィリスの目から涙が溢れた。
それは先ほどまでの演技のものとは違っていた。
中途半端に開いた口が、喘ぐように何度か開いては閉じ、そして小さく「おとうさま、おかあさま……」と呟いた。
ボロボロと落ちていく涙を拭うことも忘れている。
「そして明日、君も処刑される」
ひぐっ、とフィリスの息の詰まる音がした。
見開かれたエメラルドグリーンが縋るようにショーンとライリーを見た。
その変わらず冷たい視線に頭を振って拒絶する。
「ぁ、あ……いや、いや、いやぁああっ!!」
既にかなり乱れていた髪が完全にバラけ、皺のついたドレスも型が崩れ、とても見られたものではなかった。
「嘘よ、うそ、だって、そう、そうよ、わたしが処刑されたら困るのはお姉様でしょ?! え、英雄の婚約者の妹が処刑されただなんて、お姉様の評判が落ちるのよ?!」
ギラリと睨みつけられてショーンは肩を竦める。
「それが実妹ならね。でも君達に血の繋がりはないし、今はエディス嬢はベントリー伯爵家の娘だし、彼女の境遇に同情する声の方が大きいんだよ」
「っ、お姉様は?! お姉様がそんなこと許すはずがないわ!! だってお姉様はお人好しだもの!!」
その言葉にライリーはなるほどと納得した。
確かにエディスは人が好い。
だが、それは常にそうだとは限らない。
むしろ彼女は敵だと認めた相手には容赦がない。
自分に不要だと思えば切り捨てることもある。
「エディスは何も言わなかった」
「嘘よ!」
「嘘ではない。君が処刑されると聞いて、反対も賛成もしなかった。君とはもう無関係だと言っていた」
「嘘よ、嘘よ、嘘よ!! いやっ、死にたくない!! 何でも、何でもするからっ!! お願い!!!」
伸ばされた腕が宙を掻く。
ショーンもライリーもフィリスの懇願に耳を貸すことはなかった。
最後にショーンが笑顔で言う。
「最後の晩餐だけは豪華にしておいてあげるね」
それでは良い夜を、とショーンが背を向ける。
ライリーとフィリスの視線が絡み合った。
だがライリーもそこに何もいないかの如く背を向けて、主人の後を追った。
二人が消えてもフィリスの叫び声は消えなかった。
* * * * *
遠くで甲高い騒ぎ声がする。
うるさい。うるさいうるさいうるさい!
指先に触れた固いものを、その方向へ投げつければ、何か物同士のぶつかる音がして静かになった。
通路から当たる明かりを避けるようにリチャードは部屋の隅にある、固い板張りのベッドの上で蹲っていた。
ボロボロの、使ったら逆にこちらの肌が擦り切れてしまいそうなほど質の悪い毛布。
それでも何も被らないよりマシだった。
それを頭から被って、震える体を縮こませる。
悪魔は去った。あれはもういない。
分かっているのに体の震えが治らない。
「私は、私は悪くない……」
爪を噛もうとして、包帯に阻まれる。
それを目にするだけで忌まわしい記憶が甦った。
最初は自領でのことだった。
毎日重労働を課せられて、毎日くたくたになって、それでもまともな扱いはされない。
逃げ出したかった。許せないと思った。
そうしていたら一人の男が声をかけてきた。
「なあ、アンタ、恨んでる奴はいるか?」
私はそれに頷いた。
エディスだけは。私を拒んだエディスだけは許さない。私よりも下のはずのあいつに見下されるなんて嫌だ。ありえない。
そう思ったし、そう言った。
すると男は自領を脱出する手引きをしてくれた。
おまけに王都まで連れて来てくれて、王都の中まで入れるように仕向けてくれた。
そしてエディスに復讐する手立てもくれた。
「何でこんなに良くしてくれるんだ?」
私の問いに男はうっそりと笑った。
「王都で騒ぎが起きたら面白いだろ? それに、こっちとしてもその方が恨みを晴らせるんでな」
「っ、そ、そうか……」
フードの奥で光った目の恐ろしさにそれ以上は聞けなかったが、私は受け取ったものをしっかりと握り締めた。
見た目は大して価値もなさそうな石だった。
だが、男は「それは魔獣になる魔石だ」と言った。
そしてそれは人の血に反応する術式をかけてあり、魔獣を放ちたい場所で、その石に己の血を少量擦りつければ術式が解けて、魔石が魔獣になるらしい。
そんな話は聞いたことがない。
だが、それならエディスに復讐出来る。
だからエディスがいるはずの英雄の屋敷の近くに潜み、数日ずっと機会を伺っていた。
朝と夕方の馬車は英雄が乗っている。
それ以外で出る馬車には恐らくエディスが……。
そしてやっと出た馬車を、辻馬車を掴まえてなけなしの金を支払って後を追った。
馬車が停まったら自分も辻馬車を降りて後をつけた。
そこには見たこともない精悍な顔立ちの男と、その男に幸せそうに笑いかけるエディスがいて、怒りに染まったのを覚えている。
自分はこんなに惨めな思いをしているのに。
自分は貴族から外されたというのに。
どうして私が捨てたはずのお前が幸せそうにしているのか。
その男は誰だ。英雄はどうした。
私を拒絶しておいて、もう他の男に懸想したのか。
そう考えると怒りで目の前が真っ赤になった。
エディスの前へ現れて、魔獣を呼び出した。
エディスはその魔獣に襲われて死ぬはずだった。
なのに、あの男が現れた。
いや、精悍な顔立ちの男こそが、あの英雄ライリー=ウィンターズだったのだ。
あいつはエディスに口付けをすると一瞬で獅子の姿へ変わり、私を護衛に捕まえさせると、魔獣と対峙した。
どういうことだ? 人の姿に戻った?
しかも、さも当たり前のようにエディスの唇を奪っていった。
私ですら婚約していた五年間、一度として許されたことのなかった行為を、あの男は行った。
許せない。エディスも、あの男も……!
私は逃れようとしたけれど、護衛達に捕縛されて動けなかった。
渡された石からはイノシシのような魔獣が現れ、あの男はそれと戦い、その途中でエディスが魔獣の前へ飛び出した。
その時、私は勝ったと思った。
私に惨めな思いをさせたエディスにやり返せた。
そう、思ったのに。
エディスは魔術により守られていた。
あいつに魔力はない。だから、誰かがエディスに魔道具を渡さない限り、魔術で守られることはない。
誰だ、私の、復讐の邪魔をしたのは!
その直後にイノシシの魔獣は討伐されてしまう。
エディスはこちらを見ようともしなかった。
無視するな。私を見ろ。私を!!
だがすぐに私は馬車に放り込まれ、王城の地下牢へ入れられた。
ここは寒く、石造りでどこも冷たく、板張りのベッドは硬くて、毛布は使ったらこちらが怪我をしそうなほどに毛羽立っていて質が悪かった。
ここから出せと騒いでいると人がやって来た。
それがあの悪魔だった。
王族の皮を被った恐ろしい悪魔め。
「やあ、久しぶり。元気だった? まあ、見たところわりと元気そうだね。これなら尋問にも耐えられそうだ」
楽しそうな笑みを浮かべて悪魔はそう言った。
最初は鞭を打たれた。背中の皮が裂けるまで、裂けたら、今度はそこに塩を擦り込まれて悶絶した。
次に水の中に頭を突っ込まれた。このまま溺れ死ぬのではないかと思うと、頭が無理やり上げられる。だから死ぬことはない。だが何度繰り返しても溺れる苦しさに変わりはない。
それから爪も引き剥がされた。手足の爪、合わせて二十本全てだ。塩を擦り込まれたよりも酷い痛みに叫んだが、悪魔はへらへらと笑っていた。
「も、もう、話すことなんて、ない……」
血と涙と鼻水と、痛みのあまり失禁してしまったものとで汚れた私をあの悪魔は困ったような笑みで見下ろした。
「いやいや、まだ話すことがあるでしょ? 君を手助けした男の名前は? 外見の特徴は? 何か訛りとかはなかったの?」
「し、知らな……、わから、な……」
痛みに支配されながら思い出してみても。
相手が男だということしか思い出せなかった。
分厚いローブを着て、顔を隠すように目深にフードを被り、その声と口調と体格から恐らく男だと思った。
だが思い出そうとすればするほど頭が混乱する。
確かにフードから顔が僅かに見えたはずなのに、それはぼやけて、霞みがかって思い出せない。
思い出せるのはローブと体格、声と口調だけ。
しかし細かいことまで思い出そうとすると頭痛が頭を襲い、深く考えられなくなる。
「あれは、男で……。男? そう、お、とこ、で……ローブを着て……」
その者を思い出そうとすると思考に靄がかかる。
悪魔が溜め息を零した。
「忘却の魔術かあ。めんどくさ〜」
そしてずっと側に控えていた近侍が抱えていた本の一冊を手に取った。
頭痛に苦しむ私を放ってページを捲り、悪魔が肩を竦める。
「これ、結構魔力使うからやりたくないんだけど、仕方ないよね?」
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