寝取られ令嬢は英雄を愛でることにした
デート(3)
買った昼食を食べ終えて、二人で息を吐く。
半分以上はライリー様のお腹に収まり、わたしは食べられる分だけを食べた。
でもライリー様ったらわたしの食べ残したものも平然と口にされるから、気恥ずかしかったわ。
恋人同士どころか家族でさえそういうことってあまりしないと思うのだけれど、どうなのかしら。
ライリー様の口元が少し汚れてしまっていたのでハンカチで拭いて差し上げた。
すると「ああ、ありがとう」と言ってライリー様がわたしの唇のすぐ横をぺろりと舐めた。
物凄くビックリしたわたしとは裏腹に、ライリー様は全く気にした様子がない。
もしかして無意識? 無意識に舐めたの?
はっ、まさかこれは親愛のぺろんなの?
あの仲間の毛繕いをしてあげる的なあれ?!
それならそれで嬉しいわ。でも出来れば獅子のお姿の時にやっていただきたかった。人の姿でぺろんされると恥ずかしくて堪らない。
「エディス?」
こてんと首を傾げて見下ろされる。
成人男性なのに、大柄な男性なのに、そんなお可愛らしい仕草をされるとギャップが! やだかわいい!! 獅子のお姿の時とは違う可愛さだわ!!
「い、いえ、何でもありませんわ」
何とか微笑み返せば首を戻したライリー様が「そうか」と目を細めて笑う。
獅子のお姿の時でも、人のお姿の時でも、同じ笑い方をする。それを見るとホッとするのよね。
立ち上がったライリー様が手を差し出してくる。
「ゴミを捨てたらどうしようか?」
その手を取ってわたしも立ち上がった。
「使用人の皆さんにお土産を買いませんか? クッキーとかドライフルーツなら休憩時間にも食べやすいわよね?」
「いいな、そうしよう」
ニッとライリー様が笑って、それならあっちの方にあったなと歩き出す。
繋がった手に引かれてわたしも歩き出した。
普段の、貴族のエスコートとは違う、ちょっと強引な風にも見えるやり方だけど、実際はそんなことはない。
歩調も合わせてくれているし、繋がった手は引っ張るというよりかは誘導してくれている感じだ。
大きな手がしっかりとわたしの手を握り、それに引かれて道を進むのは不思議な安心感があった。
この人にならついて行っても大丈夫。
食べ物を売っている屋台の種類が変わっていく。
その場で食べるものを売っていた屋台から、お土産や持ち帰り用のものを売るお店になる。
「さっき見た時に美味そうだと思ったんだ」
そう言ってライリー様が屋台の前で立ち止まる。
その屋台ではクッキーを小さな袋に入れ、一袋いくら、という形で売っている。
ふと屋台の中にいる人と目が合った。
あら、子供だわ。
それに横にいるのはシスターね。
改めて屋台を見ると教会の印が入っていた。
どうやら教会付きの孤児院で作ったものを売っているらしかった。
「一つくれるか?」
威圧感のあるライリー様に、わたしと目のあった男の子が慌てた様子で頷きながらクッキーの入った袋を差し出した。
ライリー様はその代金を払うと、その場で開けて、一枚だけ口に運ぶ。
「うん、美味いな。エディスも食べてみるか?」
「そうですね、一枚だけ」
昼食を食べたばかりなので一枚だけもらう。
シンプルなクッキーだ。しっかりと焼き締められており、一口かじると香ばしいジンジャーの匂いがした。
甘過ぎず、辛過ぎず、美味しいと思う。
「本当、美味しいわね」
わたしも頷くと男の子の表情が明るくなった。
その嬉しげで得意そうな笑顔に、ライリー様と目を見合わせて、頷き合う。
「ここにあるものを全て売って欲しい」
ライリー様の言葉にシスターと男の子が目を瞬かせた。
「全てですか?」
「けっこーあるけど、兄ちゃん、買えんのか?」
「こら、お客様には丁寧になさい!」
シスターに怒られて男の子は一度首を竦めたものの、すぐにこちらへ視線を戻す。
「えっと、沢山ありますがダイジョーブですか?」
どこか片言な言葉遣いについ笑みがこぼれる。
「ああ、大丈夫だ。シスター、この店にある分は全て買いたい」
そう言って、ライリー様がシスターへ耳打ちすると、シスターは驚いた顔でライリー様を見たが、すぐに「お気遣いに感謝致します」と手を組んだ。
ライリー様が苦笑する。
「これは施しじゃないんだがな」
「ええ、美味しいクッキーだったから買うだけだものね?」
「そうさ、美味いクッキーを売ってたのがたまたまここだったってだけだ」
そうは言うけれど、きっとライリー様はこのお店が孤児院のものだったから優先的に寄ったのだろう。
この屋台で売れたものは孤児院の収益となり、それは孤児院にいる子供達の食事や日用品に使われることになる。
このような気遣いが出来るなんて格好良いわ。
わたしは孤児院の屋台に気付かなかったもの。
ライリー様を見上げるのと、ライリー様が弾かれたように顔を上げるのはほぼ同時だった。
その視線を追って振り返れば、少し離れた場所に古ぼけたローブを着た者がいる。
その人だけは他の街の人よりも身なりが悪く、厚手のローブは裾がボロボロで、とても貧しそうに見えた。背格好からして男性だろうか。
わたしを抱き寄せたライリー様がローブの者を睨むように見据えた。
「すまない、エディス」
そして口付けられる。
パチリと光が弾けてライリー様が獅子の姿に戻ると、大きく口を開けて咆哮する。
「この場にいる者はすぐに逃げろ!!!」
突然街中に現れた獅子の姿に、周囲の人々が悲鳴を上げて逃げていく。
しかしローブの者はふらふらとこちらへ歩いてくる。
わたしを抱くライリー様の腕に力がこもった。
「カール、クウェント、そいつを取り押さえろ!!」
ライリー様の怒鳴り声に「はっ!」「直ちに!」と返事があり、帯剣した二人の男性がローブの者へ駆けて行く。
ローブの者がふっと顔を上げた。
そのくすんだ青色の瞳には見覚えがある。
視線が絡むと、ニヤリと口角を引き上げた。
「リチャード、様……?」
そこにいたのは紛れもなくリチャードだった。
廃され、自領にて労働させられているはずの元婚約者、リチャード=オールドカースルがどうしてかここにいた。
以前は艶のあったフラクスンブロンドも今はまるで枯れ木のように色褪せ、顔色も悪く、痩せたようだ。
整っていたはずの顔は見る影もない。
こけた頬にギョロリとくすんだ青い瞳が動く。
「エディス……!」
どこかねっとりとした声で名前を呼ばれて、背筋がゾッとする。
だがこちらに踏み出そうとしたリチャードは左右から現れた男達に剣を突きつけられ、立ち止まった。
その肩を片方の男に掴まれ、乱暴に地面へ押し付けられる。
それでもリチャードは薄気味悪い笑みを浮かべ、こちらを凝視している。
リチャードの手から何かが落ちるのが見えた。
それは地面に転がるとバチバチと赤黒い光を撒き散らし始めた。
「っ、旦那様! 魔石です!」
「くそっ、活性化しちまってる!!」
魔石? 活性化って何?
それを聞いたライリー様が叫ぶ。
「そいつを逃がすな! お前達は下がれ! ……シーリス、エディスを連れて下がれ」
「はっ、お嬢様、こちらへ」
前半はリチャードを押さえている二人へ、後半は別の人へ言ったらしい。
シーリスと呼ばれた男性が現れ、わたしの手をライリー様から受け取り、引き離される。
一瞬、ライリー様と目が合った。
そして強く頷き返される。
何が起こっているのか分からないけれども、ライリー様がいるのなら大丈夫。わたしを離したということは、わたしが傍にいない方がいいのね。
手を引かれるままライリー様から離れ、建物の陰へ移動させられる。
そこにはユナもいて、彼女も何が起こったのか分かっていない風だったが、わたし同様に良くない状況なのは理解しているようだった。
バチバチと弾けていた赤黒い光がやがて塊になり、グニョグニョと蠢いたかと思うと一際強く光が弾けた。
「あれは……。あれが、魔獣なの……?」
光の弾けた場所には禍々しい姿の生き物がいた。
棘のように鋭く硬そうな毛並み、天へと伸びた長い二本の牙、地面を踏みしめる四本足。その瞳は赤黒く、姿は猪に似ていたが、大きさが二メートル近い。
グルゥオオオ! と魔獣が雄叫びを上げる。
「お嬢様、刺激が強いので御覧にならない方が……」
シーリスが壁を作るようにわたしの前に立つ。
よく見れば、ライリー様のお屋敷に来た後にフィリスと再会したあの日に護衛をしてくれていた人だと気付く。
そう、今日も護衛をしてくれていたのね。
先ほどの二人もきっと護衛なのだろう。
ライリー様はそこまでわたしのことを……。
「いいえ、見させてくださいな」
わたしは英雄の婚約者であり、いずれは妻となるのよ。ここで目を瞑ってやり過ごすなんてダメ。
わたしにはライリー様をお助け出来るような力はないけれど、ライリー様が戦うならば、わたしはわたしの出来ることをするのよ。
「怯えて隠れているなんて英雄の婚約者に相応しくありませんわ。戦う力はないけれど、逃げ惑う人々の手助けくらいは出来るでしょう」
辺りから悲鳴や叫び声が聞こえてくる。
最初のライリー様の咆哮で逃げなかった人や、恐らくそれを聞きつけて来てしまった人だろう。
「シーリス、あなたも手伝ってちょうだい。ユナもシーリスと一緒に逃げ遅れた人達を誘導してあげて」
「ですが、それではお嬢様を守れません」
「そうです、エディス様が危険ですっ」
そうね、分かっているわ。
でもここで何もしなかったらわたしは後悔する。
大きく息を吸うとお腹に力を込める。
「ユナ、シーリス! 主人として命じるわ! 国民の命を最優先に動きなさい!!」
二人がハッと息を詰めた。
大丈夫だと二人に笑いかける。
「わたしには第二王子殿下より身を守る術を授かっているわ。だから今は危険にさらされている人々を助けてちょうだい」
そこにライリー様から声が飛んでくる。
「エディス、無理はするな!」
信頼の滲む言葉に返事をする。
「ええ、分かっております!」
英雄の婚約者として、やってみせますわ!
それにあの魔獣、前のわたしの記憶にあったゲームやアニメというものに似たようなものが出ていましたもの。
驚いたけれど慣れれば見られるわ。
辺りを見回し、二人へ指示を出す。
「ユナは逃げ惑っている人達を安全な方へ誘導して。シーリスはわたしと共に転んだりして動けない人の手助けを」
「はいっ」
「了解しました」
ユナはすぐに移動すると、声を張り上げた。
その声に逃げ惑っていた人々が振り返り、安全な方へと人が流れて行く。
周りをもう一度見回し、動けない人に駆け寄った。
「大丈夫ですか?」
地面に座り込んでいたのは老齢の女性だった。
「立てますか? どうぞ、手を掴んでください」
傍に杖が落ちているので恐らく足が悪いのだろう。
手を差し出すと恐縮した様子でシワの刻まれた手が、わたしの手に重なった。
「ごめんなさい、足が悪くて……」
「いえ、お気になさらず。ここは危ないので、安全なところまでお連れしますわ」
立ち上がった女性の背を支え、手を貸しながら安全な方へ歩いて行く。
するとどこからか「おばあちゃん!」と声がした。
顔を上げればわたしより年下の女の子が駆け寄ってきた。
「あなたはこの方のお孫さん?」
「は、はいっ、そうです!」
慌てて頷いた女の子に女性を託す。
「ではお祖母様と一緒に向こうへ。まだここは危ないわ。出来るだけ離れるのよ?」
「分かりましたっ」
さあ、他にも逃げ遅れた人がいないか確認しなくちゃいけないわね。
背を向けようとすると呼び止められた。
「あの、お姉さん!」
「はい?」
「おばあちゃんを助けてくれてありがとうございます!」
女の子の横で女性も頭を下げた。
それにわたしは笑って手を振った。
「いいのよ。さあ、行って」
お礼して欲しくて助けたわけではないけれど、やはりお礼を言ってもらえるのは嬉しかった。
ありがとう。その一言が嬉しい。
それだけでわたしのしていることは無駄じゃないと思えるから。
元の場所に戻るとライリー様が魔獣と戦っていた。
デートの最中には帯剣していなかったけれど、今は剣を構えていらっしゃる。護衛がきっと持って来ていたのね。
正面から突進してくる魔獣の勢いをライリー様は剣で受け流し、魔獣とライリー様の立ち位置が入れ替わる。
即座にライリー様が剣を突き出したが、魔獣が太く鋭い牙でそれを弾いた。
魔獣が雄叫びを上げると赤黒い光がバチリと生まれ、地面が盛り上がり、ライリー様へ襲いかかる。
それを飛び上がることで避け、更に来る地面の盛り上がりにも、まるでダンスのステップを踏むように体を動かして避けていく。
大柄な体躯に似合わぬしなやかで軽快な身のこなしに、束の間、魅入られてしまった。
魔術を避けられた魔獣が怒りに唸る。
太い足が地面を二度蹴るとライリー様へまた突進する。
ライリー様はそれを数歩脇へ退いて避けると、魔獣の空いた横腹へ剣を滑らせる。
硬質で剣など通らなさそうだった毛並みが驚くほど綺麗に斬れ、赤黒い血が流れ出す。
魔獣の咆哮に苦痛の色が混じった。
ライリー様から距離を取るように体を捩らせながら何度か跳ねる。
跳ねた巨体が屋台にぶつかり、いくつかの店を破壊する。壊れた屋台から売り物が零れ落ちていった。
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