寝取られ令嬢は英雄を愛でることにした
デート(2)
ライリー様に紙袋の片方を差し出す。
それを受け取って、ライリー様は紙袋から串焼きを取り出すと、先端に刺さっていた肉に齧りついた。
その様子を眺めていると、不意に記憶が頭を過る。
前のわたしがこの屋台通りと似たような場所にいて、この串焼きとそっくりなものを買い、歩きながらそれに齧りつく。甘くて、香ばしくて、肉汁たっぷりのそれが大好きだった。
そこで記憶が途絶え、我に返った。
わたしも串焼きを紙袋から出し、その先端に齧りつく。噛み千切るのは難しそうで、一口で頬張った。
甘く、けれど少ししょっぱくて、濃い味のタレの香ばしさと、安いけれど肉汁たっぷりのお肉の味が口いっぱいに広がった。
美味しさに、二人揃って黙々と食べてしまった。
「久しぶりに食べるとやっぱり美味いな」
ライリー様が感嘆した風に呟く。
「とっても美味しいですわね」
記憶の味とは違うけれど、似たものを口にしたからか、わたしもどこか懐かしさを感じていた。
二人で串焼きの余韻に浸る。
他にも食べたいから一本だけにしたけれど、もう一本くらい買っても良かったかもしれない。
ライリー様もそう思ったのか屋台の方を眺めていた。
「ライリー様、わたし、もう一本食べたいです」
そう言えばライリー様が少し驚いた顔で振り向き、そして破顔した。
「俺もそう思っていたところだ。串焼きをもう一本ずつ買って、それから他のものも買うとするか」
「ええ、そうしましょう」
紙袋に二本分の串と余分な紙袋をまとめて入れて、ライリー様がそれを片手に立ち上がる。
当たり前のように差し出された手に、わたしも手を置いて立ち上がり、手を繋ぎ直す。
屋台のところへ戻るとお店の脇にごみを入れる箱が置かれていた。そこへ食べた後のものを捨てるらしい。
ライリー様は持っていたゴミをそこにポイと投げ入れ、先ほどの屋台のおじさまに声をかけた。
「もう四本頼むよ。さっき食べたら美味しくて、一本じゃあ足りなかった」
あら、そんなに頼むの?
おじさまが、がははと笑った。
「そうだろ、そうだろ! うちのは美味いからな、一本じゃあ絶対に食い足りん!」
「本音を言うと山ほど食べたいんだが、今日は彼女と屋台巡りの予定なんでね」
「そりゃあ羨ましいこった!」
話しながらもおじさまは手慣れた様子で串焼きを小さな紙袋へ入れ、頼んだ四本が差し出される。
先ほどと同様に私が受け取った。
「まいど!」
という声に押されるようにお店を後にする。
他のものも買ってしまおうとライリー様に言われて、屋台をいくつか見て回る。
飴売り、果物売り、飲み物売りと色々ある。
いくつもある屋台の店先を覗き込みながら、わたし達は買い物を進めていく。
肉と野菜を薄いクレープ生地で巻いたもの、丸く平たい生地の上にトマトやチーズやベーコンなどをのせて焼いたもの、果物の上に甘いシロップをかけたもの、バターをたっぷり使ったスクランブルエッグとベーコンをパンで挟んだもの。他にも沢山買った。
二人で両手いっぱいに購入した食べ物を見て、思わず笑いが漏れる。
「ちょっと買い過ぎたな」
「ふふ、そうですわね。食べ切れるかしら?」
「大丈夫だ、残っても俺が食べる」
そうやって話しながら、最初に串焼きを食べたベンチへ戻ってきた。
お昼時を過ぎた頃だけれど、それでもまだ人が多い。
運良く空いていたベンチに二人で腰掛け、膝の上やベンチに買ってきたものを広げていく。
「何から食べればいいのか迷うわ」
ライリー様はスクランブルエッグとお肉が挟まったパンに手をつけ始めている。
「食べたいものを食べたい分だけ食べればいいさ」
そう言ってパンに齧りついたライリー様の表情が明るくなる。お気に召したようだ。
わたしは肉と野菜を薄いクレープで包んだものを食べることにした。
周りの紙を少し破き、出てきたところへ齧りつく。
この齧りつくという食べ方は貴族の食事ではしないので、慣れないと何だか落ち着かないけれど、これはこれで面白いと思える。
悪いことをしてるみたいで癖になりそうね。
「ん、こっちのは香辛料が効いてるな。エディスの方はどうだ?」
「こちらは串焼き屋さんのタレに似た、甘辛いタレが入っていて、美味しいです。お野菜のシャキシャキした感触も楽しいですわ」
「そうか、じゃあ次はそれを食べてみるか」
もうパンを食べ切ったライリー様が無意識にだろう、口の端についたソースをぺろりと舌が舐め取った。
それからハンカチで口元を拭う。
獅子の時と同じ仕草だわ。かわいい。
人の姿でもぺろんしちゃってる。
よく見ると人の姿に戻っても、獅子の姿の時の癖があるわ。
お肉と野菜を薄いクレープで巻いたものを手に取ったライリー様が口を開ける。がっつり噛みつき、噛み千切ると、何度か咀嚼して飲み込む。
「あら、ライリー、きちんと噛まなければ胃を悪くしますわよ」
獅子の時は大丈夫でも、人の姿ではどうか分からないし、せっかくならきちんと味わって食べた方がいいだろう。
わたしの言葉にライリー様がキョトンとする。
「うん? ああ、そうか、今の姿なら噛めるんだったな。ついいつもの癖で忘れてた」
ちなみに獅子の姿でしっかり咀嚼しようとすると、口から溢れてしまうため、ライリー様はそれを嫌がっている。
だからあまり咀嚼しない癖がついてしまったのだろう。
それでも言われれば意識して咀嚼し始める。
何でしょう、ただもぐもぐしてるだけなのに、何だかお可愛らしく見えてきたわ。一生懸命咀嚼してる姿が男前なお顔とのギャップがあってかわいい。
「エディス? どうかしたか?」
じっくり眺めていたからか、視線に気付いたライリー様が小首を傾げてこちらを向いた。
日差しに鮮やかな金髪がキラキラと輝く。
「いえ、何でもありません」
首を振って、持っていたものに齧りつく。
うん、美味しいわ。
こうして外で食べるというのもいいものね。
* * * * *
「エディス様も旦那様も初々しい……! そこは『ソースがついてる』ってお互いに口元を拭き合ったり、あーんで食べさせ合ったりするところです!」
頬にそばかすのある侍女が少し離れた場所で食事を摂っている主人達の姿を眺めながら、串焼きの串をギリギリと噛んでいる。
先ほどから向こうの様子ばかり気にして、この侍女は食事が進んでいない。
エディスお嬢様の警護について以降、この侍女とはよく顔を合わせるようになったのだが、大抵このような調子である。
「盗み見はよくありませんよ」
そう告げればグリンと振り返った。
「あなた達だって似たようなものでしょ?!」
「我々は護衛としてお嬢様やその周囲を見る必要がありますので」
「私だってお嬢様の侍女として、旦那様との仲が深まるのを見守る権利があります!」
いや、それはないと思うのだが。
よく分からない決意に満ちた瞳で見つめ返され、一瞬気圧されてしまう。
しかし侍女はすぐに旦那様とお嬢様の方へ視線を戻す。
ここには侍女と私だけだが、他にも数名、お嬢様の護衛として隠れて警護している。
旦那様自体は護衛など必要ないほどに強い。
しかしお嬢様は戦う術がない普通の御令嬢だ。
性格の方は貴族の御令嬢にしては気が強く、あまり物怖じしないようだ。
以前、お嬢様の元異母妹と再会してしまった時、お嬢様は堂々と接しておられた。
護衛の立場上、お嬢様の事情については聞いていたため、すぐに駆け付けたが、お嬢様はその後も動揺した様子は見られなかった。
護衛にとって一番困るのは、護衛対象が混乱することだ。
恐慌状態に陥って暴れたり、突然走り出したりといった行動を取られると守ろうにも守れない。
突然の出来事にも冷静に対応したお嬢様の姿に安堵もしたし、同時に感心もした。
言われるばかりでなく言い返した点も好感が持てる。ただ弱いばかりの女性ではなさそうだ。
儚げな見た目とは違うということだろう。
「あ、エディス様が気付いた! ……そう、そうです、旦那様のお口を拭いて差し上げて! あああ、旦那様が照れてらっしゃる! よし、その意気ですエディス様!!」
喋りながら食べるという少々マナー違反な行為だけれど、それを指摘したところでこの様子では聞き流されて終わりだ。
それならば私が指摘する必要はない。
「あ、あああ! 旦那様がエディス様の口っ、口元を舐めましたよ! 見ましたか?! あの旦那様がっ!!」
「いちいち言わなくとも見えています」
「旦那様ももっと押して! そこでキスの一発くらいかまして! あああ、何でそこで離れるんですか〜!」
「……あなたは少し静かにするべきです」
たとえ周りが騒がしくとも、あまり大声を上げていたら旦那様に聞こえてしまう。
人の姿に戻れるようになったと聞いたが、それは外見的なものだけで、相変わらず五感は鋭いらしい。
大声を上げ過ぎてお二人の邪魔をしてしまうことは避けたいものだ。
とは言え、この侍女もその辺りは弁えている。
叫んでいるものの、小声で叫ぶと言う謎の興奮の仕方をしているのでこの喧騒に掻き消されて旦那様の下までは然程聞こえないだろう。
鼻息荒く主人達を眺める侍女の横で小さく息を吐き、手に持っていた串焼きにかじりついた。
* * * * *
「くそっ……!」
薄暗い路地の壁に体を預け、小さく悪態を吐く。
質の悪い服が肌に擦れて痒い。
よれた襟に触れている首を掻きながら、目深に被ったフードの向こうにある光景を見た。
自分はこんなに擦り切れたボロ布みたいな服を着て、馬鹿みたいに重たい厚手のローブを着て、何日も風呂にも入れず、食事代も切り詰めて、それでもまともな宿にも泊まれないのに。
どうしてあんなに幸せそうに笑ってる?
私がこうなったのは全てお前のせいなのに。
何故謝りに来ない? 何故私を迎えに来ない? 何故、私は領地へ押し込められなければならない? 何故、何故、なぜ、ナゼ?
ガリリと噛んだ親指から血が滲む。
まずい鉄のような血の味が口に広がる。
お前は私に謝るべきなんだ。
自分が間違っていたと、どうか自分を妻にしてくれと地面に頭を擦り付けて懇願するのが正しいんだ。
だから半年も耐えたのにお前は来なかった。
平民みたいな古着に、美味くもなければ量も全然足りない食事。毎朝早くに叩き起こされてロクに身支度も出来ないまま日が暮れるまで重労働ばかりさせられて、夜には気絶するように眠りにつく。
こんな生活を半年も過ごさせられた。
周りのやつらは文句は言うし、酷いと手まで出て、顔が腫れることなんて一度や二度ではなかった。
おまけに少しでも休もうとすると監視の男に怒鳴りつけられて、それでも動けずにいると鞭で叩かれて、それを周囲のやつらに笑われて羞恥と屈辱でどれほどの怒りを覚えたことか。
私が苦しんでいる間にお前は幸せになるなんて。
最後に見た時よりも少しふっくらとしている。
髪も艶が増し、儚げで触れられるのを拒むようにどこか冷たさのあった容貌が柔らかに綻ぶ。
声は聞こえないが、その横顔は楽しげで。
その隣には見たこともない男が笑っている。
艶のある金髪に、遠目からでも整った顔立ちなのが見えた。背は高く、がっしりとした体格で、隣にいる男とお前は親しげに手を繋いでいた。
その距離の近さからしてかなり親密な関係なのは、一目で分かる。
私の時ですらあそこまで近付きはしなかった。
そいつは誰だ? お前は英雄に縋ったはずなのに、もう別の男に乗り換えたのか? この売女め!!
町娘のような格好をしているが、手入れの行き届いた姿を見れば裕福な暮らしぶりが感じられる。
私はその日食べるものにすら困るのに。
「……許さない。許さないぞ、エディス……っ!」
何故お前だけが幸せになれる。
私は領地へ追いやられたというのに。
何故他の男の横にいる。
お前は私の横にいるべきだろう。
「お前は私のものだ……!」
そうならないなら、お前なんかいらない。
私のものにならないお前などいらない。
お前がどれだけ愚かなのか思い知らせてやる。
薄暗い路地から通りへ出る。
懐から、それを取り出し、親指を更に噛んで血をなすりつける。
手の中のそれがドクリと脈打った。
ふん、気持ちの悪いものだ。
だが、これがあればエディスの泣き叫ぶ姿が見られるはずだ。
全てはお前が悪い。お前がいけないんだ。
* * * * *
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