寝取られ令嬢は英雄を愛でることにした
デート(1)
馬車に揺られるわたしはドレス姿ではない。
流行りだという白地に赤や黄色を使った可愛らしいワンピースを身に纏い、髪を後ろへ流し、こめかみの部分の髪を三つ編みにして左右から後頭部へまとめている。靴も踵の低い革製のものだ。
化粧はほぼしていない。
隣にいるライリー様も騎士服ではなく、シャツにズボン、それから袖のない上着を羽織っているだけというラフな格好だった。
ちなみに今日のライリー様は人の方である。
馬車が人目に触れ難い場所で停まった。
「エディス、行こうか」
先に馬車を降りたライリー様が手を差し出す。
「はい。……ライリー」
慣れない呼び捨てにむず痒くなりながらも、その手を取って馬車から降りる。
今日は人の姿のライリー様とお忍びデートだ。
まあ、見る人が見れば貴族であることはすぐに分かってしまうでしょうけれど、それでも一応庶民的な格好にわたし達は着替えていた。
ライリー様には事前に「今日は様付けはなしだ」と言われていた。
どうせなら平民のようにデートしようということらしい。わたしは一も二もなく頷いた。
馬車を降りるとライリー様が当たり前のようにわたしと自分の手を繋ぐ。
「さあ、まずは市場を見に行こう」
そう言って歩き出したライリー様へついていく。
歩幅が違うはずなのに、ちっとも大変じゃない。
それに人通りの多い道へ出たものの、わたしは全く歩きづらいと感じなかった。
それは一歩前にいるライリー様が人混みの中で、わたしが他の人とぶつかってしまわないように壁になってくれているからだろう。
看板があると何気ない仕草で引き寄せられる。
「エディスは何か見たいものはあるか?」
振り向かれて考える。
「そうね、髪飾りが欲しいわ」
「じゃああっちの方だな」
歩きながらライリー様に手を引かれて行く。
大勢の人がいる場所で手を繋ぐのは少し気恥ずかしかったけれど、ライリー様は全く気にしていない。
……何だか見られている気がするわ。
気恥ずかしいが、離したいわけでもない。
思わず握る手に力がこもってしまう。
「ん? どうした?」
すぐに気付いたライリー様が歩調を緩めて隣へ来る。わたしの顔を覗き込んだ。
多分、今、顔が赤いと思う。
「その、手を繋いでいるからかしら。目立ってない? 見られてるのが落ち着かなくて……」
道行く人がこちらを見てる。
気のせいなんかじゃないわ。
確実にみんなわたし達を見てるもの。
ライリー様が笑う。
「それはエディスが美人だからだ。皆、美しい娘が現れたからつい見てしまうんだろう」
「それを言うならライリーさ……ライリーの方がそうよ。こんな格好良い人がいるから目立つんだわ」
「そんなことないと思うけどな」
「そんなことあるわ」
平民のふりをしてのデートだから、どことなくお互いに口調が少し崩れている。
ライリー様と二人だけというのは数えるほどしかなく、それだって近くに使用人がいる状況であった。
今だって恐らく少し離れた場所でユナや護衛が控えてくれているのだろうが、会話までは聞こえない距離なのは確かだ。
ライリー様と顔を見合わせて笑う。
「そんなことより、ほら、髪飾りを見よう」
いつの間にか屋台は装飾品を売るものに変わっていた。この辺りは髪飾りやブローチなど、平民でも手にしやすい値段の装飾品を売る店がひしめいている。
屋台の前で立ち止まると店主が顔を上げた。
「おや、美男美女でお似合いの恋人同士だね! どうだい、一つ買っていかないかい?」
人の良さそうな恰幅のよいおばさまが商品を手で示し、それに釣られて店先を覗き込む。
金属ではなく、木製にガラスをはめ込んだものが多く、金属製のものは他の商品よりもだいぶお高めだった。
貴族が身に付ける貴金属とは違い、木製のものは温かみがあり、丁寧に削り出しているのが手に取るとよく分かった。
「見て、中にお花があるわ」
手に取った髪飾りは楕円形のバレッタで、淡い黄色のガラスの中に、木で削った花が入っていた。
どうやら楕円形の部分の内側部分に花の彫刻をして、その上からガラスをはめこんであるらしく、日に当たるとガラス越しに繊細な花の彫刻が見えておしゃれだった。
中のお花には色が塗られて鮮やかだ。
横からライリー様がわたしの手元を覗き込む。
「……ああ、本当だ。綺麗だな」
「それはうちで一番よく売れてる商品だよ。ほら、こっちのやつは中身が猫なんだ。他にもいくつか色違いもあるから見てごらんよ」
差し出されたものを受け取って見ると、こちらのバレッタには丸くなった猫が透けて見えた。
あら、まんまるくなってる猫がかわいい!
他にも星だったりバラだったり、鹿だったり植物だったり、とにかく色んな彫刻のものがあった。
どれも色が違っていて面白い。
「あの、獅子はありませんか?」
おばさまに問うと、キョトンとされた。
「獅子? さすがにそれはないけど、お嬢ちゃん、獅子のやつが欲しいの?」
「はい、獅子はわたしにとって特別なんです」
「じゃあこれを作ってるやつに頼んでおこうか? 多分、頼めば獅子も彫ってくれると思うよ」
「いいんですか?!」
つい前のめりになったわたしにおばさまが頷く。
「いつも同じものばかり彫ってちゃあ飽きるだろうしね。出来上がるのは数日かかるけど、どうする?」
「お願いします」
おばさまの問いにライリー様がすぐに返事をした。
それにおばさまがおかしそうに笑う。
「若いっていいねえ。出来上がったら届けることも出来るけど、取りに来るかい?」
「出来れば届けて欲しいです。俺の休日が合うか分からないし、彼女一人で出かけさせるのは不安なので」
「あはは、お嬢ちゃん愛されてるね!」
おばさまが差し出した紙にライリー様が手早く住所を書いて渡す。
中身を確認したおばさまは一瞬驚いた表情を見せたけれど、すぐに満面の笑みを浮かべた。
「うちのの尻をひっぱたいてでも最高の物を作らせるから、楽しみに待っといで」
「うちの?」
「これを彫ってるのはあたしの旦那なんだ。ガラスはあたしの弟が作ったのを入れてるのさ」
じゃあ御家族で協力して作って、売っていらっしゃるのね。だからこんなに温かみがあるのかしら。
出来によっては更にいくつか購入してもいいかもしれないわね。
こういうお店って応援したくなっちゃうわ。
とりあえず二つ、ガラスの色はどちらも黄色にしてもらい、獅子については任せることにした。
「まいどどうも!」
というおばさまの言葉を受けつつ、次の屋台を見に行く。
屋台は隣り合ってズラリと並んでいるため、一つ一つのお店は小さいが、とにかく数が多い。
いくつもお店を回り、端から端まで歩いて回るだけで二時間もかかってしまった。
でも最後のお店では良いものが売っていた。
「本当にあれを飾るのか?」
最後のお店は木彫りの置物があった。
そこで一抱えほどの大きな獅子の木彫りの置物を見つけてしまい、わたしは即座にそれを買うことを決めた。
木彫りの熊ならぬ木彫りの獅子。
そのお顔が獅子のライリー様にそっくりだった。
これは買うしかない。
「ええ、どこに飾ろうかしら。玄関ホールとか?」
「それはちょっと……」
まあ、獅子の呪いを受けた者の家の玄関に木彫りの獅子の置物って、お客様も反応に困るわよね。
「ではお部屋に飾りますわ」
ライリー様ヌイグルミの横に置きましょう。
雄々しいライリー様と可愛いライリー様が並んでるのも、きっと悪くないわ。
ライリー様に出会ってから獅子が一番好きになりましたのよ。
わたしが引かないことを悟ったのかライリー様は苦笑したけれど、やめろとはおっしゃらなかった。
「大分歩いたし、休憩がてら、そろそろ昼食にしよう」
ライリー様の言葉に返事をする前に、わたしのお腹がクゥと高い唸り声を上げた。
わたしに聞こえていたのだ。五感の鋭いライリー様に聞こえないはずもなく、わたしの顔をまじまじと見つめ、小さく吹き出した。
「ふっ、そうか、腹減ったよな?」
顔を背けているが肩が小さく揺れている。
「もう! そこは聞こえなかったふりをしてくださいませ!」
「あんまり可愛い返事だったからつい」
「お腹の音に可愛いも可愛くないもありません!」
わたしが顔を背けて怒っていますと示せば、慌てた様子でライリー様がこちらへ顔を向けた。
「すまない、次からは気を付けるから」
「次もありませんわ」
「そうか、悪い」
もう、ライリー様ったら女心が分からないんですもの。お腹の音を好きな人に聞かれるなんて恥ずかしいに決まっている。
でも今まで女性と接する機会があまりなかったのでしょう。
そう思うと、ちょっと溜飲が下がる。
「いいですわ、もう。それよりも、昼食は何を食べましょうか?」
ここでわたしが不機嫌になっていたら、せっかくのデートも台無しですものね。
離れてしまっていた手をわたしから繋ぎ直す。
それでライリー様もわたしが本気で機嫌を損ねたわけではないと気付き、ホッとした表情を見せた。
コホン、とライリー様が一つ咳払いをした。
「レストランとカフェ、それから屋台もあるが、エディスはどこに行ってみたい?」
そうね、どこがいいかしら。
レストランは数回、子爵家にいた頃に行ったことがある。それも家同士の付き合いでだったけれど。
行ったことがないのはカフェと屋台ね。
カフェも捨てがいわ。
だけど、どうせ町娘の格好をしているのだから、それに見合ったものを食べてみたい。
「屋台がいいわ。レストランやカフェは普段の格好でも行けるけれど、屋台はこの格好でないと行きづらいもの」
それにライリー様が頷いた。
「ああ、屋台にも美味いものは多いらしい」
ごそごそとポケットから取り出した紙をライリー様が真剣な表情で見る。
背伸びをして覗き込めば、この屋台が多い通りにある美味しいお店についていくつも書かれている。
「調べたのですか?」
「エディスと行くのにまずいものを食べさせるつもりはないからな。部下達に聞いて下調べはしてある」
わたしのために美味しいお店を聞いてくれたのね。
その気持ちだけでも十分に嬉しい。
自然と頬が緩んだ。
「それは楽しみね」
紙から顔を上げたライリー様が力強く頷いた。
「ああ、俺も屋台のものを食べるのは久しぶりだから楽しみだ。……さすがに獅子の姿では行けないからな」
いきなり大柄な獅子の姿の者が現れたら驚かせてしまうだろうし、大人ですら怯える人がいるのに、子供も出歩いている街中をその姿で闊歩するのは憚られたのね。
使用人に買いに行かせることも出来たはずだ。
でもきっと買ってきてもらったものを食べるだけじゃあ味気ないと思う。
こうやって活気を感じて、屋台の人と接して、色んな人と話すからこそ屋台は楽しいのでしょう。
ライリー様らしい気遣いに胸が温かくなる。
「今日は色んなお店のものを食べてみましょう?」
一時的にとは言え、人の姿に戻れるようになったのだ。
今回限りではないが、今日は目一杯楽しめばいい。
わたしの言葉にライリー様も笑った。
「そうだな、色々食べてみよう」
お店を覚えたのかライリー様が紙をポケットに仕舞い、わたしの手を引いて歩き出す。
その軽い足取りについていく。
繋がる手の温かさが心地好い。
相変わらず人の視線はついて回ってくるが、今はもうあまり気にならなかった。
それよりもライリー様とのデートを楽しもう。
「この先の串焼きが美味いらしい」
指し示された方からは確かに、香ばしい良い匂いが漂ってきている。
「串焼きっていうのは、その名前の通り、串に肉や野菜なんかを刺して、タレをつけて焼いたものなんだ」
「そうなんですのね」
「随分前にはよく食べてたが、あれは美味いぞ」
ふふ、ライリー様ったらわたしよりもワクワクしていらっしゃるわ。
凛々しいお顔が嬉しそうに笑っていて、その屈託のない様が子供っぽくてかわいい。
獅子の呪いを受ける前はよく屋台のものを口にしていたのかしら。
そうだとしたら、こんなに嬉しそうなのも頷けるし、そんなライリー様が見られてわたしも嬉しい。
手を引かれて着いた屋台からは、匂いを嗅ぐだけでお腹が空いてきてしまいそうな、甘く香ばしい香りがする。
わたし達が立ち止まれば店主のおじさまがニカッと笑いかけてきた。
「おっ、こりゃまた随分な美男美女が来たもんだ! 一本どうだい! うちの串焼きは絶品だよ!」
焼いている串焼きはどれも色味は茶色だけれど、この香ばしい香りからしてタレの色なのだろう。
はたはたと火に風が送られる度に良い匂いが辺りに広まっていく。
「ああ、じゃあ二本くれるか?」
「あいよ!」
威勢の良い返事をしたおじさまが串を一本ずつ、小さな茶色の紙袋に包むと手渡される。
わたしが受け取り、ライリー様が代金を支払ってくださった。
包み紙はザラザラとした感触で安いものだ。
ライリー様に肩を抱かれて促され、歩き出せば、背後から「また来てくれよ!」と声をかけられたので、振り向いて会釈だけ返しておいた。
「あそこにベンチがあるから座って食べよう」
「歩きながらではダメですの?」
横を通り過ぎていった子供達は手に細長いパンのようなお菓子らしきものを持って、歩きながらそれに噛りついていた。
ライリー様も一瞬だけ子供達へ目を向けたが、すぐにこちらへ視線を戻すと首を振った。
「食べ慣れないと落としてしまうし、串は先が尖っていて危ないから、座って食べた方がいい」
なるほど、それもそうねと一つ頷く。
温かな紙袋を二つ抱えてベンチへ行き、二人揃って腰を下ろした。
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