寝取られ令嬢は英雄を愛でることにした
ヴァローナ=サレンナ友の会
余所行きのしゃれたドレスに身を包み、馬車に揺られながら目的地へ向かう。
ヴァローナ=サレンナ友の会。
開かれる場所は貴族街の一角にあるカフェだった。
カフェと言っても貴族向けなお店で完全個室に、最高級の茶葉やお菓子が提供されるところらしい。
秘密のお茶会にはピッタリの場所なのだそうだ。
その後の手紙のやり取りでフローレンス様が教えてくださった。
今日もリタと護衛を連れて来ている。
恐らく二人とも控え室にて待機することになるでしょうけれど、ライリー様には「出かける際には必ず侍女と護衛を連れて行ってくれ」と言われておりますものね。
そろそろ仮面をつけておこうかしら。
顔を隠すものをつけて来るように書かれていたため、目元と鼻を隠す仮面を購入した。獅子を模したそれは、まあ、簡単にわたしが誰か分かるだろう。
わざと分かりやすい仮面にしたのだ。
そうすれば、ここに参加する御令嬢や御婦人達がわたしを覚えてくれる。
まずはそこから始めれば良い。
そのうち馬車の揺れが小さくなり、ゆっくりと停まった。
外から扉が開けられて、護衛の手を借りて馬車を降りると、玄関には従業員が立っていた。
招待状を見せると恭しく頭を下げられる。
「ようこそお越しくださいました。どうぞ中へ」
その従業員が案内役も務めているようだ。
何も驚かないところを見るに、仮面をつけて訪れる客がよくいるということ。
つまりヴァローナ=サレンナ友の会はここを頻繁に利用しているのね。
控え室があり、そこにリタと護衛を置いていくことになったが、どうやらすぐ隣の部屋らしい。
わたしだけが隣の、百合の花の彫刻が施された扉に案内された。その扉を従業員が叩き、開ける。
「お客様がお見えになりました」
「通してちょうだい」
従業員の言葉に聞き覚えのある声が返事をした。
促されて室内へ入ると、中には数人の女性達がいて、全員がやはり仮面をつけていた。
背後で扉が閉まる。
「ようこそ、獅子の方。どうぞそちらの椅子へお座りくださいな」
……あら、やっぱりこの声フローレンス様だわ。
手で示された椅子へ腰掛けながら盗み見る。
髪の色と言い、体型と言い、声と言い、恐らくフローレンス様で間違いない。月と星の飾りがついた黒い仮面をしていらっしゃる。
「これで全員揃いましたわね」
フローレンス様が全員を見回した。
「まずは新しい方を御紹介致しますわ。私のお友達の獅子の方です。今後はそのようにお呼びしてくださいませ」
なるほど、仮面をしているのだから名乗る必要はないのね。
フローレンス様の紹介に座ったまま小さく会釈をした。
「皆様、初めまして。このような場に御招待してくださり、ありがとうございます」
「こちらこそ来ていただけて嬉しいわ」
フローレンス様の右隣にいた方が微笑んだ。
金髪を三つ編みにして、後頭部ですっきりと纏められているので多分既婚者だろう。
背の高さや雰囲気からしてこの中で最も年上なように感じられた。
「ここはヴァローナ・サレンナ、つまり私の書いた小説を愛する方々が集まってくださる会ですの。小説の話をすることもありますが、大抵は次に書く小説についてどのようなものが良いか話し合う場なのですわ」
その言葉に驚いた。
「あなたがヴァローナ=サレンナ様なのですか?」
「驚かせてしまったかしら?」
「その、御本人がいらっしゃるとはお聞きしておりませんでしたので。申し訳ありません」
てっきり支援者や支持者、つまりファンの方々だけで御本人は来ないと思っていたから。
「謝る必要はございませんわ。常に出ているわけではありませんもの。それに今日はあなたがいらっしゃると聞いたからこそ来たのです」
いつも出ているわけではない?
わたしが来るから出た?
「わたし、ですか?」
「ええ。最近、貴族や平民の間で話題に上がっているあなたとあなたの婚約者様との愛のお話を伺いたいのですわ。そしてお許しいただけるのであれば、あなた方を題材として小説も書かせていただきたいわ」
「小説……」
なるほど、今回呼ばれたのはわたしとライリー様を題材とした小説を書きたいから、そのためだったのね。
フローレンス様へ視線を向ければ微笑み返される。
わたしは一度考えてみた。
わたしとライリー様を題材にした小説。恐らく、誰もが読んだ時にわたし達を思い浮かべるだろう。
その小説が貴族の間で流行ったらどうなるか。
人の姿に戻れるようになり、かなりライリー様への偏見というか、敬遠する空気というか、そういうものが弱まってきた。
それでもいまだにライリー様を恐れる人は多い。
その恐れを少しでも払拭出来るかしら。
チラと出席している人々を見る。
どの方も仮面をつけているけれど、身なりはとても整っており、ドレスなどからも裕福なのは見て取れる。爵位もそれなりに高い人達だと思う。
この人達と間接的にでも繋がりを持てる。
それらは悪くない話だろう。
「お話をするのは構いませんが、小説にするという点は婚約者に相談してからでもよろしいでしょうか?」
「もちろん構いませんわ」
ヴァローナ=サレンナが頷いた。
わたしが拒否しなかったことで、向こうもちょっとホッとした様子であった。
隣の席の御令嬢がカップに紅茶を注いでくれた。
使用人がいないため、自分達で淹れるのだ。
「ありがとうございます」
お礼を述べると鳥の羽をつけた仮面の方がニコリと笑った。
「わたし達、獅子の方がいらっしゃるのをずっと待っておりましたの」
「だって国の英雄との婚約ですもの」
「呪われた英雄と御令嬢の運命の出会い……」
「ああ、想像するだけで素敵だわ」
鳥の羽の仮面の方を皮切りに、それまで静観していらした方々が口々に話し始めた。
……何かしら、物凄い既視感だわ。
フローレンス様へ視線を向けると、彼女の浮かべる笑みが深くなった。
ヴァローナ=サレンナ友の会。恋愛小説家を支持、支援している方々の集い。
言ってしまえば恋愛話が大好きな人々ということね。
この既視感、クラリス様とフローレンス様のお茶会に招待された時と似てるような気がするわ。
「英雄とどのように出会ったのですか?」
「どうしてお屋敷に招かれたのですか?」
「婚約者と一つ屋根の下での暮らしはいかがですか?」
「お二人で過ごす時はどのような感じなのでしょうか?」
次から次へと質問されてわたしは苦笑した。
緊張していたけれど、何だか気が抜けてしまった。
仮面越しに向けられるキラキラとした瞳は、わたし達に興味と憧れを抱いているのが分かる。
「落ち着いてくださいませ」
フローレンス様が声をかければピタリと声が止む。
「さあ、獅子の方、お話を聞かせてくださいな」
その言葉に頷き、わたしは口を開く。
「わたしと婚約者との出会いはーー……」
そこからライリー様との出会い、婚約までの流れ、生家での扱い、ライリー様のお屋敷での暮らし、婚約発表、呪いを一時的に解く方法を見つけたことなどを大まかに話していった。
生家での扱いに関してはやはり貴族の御令嬢には少々刺激が強かったのか、涙ぐむ人もいたけれど、わたしにとってはもう過ぎたことなので話すことに抵抗はなかった。
ライリー様との生活の辺りでは皆様、ビックリするくらいに食いついて来られた。
何気ない日常の出来事ですら、彼女達の頭の中では恋愛の素敵な物語として変換されているのかもしれない。
ライリー様が人の姿に戻れるようになったので、あの外見を想像すれば、確かに恋愛小説のように感じられるかもしれないわ。
「獅子の方は英雄のお姿が恐ろしくありませんでしたの? その、お戻りになられるまではあの姿でしたし……」
どこか聞きづらそうに質問されて頷き返す。
「全く恐ろしくありませんでしたわ。実はわたし、人と少し好みが変わっておりまして、獅子のお姿を誰よりも格好良く感じてしまったのです」
「あのお姿を?」
「ええ、だって雄々しくも凛々しい獅子のお顔に、触ったら気持ち良さそうなフサフサの毛並み、つぶらな瞳に、鬣の中にある大きなお耳。お口のおヒゲ周りもモコモコとしていて、それがお可愛らしくて最高なのです」
フローレンス様には何度も言っているけれど、何度でも言えるわ。
ライリー様の惚気ならいつだって何度だって出来るのよね。
「それにご機嫌だと尻尾がちょっと上がって、ご機嫌が悪いと逆に下がって、おヒゲもそうなんです。あんなに雄々しいのにわたしが触れると照れてちょっと唸ったり、そわそわしたり、そういうところもお可愛らしいのですわ」
人の姿の時は凄く押してくるんだけど、獅子の姿だと逆に凄く照れ屋さんで、そのくせよく擦り寄って来るのよね。
そのギャップも好きよ。
「男性と一つ屋根の下にいて大丈夫ですの?」
猫の仮面の御婦人に問われて頷く。
「ええ、階を分けてくださっておりますので何も問題ございませんわ。部屋まで送り届けてくださることは多いけれど、室内まで入ることはまずありません」
「清い御関係のままなのね」
「婚姻するまではお互い、そのつもりですわ」
きっとライリー様が我慢していることは多いだろう。男性だもの。それなのに夜の街へ行かないのだ。
それが素直に嬉しい。
人の姿に戻ってからも、ライリー様は変わらず仕事の後は真っ直ぐ帰宅される。
わたし以外には浮気しないでいてくださる。
貴族の男性ならば愛人を持つことはよくあるのだけれど、ライリー様は娼館にすら行かれないの。
わたしのことだけを見てくださる。
そのことも話せば、全員が感嘆の息を吐く。
「ああ、羨ましいですわね……」
「英雄がたった一人の女性だけを愛する……」
「紳士的で愛情深いなんて……」
「これは執筆が捗るわね!」
ヴァローナ=サレンナだけは爛々とした目で手元の手帳にガリガリと何やら書きつけている。
あれは小説のためのメモかしら。
それにしてもヴァローナ=サレンナという人物とは初対面のはずなのに、どこかで会っているような気がした。
うーん、と眺めていれば、顔を上げた彼女と目が合った。
「愛する人のキスで呪いが解けるなんて物語みたいで素敵ね」
ニッコリと笑みを返されて、あっと声を上げそうになった。
そんなわたしにヴァローナ=サレンナは口元に人差し指を当てると、またメモを取り始めたのだった。
* * * * *
「そうか、そんな会があるのか」
帰宅したライリー様が、同じくお茶会から戻ったわたしの話を聞いて、興味深そうにそう言った。
感心したような、不思議そうな声音だった。
そこには嫌悪感などは感じられない。
「わたしは小説の題材にとなるのは構いませんが、ライリー様はいかがですか?」
「俺も構わないが。……それで出来上がった小説の方が気になるな」
「わたし達のことですものね」
ライリー様が女性向けの恋愛小説を読む姿を想像したら、思わず笑みがこぼれてしまった。
出来上がったら一冊買ってみようかしら。
それにしてもヴァローナ=サレンナが実はサヴァナ様だってことは、ライリー様には秘密にしておこう。
サヴァナ様とフローレンス様は親しい間柄だ。
だからサヴァナ様の支援をフローレンス様が中心となって行なっているのだろう。
サヴァナ様とフローレンス様。
お二人の名前を混ぜたのがヴァローナ=サレンナという恋愛小説家なのだろう。
道理でわたしが呼ばれるわけね。
ふふ、と笑うとライリー様に抱き寄せられる。
「そんなに楽しかったのか?」
頬にキスを落とされて頷いた。
「ええ、とっても。また行くつもりですわ」
ライリー様の頬に同様にキスを返す。
それまでにまた沢山ライリー様との思い出を作らないといけないわね。
誰かにわたし達の関係を応援してもらえていると知れて良かったし、とても嬉しかった。
だってわたしがライリー様の婚約者だと認めてもらえているということだもの。
嬉しくないはずがないわ。
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