寝取られ令嬢は英雄を愛でることにした
ディヴィッド=アンドルーズ
夜会から五日後、手紙が届いた。
それはハーグリーヴズ公爵家からのものであった。
あの夜会の翌日にはアンドルーズ公爵から謝罪の手紙が届き、三日後にはアンドルーズ公爵本人が謝罪に訪れ、目が飛び出るのではないかと思うほどの額のお金を置いていった。
お金で誠意を測るわけではないが、その額は公爵家ですら普通ならば出し渋るような、そんな額であった。
既に一度、貴重だろう大粒のルビーまでいただいており、ライリー様は断ろうとしたが、そうするとこちらが謝罪を受け入れなかったと周囲に思われてしまうので、結局のところは受け取るしかなかった。
公爵はあまり眠れていないのか、目の下に隈が出来ていたものの、心は既に決まっているのだろう。
屋敷に訪れてから帰られるまで一度たりとも顔を俯けることはなかった。
その目には覚悟の色も窺えた。
息子を切り捨て、公爵家当主である己が頭を下げることも辞さず、公爵家の財政が傾こうとも国の英雄に誠意ある対応をすることで公爵家の立場を、家を守る。
それを見たライリー様は謝罪金を受け取られた。
公爵がお帰りになられた後、テーブルの上に積まれた金貨や宝石を眺めて、ライリー様が悲しそうなお顔をされる。
「アンドルーズ公爵家も大変だろうに……」
夜会の主催者であるハーグリーヴズ公爵家にも謝罪金を渡しに行ったはずだ。
そちらだってかなり高額なはずだ。
もしかしたら借金もしたかもしれない。
今後、アンドルーズ公爵家はしばらく貴族達から敬遠されるだろう。あのディヴィッドの異常な様子から精神疾患を疑われる可能性もある。そうなると、そのような者が生まれやすい血筋だと厭われることもある。
爵位が高いので表立っては噂はされない。
しかし裏では確実に何かしら言われる。
公爵という地位にありながら、貴族達から遠巻きにされるというのはつらい立場だ。
しかし、わたし達に出来ることはない。
後はアンドルーズ公爵家自体の問題だ。
そして今回届いたハーグリーヴズ公爵家からの手紙には、夜会へ訪れてくれたことへのお礼の言葉と騒ぎによって不愉快な思いをさせてしまったことへの謝罪が書かれていた。
それから、最高級のワインが送られてきた。
「君のことも気にしておられるようだ。これは今夜にでも飲んで、明日お礼の手紙を返すとしよう」
王族が好んで飲むほど美味しいワインらしい。
ちょっとだけ夜が楽しみになった。
「ハーグリーヴズ公爵様にわたしもお手紙を書かせていただいてもよろしいでしょうか?」
「ああ、良いと思う。一緒に出そう」
今回の件はハーグリーヴズ公爵家にとっては完全に無関係なはずのことでしたもの。
それなのに巻き込まれていい迷惑だろう。
ワインのお礼も兼ねて、きちんと感謝の気持ちと今回の夜会での件は気にしていないことを伝えましょう。
フローレンス様へもお手紙を書けば、そちらからもわたしが気にしていないことが伝わるかもしれない。
それと最後にショーン殿下からのお手紙があった。
そこには予想通りディヴィッドのことが書かれていた。
夜会の後、ディヴィッドについて調査が行われ、これまでの彼の行いが明るみに出た。
わたしが感じていた通り、彼は日頃から貴族にあるまじき行いを繰り返していたようだ。
友人や知人の家に突然押しかけ、何時間や何日も居座ったり、騎士団に入団している下位貴族の子息を呼び出しては剣の相手を無理やりさせたり、公爵家という身分を盾に市井の店で酔って暴れるようなこともあったそうだ。
下位貴族の令息や平民の中には怪我を負わされた者もいたが、それらも全て身分を盾に揉み消していたらしい。
騎士団へ入るために試験官に賄賂を渡そうとして、拒絶され、それを理由に落とされたことも何度かあったとも。
これらにアンドルーズ公爵は関与していない。
他にもあれこれと問題を起こしており、いくつあるのか数えるのも馬鹿らしくなるほどらしい。
どうやら彼は公爵位の者ならば何をしても許されると思っていたようだ。
この調査結果により、ディヴィッド=アンドルーズは公爵家より出されることとなった。
しかし重罪を犯したわけではなく、一つ一つは悪質だが、これによってアンドルーズ公爵家を責めれば国内のそれぞれの派閥の均衡を崩してしまう。
それ故にディヴィッド=アンドルーズは貴族という身分はそのままに罰として東の砦へ配属となった。
この国の東の端、隣国と接する場所に広大な森がある。その森の縁に沿うように砦や壁が築かれ、広大な森に潜む魔獣から国を守っている。
そこは国内で最も魔獣が出没する場所だ。
そして場所柄、その砦にいる騎士や領主に雇われた傭兵、町にいる魔獣専門のハンターなどは荒くれ者が多い。
ディヴィッド=アンドルーズはそこへ押し込まれる形で行くことになる。
手紙を読んだ感じでは、彼は防衛の最前線に駆り出されることだろう。
大した腕もなく我が儘な彼が荒くれ者と魔獣に囲まれてどれだけ持つかは分からない。
だがこれは遠回しに死ねと言っている。
もしも生き残り、功績をあげた場合は扱いを変えることも考慮されるみたいだけれど、夜会での様子を見る限り難しいと思う。
素人をいきなり戦いの場に放り出すのだ。
生きていられるとは考え難い。
ライリー様は手紙を読んで苦笑した。
「皮肉だな。あれだけ入りたがっていた騎士団に罰のためとは言え、入れたんだ」
「そういえば、そうですわね」
「まあ、望んでいた近衛の地位からは遠ざかるがな」
その皮肉混じりな笑みにドキリとしてしまった。
……いやだわ、不謹慎じゃない。
でも、ライリー様はいつも紳士的だから、そのような普段見ないお顔をされると胸が高鳴ってしまう。
そっと、横にいるライリー様に寄りかかる。
「ですが、それはあの方のこれまでの行いが返ってきただけですわ」
もしかしたら、ライリー様は十七歳というディヴィッドの若さに同情しているのかしら。
まだ反省の余地はあると思っていらっしゃるのかもしれないわね。
でもディヴィッドは十七歳で既に成人済みだ。
己の責任は己で取るべき年齢である。
それに自分に都合の良い部分だけしか聞かないような人間が、そう簡単に反省出来るだろうか。
夜会での姿を思い出して内心で首を振る。
……きっと無理ね。
何となく元婚約者の顔とディヴィッドの顔が重なり、不快な気分になったので、思い出すのをやめる。
「そうだな」
そう言って回された腕に身を任せ、抱き着いた。
ディヴィッドの言葉が頭を過ぎる。
……わたしはライリー様しか選ばないわ。
だってこの方を愛しているのだもの。
* * * * *
ハーグリーヴズの夜会から一週間後。
王城の隅にある小さな門から一台の馬車がひっそりと走り出していった。
その馬車は王城から出るものにしては地味なものだった。
重厚な木製の馬車で、よく見ると窓枠の部分には鉄格子がはまっており、大きさのわりには装飾が一つもない。
その後ろからついてくる馬車は綺麗なもので、地味な馬車と綺麗な馬車を馬に乗った騎士達が囲っている。
街の者は遠巻きにそれを眺めていた。
それは犯罪者の貴族を移動させるための馬車だ。
東の砦まで、この馬車二台と騎士達は進んでいく。
その地味な馬車の中に押し込められ、ガタガタと揺られながらディヴィッドは己の爪を噛む。
……嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ。行きたくない。
東の砦がどれほど危険な場所かは知っている。
荒くれ者が多く、強い者も多いが、それでも毎年森から現れる魔獣の討伐により少なくない死者が出ている。
だからこそ、よほどのことがない限り王都の騎士がそちらへ配属されることはない。
騎士団には平民も多いが貴族も多い。
それなのに自分は今からそこへ向かっている。
「嫌だ……嫌だ……」
外にいる騎士達の乗る馬の蹄の音が、ガタガタと揺れる馬車の振動が、恐ろしくてたまらない。
どちらも煩わしいと思うのに、それが止まることに怯えている。
今はまだ王都の中だが、王都の外へ出たら、休憩と野宿以外では止まらないだろう。
一歩一歩、死が近付いて来るようだ。
実際にはディヴィッドの方が向かっているのだが、ディヴィッド自身には死の方が近付いて来るように感じられた。
王城の貴族用の牢部屋にいた時、第二王子が訪れた。
ディヴィッドは公爵家の生まれでありながら、夜会での挨拶程度しか話をしたことがなく、その時、初めて王族と私的な会話を交わしたのだ。
「君の処遇は聞いたかい?」
王族どころか貴族らしさもあまりない第二王子の様子に、ディヴィッドは驚きと共に妬ましさを感じた。
王族とは臣下である貴族達の手本となるべき存在だ。
それがこんな風に自由に振る舞えるなんて。
内心のどす黒い感情を押し隠して頷いた。
「……はい」
「そっか。でも良かったね」
「何が、でしょうか」
ディヴィッドにとっては何も良くない。
華々しい王都から引き離され、死と隣り合わせの生活をこれから送れと言い渡されたのだ。
遠回しに死んでくれと言われたのは分かった。
生家にも、父にも、見限られた。
「だって騎士になりたかったんでしょ? 君が望んだ通り、騎士団に入れたね」
確かにディヴィッドは騎士団に入りたかった。
でもそれは近衛隊を目指していたからだ。
決して日々魔獣討伐で命の危険にさらされる東の砦へ行きたかったわけではない。
「それに向こうで手柄を立てれば君の待遇は良くなる。ああ、大丈夫、きちんと手柄を横取りされないように監視がついてくれているからね」
逆を言えば、公爵家の身分を使って他の者から手柄を得ることは出来ないということだ。
危険極まりない場所で己の力だけで生き残れ。
死にたくなければ必死で足掻くしかない。
けれど自分はそれほど強くない。
だから英雄に剣の師になってもらおうとしたのだ。
「それじゃあ、幸運を」
そう言って第二王子は部屋を出て行った。
幸運? 待っているのは死なのに?
ディヴィッドはカッとなって叫んだが、あまりにも頭に血が上っていて、何と叫んだのか自分でもよく分からなかった。
その後、呆然としていたディヴィッドは騎士達に引きずられて馬車に押し込まれ、ここに至る。
着ていたはずの服はいつの間にか騎士服に変わっていた。それは新人騎士が着るものだった。
憧れていたはずの騎士服なのに、今はまるで全身を拘束する鎖のごとく息苦しい。
そして騎士服を身に纏っていながら帯剣は許されておらず、それが余計に惨めな気持ちにさせる。
……僕は間違っていたのか?
ただ騎士になりたいと望んだだけなのに。
幼い頃、国王陛下を護衛する騎士達を見て憧れた。
彼らの堂々とした姿が格好良いと思った。
だから僕なりに努力したつもりだった。
……僕は本当に努力したのか?
英雄の屋敷で門越しに投げかけられた言葉を思い出す。
「無礼を承知で申し上げますが、あなたは鍛練の時間が全く足りていないのだと思います」
その時、僕は憤慨したが、本当に僕は努力していたと言えるのだろうか。
日に一時間なんて礼儀作法の勉強よりも短い。
「英雄と謳われるライリー様でさえ、日に二時間のきつい鍛錬に加え、お仕事の最中でも騎士の稽古をつけたりなさっておりますわ」
また彼女の言葉が浮かんでくる。
あの英雄でも、日に二時間の鍛錬に加えて、騎士達との稽古を行っている。
じゃあ英雄よりもずっと弱い僕は?
英雄よりも努力しなければならないのでは?
ウィンターズ邸の周りを走るのだって、僕は二周も走り切れず、こんなものは不当な扱いだと腹立たしくなってやめてしまった。
そこにどのような理由があるかなんて考えもしなかったし、知ろうともしなかった。
……僕はどこから間違っていたのだろう。
思い出そうとしても思い出せなかった。
それくらいずっと前から、今までのように過ごしていたから、最初のことなんてもう分からない。
そういえば兄達から小言を言われなくなったのはいつからだったか。
従者達が僕に意見をしなくなったのはいつから?
昔は一緒に笑い合っていたはずの友人達と顔を合わせなくなってきたのはいつ頃からか。
気付けば頬を涙が伝っていた。
家族にはいつも注意された。父にも何度か叱られた。
裏を返せば、家族はそれまで気にかけてくれていたということだ。
僕はそれを全部無視してきたのか。
何度も変わる機会はあったはずなのに。
英雄ライリー=ウィンターズの屋敷へ行った時もそうだ。
彼女は互いの醜聞にならないようにと僕を屋敷へ入れず、英雄からの条件を口にした。
それが満たせれば騎士団に入れてくれると、最初に言っていたのに、苦しい思いをしたくなくて僕は投げ出した。
僕に入団する機会を与えてくれていたのに。
「……そうか、僕は全部間違ったのか……」
だから、誰も傍にいない。
だから、こうなってしまった。
体から力が抜けていく。
何もかもが間違っていた。
何もかもがもう遅い。
だとしたら僕に出来ることはない。
東の砦でただ死なないために生き残る。
もしかしたら、家にとってはそれすら迷惑なことなのかもしれない。死んだ方が厄介者が消えていいのかもしれない。
それでも死ぬ勇気がなかった。
今だって恐ろしくて堪らない。
だけど受け入れるしかない。
僕は全て間違っていたのだから。
「……父上」
最後に見た父は憔悴していた。
それが自分のせいだと思うと、今更ながらに胸が酷く痛んだ。殴られて当然だった。
「……兄上達も、母上も、ごめんなさい……」
その言葉は誰の耳にも届かなかった。
* * * * *
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