寝取られ令嬢は英雄を愛でることにした
夜会(1)
あの迷惑な来訪者の件から一週間。
翌日ライリー様宛に、アンドルーズ公爵より謝罪の手紙が届いた。
同封されていたが、わたし宛の手紙もあり、どちらも公爵家からのものとは思えないほど謝罪の言葉が並んでいた。
しかも手紙と共に謝罪の意味が込められた贈り物も届いた。親指の爪よりも大きな大粒のルビーが二つ、恐らくわたしとライリー様の分だろう。
一粒で、平民の家族が数年くらいは食べていけるのではないかと思ってしまいそうなほど大きく、美しい宝石だった。
そしてディヴィッド=アンドルーズ公爵子息は謹慎させており、わたし達への謝罪の手紙を書かせているそうだが、どうやら難航しているらしい。
しばらく謹慎させた後に、自領の傭兵団の中へ入れて鍛え直させるつもりだそうだ。
もしライリー様やわたしが望むならば、こちらの望む処罰を受けさせる気だとも書かれていた。
わたし達はあまり関わりたくなかったので、公爵の謝罪を受け入れること、処罰は公爵に任せることと手紙に書いて返事を送った。
それに関してもすぐに感謝の手紙が届いた。
どうしてお父君はこんなにまともな方なのに息子はあんななのかしら。三男だから家を継ぐ心配はないし、教育が疎かになったのか、甘やかされたのか。
性格は違うけれど、どことなくリチャードを思い起こさせられて気分は良くなかった。
そして一週間経った今まで公爵家から手紙は届かない。つまり、いまだにアンドルーズ公爵子息は公爵が送っても大丈夫だと思えるような謝罪文を書けていないということだ。
それ以外は特に大きな出来事もなく、ハーグリーヴズ公爵家主催の夜会に招かれた。
もうそろそろ社交シーズンも終わってしまう。
それまでに少しでも有益な者と縁を繋ごうと、社交シーズンの後半はどの夜会でも大勢の人が訪れる。
ハーグリーヴズ公爵と言えば第二王子殿下の婚約者の生家ということもあり、招待客の殆どが出席するだろう。
ライリー様はショーン殿下の繋がりで、わたしはフローレンス様の友人として、縁があるので当たり前だが招待状が送られてきた。
話し合って、ライリー様が魔獣討伐などの任務が急遽入らない限りは出席させてもらうと返事をした。
……お友達のお家の夜会に出席するなんて初めてだわ。
アリンガム子爵家にいた頃は友人と呼べる者もおらず、いつもリチャードの繋がりで招かれた夜会にしか出席していなかったから。
「エディス、そろそろ時間だが支度は出来てるか?」
部屋まで迎えに来てくださった人の姿のライリー様に微笑み返す。
「ええ、済んでおりますわ」
差し出された腕にそっと手を添える。
ライリー様にエスコートしていただき、玄関ホールまで行くと、使用人達の見送りを受けて馬車に乗り込む。
お友達に会えると思うと、少し面倒に感じていた夜会も楽しみに変わる。
でも今日はクラリス様にはお会い出来ないのよね。
王家主催のものならば王城での開催なので公務として少しだけ出席されているけれど、そうでない夜会ではクラリス様はまだ出席出来ない。
十歳でまだ社交界デビューしていないからだ。
でも手紙のやり取りで元気にしていることは分かっているので、またそのうち呼んでくださるか、王家主催の夜会で会うこともあるでしょう。
「恐らくアンドルーズ公爵が謝りに来るだろう」
「ええ、そうでしょうね」
手紙だけではなく、次に顔を合わせた時にも謝罪をしたいと手紙に書かれていたものね。
わたしはもう済んだことだと思っている。
それでも言葉だけではなく、行動でも示さなければならないのだろう。公爵の方が心労が大きそう。
「わたしは気にしていませんもの。ライリー様の良きようになさってくださいませ」
「ああ、俺は一つ言いたいことがあるから、それさえ守ってもらえれば今回の件は許そうと思っている」
あら、何のことでしょう。
やっぱり剣の師は諦めて欲しいということかしら。
何度も断っているのだから、恐らく公爵の方は受け入れてくれるだろうし、迷惑をかけたこちらの要求は飲んでくるはずだ。
揺れていた馬車が次第に速度を落としていく。
やがて揺れが止まり、扉が開かれたのでライリー様が先に降り、その手を借りてわたしも降りる。
見上げた先にあったハーグリーヴズ公爵邸はとても大きく、彫刻の装飾が美しい建物だった。
「素晴らしいお屋敷ですわね……」
まるで屋敷そのものが巨大な芸術品のようだわ。
隣にいたライリー様も小さく息を吐く。
「そうだな、入るのを躊躇ってしまいそうだ」
その言葉に思わず頷き返してしまった。
建物から視線を落とせば、案内役だろう使用人がどこか嬉しそうな笑みを浮かべてわたし達を待ってくれていた。
案内をお願いすると、その使用人はキビキビとした動きでわたし達を屋敷の中へ招き入れ、今夜の会場まで案内をする。
開かれた扉から中へ入ると、既に来ていた貴族達から一斉に視線が向けられる。
それでも、わたしもライリー様も真っ直ぐに前を向いて部屋の中へ入っていく。
チラと視線を巡らせたがウィンターズ男爵家やベントリー伯爵家の姿はない。
ウィンターズ男爵家はあまり社交に力を入れていないので、関わりのない貴族の夜会にはあまり出席せず、ベントリー伯爵家はお父様が急遽領地へ戻らなければならなくなったために出席していない。
弟のアーヴから届いた手紙によると、お父様のお父様、わたしから見ればお祖父様になる方がお倒れになったそうだ。
幸い大したことはないそうだが、実父を心配したお父様は一足先に領地へ戻ることを決めたという。
お母様とアーヴは社交シーズンが終えるまでは王都に残り、その後、領地へ帰るとのことだった。
お父様に御挨拶出来なかったのは残念だわ。
急ぎだったのだから仕方ないわね。
それでも短いながらも手紙を書いてくださった。
挨拶もせずに領地へ戻ることの謝罪と、帰る前にもう一度一緒に食事をしたかったという残念そうな言葉と、そのうち領地へ遊びに来て欲しいというお誘いが書かれていた。
どこか折をみて行けたらいいわね。
行くならライリー様と一緒がいいわ。
でもライリー様のお仕事の都合もあるから、現実的に考えると少々難しいかもしれない。
ハーグリーヴズ公爵夫妻に御挨拶をした後、そのようなことを頭の片隅で考えつつ、ライリー様と会場の端でのんびりとお喋りをして過ごしていた。
公爵令嬢ともなれば忙しいようで、フローレンス様はパートナーとしていらしているショーン殿下と共にお客様の対応に追われている。
何とか御挨拶は出来たけれど「あまりお話出来ませんが楽しんでいってくださいませ」と申し訳なさそうにフローレンス様に言われたら仕方がない。
第二王子殿下と公爵令嬢が一緒にいるのだから、話しかけたいと思う人も大勢いる。
ずっとわたし達と一緒にお喋りをしているわけにはいかないのだ。
忙しそうなお二人を遠目に眺めていると、ライリー様に名を呼ばれた。
「エディス」
目線で促された方を見れば、老齢の男性がこちらへ歩いてくるところであった。
どなたかしらと記憶を探りかけていたわたしに「アンドルーズ公爵だ」と囁いてくれた。
白髪混じりの銀髪に紅い瞳をした男性は品があるが、どこか近寄りがたい雰囲気を感じさせる。
そんなアンドルーズ公爵はわたし達の元まで来ると胸に手をあてて簡易の礼を取った。
「何度か手紙にてやり取りをさせていただいている、ロバート=アンドルーズです。この度は愚息がご迷惑をおかけして、大変申し訳ない……」
その顔を間近で見て、何故近寄りがたいと感じたのか分かった。
目元に薄らと隈が出来ており、それでいて気を張っているのが、疲れた様子と相まってそのように感じられたのだ。
かなり息子に手を焼いていらっしゃるようね。
「ライリー=ウィンターズです。こちらは婚約者のエディス=ベントリー伯爵令嬢です」
「初めまして」
ライリー様の言葉に合わせてカーテシーを行う。
「この度の件については閣下より謝罪の手紙もいただき、真摯に対応してくださったので私達はもう気にしておりません」
そうライリー様がおっしゃれば、アンドルーズ公爵はホッとしたのか小さく息を吐いた。
そうしてわたしへ顔を向ける。
「ベントリー伯爵令嬢にも迷惑をかけて申し訳ない。突然訪問されて恐ろしかっただろう」
申し訳なさそうに言われて小さく首を振る。
「いいえ、ライリー様より伺っておりましたので、御子息がいらっしゃることは分かっておりました。失礼ながら門越しに対応させていただきましたが」
「いや、それは当然のことだ。こちらが謝りこそすれど、あなたの対応を責めるつもりはない」
「そう言っていただけて良かったです」
やるかどうかは御自身の判断に委ねましたが、公爵家の人間に屋敷の周りを走ってろ、と告げるのはとんでもなく失礼なことだ。
そうでもしないと帰ってもらえないと思ったのだ。
話をしている間も諦める気配がなかったから。
わたしの対応について責めることはない、ということは、御子息を走らせたことについても問わないってことですもの。
それを聞いて安心したわ。
「それから愚息にお二人への謝罪の手紙も書かせているのだが、どうにも送れるほどのものが書けず……」
恥ずかしい、と公爵がまた息を吐く。
一週間もかかってまともな手紙一つかけないだなんて、確かに恥ずかしいわよね。
「手紙については今しばらく待っていただけないだろうか?」
「ええ、それは構いません。閣下、実は一つ気になることがありまして、出来ればそちらの方を守っていただきたいのですが……」
「気になること?」
謝罪の手紙に関してはわたしもライリー様もあまり期待していないので時間がかかっても構わない。
でも馬車の中でもおっしゃっていた「気になること」とは何なのかしら。
ライリー様が口元へ手を添えると、察したのか公爵が顔を寄せ、何やらお二人でヒソヒソとお話をされ始めた。
内容までは聞こえないが、公爵の顔に怒りの表情が一瞬浮かんだのは見逃さなかった。
「どうぞ、お気を付けください」
「ああ、そうしよう。すぐにでもアレを領地へ帰らせて──……」
公爵の言葉が途切れる。
その顔が驚愕に変わり、瞬時に怒りに染まった。
何を見たのかと視線を辿り、わたし達も目を丸くした。
……どうしてここにいらっしゃるのかしら?
「あ、ラ、ウィンターズ様!」
一週間前に見た姿がそこにいた。
ライリー様は公爵と、自分の名前を呼んだ人物を交互に見た後に「御子息か……」と察したようだった。
親子だけあって見た目も色味も似てるのよね。
その方は真っ直ぐにわたし達の元へとやって来た。
「何度も手紙を送り、突然御訪問してしまい、失礼しました。アンドルーズ公爵家が三男ディヴィッド=アンドルーズといいます」
礼を取り、深く頭を下げられる。
それを遠巻きに見ていた周囲の人々が騒めいた。
国の英雄と呼ばれていても、騎士爵位に過ぎないライリー様が、公爵家の者に人目のある場所で頭を下げさせたというのがまずい。
公爵がすぐに御子息の名前を呼んだ。
「ディヴィッド!」
父親に肩を掴まれ、無理やり頭を上げさせられると、息子の方は不満そうに眉を寄せた。
「何をするのですか。父上もお二人に謝罪をしろとおっしゃっていたではありませんか」
「それは手紙の話だ。それに、このような場でこんなことをして、ウィンターズ殿の立場を悪くするつもりか?! 周りを見てみろ!」
「え?」
そこでやっと周りを見た息子が目を丸くした。
周囲の人々がコソコソと話をして、こちらを遠巻きに、でも確実に見ている。
その目には何が起きたのかという好奇心と、ライリー様への僅かな非難が含まれてしまっていた。
馬鹿なことをしたものだ。
せっかく公爵もライリー様も今回のことは内密に終わらせようとしていたのに、当の本人が話さざるを得ない状況を作り出してしまったのだ。
周囲の生み出す否定的な空気にやっと気付いたらしく、戸惑ったように周りを見回した。
「え、えっ? 何が……?」
しかも何故注目されているか理解していない。
公爵の顔は真っ青で、今にも倒れてしまいそうだ。
「一体何の騒ぎかね?」
騒ぎを聞きつけたのだろう、ハーグリーヴズ公爵家当主が夫人と共に近付いてくる。
その後ろにはハーグリーヴズ公爵家の人々がおり、フローレンス様とショーン殿下もいらっしゃる。
ライリー様とわたしは顔を見合わせた。
わたし達が言って良いものか……。
「ああ、申し訳ない。全ては我が愚息のせいで……。ウィンターズ殿、ベントリー伯爵令嬢、事情を説明させてもらっても構わないだろうか?」
ああ、良かった。アンドルーズ公爵側から話してくれるのであれば大丈夫だろう。
ライリー様と共に頷き返す。
わたし達の同意を得られたアンドルーズ公爵が事の経緯を説明してくださった。
自分にはディヴィッドという三男がいること。
そのディヴィッドは騎士を目指しており、ライリー様に指導して欲しくて手紙を三度も送ったこと。
それら全てにライリー様がきちんとした理由でお断りを入れたこと、しかしディヴィッドがその断りを聞き入れなかったこと。
四度目の手紙でライリー様の予定を考えずに一方的に来訪を告げたこと。
そしてその翌日にウィンターズ邸に訪れたこと。
婚約者のわたししかいなかったため、敷地内に入ることを許さず、門越しでの対応になったこと。その際にディヴィッドが図々しくも屋敷の中へ入れるよう申し出て、それをわたしが断ったこと。
あまりにもしつこく手紙が来ていたのでライリー様が条件を出したこと。それを満たすことが出来れば指導する、という内容であったが、ディヴィッドはそれを満たせなかったこと。
相手の都合を全く考えず、身勝手で無礼な振る舞いをしたディヴィッドは謹慎にしていたこと。
「それなのに当主の言葉を無視してディヴィッドはこの夜会に出て来た挙句、人目のある場所で相手の立場も考えずに頭を下げて、一方的な謝罪を押し付けた。そうしてこの騒ぎとなってしまった」
まるで懺悔をするかのごとくアンドルーズ公爵は静かに説明を終えた。
私情を差し込まず、事実を話してくださったおかげで、この現状においてどちらに非があるのかは誰の目にも明らかになった。
黙って聞き続けていたハーグリーヴズ公爵家の方々や夜会の来客者達も、相手の予定を聞かず、しかも未婚の女性しかいない家に入ろうとしたという場面ではさすがに小さな騒めきが広まった。
その行動がどのような醜聞になるか想像出来たからだろう。
「愚息が申し訳ない……」
ハーグリーヴス公爵家とわたし達へ頭を下げるアンドルーズ公爵。初めて会ったというのに、謝ってばかりで気苦労が絶えないでしょうね。
大勢の前で父親に頭を下げさせた張本人は、その姿を見て慌てた様子で近寄った。
「頭を上げてください! 父上は何も悪くありません!!」
それをあなたがおっしゃるの?
誰もが白い目でディヴィッドを見るけれど、本人だけはそれを分かっていない。
アンドルーズ公爵は近寄った息子の頭を掴むと無理矢理頭を下げさせた。
「お前も謝罪するんだ! ハーグリーヴズ公爵家の夜会で騒ぎを起こしたこと、ウィンターズ殿とベントリー伯爵令嬢に迷惑をかけたことを謝るんだ!」
ディヴィッドは父親に頭を掴まれ、下げさせられて、最初は抵抗していたものの、父親の怒気に気圧されたのかすぐに謝罪の言葉を口にした。
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