寝取られ令嬢は英雄を愛でることにした
迷惑な来訪者(1)
翌日、ライリー様は「本当に大丈夫か?」「いざとなったら呼び戻してくれ」と心配してくださりながら、お仕事へ出かけられた。
午前中はいつも通り届いた手紙の確認と返事を書くことに費やし、昼食を摂り、食後のお茶を飲んで過ごす。
公爵がきちんと抑えてくだされば何事もなく終わる。
しかし、もし抑え切れなければ来るでしょう。
手紙を思い出す。
日付は今日、時間は午後とだけ書かれていた。
まあでも剣の稽古をつけていただきたいと言うのですから、夕方には来ないでしょうね。来るとしたら昼食後からティータイムの間くらいかしら?
剣の稽古に当てる時間を考えて訪れるはずだ。
ライリー様がいらっしゃらないので、そんなことは絶対にありえないのだけれど。
お茶を楽しみ、自室の続きの間へ移動して、そこで読書をする。
新しく読み始めたそれを三分の一まで読み進めた辺りで、オーウェルが部屋を訪れる。
「お嬢様、お客様がお見えになりました」
いつもと変わらない穏やかな表情でオーウェルが言う。
本に栞を挟んで閉じた。
「一応聞きますけれど、どなた?」
「アンドルーズ公爵家のディヴィッド様と御本人が名乗られております。旦那様とお約束をしている、と」
「……呆れた。返事もないのに約束出来たと思っていらっしゃるのね」
手紙が届いた昨日、ライリー様は件の公爵家三男坊に返事を出していない。
普通は返事がなければ再度連絡を取り、相手の許可を得てから訪問するべきなのだ。
ソファーから立ち上がる。
「アンドルーズ様は屋敷の中へ招き入れた?」
「いえ、御指示通り、門の外でお待ちいただいております」
「良かった、敷地内には絶対に入れないようにしなくてはなりません。わたしが対応します」
入れたが最後、絶対にライリー様に会うまでお帰りにはならないでしょうし、わたしにも良くない噂が立ってしまう。
そしてわたしが居留守を使うのもダメだ。
公爵家という権力を使って好き放題されても堪らないので、英雄の婚約者が出て行く必要がある。
まさか人様のお家に、主人がいない時に、我が物顔で入って来ようなどと頭のおかしなことはしないでしょうけれど、それでも年上として、ライリー様の婚約者としてガツンと言わなければ。
でもその前にまずは御自身の無礼な振る舞いを自覚していただくことにしましょう。
「リタ、ユナ、別のドレスに着替えるわ。お茶会用で、最も華やかで、一番着替えに時間のかかるものにしてちょうだい」
その意図を読み取ったのか二人が頷く。
オーウェルには「そのままでお待ちいただいて」と指示を出し、寝室へ戻ると、着ていたドレスを脱いで新しいドレスへ着替える。
リタとユナに手伝ってもらい着替え、髪を梳かし、お化粧を直し、ついでに爪まで整えてもらう。
これで一時間は待たせたわね。
リタもユナも焦らずゆっくり身支度を行っていた。
美しく華やかに装ったわたしは玄関へ向かう。
ユナがついてきてくれて、玄関ホールにはオーウェルが待機していた。その手には四通の封筒。こちらはライリー様の許可を得てお借りしたものよ。
オーウェルとユナを連れて外へ出る。
ゆっくり歩いて門へ向かえば、門の向こう側に辻馬車を停めさせて、それに寄りかかって苛立ったように爪先で地面を叩いている青年を見つけた。
あちらもほぼ同時にわたしに気付いて、馬車から体を離すと、すぐに門の鉄柵に近付いた。
「これは一体どういうことですか?!」
怒鳴る、とまではいかないけれど苛立った声だ。
わたしは美しく見えるよう、ゆったりとカーテシーを行い、相手の言葉を無視して挨拶をする。
「初めまして、ベントリー伯爵家が長女エディス=ベントリーと申します。ライリー=ウィンターズ様とは婚約をさせていただいております」
まずは挨拶は基本だと言外にニコリと微笑んで見せると、相手の怒気が僅かに弱まった。
初対面の相手に出会い頭に怒鳴りつけるなんて礼儀がなっていないわね。
まあ、そう仕向けたのはわたしだけれど。
……って、あら、何故そこで頬を赤く染めていらっしゃるのかしら?
「こ、これは失礼しました。アンドルーズ公爵家が三男ディヴィッド=アンドルーズといいます」
柵越しにアンドルーズ公爵子息が礼を取る。
改めて見ると美青年ね。
公爵家に多い銀髪は短く整えられ、瞳は紅く、顔は端正だ。精悍というよりかは美形寄りね。十七歳という年齢にしては少し幼い雰囲気がある。わたしよりも拳一つ分ほど高い背にスラリと長い手足は細身だ。
まさに貴族の子息というイメージそのままだ。
「今日はライリー様と会う約束をしていたのですが、かの方はいらっしゃるでしょうか?」
急に礼儀正しくなったわね。
……チラチラ顔を見てくるのが鬱陶しい。
「生憎ライリー様はお仕事でおりませんの。申し訳ありませんが、またの機会にいらしてくださいませ」
愛想笑いでニコと微笑めば、ポーッと見つめられる。
あまりに見つめられるので困り顔で「アンドルーズ様?」と聞き返せば、ハッと我へ返った様子で口を開いた。
どこか熱っぽい眼差しが柵越しに投げかけられる。
「そうですか……。あの、でしたらライリー様がお帰りになるまで中で待たせてはいただけませんか? あなたのように美しい方と語らっていれば、時間もあっという間に過ぎていくでしょう」
途端、背後にいるユナから怒気を感じる。
やだ、何この方、嘘でしょう?
英雄ライリー=ウィンターズを尊敬するだの憧れているだのとあれだけ書き記しておきながら、その婚約者に粉をかけるなんて。
馬鹿なの?
いえ、馬鹿だからここにいるのよね。
「それは出来ませんわ」
「え?」
わたしに断られるとは思っていなかったのね。
キョトンとした顔をされる。
「な、何故ですかっ?」
まるで捨てられた子犬みたいな顔をされたけれど、そんな顔をされてもわたしは何とも思わないわよ。
「お分かりにならないのですか?」
あえて心底不思議ですと言いたげな顔をした。
珍しいものでも見るかのように、アンドルーズ公爵子息を眺め、小首を傾げた。
「未婚の若い女性しかいない屋敷に、若い男性が何時間もいたら、ありもしない噂を流されてしまいますわ。貴族に生まれた以上は醜聞を避けるのは当然でしょう?」
そんなことも分からないの?
そう言外に伝えれば、羞恥と何かでアンドルーズ公爵子息の顔がカッと赤くなる。
「な、そ、そんなつもりはありません!」
「あなた様やわたしがそう思っていても、周りはそうは思いませんわ。わたしは婚約者のいない間に屋敷に男を連れ込むような女、あなた様は英雄の婚約者を寝取った男と言われるのですよ」
そうされないために、わたしはアンドルーズ公爵子息を門の外へ待たせたのだ。
たとえそのような噂が流れたとしても「敷地に入れていません。門の柵越しにお話をして帰ってもらった」と言えるからだ。
敷地内に入っていなければ、連れ込んだなどと不名誉な噂も流れないだろう。
アンドルーズ公爵子息が言う。
「僕はただライリー様とお会いしたいだけで……」
そうね、あなたはそう思っているわね。
そもそもの話、どうしてわたし達が見知らぬあなたの我が儘を聞かなければならないのかしら。
「そのライリー様からお断りの手紙が届いていらっしゃるはずですが、それを無視されたのですか?」
「違います! 確かに手紙はいただきましたが、お忙しいのであれば休みの日にとお願いもしました! だけど断られて……」
「だから直接会ってお願いしようと? お父君の公爵様に止められたのではありませんか?」
「……」
図星だったのか、口を噤んでしまわれた。
黙っていれば何とかなると思ってるのね。
公爵子息だから大して強く言われないだろうと考えてるのが手に取るように分かるわ。
こういう方って本当に不愉快だわ。
つい溜め息が漏れてしまう。
「まず、ライリー様をライリー様とお呼びするのはやめてくださいまし。御本人の許可なく名前を呼ぶのは失礼でしてよ」
そこも気になっていたのよね。
「ですが僕は何度も手紙のやり取りをしています!」
「たった三度か四度でしょう。その程度では知り合いですらありません。もう一度申し上げますが『ライリー様に許しをいただく』ことで呼べるのですわ。これは貴族の常識でしてよ」
「……分かりました」
貴族の常識という言葉に渋々といった様子で頷いたが、その顔は不満そうである。
それを無視して更に続ける。
「次に、ライリー様は英雄と呼ばれるほどのお方です。毎日近衛としてのお仕事や魔獣討伐などお忙しく、お休みはとても少ないのですわ」
「そうなんですか?」
「そうなのです。ですから、お休みの日はきちんと体を休めていただかなければ倒れてしまいますわ。それにライリー様にも予定がございます。いきなり屋敷を訪れても会うことは出来ませんのよ」
きっとこの方、今まで何度もこういうことをしてきたのでしょうね。
あまり悪いと思っていない様子からして、この方にとってはごく日常的な行いなのかもしれないわ。
これまでは公爵家を盾に自分勝手に振る舞えたのでしょうけれど、今日はそうはいきませんわよ。
「でもあなたは屋敷の中へ通されているではありませんか」
何やら的外れなことを言い出した。
「もしかして御存知ありませんの? わたしはこのお屋敷に住んでおりますのよ?」
「えっ? な、何てふしだらな……!?」
「ライリー様とわたしは清い関係ですので勘違いなさらないでください。あの方はとても紳士的ですの」
何を想像したのやら、顔を真っ赤に染めている。
正直、想像するのはやめていただきたいわ。
つまりわたしとライリー様のそういう場面を想像しているということですもの。他人にそういう想像をされるのは非常に不愉快だわ。
また溜め息が漏れる。
「いい加減諦めてお帰りください」
帰ってくれれば大きな問題にはならないから。
だがアンドルーズ公爵子息は頷かない。
「ではここで待たせてください! どうしてもウィンターズ様に剣を教わりたいのです!!」
わたしは柵越しにアンドルーズ公爵子息を見た。
剣を教わりたいと言うわりには細身だ。
確かに細身の騎士も結構いるが、そういう方でも何となく服の上からでも鍛えている体が分かる。
でもアンドルーズ公爵子息は服の上から見ても分かるくらい、細身で、筋肉があるようには感じられなかった。
「失礼ながら、アンドルーズ様は毎日どの程度鍛錬をなされていらっしゃるのでしょうか?」
剣というものは実はかなり重い。
鉄の塊を振り回すのだから当然だろう。
「日に一時間ほど走ったり、家で雇っている者から剣を教わったりしています」
なるほど、全然やっていらっしゃらないのね。
一日一時間って、それでは筋肉はつかないでしょうし、腕だって上がるわけがない。
英雄と呼ばれるライリー様だって毎朝二時間は鍛錬して、登城してからも、暇があれば騎士達の稽古に付き合ったりショーン様の魔術の相手をなさったりされていらっしゃるというのに。
……と、言いますか。
「公爵家で雇った剣の師がおりますの? でしたら、ライリー様に教わらずにその方に御指導していただいたらよろしいのではございませんか?」
そういう方は人に教えるのが上手なはずだ。
それに、雇っている方がいるのに無視してライリー様にお声をかけるなんて、その方からライリー様が恨まれたり悪く思われたりしてしまうではありませんか。
自分勝手なことで迷惑をかけられては困るわ。
「教えてもらっているけれど、思ったように上達しないのです」
「その方が教え下手だから御自分の腕が上がらず、英雄と呼ばれるライリー様に教われば確実に剣の腕が上がると思われていらっしゃるのですね?」
「ええ、その通りです。きっと今の師は教え方が悪いのです。そうでなければこうも上手くいかないなんておかしいでしょう?」
……呆れた。
ああ、これを言うのは本日二度目だったわ。
思わず天を仰いでしまった。
「いいえ、その方は恐らく悪くないでしょう」
ええ、多分、何も悪くないわ。
「無礼を承知で申し上げますが、あなたは鍛練の時間が全く足りていないのだと思います」
いくら腕の良い、教え上手な師がついていても、本人が努力しなければ技も体力も身につかないだろう。
一日一時間の運動って、体型維持にはなるけれど、でもその程度の体力しかつかないわよね。
剣の腕前を上げたいというわりには細過ぎる。
そういえばフローレンス様やサヴァナ様もドレスで隠れていたけれど、その上からでも引き締まったお体を窺えたわ。
はっきり言って、そのお二人よりも筋力がなさそう。剣をまともに振れるのかしら。
「そんなはずはありません。友人の中には、これで騎士になった者もいます!」
「ではその方には剣の才能があったのでしょう」
「僕にはないと言いたいのですか」
不機嫌そうに睨まれても怖くない。
「英雄と謳われるライリー様でさえ、日に二時間のきつい鍛錬に加え、お仕事の最中でも騎士の稽古をつけたりなさっておりますわ」
言いながら、ふと気付く。
ライリー様に稽古をつけていただきたいのであれば、騎士になればいいのだ。
公爵家の三男ならば家を継ぐことも、スペアでいる必要もなく、好きな職業を選べるだろう。
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