寝取られ令嬢は英雄を愛でることにした

早瀬黒絵

休日の過ごし方(1)

 





 今日はライリー様のお仕事がお休みの日。

 だから、特に用事がなければ空いているはず。

 昨夜はライリー様の帰宅が遅く、お出迎えが出来なかったため、今日は獅子のお姿だわ。

 朝食の席でいつものように問われる。



「エディス、今日の予定はどうだ?」



 毎朝、朝食を食べながらお互いその日の予定を確認し合うのが、このお屋敷に来てからの日課の一つ。

 わたしはニコリと笑い返した。



「今日は特にありません。ライリー様はいかがですの? 外出の御用事などはございますか?」

「いや、俺もそういった予定はない」



 まあ、それは良かった!



「でしたらライリー様、わたしと『お家デート』をしましょう!」



 そう言えば、キョトンとライリー様がこちらを見やる。つぶらな瞳がぱちぱち瞬いてかわいい。



「おうちでーと……?」



 こてんと首を傾げるお姿もかわいい!

 わたしは小さく咳払いを一つして、お家デートというものが一体何なのか説明することにした。

 とは言っても、その記憶は今のわたしのものではなく、生まれてくる前のわたしの記憶の中にしかない。

 でもずっとライリー様としてみたかった。



「お家デートとは、文字通り自宅でのデートですわ。でもデートと言ってもうろうろする必要はなく、恋人と共にまったりと過ごすことが重要なのです。お喋りをしたり、くっついて一緒に何かをやったり、二人の時間を楽しむものですわ」



 この世界にはテレビもゲームも映画もありませんから、お家デートで出来ることは少ないかもしれない。

 だけどお屋敷は広いから、一緒にお庭やお屋敷の中を散歩したり、お茶を楽しみながらお喋りをしたりくらいは出来るはずよ。

 最近は少しライリー様も忙しかったから、今日は二人でまったりゆったり過ごしたい。

 ライリー様の耳がピクリと動く。



「外出しないのか」

「ええ。あ、お屋敷の中やお庭を散歩するのは別でしてよ? それに同じことを絶対にする必要はありませんわ。ライリー様が読書をしていても良いし、わたしがその横で刺繍をしていても良いのです」

「そうなのか? それではエディスがつまらないだろう?」

「いいえ、横にライリー様がいらっしゃるだけでわたしは嬉しいですわ。同じ部屋で、同じ時間を共有出来るのですもの」



 ふむ、とライリー様が考える。

 その間もお耳がピクピクと動いている。

 そしておヒゲがくっと上向きになった。

 やだ、その動きかわいい。今すぐ口元をむにむにしたいわ。でもお口は繊細な場所だから、あまり触るとライリー様が困ってしまうのよね。ああでも触りたい!

 わたしがうずうずしているなんてライリー様は思いもしないのか、顎に手を添えると御自身のおヒゲを撫でた。



「そうだな。最近忙しかったし、せっかくの休みなのだから、今日は二人でのんびりしよう」



 機嫌良さそうにグルルと小さく唸った。

 二度三度と撫でられたおヒゲがひょこひょこ動く。

 ……わたし、我慢出来るかしら?



「では、朝食の後に少し休んでからお庭を散策しませんか? わたしも最近はあまりお庭を見ていなくて」

「ああ、それはいいな」



 ライリー様が笑うと白い牙が覗く。

 今日も威厳があって素敵だわ。






* * * * *






 朝食後はゆっくり食堂でお茶を飲んで、胃が落ち着いてきたところでライリー様と共にお庭へ向かう。

 エスコートしてもらうのが好きだわ。

 わたしに歩幅を合わせてくれたり、近付き過ぎてドレスに皺を作らないよう気を配ってくれたり、段差や階段では殊更ゆっくり動いてくださるのよね。

 差し出された腕は服の上からでも硬いのが分かる。

 鍛えられ、筋肉のついた腕はがっしりとして太く、もしもわたしが転んでそれに掴まったとしても簡単に助け起こしてくれるだろう。

 見上げればつぶらな瞳がすぐに視線に気付いて見返し、ゆるく細められる。

 窓から差し込む柔らかな日差しに黄金色の毛並みがキラキラと輝いて、触れたらいつもと同じようにサラサラでモフモフでふわっふわなのは間違いない。

 うふふ、それは午後の楽しみにしましょう。



「嬉しそうだな」



 ライリー様の言葉に深く頷く。



「もちろんですわ。だって今日一日はライリー様を独占できるんですもの。嬉しくないはずがありません」

「俺もエディスと過ごせて嬉しい。最近は近衛騎士の仕事や魔獣討伐で時間が合わないこともあって、実は少し寂しかったんだ」

「まあ、ライリー様もそうでしたのね。わたしもなかなか一緒にいられる時間がなくて寂しく思っておりましたの」



 耳が僅かに動く。

 あれは伏せようとしてるのかしら? ネコ科だけれど普通の猫のようなお耳ではありませんものね。

 あら、尻尾が下がってしまいましたわ。



「……すまない」



 あああ、しょんぼりさせてしまったの!?

 おヒゲも若干下がってかわいい!



「謝らないでください。お仕事なのは存じておりましたし、こうして休日を共に過ごしてくださっているではありませんか」



 そっとエスコートしてくれている腕にもう片手を添えれば、ライリー様の尻尾が少し上がる。



「婚約者のために時間を取るのは当然だ」

「ふふ、ありがとうございます」



 素直に告げればまた尻尾が上がる。

 どうやら御機嫌は治ったみたいね。

 二人でお屋敷の外へ出て、裏のお庭を回ることにした。以前、ライリー様の朝の鍛錬を見に行った時に通った道で、建物の横を抜けて行く。

 お庭は建物の前に噴水があり、その周りが結構開けていてライリー様が毎朝鍛錬をなさっている場所だ。

 建物側にベンチがいくつかあり、広場を挟んだ向こう側にお庭が広がっている。季節の花が植えられていて、色とりどりの可愛らしい花が多く、派手さはないが心が癒される。

 赤いレンガと植物のアーチをいくつか通り抜けつつ、咲いている花や飛んでいる蝶を眺めてゆっくりと散歩をする。

 ライリー様はあまりお花に詳しくなさそうだったけれど、わたしが「あの花はオレンジみたいに鮮やかな色ですね」と言えば「確かに瑞々しい色だな」と頷いてくれたり、逆に「この花は君に似合いそうな色だ」と薄紅色のお花を指して教えてくれたり、度々立ち止まるわたしに文句も言わずに付き合ってくれた。



「自分の家なのに、こんなに花があるとは知らなかった」



 どこか感心した風にライリー様が言う。



「毎朝鍛錬なさっていらっしゃるのに?」

「始める時は薄暗いし、終わったらさっさと屋敷の中へ戻っていたからな。あまり庭は見てない」

「そうでしたのね。目的が違うから目に留まらなかったのかもしれませんわね」



 ライリー様は鍛錬のために広場にいて、鍛錬中も集中していらっしゃるでしょうし、終わったら朝の支度のために部屋へ戻らなければならない。

 わたしはお庭というと散歩のイメージだけど、ライリー様にとっては鍛錬のイメージがあって、庭に出る目的が違う。

 だから普段は気にしないと思う。

 わたしだって普段はあまり気にしない。

 暇になったり気分転換したくなったりしたら、ふとお庭の存在を思い出すくらいですもの。

 その後、お屋敷の中へ戻ると一度お互い自室へ向かい、必要そうなものを持ち寄って来ることとなった。

 わたしは刺繍道具を、ライリー様は読書のための本を数冊持って、二人で居間のソファーを占拠する。

 ソファーの隅に座り、刺繍をやりかけているハンカチを手にするわたしの横、一人分ほど置いてライリー様が座っている。

 肘置きと背もたれに寄りかかり、とてもリラックスした様子で本に目を落としている。

 わたしとライリー様の間には、ライリー様の尻尾が境目のようにある。

 ……尻尾……。

 思わず手を伸ばすとヒョイと避けられた。

 ……あら?

 もう一度伸ばすとまた避けられる。

 伸ばして、避けて、伸ばして、避けて……。



「エディス」



 咎める声と共にライリー様が顔を上げる。



「そこはダメだ」

「ではお耳は?」

「……そこもダメだ」



 するりと動いた尻尾がライリー様の後ろへ隠れる。

 残念、もうちょっとで触れそうな気がしていたのに。やっぱり尻尾とお耳は敏感なのかしら?

 しばらくジッと見つめてみたけれど、触らせてもらえそうにないので、諦めて刺繍に戻る。

 毎日刺繍をしているので、ライリー様の分のハンカチはもう殆ど縫い終わっており、今はわたしの小物やクッション用などだ。

 ライリー様は読書を、わたしは刺繍をしながらのんびりと過ごす。

 窓から差し込む日差しがほのかにソファーに当たり、心地の良い温かさに包まれる。

 わたしはクッション用の刺繍をしており、一区切りついたところでふっと息を吐く。

 集中すると時間を忘れてしまいそうだ。

 ……ライリー様も静かだわ。

 よほど集中されているのだろうと顔を横へ向ければ、背もたれに寄りかかってライリー様が転寝をしていた。

 いつものつぶらな瞳は閉じられ、しっかりと閉じているはずの口が僅かに開いている。手元の本は中途半端な状態で膝の間に埋まり、肩や胸元が規則正しく動く。

 ライリー様の眠る姿は初めて見たわね。

 ちょっと開いたお口がかわいい。

 警戒心がなく、完全にリラックスしてるのだろう。

 部屋も温かいので風邪を引く心配はなさそうだ。

 静かにしていようと、刺繍を再開する。

 けれど、やっぱりどうしても気になってしまう。

 ……今ならお耳に触れるのではないかしら?

 尻尾は背中に隠れてしまったけれど、耳は頭上にあるので、ちょっと近付いて手を伸ばせば触れられる。



「ライリー様?」



 声を抑えて呼んでみる。

 ……起きないわ。

 刺繍していたものをテーブルに移動させて、そろりそろりとにじり寄る。

 まだ起きる気配はない。

 体がくっつきそうなくらい近付く。

 まだ大丈夫そうね。

 そっと腕を伸ばしてまずは鬣へ。

 手の平がふわっふわサラサラな感触に包まれる。

 最近お忙しいようだったけれど、きちんとお食事は摂られていたみたいだし、毛並みのモフモフ具合も変わりないわね。

 頭を撫でるように鬣に触れる。

 この辺りを触るのは初めてだわ。

 身長差があるから、ライリー様が座っているか寝転んでいる時でないと手が届き難い。

 抱き寄せられると撫でるのは大体頬か顎の下だったりする。それくらいしか手が届かないのだ。

 今日も素敵なモフモフね。

 さて、と目的のものを見る。

 ライリー様の頭上にある丸いお耳。

 そーっと手を伸ばし、ふわふわしている耳を後ろ側から触ってみた。

 ……あら? まあ! 何この触り心地!! まるで雲に触っているみたいにふわふわだわ!! それにお耳って丸いのかと思っていたらしっかり三角形なのね!! お耳自体はしっかり立っているのに毛はとても柔らかいのね、やだ三角のお耳もかわいい!!!

 つつつ、と形を確かめるように縁を撫でる。



「こらっ!」

「きゃあっ?!」



 寝ていたはずのライリー様が突然目を開けた。

 逃げる間もなく、勢いよく抱き締められる。



「君は意外と悪戯っ子だな」



 グルル、と唸りの混じった声が降る。

 その声ははっきりしており、眠気は全く感じられなかった。

 ぎゅうと抱き寄せられつつ顔を上げる。



「ライリー様、寝たふりでしたの?!」

「いや? 途中までは寝ていた。起きたのはエディスが頭に触れた時だな」

「最初からではありませんか!」



 もう、と怒ってみせてもライリー様はグルグルと唸り混じりの笑い声を上げるばかりだ。



「耳はダメだと言ったはずだが?」



 顔を擦り寄せられつつ指摘されてギクリとする。



「エディス、キスを」



 え、今このタイミングで?

 寄せられた鼻がすりすりと頬に当たる。

 よく分からないまま、ちゅっと鼻先に口付ける。

 パチチッと光が弾けて眩しくなった。

 それが収まると人間姿のライリー様がそこにいた。

 ソファーに座り、わたしは人間姿のライリー様に抱き寄せられているため、人間に戻ると一気に距離が近くなる。

 そうだった、獅子のライリー様は大きいけれど、人間のライリー様は獅子よりも背が低いので、当然戻れば顔が近い。

 人間の姿で鼻先を頬に寄せられる。



「……ライリー様?」



 腰に回っていた腕の片方が持ち上がり、わたしの頬に触れた。

 する、とこめかみと側頭部の髪を後ろへ流される。

 露わになったわたしの耳にライリー様が触れる。



「エディスの耳は小さくて可愛らしいな」



 すり、と耳の縁を指でなぞられる。



「ひゃっ?」

「それに色も白くて綺麗だ。今日のピアスもよく似合っている。君の瞳と同じ色だ」



 耳たぶに触れられる。

 触れているのとは反対の耳に、髪の上からちゅっとキスをされたのが分かった。

 二度三度と執拗に口付けが繰り返される。



「あ、あの、ライリー様……っ」



 耳の形を確かめるように触れられるとくすぐったくて、ライリー様の少し高い体温が指から伝わってきて、時折耳の後ろの付け根を撫でられると凄く落ち着かない。

 そしてもう片方の耳に何度もキスされている。髪の隙間から見つけたわたしの耳に、ライリー様はほぼ唇をくっつけていて、吐息が直に頭に響く。

 こ、これは刺激が強過ぎますわ……!

 前のわたしは一度も恋人を作ったことがない。

 今のわたしも、好きになったのはライリー様が初めてだから、恋愛経験なんてない。

 恋人同士ってこんな恥ずかしいことをしてるの?!

 混乱するわたしを見て、ライリー様がぷっと吹き出した。



「顔が真っ赤だ」

「だ、誰のせいですか!」

「俺のせいだな」



 低い美声が耳元でくつくつ笑う。

 脳に直接響く声に顔が更に熱くなる。


 

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