寝取られ令嬢は英雄を愛でることにした

早瀬黒絵

舞踏会(4)

 


 異母妹が強制的に静かになり、殿下が続ける。



「その噂なんだけど、王族への不敬だって分かってる? それにベントリー伯爵家も敵に回してるよね」

「まさか! そんな馬鹿な!?」

「うん、その馬鹿なことをあなた方はしてるんだよ」



 はあ、と殿下が溜め息を吐く。

 その気持ちはよく分かる。

 この人達は人の話を聞かないし、聞いても自分の都合のいいように変換してしまうし、残念なことに本人達は自分は頭が良いと思っている辺りが厄介なのだ。



「大前提に『ライリー=ウィンターズとエディス=ベントリー嬢の婚約は王族ぼくが立ち会い、王家が認めたもの』なんだよ。エディス嬢の悪い噂を立てて婚約をダメにしようとするのは、王家の意向に背く、逆らうってことなの」



 まるで小さな子供に説明するように第二王子殿下は分かりやすく、噛み砕いて説明している。



「で、噂を要約するとエディス嬢は身持ちが悪い女性だと、ライリーは身寄りのない娘に無体な真似を行う非情な男だと言ってることになる。……ねえ、これって『そんな人間を英雄と讃え、そんな女性を英雄の妻と認めた王家は人を見る目がない』って言ってることと同義なんだよねえ。王家主導で成った婚約にケチをつけてるし」



 そこでやっと子爵の顔が青くなる。

 継母の夫人は目を瞬かせている。

 ここまで説明されてまだ理解出来ないのかしら。

 異母妹には先程わたしが説明したからか、青い顔で僅かに俯いていた。



「つまり王家を侮辱してるってこと」

「っ、む、娘にそのような気はなく……! そう、誤解なのです! 意図したものではありません!!」



 必死な子爵の言葉も、殿下にはどこ吹く風である。



「関係ないよ。そこまで頭が回らない程度の知能しかないってだけ。噂を流した事実は変わらない」



 殿下の言葉に子爵の顔は真っ青だ。

 床に膝をついて子爵が許しを乞う。



「お、お慈悲を、お慈悲をください!」



 王族への不敬、侮辱は程度によるけれど、最悪は一族郎党処刑される場合もある。侮辱は反逆に等しいものね。

 子爵が床に這い蹲るのを夫人と異母妹は呆然と眺めているだけで動こうとしない。

 オールドカースル伯爵夫妻も青白い顔をしており、リチャードもようやくアリンガム子爵家がまずいことをしたと悟ったようだった。



「慈悲ねえ。ここまでコケにされてさすがに黙ってるわけにはいかないんだけど、でも、ライリーとエディス嬢の良き日に血を見るような罰もいかがなものか」



 うーんと考える殿下に子爵が希望を見出したような表情で両手を擦り合わせた。



「そ、そうでしょう! それにフィリスは子を身ごもっております! 妊婦を処刑するなどと恐ろしいことはどうか、どうか……!」

「それもそうだね」

「!」



 パッと子爵の顔が明るくなる。



「じゃあ爵位を剥奪して、財産は没収して、国外追放にしよう。格上の伯爵家を貶める内容でもあったしね」



 殿下が微笑み、子爵が凍りつく。

 爵位返上に財産没収した上での国外追放。

 それは遠回しに言っているが死刑宣告だった。

 元は平民だった夫人と異母妹はどうだか知らないが、子爵は生まれた時から貴族なので平民として暮らしていくのは厳しいだろう。

 しかも無一文でだ。



「こ、国外追放……」

「王家を侮辱してることに気付かない頭の弱いのは要らないからね。処刑しないだけ優しいでしょ? ああ、噂を広めたそこの御令嬢達も同罪だから後で覚悟しておくように」



 殿下の言葉に悲鳴と人の倒れる音が響く。

 ショックで気絶した令嬢がいたみたいだが、誰も、彼女達の親ですら助けに来ないところを見るに彼女達は即座に切り捨てられたのだろう。

 泣き喚いたり気絶したりする御令嬢達は邪魔にならぬように、騎士達によって別室へ連れて行かれる。



「没収した財産はどうしようか。本来はエディス嬢に与えるべきなんだけど、絶縁してるし。欲しいかい?」



 一応といった様子で問いかけられて首を振る。



「要りません。子爵家の財産は全て王家へお納めください。……よろしいですか、ライリー様?」

「ああ、エディスの好きにしたらいい」



 ライリー様が頷いてくれてホッとする。

 たとえお金であっても、もうアリンガム子爵家に関わるものから離れたい。

 殿下は「分かった〜」と緩く返事をし、それからオールドカースル伯爵家へ顔を向けた。

 それまで空気だった三人がビクリと身を竦めた。



「次はあなた方だ。まあ、オールドカースル伯爵家は今回流れた噂に何の関わりもないことは分かってるから、これに関して言うことはないよ」



 そう言われてあからさまに三人が安堵する。



「あ、でもリチャード=オールドカースルが格上のベントリー伯爵令嬢に無礼を働いたことと王族ぼくに嘘を吐いたことはなしにならないからね? あと国の英雄の婚約者という重要人物に危害を加えようとしたことも」



 ピシリと三人が固まった。

 人垣の中で、ベントリー伯爵夫妻が妙に凄みのある笑みを浮かべていたので恐らく後日、正式にオールドカースル家にベントリー家から抗議が届くだろう。

 王族相手に虚偽の発言をしたことも不敬である。

 ふと疑問が湧いて、殿下へ聞いてみた。



「あの、ショーン殿下、一つ質問をしてもよろしいでしょうか?」

「うん? どうかした?」

「オールドカースル家のリチャード様とアリンガム子爵令嬢は婚約していらっしゃいますが、子爵家全員が国外追放となると婚約は破棄ということになるのでしょうか?」



 わたしの問いに、殿下は楽しいことを思い出した様子で両手を叩いて声を上げた。



「そうだった。説明に疲れてうっかりしてたよ。ありがとうね、エディス嬢」



 何故かお礼を言われて困惑してしまう。



「いえ、どういたしまして……?」



 だが殿下はニコニコとしている。

 脇に控えていた側仕えを呼ぶと、何やら小声で話しかけ、書類らしきものを受け取るとオールドカースル伯爵家へ近付く。

 三人の前で持っていた書類を広げて見せた。



「これ、リチャード=オールドカースルとフィリス=アリンガム嬢の婚約届だよ。承認されなかったんだ」



 え、それじゃあ二人はわたしの婚約破棄後もずっと婚約関係になかったってこと?

 オールドカースル伯爵夫妻は知っていたのか表情を変えなかったが、リチャードは目を丸くした。

 でもこれはある意味では良かったのだろう。

 オールドカースル伯爵家とアリンガム子爵家の間の繋がりはない。それはオールドカースル家にとっては共倒れの危機を完全に脱したことを意味する。

 リチャードが婿入り予定だった家はなくなってしまったが。



「そんな!! どうして?!!」



 叫び声に振り向けば、異母妹が両手で口を覆って婚約届を見つめていた。

 殿下の魔術の効力が切れたのね。

 駆け寄ろうとした異母妹は騎士によって止められている。追放予定の貴族が王族に近付けるわけがない。



「貴族の婚姻・婚約相手には条件がある。例えば血筋が純粋な貴族である者、例えば平民だが功績をあげた者、例えば貴族の子を産んだ者、例えば両親のどちらかが貴族である者といった具合にね」



 そうなのね、それは知らなかったわ。

 ライリー様を見上げれば、やはり知らなかったのか小さく首を振られた。



「それで、フィリス=アリンガム嬢の場合は両親のどちらかが貴族であるという条件に当てはまるんだけどね、実は彼女は『血の判別』を受けてないんだよね」



 どよ、と落ち着きかけた人々が騒つく。

 それは初耳だ。『血の判別』とは貴族で子が生まれるとその場で行われる魔術の名前である。その名の通り、子の血と両親の血を並べて魔術を発動させると、生まれてきた子が両親の血を継いでいるかが分かるものだ。最後に証拠として神殿に三人分の血を収め、保管してもらう。

 異母妹は市井で生まれたので『血の判別』をすることはなかったのかもしれない。

 それでも貴族籍に入る際に受けたはずだ。

 しかし異母妹は首を傾げた。



「血の判別?」

「……本当に受けていないの? 血を少し取って、あなたのお父様とお母様の血と比べることはしなかったの?」

「そんなことしてないわ。血を取るって、どこかを切るってことでしょう? 痛いのは嫌だもの」



 思わず異母妹へ問いかけるとそう返された。

 正規の手続きなく貴族籍に入ったの?

 殿下が婚約届を丸め、空いた片手で誰かを手招いた。



「そういうこと。承認前に確認したら『血の判別』が済んでいないことが発覚したんだ。当時それを担当していた魔術師に問い質したら、令嬢が拒絶したので子爵が賄賂を渡して魔術師を黙らせたという。書類上は済んでいたけれど、神殿に確かめたら証拠となる血は納められていなくてね」



 殿下が手招きをした方向から初老の男性と若い男性、女性が現れた。

 三人共手首から足首までを覆う長いローブに大きなフードがついたそれは魔術師の格好をしていた。繊細な刺繍で胸元に王家の紋章が描かれていることから、その人物が国に属する魔術師だと分かる。

 全てを言わずとも騎士達が動き出す。

 アリンガム子爵夫妻、異母妹を押さえ、片手の指を少しだけ切って専用の小皿へ血をいくらか垂らす。

 若い男性が子爵の血を、女性が夫人の血を、初老の男性が異母妹の血を手に持つと詠唱を口にする。

 その不思議な響きと共に三人の周りにパチパチと小さな光が弾け、そして三つある小皿のうちの二つが淡く光り出した。

 ……え、待って……。



「二つ?」



 そう呟いたのはわたしか、アリンガム子爵か、それとも周囲で見ていた人々の誰かか。

 それはありえないことだった。

 異母妹は子爵と夫人の子であるのだから、証として三つ全てが光るはずだ。

 けれども、実際に光ったのは異母妹と夫人の小皿だけで、子爵の小皿は何の反応もない。

 魔術はフィリス=アリンガムがアリンガム子爵の実の子ではないという結果を表していた。

 顔を向ければ夫人の顔は病人のように青白くなっており、子爵も横にいる夫人をありえないものを見るような目で見つめている。

 異母妹だけはよく分かっていないのか、キョロキョロと辺りを見回し、この異様な空気を理解出来ていない。



「お姉様、どういうこと?」



 わたしはそれに首を振った。



「あなたは……。フィリス=アリンガムはアリンガム子爵との血の繋がりがない、つまり、わたしとも血の繋がりのない赤の他人という結果が出たのよ」

「嘘よ! 何でそんなことを言うの?!」

「嘘じゃないわ。魔術で結果が出てるのよ。見えるでしょう? あなたが子爵と夫人の子であるならば、三つ全てが光るはず。でも光ったのはあなたの血とあなたのお母様の血だけ。子爵の血は反応していないのよ」



 異母妹は異母妹ですらなかったらしい。

 殿下が魔術師達に近寄り、小皿をわざとらしいほどにゆっくりと眺めた。



「あーあ、これは困ったね。アリンガム子爵令嬢は子爵の血を引いていないようだ」



 妙に優しい声音で殿下が言った。

 言い聞かせるようなそれに異母妹ーー……ではないわね、子爵の血も引いていないただのフィリスは嫌々と首を振った。

 そんな事実は信じられない、信じたくないと顔に書いてあったが『血の判別』は目に見える形でそれを示していた。



「……私の子ではない? なら、一体誰の……?」



 子爵が呻くように呟いた。



「それは僕も気になって調べてみたよ。そうしたら、夫人は子爵と出会う二ヶ月ほど前まで別の男性と交際していたらしい。お相手は金に近い淡い茶髪に緑の瞳をしていたそうだ。……そういえば、子爵と色味が似ているね?」



 お節介だったかな、と人の良さそうな笑みを浮かべた殿下が首を傾げてみせる。

 床に座り込んでいる子爵が何かに気付いた風に夫人へゆっくりと顔を向け、口を開いた。



「確か、フィリスは早産だった。言われてみれば、一、二ヶ月早く生まれていたような……。本当に私の子ではない、のか?」



 夫人の体がガクガクと震えている。

 どうにか口を開いたものの、言葉は出ない。

 魔術師によって血の繋がりを証明されてしまった以上、否定のしようがない。

 夫人が泣き出し、子爵へ縋ろうとするけれど、子爵はそれを振り払った。その表情は怒りと憎しみで染まっていた。



「そういうことで、アリンガム子爵と夫人の結婚も無効だし、当然御令嬢は貴族籍ではないし、オールドカースル家の次男と婚姻を結ぶことも出来ないね」



 フィリスは子爵の子ではなかった。

 籍に入る時に『血の判別』を受けていれば、夫人もフィリスも貴族籍に入らず、そうなればわたしは次代として多少は良い暮らしを出来ていたかもしれないし、リチャードを取られることもなかったかもしれない。

 でも、今はそれで良かったと思う。

 リチャードはフィリスが貴族籍ではないこと、結婚出来ないことに唖然としていた。

 フィリスも「わたしは貴族じゃないの……?」と青い顔で呟き、その場にへたり込んだ。

 しばしフィリスを見ていたリチャードだったが、不意に顔を上げると何故かわたしを見た。

 縋るような、助けを求めるような、何かを期待するような視線をわたしは気付かないふりで無視する。

 元婚約者の縁で助けてくれと言いたいのだろう。

 先に捨てたのはあなたの方よ。

 だからわたしが助ける義理はないわ。

 顔を背ければ、リチャードはがっくりと肩を落としていた。



「多少騒がしくはなったが、今日は若き二人の良き日だ。皆も二人を祝福し、今日は心行くまで楽しんでいって欲しい」



 咳払いをして、そう締め括った陛下に舞踏の間の何とも言えない空気が消えていく。

 子爵家とオールドカースル伯爵家は、先の令嬢達と同様に騎士達に引っ立てられて舞踏の間を後にする。

 無理矢理立たせられたフィリスが叫んだ。



「お姉様ぁ!!」



 わたしは振り返らずに言う。



「わたしはあなたの姉ではないわ」



 言葉に出さずに「さようなら」と続ける。

 元より助けたいとすら思わなかった。

 それでもわたしを呼びながらフィリスは引っ立てられたのだった。

 血の繋がりもなく、自分が虐げ続けた相手が、どうして最後には助けてくれると思ったのかしらね。

 リチャードといい、フィリスといい、その謎思考は本当に理解不能である。

 ライリー様に抱き寄せられてそっと寄りかかる。

 ……やっと終わったわ。

 あの人達の顔を見なくて済むと思うと胸が軽くなる思いであった。

 その後の夜会は何事もなく、人々はダンスを踊ったり、社交に勤しんだりと普段通りに過ぎていった。




 

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