寝取られ令嬢は英雄を愛でることにした

早瀬黒絵

舞踏会(3)

 


 しょんぼりしてるライリー様もお可愛らしいわ!

 耳がちょっと下がってるところとか、大きな体で肩を落としているところか、尻尾が垂れ下がってるのもかわいい! あ、ちょっと尻尾が上がっていた! ご機嫌が良くなっていたのね? やだかわいい!

 擦り寄ろうとしたライリー様だったけれど、わたしの髪が綺麗に整えられているのを思い出して留まったらしい。

 代わりに、頬に鼻先を押し当てられる。

 あら、お鼻はちょっと硬いのね。



「落ち着きましたか?」



 ゆっくりと吐き出した息を頬に感じる。



「……ああ、もう大丈夫だ」

「良かった、では舞踏の間へ戻りましょう? そろそろ王族の方々が入場される頃ですわ」

「そうだな、オールドカースル家の馬鹿息子の件も殿下に伝えなければ」



 体を離し、エスコートしてもらいながら舞踏の間へ戻ると人々は騒ついた様子だった。

 どうやらライリー様の咆哮じみた怒鳴り声がこちらまで聞こえていたようだ。

 あの声が聞こえていたのなら仕方がない。

 既に王家の方々が入場しており、戻ってきたわたし達に視線が集まった。



「来たか」



 国王陛下が口を開くと一瞬で静けさに包まれる。



「今宵の舞踏会では、皆に報せたいことがある。ライリー=ウィンターズ、エディス=ベントリー嬢、こちらへ」



 促され、一段高い場所へ上がる。

 大勢の貴族がわたし達に注目した。



「この度、我が国の英雄ライリー=ウィンターズとベントリー伯爵家の長女、エディス=ベントリー嬢の婚約が整った。この二人の婚約を私達は祝福しよう。ライリー、ベントリー伯爵令嬢、婚約おめでとう」



 厳かに発表された婚約と国王陛下直々の祝いの言葉に体が震えそうになる。



「ありがとうございます、陛下」

「身に余る光栄にございます、陛下」



 ライリー様と共に頭を垂れる。

 王太子殿下と第二王子殿下、第一王女殿下が拍手で賛同の意を示してくれた。

 そうなれば当然だが貴族達からの反対の声など出ようはずもなく、拍手に包まれる。

 やがてそれが鳴り止むと第二王子殿下が近付いて来た。

 その表情は興味津々といった風だ。



「ところでライリー、さっきのは何だったの? 任務の時ですらあんな声聞いたことないんだけど。遠吠え?」



 それにライリー様が肩を下げる。



「夜会を乱してしまい申し訳ありません。そちらの伯爵令息がエディス=ベントリー伯爵令嬢に暴力を振るおうとしたので思わず……」

「そうなの? 何があったか教えてくれる?」



 殿下や王族の方々だけでなく、大勢の人々の視線がわたしに集中したので一瞬肩が跳ねた。

 だがライリー様が繋がっている手を握ってくれたので、すぐに気合を入れ直してしっかりと顔をあげる。



「はい。そちらにいらっしゃるオールドカースル伯爵家の御子息がわたしを待ち伏せており、いきなり腕を掴んで無理矢理引き止められ、暴力を振るわれそうになったところをライリー様が助けてくださいました。そうしてわたしに子爵家へ戻れば情けをかけてやると迫って来たのです」

「なるほど、それでライリーは怒ったんだね?」

「その通りでございます」



 わたしの説明にショーン殿下が頷く。

 そうしてショーン殿下は振り向いた。



「では君の話も聞こうか。リチャード=オールドカースル君」



 そこには両側を騎士に挟まれたリチャードがいた。

 怪我した手の甲は手当てされているようで、痛いのか片手で押さえていたが、ショーン殿下に声をかけられるとパッと表情が明るくなる。



「そこのエディスが言うことは真っ赤な嘘です! むしろエディスの方が私を追って来て『ライリー=ウィンターズの妻になるくらいなら妾にしてくれ』と迫ってきたんです! 私はそれを振り払おうとしただけで暴力なんてとんでもない!!」



 この衆人環視の中でよくもまあそう嘘をペラペラと口に出来るものだ。しかも王族相手に。



「そうしたら突然ウィンターズ殿が現れて、私の手の甲をその鋭い爪で掻き切ったのです!」



 手当てされた場所を高らかに上げて示すリチャードに、わたしは呆れと、ある種の感心に近い気持ちでそれを眺めた。

 漏らした格好のままでそんな堂々としても全く格好良くないわ。というか恥ずかしくないのかしら?

 両側の騎士が嫌そうにしている。



「ふうん? そう。……でもおかしいね?」



 こてん、とショーン殿下が首を傾げる。

 整った顔立ちでそれをしたものだから、御婦人方や令嬢達は思わずといった様子で小さく感嘆の息を漏らした。

 だけど麗しい顔に残虐さの滲んだ笑みが浮かぶ。



「この婚約はエディス嬢の望みから成ったものなんだよね。そもそも彼女は君に婚約破棄されているのだけれど、そんな相手に迫るものだろうか?」



 そうね、わたしがライリー様に迫ったのよね。

 ぐっと一瞬リチャードが言葉に詰まり、わたしの顔を見てふと何かに勘付いた様子で笑う。



「それは、そう、婚約を破棄されて結婚相手に探しあぐねたのでしょう! ウィンターズ殿の外見に耐え切れず、元々愛していた私の下へ戻りたいと思ったのです! そうだろう?!」

「いえ、あなたのことは大嫌いですが?」

「え?」

「え?」



 急にへんてこ理論を展開し始めたリチャードに問われてついポロリと本音を零せば、信じられないという様子で目を瞬かれた。

 それにわたしの方が驚いた。

 え、本気でそう思ってたの?



「私のことが好きじゃないのか……?」



 呆然と聞き返されてわたしは首を傾げた。



「逆にお聞きしますけれど、婚約者でいた間の五年間であなたはわたしに好かれることをなさいましたか?」



 リチャードと婚約していた期間を思い出す。

 いい思い出など一つもない五年間だった。



「季節の挨拶などの手紙もなく、贈り物の一つもなく、夜会ではダンスすらせずに放置され、顔を合わせれば罵倒され、異母妹に熱を上げて浮気した挙句に妊娠させ、さもわたしが悪いかのように一方的に婚約を破棄するような人間を、好きになる人の方が少ないのでは?」



 わたしの言葉に人々が騒めいた。

 政略結婚であろうとも婚約した以上は婚約者として最低限の義務というものはある。

 リチャードはその義務を一つも果たしていなかったのだから、貴族達はそれに不快感を覚えただろう。

 家同士の契約すら守れない人物という証だ。

 そんな家と縁を結びたがるところは少ない。

 リチャードの顔が真っ赤に染まる。



「そ、な、あ、会いに行っていただろう?!」

「異母妹に、ですよね? いつもわたしのことは無視して異母妹とお喋りしていましたし、異母妹と出掛けたりわたしを抜いて二人でお茶会をしたりしていましたよね?」



 ぱくぱくと酸欠の魚みたいに口を開閉しているが、リチャードの口から言葉は出て来ない。

 もしかして、わたしは知らないと思ってた?

 それとも気付かれないと思っていた?

 どちらにせよ、随分と馬鹿にされていたらしい。



「婚約者の義務すら果たさず、平然と浮気する方などお金を払われても願い下げですわ」



 リチャードの顔が怒りに染まり、こちらへ来ようとしたが、騎士達に両腕を掴まれて動くことは出来なかった。



「さっきもこんな感じだったのかな?」

「ええ、そうです」



 第二王子殿下の問いにライリー様が頷く。

 冷静さを保ち続けるわたしと、すぐにカッとなって手をあげようとするリチャード。どちらが正しいことを言っているかは誰の目にも明らかだった。

 すると人々の間から見覚えのある姿が現れた。



「リチャード、どういうことだ?!」

「リチャード様、わたしというものがありながらお姉様に迫るだなんて! どうしてですの?!」



 一人はリチャードによく似た中年男性だった。

 もう一人は異母妹だった。

 ……ああ、リチャードのお父君だったわね。

 五年間の婚約期間中に会ったのはリチャード様の誕生日くらいだ。その時ですら一言挨拶を交わした程度のものだ。わたしへ全く関心を見せなかった。

 あら、そう考えると親子だというのも納得ね。



「父上、フィリス……!」



 どうしてそこで助かった、みたいな顔をリチャード様はされているのかしら?



「お前、婚約者への贈り物をするからと頻繁に金を欲しがっていたではないか! それらは何に使ったのだ?!」



 父親に詰め寄られてリチャードがキョトンとする。

 何故自分が責められているのか理解していない。



「ですから、それはフィリスに……」

「あの時のお前の婚約者はエディス嬢だっただろう?!」

「でも私はフィリスが良かった! それに、今はもう婚約者なのですから何も問題ないではありませんか!」

「大問題だ、この大馬鹿者!!」



 父親に怒鳴りつけられて目を白黒させるリチャードに今度は異母妹が詰め寄る。



「リチャード様! 何故お姉様に会いに行ったのですか?! あなたが愛しているのはわたしですわよね?!」

「あ、ああ、もちろんだとも」

「ではどうしてっ?!」

「それは……」



 リチャードが口ごもる。

 それはわたしも思っていたわ。

 わたしを捨てたのはリチャードの方なのに、何故また声をかけてきたのか。

 その時パンパンと手を叩く音が響く。

 見れば、第二王子殿下がその音の発信源だった。



「はいはい、身内争いはそこまで。それは後で改めてやってよ。まあ、やれるだけの気力があるならの話だけどねえ」



 ニヤ、と浮かべられた笑みは酷く愉快そうだ。



「話は戻るけど、これはエディス嬢が正しいようだね。リチャード=オールドカースルは彼女に迫り、それを拒絶されて暴力を振るおうとして、婚約者であるライリーがそれを抑えた。ライリーにもエディス嬢にも非はないね」



 リチャードがハッと我へ返る。



「しかし殿下、このように怪我を負わされたのですよ?!」

「いやあ、婚約していない淑女に同意なく触れた上に暴力を振るおうとしたんだから当然じゃないの?」

「えっ? で、でも、こんな大きな傷ですよ?!」



 手の甲を示すリチャードに第二王子殿下が呆れ顔で首を振り、肩を竦めた。

 そうして一つ大きく息を吐いた。



「あのねえ、それ大分、というか物凄く手加減されてるから。もしもライリーが本気だったら今頃君の頭と胴体は離れてさよならしてるよ。僕だったら婚約者に無体な真似をするような輩は魔術でズタズタに引き裂いてるね。ライリーが慈悲深いことに感謝しないと」



 そうですわよね、英雄と呼ばれる方が本気で怒っていたらリチャードなんて一捻りですわよね。

 と言いますか、ニコニコ笑顔で容赦ないことをおっしゃられている第二王子殿下が怖いのですが。確か殿下にも婚約している御令嬢がいらしたはず。

 第二王子殿下がわたし側についたことに気付いたリチャードの顔が青くなる。



「だから君のその怪我は相応の結果だね。で、この話はこれでおしまい。……オールドカースル伯爵夫人とアリンガム子爵夫妻も出てきてくれる? あなた方に深ーく関係する話をこれからするからね」



 オールドカースル伯爵と異母妹は既にここにいるため呼び出されることはなかった。

 人垣の中からオールドカースル伯爵夫人とアリンガム子爵夫妻が人目を気にしながら現れる。

 王族の言葉だもの、無視出来ないわよね。



「陛下、この話は僕がしてもよろしいですか?」



 第二王子殿下が振り返って陛下へ問いかけた。

 それに陛下が重々しく頷いた。

 顔を戻した第二王子殿下はそれはそれはいい笑顔で、オールドカースル家の三人と子爵家の三人を見た。



「さあて、まずアリンガム子爵家の起こした問題について話そうか」



 殿下の言葉にアリンガム子爵が首を傾げた。



「あの、問題というのは? まさかエディスが何かやらかしたのでしょうか?」

「おっと子爵、ベントリー伯爵令嬢と呼ぶべきだよ。あなた方はエディス嬢と絶縁して、彼女はベントリー伯爵家に養子に入った。呼び捨てにする権利はない」

「そ、そうでした。失礼致しました」



 でも謝るのは第二王子殿下へなのね。

 わたしには頭を下げたくないのが丸分かりだわ。

 あの人達はいまだにわたしが自分達の支配下にいると思い込んでいる。



「話が逸れたね。子爵は最近流れている噂を知っているかな? 婚約破棄されたとある令嬢が家から絶縁され、ある人物と婚約したが、毎晩その身を許しているというものだ。しかしその令嬢は婚約者から冷遇されているらしい」



 アリンガム子爵が頷いた。



「え、ええ、聞いたことがあります」

「この噂が流れた時に婚約破棄をされた御令嬢はエディス嬢だけなんだよね。噂の出所は知ってるかい?」

「はあ、ええと、その、どうでしたかな……」



 子爵はヘラヘラと笑って曖昧に誤魔化そうとする。

 殿下が顔を動かして、御令嬢達の集まる場所へ声をかけた。



「ねえ、そこの君達は知ってるよね?」



 そこにいたのは、つい先程まで異母妹と一緒にいた女性達だった。

 よほどのことがない限り、王族の方々より先に退出など出来ないので、帰ることも出来ずに残っていたようだ。

 王族に問われて黙っていることは許されない。

 小さな声だが「……フィリス様がそう話しておりました」「わたくしどもはフィリスさんよりお聞きしました」と異母妹の名が挙がっていく。



「子爵は娘の動向も知らなかったの?」



 アリンガム子爵の口元が微かに強張る。



「娘を御しきれなかったこと、お恥ずかしい限りであります。しかし所詮は噂。子供のしたことでございます」

「殿下、お父様もお母様も悪くありません! お姉様が心配で、帰って来てほしくて、お友達に相談してしまったわたしが悪いのです!」

「おお、フィリス、私達を庇おうとしてくれるなんて、あなたはなんて優しい子なのかしら!」

「お父様、お母様!」



 割り込んできた異母妹に何故か継母が感動し、親子三人で抱き締め合うという安い芝居のような場面が出来上がる。

 本人達は真面目にやってるから始末に負えない。

 殿下が鬱陶しそうに手を振った。



「あー、アリンガム子爵令嬢はちょっと黙ってて」



 パチっと小さく光が走り、異母妹を包む。

 そして異母妹が驚きに声を上げようとして、その鈴を転がしたようだと形容される愛らしい声は出てこなかった。



「よし、これで話が進められるね」



 満足そうに笑う第二王子殿下に文句を言える者など誰もいなかった。


 

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