寝取られ令嬢は英雄を愛でることにした

早瀬黒絵

舞踏会(2)

 


「そもそも、わたしが婚約を破棄されたのはあなたのせいでしょう? 異母姉妹とは言え、妹が姉の婚約者を寝取ったのだもの」



 仕方がないから全ての始まりから説明してあげましょう。


「な、ね、寝取っただなんてそんな人聞きの悪いことをおっしゃらないでくださいっ」

「あら、ではそのお腹にいる子はリチャード様のお子ではないと?」

「いいえ、この子は間違いなくリチャード様のお子ですわ!」



 大声を上げてしまってから、異母妹はハッと周りを見回した。

 妊娠したかどうか気付くには一ヶ月ほどかかる。女性の場合、月のものが来ないと気付いて、そこから妊娠が判明するからだ。

 わたしとリチャードが婚約を破棄したのは二、三週間前。それよりも前に体の関係があったことは明白だ。

 まあ、この二人は最初から自爆してくれたけどね。



「婚約を破棄された後、わたしとライリー様は出会いました。……あなたにとっては恐ろしい外見かもしれませんが、わたしにとってはライリー様は素敵な殿方なのよ。見た目も格好良くて性格も真面目で誠実な方だもの」

「嘘よ! あんな見た目じゃない!」

「外見で判断するのはやめなさい。そしてライリー様もわたしを望んでくださり、第二王子殿下の立ち会いの下、わたしはアリンガム子爵家と絶縁し、ライリー様と婚約を結びましたのよ」



 第二王子殿下の下りで、異母妹の周りにいた令嬢が顔を青くする。

 やっと気付いたようね。でもやめてあげないわ。



「その後ベントリー伯爵家に養子に入りました。分かりますか? わたしは伯爵家の令嬢なのですよ」



 令嬢達の顔が更に青くなる。

 が、異母妹はだから何だと言いたげな顔だ。

 この子も貴族として教育は受けているはずなのに。



「ライリー様は英雄に違わぬお人ですわ。婚約を破棄されたばかりのわたしを優しく受け入れてくださり、わたしの生家での扱いに憤り、わたしが心穏やかに過ごせるように取り計らってくださいました」



 わたしのために婚約までしてくれて。

 お屋敷に招き入れてくれて、綺麗なドレスなども贈ってくれて、部屋の場所だってきちんとお互いの体面を気遣ってくれた。



「先程おっしゃっておりましたけど、婚姻前に体を許すなどと貴族の淑女にあるまじき行いは決してしておりません。それどころかライリー様はお互いそのような不誠実なことが起きぬよう、わたしの部屋を御自身の部屋より離れた場所にしてくださいましたわ」



 同じ屋根の下に住むからといってすぐにそのような関係になるはずがない。



「侍女と護衛もつけて、わたしの身の安全を第一にしてくださる方です。醜聞となるような事実も、冷遇という事実もございませんわ」

「でも以前お会いした時は町娘が着るような服装でしたわ!」

「あの時はまだドレスの仕立てが終わっていなかったから借りただけよ。そもそも子爵家にいた頃はいつも地味な古着しかもらえなかったのだけれど、わたしを冷遇していたのはライリー様ではなくあなた方アリンガム子爵家ではなくて?」



 自信満々な言葉に言い返すと異母妹は黙った。

 そうよね、事実だもの、返す言葉もないわよね。



「それで、分かったかしら?」



 扇子を広げながら問う。

 他の女性達はビクリと肩を揺らしたが、異母妹は相変わらず理解していないようだった。



「まだ分からないのね。仕方がないから説明してあげるわ」



 あえて上から目線に物を言う。



「アリンガム子爵令嬢、あなたの流した噂はどのようなものだったかしら? ねえ、そこの方、教えてくださる?」



 女性達のうちの一人へ視線を向ければ真っ青な顔で、ボソボソと口を開いた。



「その、婚約破棄をされた御令嬢が家を絶縁されて、かの方と婚約して引き取られたけれど、毎夜身を許しているとか、まともにドレスすら贈られていなくて冷遇されているとか」

「その噂の元は誰?」

「フ、フィリス=アリンガム子爵令嬢です……」



 言いながら、どんどん顔色が悪くなっていく。

 口に出すと整理しやすいものね。



「わたしとライリー様の婚約は第二王子殿下が立ち会って成されました。王家の方々が認めてくださったものだということですわ」



 懇切丁寧に教えてあげるわ。

 理解してしまったらもう言い逃れは出来ないものね。王家の顔に泥を塗るようなことをして許してもらえるとは到底思えないけれど。



「アリンガム子爵令嬢、あなたは、いえ、あなた方は王家の認めた婚約に、ありもしない噂を流して、王家の方々のお顔に泥を塗ったのよ」

「何を言ってるの? ただの噂じゃない」

「ええ、ただの噂だわ。これがライリー様と第二王子殿下が関わっていらっしゃらなければ。あなたは王家が英雄と讃える方を侮辱したのよ。婚約者に無体を強い、冷遇するような男だとライリー様を罵り、そんな方を英雄と認めた王家の方々は見る目がないと。そう、言っているようなものなのよ」

「……え?」



 ここまで来て、ようやく異母妹の顔が少し強張る。



「それに王家が認めた婚約を壊そうとするような真似をした。王家に逆らっていると言われても否定出来ないわ。噂を流したあなたも、それを容認したアリンガム子爵家も王家に対して不敬を働き過ぎているのよ」



 王家、不敬と聞いてやっと自分達が危ういところにいることが理解出来たらしい。

 真っ青な顔をする異母妹と女性達に更に言う。



「それからベントリー伯爵家にも無礼を働いたわ。身持ちの悪い女を養子にした、そのような女かどうか見抜けなかったと馬鹿にして、養子を冷遇する家だと誤解されてしまうような噂を流した。格上の家を侮辱して大丈夫かしら?」



 ついに、耐え切れなかったのか女性達の中で気絶する者が出て来た。

 他の女性達がそれを支えるけれど、助けに入ってくれる人は誰もいない。

 先程からずっと周囲の人々はわたし達を見ていた。

 異母妹達に手を貸すということは、英雄ライリー=ウィンターズの婚約者であり、王家の認めた婚約の一方であり、伯爵令嬢たるわたしに対峙することになる。

 そのような愚行を進んでする者はいない。



「王家に、国の英雄に、そして格上の伯爵家に無礼な行いをして、アリンガム子爵家は今後も無事でいられるといいわね」



 周りの冷ややかな視線に気付いた異母妹が小さく悲鳴を上げた。やっとそれらの意味に気が付いたのね。

 青い顔でふらふらとわたしへ手を伸ばす。



「お、お姉様……わ、わたしはっ」

「やめてちょうだい」



 伸ばされた手を扇子で払う。



「わたしはベントリー伯爵家の長女、エディス=ベントリーよ。子爵家の令嬢であるあなたの姉ではないわ。前にも言ったけれど、二度と姉と呼ばないで」



 大勢の前でわたしに切り捨てられて異母妹が呆然と立ち尽くしている。

 これで気を失わないなんて図太い神経ね。

 いえ、だからこそ、かしら?

 こんな状態でも気を失えないなんてある意味では可哀想ね。気絶出来れば、少なくともここから退出出来たのに、それも叶わないのだもの。



「ああ、そうだわ。謝罪は要らないわ。このようなことをする人達ですもの、どうせ心からは反省していないのでしょうし、あなた方から謝罪されても不愉快なだけですから」



 これでアリンガム子爵家は謝罪のチャンスも失ったわね。

 噂を流された当事者のわたしが減刑を望めば多少は考慮していただけたかもしれないけれど、そのわたしにそうする気はないと意思表示したのだ。

 どれだけ謝罪しようと許されることはない。

 これで逃げ道はなくなったわよ?



「それでは失礼致しますわ」



 スッキリした気分でわたしはその場を離れる。

 これ以上、異母妹と顔を合わせていたくなかった。

 せっかく婚約発表するのだもの、いい気持ちでその時を迎えたいわ。

 っと、その前に御不浄に行って来ましょう。

 気を張ったら色々落ち着かなくなってしまったわ。

 舞踏の間を出て御不浄に行き、そこで化粧が崩れていないか確認する。丁寧に化粧を施してもらったからか崩れはなさそうだった。

 それに気分を良くしながら舞踏の間に戻ろうとすると、控えの間が並ぶ廊下の途中で突然引き止められた。



「おい、待てよ」



 無遠慮に掴まれた腕の痛さに振り向けば、そこには元婚約者のリチャードが立っていた。

 まだ夜会は始まったばかりなので休憩する人もおらず、全く人気のない廊下だった。

 こんなところで偶然鉢合わせるはずもない。

 わたしの後を追って待ち伏せていたのかと思うと気味の悪さと不快感で鳥肌が立った。



「手を離して。気持ち悪い」



 婚約者でもないのに御令嬢に触れるなんてマナーがなっていないわね。



「何だと?! エディス、お前っ!!」

「もう婚約者ではないので呼び捨てもやめてくださる?」

「このっ、調子に乗るな!!」



 振り上げられた反対の手を見て、咄嗟に顔を守る。

 婚約発表の前に顔に傷を付けられるのはまずい。

 襲い来る衝撃を覚悟したが、それが来ないことに気付いて目を開ければ、いつの間にか大きな腕に抱き締められていた。

 この腕の感触と顔に触れるモフモフとした鬣は……。



「わたしの婚約者に何をする」



 頭上から重低音が降ってくる。

 見上げなくたって分かる。ライリー様だわ。

 顔を動かせば、わたしを殴ろうと振り上げられたリチャードの腕をライリー様が掴んで押し留めている。



「くそっ、離せ! 騎士爵風情が邪魔をするな!!」



 リチャードが拘束を解こうと暴れるがビクともしない。体格からして違うのだ。振り払えないだろう。



「それは聞けん。女性に、それも婚約者に暴力を振るおうとする者を見過ごせるものか」

「うるさいうるさいうるさい!! 英雄だか何だか知らないが化け物のくせにいい気になりやがって!! おい、エディス、この化け物に離すよう言え!!」



 怒鳴りつけられて眉を顰めた。



「嫌よ。何でわたしがあなたの言うことを聞かなければならないの?」

「俺に捨てられたからこんな化け物のところにいるんだろ?! お前は面白みはないが、前よりかは多少マシになったようだし、子爵家に戻れば俺が情けをかけてやるって言ってんだよ!!」

「……はい?」



 え、どういうこと? 意味が分からないわ。

 唾を飛ばさん勢いで捲し立てられて困惑する。

 ええっと、リチャードに捨てられて他に相手がいないから仕方なくライリー様と婚約したと言いたいのよね?

 それで、わたしは面白くはないが外見が前よりも美しくなってるから、今子爵家に戻れば、つまり、妾か愛人として扱ってやってもいい、と?



「エディス、この男、頭がおかしいんじゃないか?」



 わたしよりも先にライリー様が言う。



「ええ、本当に。これが元とはいえ婚約者だったなんて恥ずかしいですわ」



 思わず額に手を当ててしまった。

 この男、異母姉と婚約している間に異母妹と浮気して孕ませた挙句、婚約破棄して異母妹に乗り換え、その異母妹が妊娠中に平然と自分が捨てた異母姉に妾か愛人になれとのたまっているのだ。

 どこをどうしたら、そのような思考に至るのやら。

 ライリー様の手の力が緩んだのかリチャードが慌てて自分の腕を取り戻した。



「そんな化け物の相手をするくらいなら俺の下に来い!! 俺の気を引きたいから地味だったのをやめて美しくなったんだろ?!」

「いえ、違いますわ。ライリー様のために美しくなったのです。あなたは関係ありません」

「そう言わされてるだけだ!! お前みたいな地味で野暮ったくて面白みも可愛げもない女、俺以外に受け入れるやつがいるものか!! さっさとこっちに来い!!」



 無謀にもリチャードが再度手を伸ばしてくる。

 同時に空気が振動するほどの怒鳴り声が響いた。



「いい加減にしろ!!!」



 グァルルル、と猛獣の唸る声が混じる。

 見上げれば牙を剥き出しにして威嚇したライリー様が、わたしを抱き寄せているのとは反対の手を構えていた。その手の爪が伸びている。



「ヒッ……?! あ、あ、痛っ、痛ぃいっ!!」



 どさりと尻餅をついたリチャードの右手の甲が裂け、血が流れ出ている。

 ライリー様の爪がリチャードの手を引っ掻いたのか。あの硬く鋭い爪ならばスパッと切れただろう。

 そして今まで我が儘放題自分勝手に生きてきた貴族のリチャードは怪我をするようなことも少なかったはずだ。自分の手の傷とライリー様とを見てガクガク震えている。



「貴様のような者がエディスを侮辱するな!! おい、誰かいないのか!! こいつを舞踏の間へ連れて行け!!」



 咆哮に近い怒鳴り声が聞こえたのか廊下の向こうから慌てた様子の騎士達が現れ、座り込んでいるリチャードを立たせようとする。

 だがリチャードはライリー様に睨まれて竦んでしまっている。

 それどころか水音がして、その場で漏らしてしまったようだ。

 騎士達が顔を盛大に顰めたが、それでも無理矢理立ち上がらせると、どうするかと視線で問われたライリー様が鼻を鳴らす。



「時間もない、そのまま放り込んでおけ」

「わ、分かりました」



 怒り冷めやらぬ様子のライリー様に、さすがの騎士も若干引き気味だ。

 ああ、でも素敵。牙を剥き出しにして威嚇してる姿はなかなかに格好良いですわ。尻尾の先もぶわっと広がって、怒りで興奮しているのね。

 ズルズルと引きずられていくリチャードを見送る。

 いまだ毛を逆立てて怒っているライリー様はわたしを離さず、唸り声を上げている。



「ライリー様」



 呼べば剥き出しの牙が少し隠れる。



「ライリー様、ありがとうございます。助けてくださり、そして怒ってくださり、とても嬉しかったですわ」



 伸ばした腕を首に回して抱き着く。

 フサフサの鬣に顔を埋めて、擦り寄った。



「……怖くなかったか」

「ええ、だってライリー様が来てくれましたもの」

「そうか……」



 安心させるように首筋を撫でれば、段々とライリー様の逆立って広がっていた毛並みが落ち着き、唸り声も小さくなり、怒りで強張っていた大きな体から力が抜けるのを感じる。

 まだ小さく唸ってはいるものの、怒りはかなりおさまってきたようだ。

 顎の下を掻いてあげればグルル、と溜め息混じりの唸る声が漏れ、それはしばらくしてグルグルと変わった。



「すまない、怖がらせてしまったな……」



 しょんぼりと肩を落とすライリー様に首を振る。



「いいえ、とってもかっこよかったですわ! 牙を剥き出しにして唸る姿は本物の獅子のようで、あまりの雄々しさに見惚れてしまったほどですわ」



 獣人の怒った姿を生で見られて嬉しいわ。

 しかもあんなに怒ったのはわたしのためだなんて、これが嬉しくないなんて言えましょうか。


 

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