寝取られ令嬢は英雄を愛でることにした
舞踏会(1)
それからはあっという間だった。
王家主催の舞踏会、その日は朝から大忙しである。
一週間かけてリタとユナに磨かれたというのに、その日も朝食後から早々に浴室へ押し込まれた。
肌も髪も人生で一番綺麗になっているだろう。
それでもまだ足りないのかリタもユナも爪先から頭の天辺まで余す所なくピカピカに磨き上げられる。
昼食は簡単に摘めるようなもので、あまり動けないわたしをメイドまで手伝って整えていく。
一番嬉しかったのはドレスである。
近衛騎士であるライリー様は当然正装は近衛騎士の制服で、今日もそれを着て行く予定だった。
そしてわたしのドレスはそれに合わせられていた。
ドレスは首元から鎖骨の下辺り、腕は肘の少し先までを白いレースが覆い、胸元からウエスト、そしてお尻までを白い生地の上から緻密な赤いレースがまるで最初から赤いドレスだったかのように見えるほど重ねられ、白と赤の境目は若干緑と黒が入り、植物の刺繍が施されている。胸元からウエストに同色のリボンがつけられ、腰回りを細く見せてくれる。白いスカート部分には金糸で凛々しい獅子が刺繍されていた。
純白のドレスは社交界デビューの娘のみが着られるものだ。
だがわたしのドレスは純白のドレスの表面を赤いレースが覆って、遠目には赤と白のドレスに見える。
刺繍の図案は男性的なのに、優美な金糸のおかげか、白いドレスは不思議と華やかで繊細な印象を受けた。
ドレスを着るとわたしのプラチナブロンドに馴染む色合いで大人びた雰囲気だった。
そこに金のネックレスとピアスをつける。
ネックレスは以前もらったものと同じく金を使っており、蜘蛛の巣のように広がっていた。
だが、その広がったネックレスには小さなダイヤモンドが数え切れないほどあしらわれ、正面中央に大きなものがあった。
この一週間の間にピアスのための穴を開けた。
ピアスも金で、大粒の涙型のダイヤモンドが三日月のような形の枠の中に吊り下がっていて、少々重いが動く度にキラキラと揺れて美しい。
……いくらかかったのか聞くのが怖いわね。
艶の出た髪は後ろに流されているが、こめかみ部分から少しだけ取った髪を細い三つ編みにして左右から後頭部へ回し、そこで金と白と赤のレースで出来た髪留めで纏められると二つの細い三つ編みが後ろへ流される。
今日だけは薄らと白粉をして、アイラインを引き、淡い薄紅色のアイシャドウと頬紅、口紅で化粧をする。アイラインで僅かに下げられた目尻が冷たい容貌を和らげ、アイシャドウと頬紅が健康的な赤みを持たせ、先に少しだけ蜂蜜を含んでおいた唇はぷるんと艶めいている。
儚げな、けれど凛とした色気ある美女が出来上がった。
まじまじと鏡を見ていれば、扉がノックされる。
リタが対応し、扉を開けて、ライリー様が現れる。
振り向けば、ライリー様が入り口で立ち止まってこちらを呆然と見つめていた。
そのライリー様もいつもより毛並みに艶がある。
純白の騎士服は袖や裾に金糸が入り、肩に羽織った真紅のマントが背の高さを一層際立たせている。腰の剣はいつものよりも柄や鞘のデザインが華やかだ。
そしてカフスやマントの留め具は金にアメジスト。
よく見れば留め具は菫の花を模していた。
互いに数秒ほど見惚れてしまった。
「旦那様、お嬢様、そろそろお出になりませんと遅れてしまいますよ」
オーウェルの控えめな声にハッと我へ返る。
コホン、と一つ咳払いをしたライリー様がわたしへ手を差し出した。
それにそっと手を添えて歩み寄る。
「それでは行こう」
「はい」
何だかこれから結婚式でも挙げるような緊張感と高揚感がして、つい小さく笑みが零れた。
王家主催の舞踏式はほぼ全ての貴族に招待状が届く。
それは元生家も元婚約者の家も例外ではない。
でも今のわたしはベントリー伯爵家の娘であり、ライリー様の婚約者よ。もうあの人達とは関係ないわ。
エスコートされるまま、お屋敷を出て、馬車に乗り込んだ。
「今日の舞踏会にはアリンガム子爵家もオールドカースル伯爵家も出席するが、大丈夫だ。彼らと君はもう無関係だし、ショーン殿下も噂を耳にして大変御立腹されておられたから、何か騒ぎ立てたとしても殿下が見合った罰を下してくださる」
わたしの手を握って真摯にそう説明してくれた。
それにしっかりと頷き返す。
「では、わたしは堂々としていればよろしいのですね」
「そうだ、エディスには何も非がないことは殿下も俺も、ベントリー家の方々も知っている。だから何を言われても気にするな」
「ええ、分かりました」
ライリー様の手を握り返す。
わたしの反応にホッと胸を撫で下ろした風だった。
馬車が王城に着くまで寄り添って過ごしていたからか、全く不安はない。
それどころか気力が湧いてくる。
わたしは英雄ライリー=ウィンターズ様の婚約者、わたしが望み、ライリー様に望まれ、殿下からも認められたのだ。何も心配する必要はない。
そう思うと胸を張っていられるわ。
王城に着いた馬車から降りて、使用人に案内されて控えの間に通される。
舞踏会の最初は低い爵位から順に通されるので、わたし達はしばらく待つことになる。
ライリー様は騎士爵位だけど英雄という立ち位置も考慮されて、そして伯爵令嬢のわたしも一緒なので、呼ばれるのは丁度真ん中かそれより少し後だろう。
そこで一休憩していると予想通り、だいぶ時間が経ってから呼ばれた。
気合いを入れ直してライリー様のエスコートを受けつつ、舞踏の間へ向かった。
「緊張していないか?」
小声で問われて苦笑で返す。
「そこまで心配なさらずとも大丈夫ですわ」
「……エディスは強いな」
「ライリー様がいてくださるからこそです」
少しだけ身を寄せて、そうして離れる。
待っていてくれたらしい使用人が「よろしいでしょうか?」と問うてきて、それに二人で頷いた。
目の前の舞踏の間へ続く扉が開く。
「英雄ライリー=ウィンターズ様、ベントリー伯爵家エディス=ベントリー様のご入場です!」
同時に一歩踏み出せば視線が刺さる。
それでも俯かずに前を向いて入場する。
士爵位、男爵位、子爵位、伯爵位の下位から中位の家から訪れた者達が一斉にこちらを見ている。
でもライリー様が怖いのか話しかけてくる人はおらず、わたし達は先に入場していたウィンターズ男爵夫妻に挨拶をした後にゆったりと会場の一角に陣取った。
話しかけられないというのは結構気楽なものだ。
男爵夫妻は挨拶回りのために離れていった。
のんびり二人で雑談していると聞き覚えのある名前が呼ばれ、顔を上げればベントリー伯爵夫妻が入場してくるところだった。
夫妻はこちらに気付くと真っ直ぐに近寄って来た。
「エディスさん、今日のドレス、とっても素敵だわ」
夫人が嬉しそうに微笑む。
このドレスの獅子の刺繍は夫人が、わたしがライリー様のことを大好きだからと勧めてくれたものだった。
しかもお針子が足りないからとわざわざベントリー家御用達の服飾店から足りない分のお針子達を手伝いに寄越してくれたのだ。
金糸も用意してふんだんに使わせてくれた。
このドレスを着れたのはベントリー家のおかげでもある。
「可愛い娘が美しく着飾る手伝いを出来て良かった」
うんうん、と頷くベントリー伯爵にライリー様が小さく会釈をする。
「それにつきましては御助力ありがとうございました。ドレス姿のエディスを見た時は美しさのあまり見惚れてしまったほどで、特に御夫人が勧めてくださった獅子の刺繍は私もエディスもとても気に入りました」
これにわたしも頷いた。
この獅子の刺繍は本当に素晴らしい。
雄々しく凛々しい顔立ちでありながらも、つぶらな瞳に丸い耳、口元のおヒゲ、左頬の傷の跡まで丁寧に縫ってくれてある。
刺繍を希望した際にわたしが言ったライリー様の好きなところが忠実に再現されていた。
馬車で座っている時にドレスを眺めていて、それらに気付いた時には心から感動したものだ。
「何、娘のためですから、これくらい安いものです。ただアーヴはまた未成年ですから舞踏会に出席出来ないことを悔しがっていたよ」
「良ければどこか予定の空いている日にそのドレスを見せに来てもらえるかしら?」
「はい、そのようなことであれば喜んで」
確かにアーヴは来ていない。
十六歳で社交界デビューなので、十四歳のアーヴは舞踏会に出席出来なかったのだ。
会えないのは少し寂しいが、今度このドレスを持って着替えて見せればきっと喜んでくれるだろう。
わたしもまたベントリー家に帰りたい。
あそこはもうわたしの実家だからね。
その後はベントリー夫妻も挨拶回りに行くからと離れていった。
相変わらず突き刺さる視線の数々はあるが、緊張も解れ、華やかな舞踏会の雰囲気を楽しめるようになっていた。
「ん?」
不意にライリー様が僅かに顔を上げた。
あら、お耳が落ち着きなくピクピク動いてるわ。ライリー様は獅子の呪いを受けてから五感が鋭くなったそうなので何か聞こえたのだろう。
困った様子で見下ろされる。
「すまない、殿下に呼ばれたようだ」
「何か聞こえたのですか?」
「ああ、動物にだけ聞こえる笛があるんだが、殿下は俺を呼ぶ時にそれをよく鳴らすんだ」
犬笛ならぬ獅子笛ね。
心配そうにわたしを見るライリー様に微笑む。
「わたしは大丈夫ですから、どうぞ行ってらっしゃいませ」
このドレスや装飾品のおかげで大丈夫よ。
ライリー様とベントリー家が尽力してくれた素晴らしいものを身につけていると思えば怖いものなんてないわ。
僅かに逡巡した様子ではあったけれど、ライリー様はもう一度「すまない」と告げて離れていく。
わたしは料理などが並べられているテーブルの側で待つことにした。ここならば人目につきやすいから戻って来た時に見つけやすいだろう。
舞踏の間は大勢の貴族で賑やかだ。
もう少しして全ての貴族が揃ったら、最後に王族の方々が入場して、その後は王族の方々での御挨拶が始まる。
その際に婚約発表もすることになっている。
ここまで目まぐるしく色々なことがあったわね。
でもこれで、晴れてわたしはライリー様の婚約者にーー……
「お姉様!!」
聞こえてきた声に眉を顰めそうになった。
どうして話しかけてくるのかしらね。
無視していると数名の女性が近寄ってきた。
見れば、その先頭にいたのは異母妹である。
異母妹はリチャードの瞳の色に合わせた淡い青のドレスを纏っていたが、わたしの着ているドレスに比べれば華やかさはない。装飾品も恐らくこちらの方がより良いものだろう。
目の前まで来ると異母妹は笑顔を見せた。
「お姉様、会いたかったわ! 心配しておりましたのよ。家を絶縁されて、婚約者にも冷遇されて、それに……」
表情を曇らせ、言葉を濁す異母妹。
その側にいた女性達が口を開く。
「婚姻前なのに殿方に簡単に体を許していらっしゃるとか。本当かしら?」
「わたくし達にはとても真似出来ませんわよねえ」
「あら、でもそうしなければ引き取ってもらえなかったのかもしれませんわよ」
「でもそのようなことをしていたら養子先の家に御迷惑がかかるでしょう? 普通はそのようなこと出来ませんわよね」
くすくすと扇子の向こうで口元を隠して笑いながら、女性達はわたしを意味ありげに眺めた。
しかし異母妹がそれを手で制す。
「いいえ、そんなことはいいの。そうしなければ、お姉様は平民に落ちるしかなかったのだもの。仕方のないことだわ。さぞお辛かったでしょう? お父様とお母様にお願いして絶縁を取り消していただけるようにしました。帰ってきてください、お姉様」
祈るように両手を胸の前で握り、眉を下げた異母妹に周囲の女性達は「まあ、なんてお優しいのかしら」「こんな方、絶縁されて当然でしょうに」と心底おかしそうに囁き合う。
ふうん、そういうことね。
異母妹のお友達なんてどんな方々かしらと思っていたけれど、なるほど、異母妹に負けず劣らず底意地の悪い人達のようね。
以前のわたしをもしかしたら知っているのかも。
よくよく見れば、何だかどこかで見たことがあるなあという程度には知っている気がする。
確か、全員子爵家か男爵家の出だったはずよ。
記憶を思い出す前のわたしは物静かで俯きがちだったから、見た目が美しくなっても中身はそう変わらないと考えているのでしょね。
そもそもわたし、儚げな見た目だもの。
でも以前のわたしとはもう違うのよ。
「あなた方、誰に向かってそのようなことを言っているか分かっていらっしゃるの?」
悠然と微笑み、扇子で異母妹を指し示す。
「まずアリンガム子爵令嬢、わたしは『絶縁された』のではなく『絶縁した』のですよ。絶縁はわたしの方からアリンガム子爵に申し出たのです」
そう言えば異母妹が目を瞬かせる。
酷く不思議そうな顔をしていた。
「え? でもお父様は絶縁したって……」
「あの方はプライドが高いですからね、娘から絶縁されたとは言いたくなかったのでしょう。わたしは望んであなた方と縁を切ったのでもうあの家には帰りませんわ」
「で、でも、お姉様はお可哀想ですわ! あのような恐ろしい外見の方の婚約者になったのは、婚約破棄されて家に居場所がなかったからで、そこしか行くところがなかったから! そうでしょう?!」
「いいえ、何もかも間違ってるわ」
どうしても自分の噂を真実に見せたいようね。
わたしが少しでも同意したり、躊躇うような素振りを見せたら、噂は本当かもしれないと耳にした人々の中に疑念が生まれてしまう。
だからわたしは即座に否定する。
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