寝取られ令嬢は英雄を愛でることにした

早瀬黒絵

ベントリー伯爵家

 





 その後は平穏に過ぎ、何事もなくベントリー家との約束の日になった。

 朝から良い天気で始まり、ライリー様が出掛けられる際に「夕方頃にベントリー家で」「ええ、お待ちしております」と抱擁しながら会話を交わし、見送った。

 午前中はライリー様のハンカチなどに刺繍をして過ごし、少し早めに昼食を摂った後、支度をする。

 他のものよりおしゃれなドレスを選んで着替えると髪を整えて薄く化粧を施してもらう。

 そうこうしているうちに時間になり、ユナと女性の護衛を連れてウィンターズ家の馬車に乗ってベントリー伯爵家へ向かった。

 そう離れてもいない距離はあっという間だった。

 時間通りにベントリー家に到着すると、夫妻とアーヴが使用人達と揃って出迎えてくれた。



「エディス、おかえり」

「今日までが待ち遠しかったわ」



 ベントリー夫妻がそれぞれ抱き締めてくれる。

 それからアーヴも。



「おかえりなさい、姉上」



 ああ、不思議なものね。まだここへ来たのは二回目なのに、なんだか本当に実家に帰ってきたような温かな気持ちになれる。



「お父様、お母様、アーヴ、ただいま戻りました」



 そう言えば三人は嬉しそうに破顔した。

 促されるまま居間に通されて、仕立て屋が来るまで三人でのんびりと談笑して過ごす。

 わざわざ伯爵はわたしの顔を見るために時間を取ってくださっていたらしく、しばし談笑を楽しむと仕事があるからと出掛けていった。

 夫人とアーヴと三人でお見送りをするととても喜んでもらえて、わたしまで嬉しくなる。

 アーヴはわたしが贈った白百合の便箋を気に入ったようで「百合は姉上のイメージとよく合ってるね」「僕も同じ便箋を使いたい」と話したので買ったお店を教えると「絶対に買いに行くよ」と言っていた。

 わたしとアーヴが話している間、夫人はまるで実の我が子達を見るように微笑ましげに傍で聞いていた、

 こういう穏やかで心休まる時間が家族の団欒というものなのだろう。

 楽しい時間は過ぎるのが早く、いつの間にか仕立て屋が到着しており、三人で応接室へと移動した。

 アーヴも服を新調するらしい。



「姉上のドレス、僕も選びたい」

「あら、じゃあ一緒に見てみましょう」



 と、わたしよりも二人は乗り気だった。

 色やデザインの好みを仕立て屋の者や二人にあれこれと聞かれたものの、今まで地味なものばかりだったため、好き嫌いはあまりなかった。

 正直にそれを伝えれば夫人の目が光る。



「そう、そうよね、ならお母様にまかせてちょうだい。エディスさんによく似合うドレスを買ってあげますからね」

「僕も姉上がより素敵に見えるドレスを選ぶね!」



 なんだか二人のやる気が上がったが、客観的に見て似合うものを選んでもらえるのはありがたい。

 前のわたしの記憶では着ていた衣類が違い過ぎてドレスの良し悪しは分からないし、今生のわたしもずっと野暮ったいドレスばかりだったから流行をいまいち分かってない。

 それなら夫人とアーヴに任せた方が良いものを選んでもらえるだろう。

 二人がデザイン画を見ている間に衝立の向こうで採寸をする。仕立て屋の者に「お嬢様は少し痩せ過ぎですね」とやはり言われた。



「これから健康的になっていくのよ。だからドレスも調整の効くデザインがいいわ」



 衝立の向こうから真剣な声がする。

 そっと覗き見ればデザイン画に釘付けになって、ああでもないこうでもないと話し合っている夫人とアーヴがいる。

 こういうのが家族というものなのね。

 前のわたしも両親がいたけれど、その人達に負けないくらい今のわたしの家族も良くしてくれている。



「そうでした、黄色系でわたしに合う色のドレスがほしいのです」




 ふと思い出して言えば夫人が聞き返す。



「黄色?」

「はい、ライリー様の毛並みのお色ですの」

「そうね、黄色は確かにライリー様のお色だわ。婚約者の色を纏えるのはあなただけの特権だものね」



 明るい声で夫人が若いっていいわね、と笑った。

 採寸を終えてドレスを着て出て行けば、アーヴがわたしへ振り返った。



「姉上の婚約者のウィンターズ様は、獅子の顔を持つって本当?」



 好奇心旺盛な瞳に見つめられて頷き返す。




「ええ、本当よ。獅子のお顔に鬣もあって、体の黄金色の毛並みに覆われているわ。大柄で威圧的に見えるけれど、とても紳士的で優しくて、勇猛果敢な殿方でいらっしゃるのよ」



 へえ、と感心した様子でアーヴは質問を続ける。




「怖くないの? 傍にいて姉上は大丈夫?」

「アーヴ!」



 夫人が鋭くアーヴの名を呼んで諌めようとしたけれど、わたしはそれを首を振って止めた。



「お母様。……大丈夫よ、アーヴ。ライリー様は温厚な方で、むしろ人を傷付けないようにいつも気を遣っていらっしゃるほどなの。それに呪いは移らないわ。もし性格が粗暴で呪いが移るものだったらライリー様は第二王子殿下の近衛にはなっていないでしょう?」

「そっか、そうだね。ごめんなさい」



 わたしの話を聞いて納得した様子でアーヴが謝罪の言葉を口にする。

 素直で、人の話を聞いてきちんと考えられる。それにきちんと非を認めて謝罪出来るのも素晴らしい。



「いいのよ、ライリー様はあの外見で誤解をされやすいけれど、きっと話してみたらアーヴも仲良くなれると思うわ」

「うん、英雄と話せるのはちょっと楽しみなんだ」



 本心だろう。アーヴは目を細めて笑う。

 ライリー様はお優しい方だから、素直なアーヴときっと親しくなれる。

 婚約者と弟の仲が良いとわたしも嬉しい。

 アーヴがライリー様の噂を鵜呑みにしているわけではないと分かったのか、夫人がホッとしたような顔をした。

 そこからも夫人がライリー様に偏見を持っていないことが伺えた。本当に良い家の養子にしてもらえたと思う。

 その後は三人で仲良くドレスや装飾品を選んで過ごした。様々な色のドレスを沢山選んだ二人はどこか満足そうだった。

 ライリー様とベントリー家とでドレスも装飾品も買って、全てを着れるだろうか。

 でも着なかったらきっと悲しまれるから、しばらくは毎日違うドレスを着ることになりそうだ。





* * * * *





 仕立て屋が帰り、伯爵とライリー様が来られるまで、三人でまたまったりと過ごした。

 途中で夫人に案内されてわたしの部屋を見せてもらった。柔らかなグリーンを基調とした室内は落ち着いた雰囲気だが、所々にレモンイエローが混じっているおかげか控えめで可愛らしい色合いになっていた。

 あまり帰ることはないが、それでもわたしの部屋を用意してもらえているなんて思いもしなかった。

 おかえり、と最初に言われた意味が分かる。

 ここはもうわたしの実家なんだ。

 夕方になると伯爵が帰宅して、続いてライリー様がベントリー家に訪れる。

 先に帰宅した伯爵を含めて四人で出迎えれば、いつもの近衛騎士の制服に身を包んだライリー様が馬車を降りてわたしを見ると、機嫌良さそうにゴロゴロと喉を鳴らした。



「どうやらエディスは楽しく過ごせていたようですね」



 それにわたしは深く頷き返す。



「ええ、とても楽しかったです。……おかえりなさいませ、ライリー様」

「ただいま戻りました」



 軽く抱擁を交わし、ライリー様はベントリー夫妻に顔を向ける。



「本日はお招きいただきありがとうございます。夫人と御子息と直にお話をするのは初めてですね。改めまして、ライリー=ウィンターズといいます。エディスを受け入れてくださったこと、婚約者として感謝申し上げます」



 頭を下げかけたライリー様を夫妻が止めた。



「そのようなことはしないでください。このように可愛らしい娘が出来ただけでなく、ウィンターズ殿のような素晴らしい方と縁続きとなれるだなんて光栄なことなのです」

「そうですわよね、王家の方々が信を置く英雄の大切な婚約者を預けるに値すると思ってくださっているということですもの」



 ニコニコと笑顔で夫妻は頷き合う。

 それでライリー様の肩から少し力が抜けたようだ。



「そう言っていただけると、英雄という立場で良かったと思います」



 そうしてライリー様は屈むとアーヴに視線を合わせた。大柄なので上からだと威圧的に見えると理解しているのだろう。

 近付いた距離にアーヴは一瞬怯んだけれど、下がりかけた足を踏ん張って、しっかりと顔を上げた。



「初めまして、アーヴィン=ベントリーと申します。英雄様にお会い出来て嬉しく思います」

「こちらこそ、お会い出来て嬉しいです。エディスと手紙のやり取りを始めたそうですね。手紙が届くと彼女は嬉しそうに教えてくれるのですよ」

「本当ですか! 僕も姉上から手紙が届くととても嬉しいです。これからは同じ便箋を使う約束もしました!」

「そうなんですね。……仲の良い兄弟が出来てエディスは幸せですね」



 後半はわたしへかけられ、頷いた。

 もう妹はうんざりだが可愛い弟は好きだ。

 あっという間にアーヴと仲良くなってしまったライリー様も凄いけれど、ライリー様の外見に恐れず接したアーヴも凄いわ。

 夫妻に促されて全員で屋敷へ入り、食堂へ招かれる。

 わたしとライリー様を隣同士にしてくれたのは夫妻なりの気遣いだろう。アーヴはわたしの隣になれなくてちょっと残念そうだったが。

 ベントリー家の使用人は素晴らしい。

 ライリー様がいても全く動じずに給仕を続けているし、その姿をまじまじと見るような無礼な真似もせず、料理を並べ終えると静かに出て行った。



「使用人がいては落ち着けないでしょう。本来は一品ずつ出しますが、今日は家族とその婚約者でゆっくりと交流を深めたいので下がらせました」

「お気遣いありがとうございます」



 そして始まった食事は和やかなものだった。

 最初はライリー様が開けた口に夫人もアーヴもギョッとしていたけれど、すぐに慣れたようで、怯えたり嫌がったりする様子はない。

 今日もライリー様の牙は真っ白でお綺麗ね。いつもは正面から見ていたが、横から見ると奥に生えている牙も見えるし、凛々しい横顔が素敵だわ。

 あら、またぺろんしてる。かわいい。



「ところで、婚約発表はいつするご予定?」



 夫人の言葉にわたしとライリー様が止まる。

 そうよね、婚約発表はしなきゃいけないわよね。

 チラと見上げればライリー様が一つ小さく咳払いをした。



「王家の方々より、一週間後の王家主催の舞踏会で発表してはどうかと今日打診がきました。エディスとベントリー家の皆様がよろしければそうしたく思います」



 それに夫妻が表情を明るくする。



「まあ、それは大変素晴らしいことですわ。王家の方々からも祝福していただけるなんて滅多にありませんものね」

「そういうことであれば我が家としてもありがたいですね。エディスはどうだい? 婚約発表はそれで問題ないかな?」



 伯爵に問われて、ライリー様を見て、ニコリと笑う。



「はい、何も問題ございませんわ。早くライリー様との仲を発表して、堂々と横に並びたいです」

「エディス……」



 伸ばされたライリー様の手に触れて、頬を寄せる。

 この素敵な殿方はわたしのものだと自慢したい。

 それに、わたしはもうアリンガム子爵令嬢ではなくベントリー伯爵令嬢なのだと胸を張って言いたいのだ。

 こほん、と咳払いがして二人して我に返る。



「仲睦まじいのは結構なことだが、エディスの支度は間に合いますか?」

「はい、既に婚約発表の場でエディスの着るドレスや身に付ける装飾品は用意してあります。明日発表でも良いほどです」

「うんうん、エディスを大切にしてくださっていると分かって安心しました」



 まあ、いつから用意していたのかしら。

 まだ普段着用のドレスしか受け取っておりませんのに、もしかしてそれとは別に注文していたの?

 アーヴもニコニコと笑顔で話を聞いている。

 それにしても王家主催の舞踏会で発表なんて緊張するわ。でも英雄の婚約、婚姻ともなれば大ごとですものね。今後も英雄の婚約者として、いずれは妻としてお傍にいるのですから目立つことにも慣れないと。

 それにライリー様がそんなに前より、婚約に対して前向きに動いていてくださったのだと知れて幸せだわ。



「そういえば、最近妙な噂を耳にしたのよ」



 ふと思い出した様子で夫人が口を開く。



「何でもとある家の御令嬢が家から絶縁され、仕方なしに婚約と同時に婚約者のお家に引き取られたものの冷遇されているだとか、その御令嬢は自身がお金を使いたいがために婚約者に毎夜身を許しているだとか。そうそう、その御令嬢の妹を名乗る方は姉の行いに心を痛め、可哀想な姉のために家へ戻してもらえるように御両親を説得したと周囲に漏らしているそうなの」



 長い話をほぼ切らずに言った夫人は、ほほほと笑いながら扇子で口元を隠す。

 その手がギリギリと扇子を握っている気がする。

 食堂がシンと静まり返った。



「それは……」



 さすがのライリー様も言葉を失っていた。

 わたしもあまりの内容に呆れてしまった。

 家と絶縁したのはわたしの方からだし、ライリー様との婚約は何だかんだ言って望み望まれの両想いだし、婚姻前に体を許したのはわたしではなく異母妹の方だ。それも許した相手は当時、異母姉の婚約者だった男である。

 心を痛めるのは婚約者を異母妹に寝取られたわたしの方ではないかしら?

 本来絶縁されるべきなのも異母妹でしょうに。

 アリンガム子爵家になんていたくなかったから、絶縁して正解だったわね。



「厚顔無恥とはまさにこのことよねえ」



 おっとりと毒舌を零す夫人を咎める者はいない。


 

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