寝取られ令嬢は英雄を愛でることにした

早瀬黒絵

魔獣討伐(2)

 


「いっつも思うがお前の戦い方って騎士らしくねえよな。お綺麗さっつうの? 普通に手足使うし」



 地面に転がっていた狼の首を断ちながら次兄に言われ、ライリーは眉を寄せた。



「それをサディアス兄上が言うか?」



 基本的な戦い方は父から教わったが、練習で剣を交える機会が多かったのは兄弟達の方だった。

 真正面から力で圧倒してくる長兄と、しなやかな剣技以外にも手やら足やらを平然と出してくる次兄。両者の相手をしていればどうしたってどちらの戦い方も身についてしまう。

 特に次兄は容赦もなかったから練習でも本気で戦わねば怪我を負いかねなかった。

 そういう点で考えれば兄弟同士で剣を交えるのは良い結果に繋がったとも言えるが、強い兄達に昔は滅多打ちにされたのは苦い思い出だ。



「隊長、三匹ほど森の中へ逃げました!」



 狼を切り伏せていた騎士の一人が方向を示す。

 一匹でも逃すわけにはいかない。



「四人一組に分かれて捜索する! そちらの二つは向こうから、こちらの二つはそちらから、我々は正面から。残りはここで周辺警戒を維持しつつ魔石の回収だ。……手負いの獣だ、油断するな!」



 指示を出し、それぞれが四人一組になって捜索を開始する。ライリーも他の騎士三名と組んで正面から森へ分け入っていく。

 道沿いはともかく、それより先は鬱蒼と木々が生い茂っており、人間には酷く歩きづらい。

 それでも枝や葉を避けながら進んでいけば、あちこちで剣と鋭いものがぶつかる音が響いてくる。

 どうやら別の組が狼を見つけたようだ。

 警戒を解かずに進むと少しばかり拓けた場所に出た。

 そこには既に二匹の狼が倒れていた。



「遅いぞ、英雄。鼻を使えよ」



 からかうような次兄のことばにライリーは苦笑する。




「この辺りはシルバーウルフの臭いだらけで判別し難いんだ。むしろ鼻は邪魔かもしれない」

「ふうん? めんどくさくねえか?」

「もう慣れた」



 ついた血を払い、次兄が剣を収める。

 反対の手にはシルバーウルフのものだろう小さな魔石が二つ、弄ぶように手の平で転がしたそれを投げられる。

 受け止めながら遠くで狼の出す断末魔が聞こえた。



「他の組がもう一匹も倒したようだ」



 人間よりも優れた聴覚はこういう場面では役に立つ。

 魔石を落とさないように専用の袋へ入れる。



「そんじゃあ戻ろうぜ。あーあ、今回は楽勝過ぎてつまらなかったな」



 やや血の気の多い次兄には物足りなかったらしい。

 ライリーはまた苦笑を零した。



「弱い方がいいじゃないか。被害が出るのは困る」

「お前もヘイデンもお堅いよなあ。どうせ戦うなら強い奴と戦う方が楽しくないか?」

「完全に否定はしない」

「だろ? ヘイデンはそこんとこ分からず屋だからなあ。こういうこと言うとすぐ怒るし」



 生真面目で無口な長兄なら確かに怒りそうだ。

 母のことは怖くない次兄だが、長兄に怒られるのは少しだけ苦手らしい。

 森の中を掻き分けて戻るライリーの後を、頭の後ろで腕を組みながらふらふらと次兄が歩いていく。

 大柄なライリーが歩いた後はちょっとした獣道になるので部下の騎士達もそこを通っていた。

 元の場所へ戻れば魔石の回収を終えた部下達と、先に戻っていた部下達がライリー達の到着を待っていた。

 耳を澄ませてみたがシルバーウルフらしき獣の音はしない。

 魔獣の死骸は魔石を回収してしまえばそのうち黒い塵となって消えるため、放置しておいても問題はないだろう。



「予想より早く終わったな。ご苦労だった、王都へ帰還しよう!」



 慣れた者達なだけあって負傷者もいない。

 馬の元へ戻り、乗って、来た道を引き返す。

 二時間の道のりを駆けて王都へ帰還したライリー達を、外周壁の東門の騎士達が出迎える。

 討伐隊の帰還を報せるラッパが鳴り響き、開けられた鉄柵を抜けて王都内へ入ると、住民達の歓声が上がる。

 馬の速度を落として道の両端に立つ人々へ手を上げたり、声をかけられたりしながら王城への道を早足で隊列は戻っていく。

 ラッパにより帰還の報せを受けていた王城の東門も、彼らの姿を見ると、東門の重厚な扉を開けて迎え入れた。

 馬を馬丁達に預ける。

 ライリーの馬は不満そうに首を振っていたが、馬丁がそのまま馬用の広場へ連れて行ってやれば多少は納得したようだ。

 騎士達はそれぞれ話し合い、組のまとめ役が報告書を作成し、それらが上がってくるまでの間にライリーもある程度は報告書をまとめておく。

 部下達と別れて自身の執務室へ向かう。



「戻った」



 執務室の扉を開ければ、数時間前と変わらず部下が書類仕事に追われていた。



「お疲れ様です、早かったですね」

「皆慣れているからな。シルバーウルフも発生したばかりであまり強くなかった」

「それは良かったです」



 そうして椅子に腰掛け、ライリーはふとポケットの中身を思い出した。

 取り出してみれば包みは少し歪んでいる。

 だが中身は無事のようだ。

 ハンカチとメッセージカードは綺麗なままだ。

 婚約者が出来たのも初めてだが、母や姉以外からハンカチを贈られたのも初めてだった。母や姉からのものは成人前の話だが。

 真っ白なハンカチにされた丁寧な刺繍が美しい。

 それにメッセージカードも。

 ……心は常にあなたと共に。

 そんな言葉を贈られるとは思ってもいなかったから、驚きと喜びで唸ってしまうところであった。

 もしも次兄がいなければライリーは唸り声を上げていただろう。

 それほどに嬉しかったのだ。

 本当は今すぐにでも帰って、この礼をしたいくらいなのだが、まだ報告書の作成が残っている。

 だが少しでも早く帰宅したい。

 ハンカチとメッセージカードを引き出しに仕舞い、ライリーはシルバーウルフの討伐完了の報告書を書き始めることにした。





* * * * *





 日が沈み、月が大分昇ってきた。

 先に夕食を摂ったが内心はライリー様が心配で、食事の味を楽しむ余裕などはなかった。

 ただお屋敷に働く使用人達が普段と変わらないおかげで取り乱すようなこともなく、今も静かに刺繍を続けている。

 こちらもハンカチへの刺繍で、ライリー様のイニシャルと菫の花を背負う獅子の横顔だ。何枚か同じものを刺繍して常にこのハンカチを使ってもらおうという算段である。

 ちなみにわたしのハンカチも用意してあった。

 そちらはイニシャルを入れずに、菫の花を頭に飾った獅子の刺繍をする予定だ。

 チクチクと刺繍を続けていれば時間も過ぎる、

 刺繍が切りの良いところまできたので少し体を解そうと顔を上げれば、丁度良く門から見慣れた馬車が入ってくるのが視界に映る。

 慌てて刺繍道具を片付けて部屋を出る。

 玄関ホールへ向かえば、ライリー様がいた。



「おかえりなさいませ!」



 振り向いたライリー様が両腕を広げた。

 ライリー様の方から抱擁を許してくださったわ!

 躊躇いなくその腕の中へ飛び込む。

 胸元に顔を寄せれば、少しだけ汗のような匂いがしたが、嫌な匂いではない。

 ぎゅっと抱き返しながら顔を上げる。



「お早いお戻りで嬉しいですわ。見たところ、どこも怪我をなさっていらっしゃらないようで安心致しました」



 ライリー様がわたしの背に腕を回しながら言う。




「魔獣と言ってもシルバーウルフでしたから。あれは魔獣の中でも弱い部類なので、戦い慣れた騎士であれば滅多に怪我を負うことはありませんよ」

「そうでしたのね」



 優しく、そっと抱き寄せられて笑みが浮かぶ。

 ほんのり湿った土のような匂いがするのは、討伐先が森かその周辺だったのだろう。

 前のわたしの記憶が森は湿った土の匂いがするのよね、と囁いた。



「そうでした、ハンカチとメッセージカードをありがとうございました。出発前に受け取り、とても励みになりました」



 わたしの頭の上にライリー様が軽く顎を乗せる。

 そうして顎の下を擦り付けるように動いた。

 あらやだ、これはスリスリかしら。あの体や頭を擦り付けるスリスリよね? ああ、もふもふな鬣がちょっとだけ頬に触ってる! 大きな体を縮こませてスリスリしてるのね! ご機嫌なのね、凄くかわいい!!



「本当ですか?」

「ええ、ハンカチも母や姉以外の女性からいただいたのは初めてでしたので、とても感動しました。またほしいくらいです」

「ふふ、あんなものでよろしければいくらでも作りますわ」



 既に次のハンカチも刺繍は後半まで出来ている。

 わたしの言葉に嬉しそうにグルグルと音が鳴った。

 スリスリとグルグルの合わせ技なんてダメよ、かわい過ぎるわ! このまま首に抱き付いて鬣に顔を埋めたい! でもさすがに婚姻前でそれははしたないかしら? 早く結婚したいわ!!

 ライリー様の腕の力が緩んだので名残惜しいけれど体を離す。



「汚れを落としてきます。エディスはもう夕食を食べましたか?」

「ええ、でもまだ少し入りますわ」



 気もそぞろに食べていたからか、あまり食べた感じがせず、まだいくらかは入りそうだった。

 ライリー様が嬉しそうに頷いた。



「そうですか。では居間に私の分の夕食と、エディスでもつまめそうな果物を持ってきてもらって一緒に食べましょう」



 その誘いに満面の笑みになる。



「まあ嬉しい! お待ちしておりますので、ゆっくり体を癒してからいらしてくださいましね」



 一緒に、という気遣いが嬉しかった。

 でも急かしたくなくて、そう声をかけてから先に居間へ向かうことにした。

 離れたくないけれどライリー様も汚れを落として着替えないと一息吐けないものね。

 先ほどまでいた居間に戻り、待っている間に刺繍をやろうと仕舞ったものを取り出してチクチクと刺していく。

 わたしのものは結婚してからイニシャルを入れるつもりだから、先にライリー様のハンカチを全て作ってしまおうと考えている。

 集中して刺繍をしていれば扉を叩く音がした。

 顔を上げればライリー様が室内へ入ってくる。

 わたしの横にそっと腰を落とし、手元を覗き込んで、嬉しそうにつぶらな瞳を細めた。



「もう作ってくれていたんですね」



 よほどハンカチが嬉しかったみたい。

 一旦手を止めてライリー様の頬を撫でる。



「ええ、ライリー様がお使いになられるハンカチ全てに刺繍を入れられたらいいなと思いましたの」

「それは嬉しいですが、大変ではありませんか?」

「簡単ではありませんわね。でも結婚したらそれは妻の務めの一つですもの。それにわたしが贈れる物はこれくらいしかございませんから」

「……妻」



 照れたのか尻尾が落ち着きなく揺れている。

 尻尾は触ってはいけないわよね。

 でも左右にゆらゆらと揺れる様子を見ていると触れたくて仕方がない。あの先のふさふわの部分に頬擦りしたいわ。あの尻尾かわいいんだもの。

 それにしても妻と聞いて拒絶されなかったことに内心で安堵した。

 嫌われてはいないと分かっていたけれども、妻として受け入れられるかはまた別の問題だわ。

 年齢的にもちょっと離れているし、今は伯爵家の養子になれたが英雄の妻として色々足りない自覚もある。



「あら、結婚してくださらないの?」



 あえて聞き返せばライリー様が首を振った。



「いいえ、その、エディスの気持ちはとても嬉しいです。ただ、それ以上に気恥ずかしくて……」



 ええ、尻尾を見ればよく分かりますわ。



「ライリー様は照れ屋さんですのね」

「そうかもしれません」



 恥ずかしがってライリー様が後頭部を掻く。

 丸いお耳がピクピクと忙しなく動いてるわ。尻尾も。もし毛皮がなかったらきっとお顔は真っ赤ね。本当にかわいい人。

 傷跡の残る頬を撫でて宥めつつ、ニコニコと笑みが漏れてしまう。



「でもしばらくは婚約者という立場を楽しみたいですわ。ライリー様とはゆっくり愛を育みたいの」



 愛、と言えばぶわっと毛並みが膨らんだ。

 まあ、この毛並みって膨らむの? 驚いた時や怒った時も、もしかして逆立つのかしら?



「……降参です、それ以上は……」



 掠れた低い声にニコリと微笑む。



「分かりました、今日はもう自重しますわ」

「私の心臓のためにもそうしていただけたら助かります……」

「でもそのうちに英雄の妻としての心得を教えてくださいましね」



 そう言えば今度こそライリー様は黙ってしまった。

 やっぱりかわいい人ね。

 ライリー様が落ち着くまで鬣を撫でながら、わたしは充実感と幸福感でいっぱいだった。





 

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