寝取られ令嬢は英雄を愛でることにした
魔獣討伐(1)
それは突然の報せだった。
ベントリー家に出掛ける日を指折り数えて二日目。
昼食よりも少し早い時間の出来事だ。
居間で刺繍をしていたわたしに「お嬢様」とオーウェルが声をかけてきた。
その手には一通の手紙が載った銀盆が持たれている。
「どうかしましたか?」
丁度終えたところだった刺繍糸を切って問いかける。
「旦那様よりお嬢様宛てにお手紙が届いております」
「まあ、ライリー様が?」
差し出された銀盆から手紙とペーパーナイフを受け取り、封を切って、中に入っていた便箋を開けて素早く目を通して読む。
そこには王都近郊で魔獣が発生したので急遽討伐に向かう。そのため帰りが遅くなる旨と、自分のことは待たずに先に休んでいてほしいといった内容であった。魔獣の種類を思うに遅くとも日付が変わるまでには帰れるだろうとの言葉も添えてある。
「ライリー様は魔獣討伐で帰宅が遅くなるそうです。それでも日付が変わる前には戻れるだろう、とのことですわ。こういう時、オーウェル達はどうしているのかしら?」
ライリー様は英雄と呼ばれるほどにお強い方だ。
でも何事にも予測不能の事態というものがあるから安心は出来ない。
不安な気持ちを押し隠して聞けば、オーウェルは穏やかに微笑んだ。
「私共はいつも通りに過ごして旦那様をお待ちしております。旦那様が憂いなく戦えるよう、私共は恙無く屋敷を整え、帰宅される旦那様をお迎えするのでございます」
そこにはライリー様への絶対的な信頼が感じられた。
自分達の主人は必ずや屋敷へ戻って来る。だから自分達は主人が何の心配もなく戦場に立ち、戻って来れるように、自身の仕事をこなして帰りを待つのだろう。
「分かりましたわ。英雄と呼ばれる方の婚約者に恥じぬよう、無様な姿を晒すのはライリー様の評価も下げてしまいますものね。あの方は強く、優しく、勇敢な方です。どのような時でも勝利を信じて待ちましょう」
勝利を信じ、無事を願い、そうして帰宅されたら労いを込めて抱き締めたい。
そのためにもわたしは極力心を乱してはならないわね。
英雄の婚約者が怯えたり不安がったりするのは印象が良くないもの。
婚約者を信じて堂々と過ごしていればいいのだわ。
だけどこれだけはお願いしようかしら。
リタに頼んで部屋からメッセージカードを持って来てもらう。
その場ですぐにメッセージカードに一言認め、今出来上がったばかりのハンカチと共にオーウェルに渡す。
「こちらをライリー様に」
それにオーウェルは笑みを深めて一つ頷いた。
「さすがお嬢様。きっと旦那様も心強く思われるでしょう」
恭しく受け取ったハンカチとメッセージカードを持ってオーウェルは居間を出て行く。
その背を見送り、小さく息を吐く。
英雄だろうが、獅子の魔獣の呪いで強かろうが関係ない。
大切な人が危険な戦いに行くのを笑顔で送らなければならないなんて。
オーウェルに渡したハンカチにはライリー様のイニシャルと、菫の花を背負った獅子の横顔が刺繍されている。獅子を刺繍するのは初めてだったから少し手こずって時間がかかってしまったが、何とか見れる形になったし、間に合って良かった。
メッセージカードを読んでくれればきっとわたしの気持ちは届くはずだ。
「お嬢様、心を落ち着けるハーブティーはいかがですか? 甘いクッキーと一緒に食べるとさっぱりしてとても美味しいですよ。昼食の前なので沢山はお出し出来ませんけどね」
リタの気遣いにわたしは頷き返す。
「そうね、それをお願い」
窓の外は気持ちがいいくらいによく晴れている。
大丈夫、ライリー様は必ず帰ってきてくださるわ。
* * * * *
王都の東門の側で魔獣が出たと報告が上がって来た。
魔獣はわりとよく出てくるシルバーウルフらしい。種類で言えばさほど強くはないが、シルバーウルフは大抵群れで発生するので、最低でも数匹、最悪数十匹単位だ。強くはないが数の暴力はある。
自分も呼ばれるだろうと見当をつけて手早くエディスへ手紙を書いて送った。
魔獣が出たことと、帰りは遅くなること、気にせず先に休むようにと記し、最後に少し考えて遅くとも日付が変わるまでには帰宅出来るだろうことを添えておいた。
後から上がって来た報告ではシルバーウルフは十数匹程度だとされた。
それくらいならばショーン殿下が出るほどではないだろう。
魔獣討伐によく参加する部下を幾人か連れて行けば事足りるか。
斥候隊の報告書を読みながら頭の中で数人の名前を挙げ、それらを書類に書いて部下に渡す。
「彼らを呼んでくれ。恐らく本人達も準備はしているだろう。支度が済み次第、即座に出る」
「了解しました」
机の向こうに立っていた部下に書類を渡す。
それぞれに選抜命令が出され、戦いのための身支度を整える。
全員騎士であり、いつでも戦える用意はしているため、支度にそう時間はかからない。
かく言う俺もそうだ。この強靭な獅子の体と剣さえあれば良い。
室内に残る部下に残りの書類を任せて部屋を出る。
向かう先は城の東門だ。そこから馬に乗って行く。
普段と変わらない恰好でそこへ行けば大半の者が揃っていた。残りは数名か、それもそう待たずに現れるだろう。この面子ならば上手くいけば月が天上に届くよりも早く帰れるかもしれない。
シルバーウルフは一匹残らず狩らねば数を増やされる。
いまだに魔獣の発生条件は不明だが、現れる以上は討伐しなければ旅人や国民が危険な目に遭ってしまう。
「ウィンターズ様! ライリー=ウィンターズ様!」
そう俺の名を呼びながら駆けて来たのは新人らしき若い騎士だった。
「何だ」
よほど急いで来たのか息を荒くした騎士が駆け寄ってくる。
この姿を見ても怯えないとは肝が据わっている。
騎士は持っていた包みを俺へ差し出した。
「エディス=ベントリー伯爵令嬢からの、急ぎの品です!」
それを受け取り、小さな包みの封を開ける。
中には真っ白なハンカチとメッセージカードが一枚入っていた。
ハンカチには赤に金縁で俺のイニシャルと、菫の花を背負った凛々しい顔を横に向けた金色の獅子が刺繍されている。思わずまじまじと眺めてしまった。彼女には俺がこう見えているのだろうか。
もう一つのメッセージカードには一言書かれていた。
「心は常にあなたと共に、か。お熱いことで」
横から覗き込んできた男がヒュ~ッと口笛を吹いて囃す。
「やめろ、勝手に読むな」
その視線から隠すように身を引けば男が面白そうに笑う。
男は鮮やかな金髪に溶けるような金の瞳の、整った顔立ちだがどこか軽薄そうな雰囲気を持つ。
何故、こんな男が近衛騎士になれたのか疑問である。
「いいじゃねえか、やっと決まった婚約者なのに全然紹介してくれないのが悪い。弟の婚約者ってのは未来の俺の義妹でもあるってのに。ショーン殿下から連絡が来た時は冗談かと思ったんだぜ?」
「サディアス兄上は絶対に大騒ぎするだろう。それに口も悪い。エディスには少し刺激が強い」
「へえ、もう名前を呼び捨てするくらい仲良くなってんのか」
そう、何を隠そうその男はライリーの二つ年上の兄である。
二人いる兄のうちの一人。サディアス=ウィンターズ。次男坊で、代々騎士を輩出してきた家にありがちな、少々子供の教育に厳しい家に生まれ育ったというのに、全く以って騎士らしくない。長男と三男のライリーとは違い気ままな節が強い。父ですら頭の上がらない母が長年手を焼いた曲者だ。
当の本人はいくら説教されてもどこ吹く風といった様子で気にしていない。
こんな男だが剣の腕は確かで、獅子の呪いを受ける前は一度も勝てたことがなかった。
獅子の呪いにより体が強化されて以降は勝てるようになったが、それは呪いありきの話で、もしもライリーが獅子の呪いを受けずに死んでいたとしたら英雄と呼ばれていたのは長兄かこの次兄であっただろう。
ウィンターズ家の三兄弟は騎士の間では有名だ。
力で強い長男、技で強い次男、そして獅子の呪いを受けた三男。
「俺のことはともかく、そっちは大丈夫なのか。この間も大喧嘩していただろう」
この次兄、実は既に結婚している妻帯者なのだ。
それも相手は同じ騎士だ。女性の近衛騎士で、大変に気の強い女性だが、それくらいでないとこの次兄と結婚して付き合っていくことは出来ない。しかも喧嘩だと手が出るタイプの女性だ。
初めて次兄の頬に真っ赤な掌の跡を見た時は何が起きたのかと思った。
避けようと思えば避けれるはずなのに、次兄はいつも甘んじてそれを受けている。
しかし暴力を振るわれて喜ぶような性質ではない。
むしろ、やられたら全力でやり返すような男だ。
そんな次兄が受け入れているという状況にも驚いたが、それだけ相手の女性を気に入っているということでもあり、よく喧嘩をしているが何だかんだ言って夫婦仲は悪くないようだ。不思議である。
ちなみに長兄は国王陛下の、次兄は王太子殿下の近衛を務めている。
何故かこの癖者は王太子殿下に気に入られているそうだ。
「ああ、あれはいいんだよ。俺達なりの付き合い方というか、仲の深め方みたいなもんだから。よく『喧嘩するほど何とやら』って言うだろ。でも普段はキリッとしてるのに小動物みたいに怒って威嚇するところが可愛くてさ、つい怒らせたくなるんだよなあ」
「……そのうち嫌われるぞ」
「かもなあ。でも俺は好きだし。嫌われたら、それはそれで面白そうだけどな」
「……」
愛の形は人それぞれというが、この次兄に関しては歪んでいると思う。
だが他所の夫婦の関係に首を突っ込むのも考えもので、結局、ライリーはこの件にはあまり触れないことにしている。
長兄の夫婦はなかなかのおしどり夫婦だからこそ、少しは上の兄を見習ってほしいものだが。
これでも一応は家族思いな男ではあるのだ。
やや屈折した愛情表現なだけで。
「隊長、全員集まりました!」
部下の声に振り返って人数を確認する。
確かに全員揃ったようだ。
持っていたメッセージカードとハンカチを包みに戻し、邪魔にならないポケットへ仕舞う。
時間的にどこかへ置いていく暇はない。
「よろしい! では任務を遂行するぞ!!」
威勢の良い声が返ってくる。
用意された馬に跨った。
ライリーの馬だけは群を抜いて大きく、そして体や脚ががっしりと太い。気性が荒過ぎて誰にも扱えなかった馬をライリーが引き取り、当初は獅子の威圧で従え、五年かけて信頼関係を築いた戦場での相棒である。
ただ気性の荒さは変わっておらず、主人であるライリーと世話を焼く数人にしか自身を触らせない。
前回の魔獣討伐より二週間ほど間が空いたからか、久しぶりに戦いの気配を感じて少し興奮している風だった。
その首元を軽く撫でて落ち着ける。
「今回も頼むぞ」
言葉を解したように馬は首を振った。
東門が開く前にラッパの音が響く。
それは独特な間をもって繰り返された。
今回のラッパの音は東門から魔獣討伐の騎士達が出る合図である。ここから外周壁の東門までの大通りを馬が駆ける。それを住民に報せる音だ。
住民はこの音を聞き、道沿いにいる者は端に寄るか建物の中へ入り、進路を開ける。
一定の間隔にある騎士の詰め所にはラッパ持ちがおり、それが聞こえた音を繰り返し、次の詰め所の者が聞いて、といった感じに繋げていく。これはやがて王都全体へ広がり、魔獣の出現と討伐を住民は知ることとなる。
ラッパの音に馬が小さく足踏みをする。
そして門が開いた。
「行くぞ!」
走り出したライリーの馬を先頭に、何頭もの馬が後を追う。次兄のサディアスも混じっていた。
疾走する馬の集団は真っ直ぐに東門へ向かっていった。
外周壁の東門へライリー達が近付くと重い鉄柵の扉が開く。まだ完全に開き切らぬうちに隙間を抜けて馬達が飛び出していく。
それらは綺麗に列を成し、先頭の一頭を追って道を駆け抜けていく。その様は一種の美しささえあった。
馬の集団は二時間の道のりを休まず駆けた。
そうしてシルバーウルフの目撃地付近になると、警戒した様子で速度を落とす。
「この辺りか……」
ゆっくりと速度を落として隊列を止める。
ライリーは馬から降りると手綱を手放した。
賢いその馬はそこに留まったまま動かない。
何度も共に魔獣と戦ったおかげか、騎士達の乗る馬は他所の馬と違い怯えが少ない。
残しておいて魔獣に襲われても自力で逃げ出せる。
ライリーの馬は気性が荒いので応戦するかもしれない。獅子の呪いを受けた男を乗せるような馬だ。外見だけでなく中身も強者であった。
「気を抜くな、各自警戒しながら散開せよ!」
「了解!!」騎士達が互いに開け過ぎないように距離を保ちつつ、広がっていく。
木々の合間は視界も悪く、そのような場所にシルバーウルフ達は身を隠す習性があり、一匹ではなく複数匹で襲いかかってくるのだ。
がさりと奥の茂みが揺れる。
一気に空気が張り詰める。
「来たぞ! シルバーウルフだ!!」
最も近い位置にいた騎士が声を張り上げる。
ほぼ同時に周囲の茂みから一斉に銀灰色の毛並みを持つ狼達が躍り出てくる。
ライリーにも果敢に立ち向かう狼がいた。
鋭く強靭な牙と顎で噛みつこうとしたものの、ライリーはそれを避けずに剣を一閃した。
たったその一閃で狼の体は真っ二つに断ち切れた。
更に襲いかかる狼の爪を剣で弾き、空いた胴に拳を叩き込んだ。獅子の呪いを受けて強化された肉体が全力で殴ったのだ。殴られた狼が甲高い悲鳴を上げ、地面を二度跳ねて転がる。
次の狼をライリーは迷わず蹴飛ばした。
足に骨の折れる感触がする。
そのまま近くの木の幹へ叩きつけた。
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