寝取られ令嬢は英雄を愛でることにした
朝の時間と贈り物
ぱちりと目が覚める。
ベッドの上で起き上がれば室内はまだ暗い。
何時かしらと時計を見れば朝の五時を少し回ったところだった。
昨日は買い物から帰ってきて、なんだかとても疲れてしまって先に夕食を摂って休もうと思っていたら、いつの間にかライリー様が帰宅されていて、部屋まで様子を見に来てくださったのよね。
……わたし、もっと自分は強いと思っていたのに。
記憶を思い出す前のわたしは異母妹をとても怖がっていた。
だからなのか昨日の再会で思っていたよりも精神的に疲れてしまったのだ。
ライリー様がわたしを心配してくれたのは嬉しかった。今まではわたしの方から手に触れていたけれど、昨夜はライリー様の方からわたしに触れた。
我が儘を受け入れてくれて、抱き着いても黙って抱き返してくれた。
しかもあの大きな手で頭も撫でてもらえた。
「やだ、思い出したら恥ずかしくなってきたわ……」
抱き着くのはやり過ぎたかしら。
でも、あの時はそうしたかったのだもの。
嫌がられなかったのだし、少しは期待してもいいわよね?
熱くなった顔を冷やしたくて窓辺に寄る。カーテンの隙間から覗くと外は薄暗い。音を立てないようにゆっくりと窓を開ければ少しひんやりとした空気が流れ込んでくる。
……また抱き着きたいわ。それに抱き締めてほしい。
あのがっしりと大きな体で、長く太い腕で、壊れ物に触れるようにそっと抱き締められた。
その時の安心感と喜びと羞恥心がとても心地好かった。
「…………あら?」
どうしたらまた抱き着けるか考えながら窓の外を眺めていると、視界の端に大きな人影が見えた。
窓枠についていた頬杖をやめてきちんと見れば、その人影は裏庭の方へ消えていく。
「ライリー様? こんな早くにどこへ行くのかしら?」
何となく気になってしまい、窓を閉めるとブランケットを羽織って部屋を出る。
廊下は暗く、窓の外から差し込む明かりを頼りに裏庭へ向かう。
まだお屋敷に来て数日だけれど、毎日暇に飽かしてはあちこち見て回っているおかげか、このお屋敷の中は大分頭に入っている。裏庭へ抜ける道も知っていた。
そっと鍵を開けて裏庭へ続く扉を開けて外に出る。
先ほど見かけたライリー様の向かっただろう方向に見当をつけて歩いていく。
すると道の先に開けた場所があり、ライリー様はそこにいた。
獅子の顔が真っ直ぐに自身の正面へ向けられ、構えた腕の先には剣が握られており、それを何度も繰り返し上から下へ振り下ろす。腕を振る度に小さく聞えるのは振った回数だろうか。振る度に一歩前に出ては、下がり、また構え直して腕を振ると言う動作が続く。
鍛錬していらっしゃるのだわ。こんな朝早くから。
振る腕は早いのに、上半身はブレず、下半身はしっかりと地を踏み締めて体を支える。
……それにしても素晴らしい体付きね。
剣の鍛錬をしているライリー様は上半身に何も纏っていない。
大きな体には黄金色の毛並みが生えていた。背中の方は黄金色だが若干黒い毛が混じっているらしい。肩甲骨の辺りまでふさふさの毛で覆われており、そこからの毛並みは薄めだが、胸元から腹部にかけてはほんのりと白く、ズボンの後ろから出ている尻尾は先にだけ黒みがかった黄金色の毛が生えている。
剣を振るとバランスを取るためか尻尾も動く。
下向きの尻尾が少し曲がっている。
腕を下ろすとそれが少しだけ上がる。
腕を上げるとそれが少し下がる。
…………しっぽ、かわいい。
立ち止まってジッと剣を振る姿を眺め見た。
何度か剣を振ったライリー様が不意にこちらへ顔を向けた。
「おはようございます、エディス。早いですね」
まるで最初からここにわたしがいると分かっていたかのようだった。
驚いた様子のないことに、わたしの方が驚いてしまう。
「おはようございます。……ごめんなさい、お邪魔かしら?」
「いえ、そんなことはありませんよ」
ライリー様は恐らく苦笑して、わたしを手招く。
それに釣られて寄っていくと持っていた剣を地面に刺したライリー様がわたしの手を引き、近くのベンチへ誘導される。そこには多分ライリー様が脱いだだろう服が雑にかけられていた。
わたしから手を離し、シャツをベンチの上に広げると、そこへストンと座らせられる。
「え、いけません、ライリー様のお洋服が汚れてしまいます……!」
慌てて立ち上がろうとしたが肩に置かれた手のせいか全く動けない。
「構いません。それよりも見ていたいのであれば、ここに座っていてください。視界の端にいられるとそちらの方が気になってしまうので」
「ごめんなさい……」
「怒っているわけではありませんよ。見られるのには慣れています。ただこっそり見られるよりかは堂々と見られている方が私の気分が楽なんです」
肩に置かれていた手が離れて脇にあった上着を掴み、そっと肩にそれがかけられる。
顔を上げれば獅子の顔が静かにわたしを見下ろしていた。
「ではもう少しだけ見ていてもいいですか?」
つぶらな瞳が細まり、ぐるぐると楽しげに小さな唸りが聞えた。
「ええ、もちろん。ですが侍女が起こしに来る前には部屋に戻ってくださいね」
「分かりました」
よく出来ましたとでも言いたげに頭を撫でられる。
そうしてライリー様は元の位置へ戻り、地面から剣を引き抜くと鍛錬を始めた。
……はあ、なんて素敵なの。まさに獣人そのものだわ。
昨夜は服の上から抱き着いたけれど、直に抱き着いたらどんな触り心地かしら。
とても気になるが、婚約したばかりの淑女が婚約者とは言えど上半身裸の男性に抱き着くなんて許されないわよね。でも毛並みがあるからセーフ? 毛並みは衣類に含まれないかしらね。
表面上はニコニコと笑みを浮かべつつ、内心でそんなことを考えてしまう。
ああ、早く結婚したいわ。結婚したら直に抱き着いたって許されるもの。さすがに人目を憚らずするわけにはいかないものの、人目がなければ夫婦だからきっと許されるわ。
薄っすらと辺りが明るくなるまでライリー様の鍛錬を見学させてもらう。
最後まで見たかったが「そろそろ時間ですよ」と言われてしまえば部屋に戻るしかない。
それでもこっそり部屋の前まで送ってくださった。
「それでは後ほど朝食の席でお会いしましょう」
そう言ってライリー様も自室へ戻って行く。
肩に羽織ったままのライリー様の上着から、ほのかに良い匂いがする。
なんだか抱き締められているみたいで少しだけ気恥ずかしくなった。
* * * * *
朝食後にライリー様が出仕するのを見送り、一息吐く。
わたし宛てに届いた手紙があり、エルランド服飾店のアイーダさんからだった。
普段着のドレスが出来上がったので何時頃届ければ良いかというお伺いの内容に、わたしは買ったばかりの便箋に早く受け取りたいのでアイーダさんの都合さえ良ければ何時でも良いと返事を書いてリタに頼む。
リタは「すぐに届けさせます」と言って手紙を持って行った。
午前中は刺繍をして過ごすことにした。
そして昼食前に返事が来た。ウィンターズ家のボーイに手紙を届けさせたらしい。アイーダさんもすぐに返事を書いたのだろう。開いた手紙からは乾き切っていないインクの匂いがした。
午後に伺う、という返事をリタとユナに告げればオーウェルに話を通しておいてくれた。
昼食をゆっくり食べてのんびりしているうちに、アイーダさんが来て、呼びに来たオーウェルとリタとユナの四人で広い応接室へ向かう。
アイーダさんは相変わらず数人のお針子を連れており、前回と同様に挨拶をしてくれて、オーウェルが部屋を出て行くと女性同士の穏やかな空気が部屋を満たす。
「お待たせ致しました。こちらがご注文のドレスになります」
箱のフタを開けてアイーダさんがドレスをわたしへ見せた。
立ち上がり、ドレスを箱から取り出して体に当てて振り向く。
「リタ、ユナ、どうかしら?」
二人は笑顔で「とてもよくお似合いです」と言う。
最後の確認のためにドレスは全て試着した。わたしは体重をもっと増やす予定なので、それを考慮してドレスは微調整が出来るようにしてくれたらしい。
体のサイズが変わったら呼んでほしいと言われる。
「その時は即座に駆け付けてお直し致します」
それから夜会などに着る方のドレスは後もう数日かかるようだ。
今のところはどこかの夜会やお茶会に出る予定もないので楽しみに待つことにした。
新しいドレスは嬉しい。だけど、ドレスって本来はこんなに重かったのね。今までの地味なドレスはフリルやレースなどが最低限にしかなかったが、新しいドレスはフリルやレースだけでなく小さなビーズなども縫い付けられていてなかなかに重い。
靴はわたし自身が長身なのでどれも踵の低いものにしてもらった。
最後に小さな箱をいくつも差し出されて小首を傾げてしまう。
「あの、こちらは……?」
アイーダさんがニコと口角を引き上げる。
「どうぞ、開けてみてくださいませ」
促されて箱の一つを手に取って開ける。
中には金のネックレスが収められていた。ネックレスには一定間隔で紫色の小粒の宝石がついており、トップには涙型をしたやや大振りの同色の宝石が輝いている。
顔を上げればアイーダさんがほほほと笑った。
「ウィンターズ様よりご注文いただいた装飾品ですわ。他はドレスに合うものを僭越ながら私が選ばせていただきましたが、そちらのネックレスと揃いのピアスはウィンターズ様が選んだものでございます」
ユナが箱から取り出したネックレスをつけてくれる。
リタが大きめの手鏡でわたしを映してくれた。
わたしのプラチナブロンドと菫色の瞳にこのネックレスはよく合っていた。それに金というのがライリー様の黄金色の毛並みを思い起こさせる。そこにわたしの瞳の色が寄り添っている風で嬉しくなる。
瞬きをすると涙が滲んで零れ落ちそうになった。
父にも、元婚約者にも、装飾品を贈ってもらったことがなかった。
新しいドレスだって母が死んで以来十年ぶりだった。
わたしだけの侍女がついたのも、質素じゃない美味しい料理を食べたのも、街へ買い物に出掛けるのも、護衛がつくのも、異性に頭を撫でられたのも、抱き締められたのも、上着を貸してもらったのも。
ライリー様と婚約してからは『初めて』のことばかりだ。
「ありがとうございます。……一生、大事にしますわ」
「お嬢様、それはウィンターズ様に」
「ええ、そうね、ライリー様がお戻りになられたら一番にお礼を言うわ」
アイーダさんの言葉に何度も頷き返す。
出来上がったドレスはメイド達が衣装部屋へ運んでくれた。
でもライリー様が帰ってきた時に買ってもらったドレスでお出迎えがしたい。
そうリタとユナに言うと二人はとてもいい笑顔で同意してくれた。
「それは良いお考えですね」
「では今から準備を致しましょう」
「ええ、今からって……。まだ日も沈んでいないわよ?」
「いいえ、今から始めませんと間に合いませんわ」
今から、という言葉に驚くわたしを余所にユナがはっきりと首を振る。
二人に促されて自室に戻ると浴室のバスタブに湯が張られる。その間にわたしはお肌に良いと言われるハーブティーを出されて飲んだ。お湯が溜まるとすぐに浴室へ連れて行かれて、わたしは二人に全身を磨かれた。髪だって、いつも丁寧に洗ってくれるけど、今日はいつもより更に丁寧だった。
そして特にマッサージは今までで一番痛かった。
でも終わるとビックリするほど体が軽くなり、肌もつやつやだ。
マッサージをしながら塗り込まれた香油のおかげでいい香りもする。
顔だって首まで化粧水などを何度も塗られて色がまた一段明るくなった気がする。
その後は寝室に移動して、レモン水を飲んでいる間に二人がかりでわたしの髪を櫛で丁寧に梳く。何度も何度も繰り返し梳くことで髪に艶が出るそうだ。髪は左耳の後ろの髪を少しだけ使って三つ編みをつくり、それで前髪の後ろ辺りをぐるっと覆って右耳の下までいってピンで留めてある。
未婚の女性は髪を下ろして過ごすのだが、少しくらいこうやって編んだり上げたりするのはいいらしい。
ドレスは淡い菫色のものを選び、それに着替える。
でもお化粧はやっぱり薄め。アイラインと頬紅と口紅だけ。わたしは色が白いからあまり白粉をはたくと顔色が悪く見えてしまうらしい。むしろ今まで化粧をしてこなかったからか肌が綺麗だとリタとユナに褒められた。
二人がわたしの髪や肌のお手入れを丹念にしてくれるので、尚更綺麗になったのだと思う。
最後にライリー様が選んでくれたネックレスをつける。
ピアスは穴が開いていないので後日穴を開けてから、ということになった。
鏡の中には美しかった母にそっくりの儚げな美女がいる。
ライリー様がつけてくれた侍女によって整えられた髪や肌、ライリー様に贈っていただいたドレスや靴、ライリー様が選んでくださったネックレス。ライリー様の好む薄化粧。
今のわたしはライリー様のおかげで在るようなものね。
鏡の中にいるわたしが、その後ろにいるリタとユナが、満足そうに微笑む。
部屋の扉がノックされて、答えると、メイドがライリー様の帰宅を教えてくれた。
早くこの姿を見せたくてわたしはドレスの裾を持ち上げて早足で部屋を出る。
ホールまでの距離が今日はいつもより遠く感じた。
そして視界に映った黄金色の獅子へ迷わずに飛び込んだ。
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