寝取られ令嬢は英雄を愛でることにした
近付く距離
夕方になり、ライリー様の乗った馬車が帰ってくるのが窓の外に見えた。
わたしは慌ててソファーから立ち上がるとやりかけの刺繍をテーブルに放って、急いで玄関ホールへ向かう。少々はしたないがドレスの裾を持ち上げて駆け足で廊下を抜けた。
そうしてホール手前で止まって一度髪やドレスを整え、息を落ち着けてからホールへ足を踏み出す。
「ライリー様、おかえりなさいませ!」
声をかければオーウェルと話していたライリー様が振り向く。
「はい、今戻りました」
黄金色の鬣に純白に金糸の近衛の騎士服が大変似合っていた。
似合い過ぎて、見惚れてしまいそうになるのを何とか誤魔化した。
「今日はお早いですわね」
「あなたに話があったので。少しよろしいですか?」
「ええ、もちろん構いませんわ」
そう言葉を交わし、わたしは一足先に食堂へ向かい、ライリー様は着替えるために自室へ向かう。
出来ればあの騎士服姿を心行くまでじっくり眺めたいのだが、さすがにそれを口にしたら迷惑でしょうね。残念だわ。あの服の時はかっこよさが三割増しくらいで素敵なのに。
その後ろ姿が消えるまで見送り、ほうっと感嘆の息を漏らしてわたしも動き出す。
あのかっこよさの分かる誰かはいないものかしら。
このキュンとする気持ちを誰かと語り合いたいわ。
「……いえ、本人でもいいわよね?」
わたしの呟きにユナが「どうかなさいましたか?」と聞いて来たので「なんでもないわ」と答えて笑って誤魔化しておいた。
そうよ、ライリー様ご本人に言えばいいじゃない。
ライリー様は御自身の姿は恐ろしくて醜いものだと思っていらっしゃるのだから、わたしが積極的にそうではないと言い続ければ、ライリー様のお心も少しは軽くなるかもしれない。
既に出会った舞踏会の時にテラスで殿下を相手にやらかしてしまっているもの。
今更取り繕っても仕方ないわ。
食堂で席について待っていればライリー様がやって来る。
今日はどのように過ごしたのかを聞かれたので、お屋敷を見て回ったことと、仕立て屋に色々とお世話になったことを話した。ドレスなどのお金について感謝を述べると満足そうに一つ頷かれた。小さく機嫌が良さそうにぐるぐると唸る声がかわいかった。
話が一段落するとライリー様が口を開いた。
「先ほどの話ですが、エディスの養子先にベントリー伯爵家はどうかとショーン殿下より打診されました」
もう養子先を見つけたの。仕事が早いわね。
「伯爵家、ですか?」
しかも元の爵位より上の家柄とは驚きだ。
驚くわたしを余所にライリー様が頷く。
「殿下がおっしゃられるには『英雄の妻ならそれなりに爵位が上の方がいい』そうです。ベントリー伯爵家には子がおらず、遠戚の男児を既に養子として受け入れられて次期当主となる予定です。情の深い夫婦で養子の男児とも良好な関係を築いており、エディスと私の事情について説明した上でどうかと聞いたところ二つ返事で了承してくださったとのことです」
なるほど。後継者問題も解決している家で、しかも養子に対して寛容なのは素晴らしい。
婚約期間中もここで過ごすのであまり関わる機会は多くないかもしれないが、気の好い人達の方がわたしの精神的にも非常に助かる。それに伯爵家ならば子爵家よりも格上なのでアリンガム子爵が出しゃばる可能性も減る。
「ライリー様はどのようにお考えでしょうか?」
「私一個人としてはあなたの家格が高かろうと低かろうと気にしていません。けれど、家格が高いという点はあなたを守る盾の一つになるでしょう。……ベントリー家はオールドカースル家よりも家格は上ですから、元婚約者の家の方も大丈夫です。ベントリー卿とは何度か言葉を交わしたこともありますが、私にも好意的に接してくれましたね」
「ベントリー伯爵家の養子になりますわ」
即答したわたしに獅子の瞳が数度瞬いた。
驚くというより、キョトンとしてる感じだ。
つぶらな瞳がパチパチするのかわいい!
「簡単に決めますね」
どこか感心したような、呆れたような声音に堂々と頷いてみせる。
「ええ、ライリー様に良くしてくださる方なら信用できますわ」
「なるほど、確かに私のような者にも分け隔てなく接してくれる人は少ないですからね。指針の一つにはなるかもしれません。……それでは殿下にはこのまま話を進めていただくよう伝えておきましょう。そのうち顔合わせのために登城していただくことになりますが大丈夫ですか?」
「はい、問題ありませんわ。よろしくお願い致します」
食事を口にしながら考える。
伯爵家か。ショーン殿下もなかなかいいところを選ぶわね。
子爵家か男爵家を選ぶとアリンガム子爵家との間に軋轢が生まれやすく、家格上は同格だから揉め事が起こるかもしれない。ないとは思うけれどアリンガム子爵が突然わたしを返せと言い出したら面倒だ。
しかしだからといってあまり上の家格に養子に入ると、今度はわたしと他の高位貴族の御令嬢との間に問題が起きやすくなるだろう。誰だって自分の下にいた者がある日いきなり自分と同格になったら気に入らないものだ。
その点で言えば、一つ爵位が上がるくらいなら結婚などでよくあることなので摩擦が起き難い。
さっきも考えた通り伯爵家だから子爵家が口出しはしない。
しかもリチャードの生家オールドカースル家よりも上ならば尚更だ。
後ろ盾が決まってホッと内心で息を吐く。
これで安心して穏やかに過ごせそうだ。
食後は昨日と同じく、居間で食後のお茶を楽しみながら二人で雑談をすることにした。
そうは言っても近衛騎士のライリー様には仕事上話せないことも多くあるので、わたしが質問をして、答えられるものだけを話すといった感じであった。
それでも騎士の普段の様子について知ることが出来るのは面白いし、時折ライリー様の感じたことや考えていることが混じるので彼の普段も知れたようで嬉しい。
「そういえば、エディスは何かお好きなものはありますか?」
ふと思い出した風に聞かれて首を傾げてしまう。
「好きなもの?」
「同僚に『婚約者に何か贈り物はしたのか』と聞かれまして。しかし私はあなたが好きな花やお菓子を知りません。下手に贈るよりかはあなたの欲しいものを贈った方がいいかと思ったのです」
「まあ……!」
思わず両手を合わせてライリー様を見上げた。
ドレスを買っていただいたのに、更に贈り物だなんて!
もう、その気持ちだけで最高に嬉しいですわ!!
でもそれでは答えにならないわよね、と考えてピンと閃く。
「でしたらヌイグルミが欲しいのです。ライリー様にそっくりの、近衛騎士の服を着た黄金色の獅子のヌイグルミはきっと可愛くて素敵だわっ」
アリンガム子爵家ではヌイグルミなんて一度ももらったことがない。
だから少し可愛いヌイグルミに憧れもある。
「そんなもので良いのですか?」
今度はライリー様が首を傾げた。
こてん、と横に傾げる仕草が幼くてかわいい。
もう一回やって欲しいくらいにかわいい。
「それがいいのです! ふわふわサラサラの鬣につぶらな瞳、近衛騎士の真っ白な服に黄金色の鬣がよく映えて、深紅のマントを羽織った姿はとてもかっこいいんですもの!! 今のような寛いだ姿もしなやかな色気でドキリとしてしまいますが。……近衛騎士の服の時なんてあまりにも素敵でわたし、つい見惚れてしまいそうになるのです」
騎士服姿を思い出してうっとりする。
動きやすさを重視した騎士服は体に沿っているのでライリー様のがっしりとした体格が服の上からでもよく分かるし、金糸が毛色と合っているお蔭で真っ白な服が変に浮かず、深紅のマントと革のベルトが差し色となって更にかっこいいのだ。あの首から手首、足首まできっちり詰まってるのがいい。前のわたしが生きていた世界にあったスーツと同じで露出が最低限だからこその色気がある。
しかも帯剣してる。そこ重要なポイントよ。
いくらかっこいい騎士服でも手ぶらだったらかっこよさは半減だわ。
帯剣までして、騎士服は完成に至るのだもの。
ライリー様が苦笑した。
「あなたは本当に変わっていますね。この醜い姿が良いだなんて」
「いけませんわ、ライリー様。あなたは醜くなどありません。獅子のお顔は男性的で凛々しくて、大きな体は包容力があって、毛並みは黄金のように輝いていて、瞳と耳はまあるくてお可愛らしいのです。とてもお強くて、けれど紳士的な素敵な殿方ですわ」
「……不思議ですね。あなたに言われると本当にそのような気がしてきてしまいます」
「あら、その通りですのよ?」
ライリー様の隣に移動して、膝の上にある手に触れると、一瞬ピクリとそれが揺れた。
でも気にせずその手を持ち上げてわたしの膝に乗せて両手で包む。
「毛並みはサラサラですのね。手の平も大きくて素敵。でも手が大きいのは男性ならみんなそうでしょう? 爪だって人間と同じ場所にあって、触れれば温かい」
何も言わないのでそのまま大きな手を動かしてわたしの頬に触れさせる。
ライリー様がハッと息を呑んだけれど気にしない。
サラサラの心地好い毛並みが頬に触れる。
「ほら、ライリー様の手はわたしを傷付けませんわ。だから怖くないの。王族の方々を、王都に住むわたし達を守ってくださる優しい手ですわよ。そんな手の持ち主が醜いなんてありえませんわ」
大きな手を頬に押し当てる。
温かくて、毛並みはサラサラで、香油なのかほんのりいい匂いがする。
ああ、なんて素敵な手なの。男らしく大きくて骨ばっていて、剣を扱うためか手の平は毛並みがあまりなくて出ている肌は黒くて硬く、指は長く、鋭い黒い爪はよく見ると丁寧に長さも先端も整えられている。
手の甲の毛並みですらこんなにサラサラなんだもの。あの鬣はどんな手触りなのかしら。
想像するだけで笑み零れてしまう。
「あなたは……」
ぽつりと聞こえた声に視線を上げるとつぶらな瞳と目が合う。
だが、それはすぐに空いたもう片方の手で覆い隠された。
「……あなたは、得難い人だ……」
やや掠れた声で言われてにこりと微笑む。
触れている手の温度が上がっていた。
やだ、かわいい。照れてるのかしら。大柄な男性が、獅子の獣人が、わたしみたいな年下の女の子に褒められて照れちゃうなんて、凄くかわいい。照れてるのに手を動かすのが怖くて片手はわたしに預けたままで、でもせめて少しでも隠そうともう片手で目元を覆ってるのね。最高だわ。
「わたしにとってはライリー様がそうですのよ?」
この世界に獣人はいない。いるのは呪いを受けたライリー様だけ。
得難いのはわたしにとっても同じだわ。
「降参します。……私はあなたに勝てそうもない」
「あら、英雄と名高いライリー様に勝てるだなんて嬉しいわ」
相変わらずライリー様の手を頬に当てたまま笑う。
するとライリー様も笑い返してくれた。
獅子のお顔で笑うと野性味があふれてかっこいいわね。
「そうだわ、勝った者には褒美が必要だと思いませんか?」
獅子の顔を見てそう言えば、また小首を傾げられた。
それやっぱりかわいい!
「褒美? 何が欲しいのですか?」
わたしは笑みを深めて答える。
「鬣を触らせてくださいませ」
ライリー様がピタリと固まる。
ジッと見つめればつぶらな瞳が一度逸らされ、戻って来る。
「…………すみません、まだ心の準備が出来ていないので」
「それは残念ですね。では、いつか触らせてくださいね」
「ええ、まあ、そのうち……」
どことなく歯切れの悪いライリー様につい吹き出してしまった。
まるで悪戯が見つかった子供のようなんですもの。
かっこいいのにかわいいだなんてやっぱり最高ですわ。
それにライリー様との距離が少し近付いた気がする。
その後もしばらくわたしはライリー様の手を借りて過ごした。
後日、わたしの注文した通り、細部まで本物そっくりな近衛騎士の衣装を身に纏った黄金色の毛並みの獅子の可愛らしいヌイグルミを手渡されて大いに喜んだのは言うまでもない。
ライリー様ヌイグルミは部屋に飾ってあり、婚姻するまで毎朝その鬣を櫛で梳くのが日課になった。
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