寝取られ令嬢は英雄を愛でることにした
解放
わたしは一度荷物を取りにアリンガム子爵家に戻ることになった。
ただし、馬車はウィンターズ様が用意してくれたもので、それに荷物を積んだらそのままウィンターズ様の住むお屋敷に直行するらしい。メイドを二人ほど付けてくれたのも助かる。この二人のメイドはウィンターズ様の下で過ごすわたし付きの侍女になるそうだ。
新しい生活は今よりもずっといいものだろう。想像するだけで楽しみね。
子爵家に着き、メイド二人に別邸を案内すると呆然とした顔をされた。
そうよね、そこそこお金持ちの子爵家の御令嬢が住むには少々古くて狭いから驚くのも無理ないわ。
持って行くものと言っても古着のドレスや普段着、下着や寝間着、靴などで、食器類といった日用品はウィンターズ様が御用意してくださるから要らないそうだ。別邸にあるのはボロボロで持っていてもゴミになるだけだ。特に愛着もない。
装飾品は、昔は母の形見もあったが全て異母妹に取り上げられた。
あれらは全て売り払われるか壊されるかしたのでもう手元にはない。
あまりにも少ない荷物とその中身を三人で纏めるとあっという間に終わる。
少し騒がしくしたからか本邸の方から一人のメイドが様子を見に来た。今朝、わたしを呼びに来たメイドで、やはり名前は全く思い出せなかった。
「何をなさっているのですか?!」
別邸の前に積まれたわたしの少ない私物を見て目を丸くした。
「何って、引っ越しの準備よ。わたしは今日限りでアリンガム子爵家を出るの。もう二度とこの家には帰らないので他の使用人にもそう伝えてちょうだいな」
「出るって……。一体、どちらへ?」
「『英雄獅子』ライリー=ウィンターズ様のお屋敷よ。わたし、ウィンターズ様と婚約して今日からはそちらでお世話になることに決まったの。ああ、なんて今日は幸せな日かしら!」
好きな人と婚約出来て、その人の家に住まわせてもらうことになるなんて早々ないことだ。
貴族の令嬢に生まれたのだから政略結婚も仕方がないと思っていたけれど、自分の望む相手と婚約だなんて夢のようね。
うっとりするわたしにメイドが地面に膝をついて縋りついて来る。
「そ、それでしたらどうか私もお連れ下さい! 今までお嬢様のお世話を任されていたのは私でございます! お嬢様がどちらかに嫁がれるのでしたらついて行くのが侍女の務めです!!」
脇にいた二人のメイドが怪訝そうに眉を寄せた。
わたしもまじまじと縋りつくメイドの顔を覗き込んだ。
言いたいことは分かるわ。
わたしの侍女と言うわりには帰ってきての出迎えもなければ別邸で控えているわけでもなく、終わる頃になってひょっこり現れたんだものね。それに侍女ならわたしから既に事の仔細を聞かされているはずだ。
「あら、あなたはわたしの侍女でしたの? 知らなかったわ」
「ねえ、ユナ」とウィンターズ様がつけてくださったメイドの一人に声をかける。
ユナは二十代半ばほどの女性で茶髪に同色の瞳で、気の強そうな顔立ちだが、頬にうっすらとあるそばかすが可愛らしいメイドだ。まだ会って時間は経たないがハキハキとしてよく気の利く仕事の出来る女性だった。
「侍女の仕事というのは、冷たい水風呂に幼い主人を無理矢理入れて肌が赤くひりつくまで洗ったり、殆ど味のしないうっすら色のついたお湯みたいな紅茶を淹れたり、こっそり主人の食事や装飾品を盗んだ挙句に放置して何もしないものなのかしら?」
ユナが足元のメイドを凍り付くような目で見下ろす。
「いいえ、そのようなことは絶対にありえません。侍女はお仕えする方が快適にお過ごしいただけるようお世話をさせていただく身であり、間違っても虐待や盗みなどは致しません」
「だ、そうよ? 自称わたしの侍女さん?」
「むしろこのメイドのしたことは罰を受けるべきものでございます」
「そうよね、連れて行って然るべき罰を受けさせようかしら?」
ひいぃぃ、と情けない声を上げてメイドが逃げていく。
あのメイドは昔から嫌いだった。継母や異母妹の言うことばかり聞いてわたしに意地悪をすることで、他の使用人よりもあの二人に気に入られようとしていたから。
それを見送り、ユナは「私共は決してあのメイドがしたようなことは致しませんので、お屋敷ではゆっくりとお寛ぎください」と穏やかに微笑んだ。もう一人の三十代ほどのメイドのリタも深く頷く。
そうして三人で馬車に荷物を詰めるとウィンターズ様のお屋敷へ向かう。
馬車に揺られて来た道を少し戻り、別の道を通って着いた先には大きな門付きのお屋敷が待ち構えていた。アリンガム子爵家の屋敷より二回りは大きい。前庭も見える。門のところには警備兵がおり、馬車を見ると近付いてきてリタと言葉を交わし、門を開けてくれた。
ウィンターズ様のお屋敷は王城寄り、つまり王都の中心部に近い位置にあった。
……近衛騎士ってとっても高給取りなのかしら?
確かにそれなりに高給そうだけれど、こんなお屋敷を持てるほどなの?
疑問を感じるわたしを余所に馬車は敷地へ入って行く。
馬車が正面玄関の前で停まった。馬車の扉が開くと手袋に包まれた手が差し出された。
顔を上げれば初老の男性が目元を和ませてわたしを見ていた。男性の服装からして屋敷の使用人だろう。年齢的に考えて家令か執事か。他にも大勢の使用人達が出迎えてくれたのが嬉しい。
差し出された手を借りて馬車を降りる。
「ようこそおいでくださいました。私はライリー様にお仕えしております、オーウェルと申します。屋敷の家令を務めておりますので、不便がございましたら何なりとお申し付けください」
「御丁寧にありがとうございます。エディスといいます。突然押しかけてしまってごめんなさい。わけあって家名も名乗れないわたしだけど、今日からお世話になります」
浅く頭を下げたわたしにオーウェルは少しだけ目を丸くし、それから目尻を下げて穏やかに微笑み「お部屋までご案内致します」と屋敷の中へ招き入れてくれた。
外観はおしゃれでなかなかに豪華そうだったが内装はすっきりと纏められていて、無駄な華美さはなく、しかしシンプルなだけで置いてあるものはどれも品が良かったので落ち着いた印象である。
派手さや華美さをあまり好まないのは真面目そうなウィンターズ様らしい気がした。
案内されたのは二階にある客室の一つであった。
客室と言っても寝室と居間が続き間になっており、それとは別に浴室がついている。
「婚約期間中はこちらのお部屋を使用していただきますが、旦那様とお嬢様が御結婚された後に三階の主寝室とその続きの間へ移動することになっております。貴族の間で女性は貞淑さを重要視されることから少々部屋を離させていただきたい、と旦那様から言付かっております」
「分かりました。わたしに配慮してくださったことはとても嬉しいです。後ほどお会いした時にお礼を申し上げておきます」
「はい、そうしていただければきっと旦那様もお喜びになるかと存じます」
オーウェルと話している間にリタとユナが荷物を運び入れる。
わたしも手伝おうかと思ったが、このお屋敷に来た以上はわたしはウィンターズ様の婚約者であり、二人にとっては仕えるべき主人なので手伝わせるわけにはいかないと断られてしまった。
それもそうね。何より主人が使用人の仕事を取り上げるのは良くないわ。
すぐにお屋敷の中を見て回ろうかとも考えた。でも今日は色々とあって精神的に疲れたので、お屋敷を見て回るのは明日にして、リタが用意してくれた紅茶を飲みながらゆっくりと過ごすことにした。
紅茶もお菓子も美味しいし、部屋は広くて品のある家具で整えられて居心地が良い。
これからはここがわたしの家になるのね。
何だか歓迎されている雰囲気なのもありがたい。
少ない荷物を片付け終わったリタとユナが近付いて来る。
「お嬢様、この後の御予定はございますでしょうか?」
「いいえ、特にはないわ」
リタとユナが顔を見合わせ、頷き合う。
「では、よろしければ入浴されてはいかがでしょう?」
「お疲れの御様子ですので湯舟に浸かれば心も和らぎますよ」
「……そうね、そうしようかしら」
荷造りで大分汚れてしまったし、ウィンターズ様がお帰りになる前に身綺麗にしておくのも大事よね。
湯舟というのも魅力的だった。アリンガム子爵家の別邸では満足にお湯も沸かせないから、湯船に浸かるだなんて出来なかった。メイドがいると大きな桶に水か温い湯を張って雑に洗われるのが嫌で逃げていたのもある。
紅茶をもう一杯飲みながらのんびり待ち、湯の支度が出来ると二人と共に浴室へ移動する。
大きなバスタブには湯気の上がるあたたかそうな湯が張られ、そこには花びらも散らしてあり良い香りが室内に漂う。湯気で室内もほんのりあたたかい。
衝立の中でドレスやコルセットなどの下着を脱ぐと低い椅子に座らせられて、まずはそっとかけ湯がされる。熱過ぎない湯が何度かかけられると石鹸を泡立てたスポンジで丁寧に全身を洗われる。痛みはない。ただ結構汚れていたらしく三度も泡を流した。
それが終わると湯船に入るよう促される。
花びらの浮かぶ湯舟は少し低めの温度でバスタブの縁に頭を預けることが出来る。
わたしが湯に浸かっている間にリタとユナが髪を洗う。湯で汚れを落とし、少量ずつ絡まりを解き、髪用の石鹸で頭から毛先まで丁寧に二度ほど洗った。その後に花の香油を何度もつけては櫛で髪を梳いて艶を出すと大きなタオルで纏めてしまう。
体が完全に温まると出て、タオルが敷かれた場所に横になる。
今度は体用のほんのり甘い匂いのする香油を全身に塗られ、前の記憶にあるマッサージが始まった。今生のわたしは初めてで少し戸惑ったが微かに痛いような、でもそれ以上に気持ちの良い感覚に肩の力が抜ける。
リタとユナ、二人がかりのマッサージで湯舟に浸かっていなくても体がぽかぽかと温かい。
うとうとしている間に顔も化粧水などをたっぷりはたかれた。
更に俯せ、仰向けと全身余すところなく揉み解された後に起き上がると、自分でも驚くほどに体が軽くなっていたし、肌もツヤツヤとして入浴前よりも白く輝いていた。
コルセットのない緩い服を着せられて寝室に戻るとドレッサーの前に座らせられて、リタが丁寧に髪を乾かしながら梳る。その間にユナがわたしの爪を綺麗に整え始める。全部誰か任せなんてまるでお姫様だ。
合間に水分補給でレモン水を飲む。さっぱりして美味しかった。
それから持っているドレスの中でもまだ新しい方だった、淡い紫色のものを身に纏う。
装飾品がないことを二人がとても悔しがっていたがわたしは気にならなかった。
「お化粧はどうなさいますか?」
ユナの問いに少し考える。
「控えめがいいわ。ウィンターズ様はあまりお化粧の匂いを好まれないみたいなの」
「畏まりました」
そういうわけで眉を整え、アイラインと頬紅と唇に薄く紅を引く程度。
それでも鏡に映るわたしは見違えるように美しくなっていた。
髪は傷みが減って艶があり、絹みたいにしっとりと背に流れている。肌は今までで一番白く輝き、アイラインで菫色の瞳が強調され、冷たさのあった相貌は頬紅と口紅であたたかみが生まれ、淡い紫のドレスが瞳とよく合っているようだった。
……あら、もしかしてわたしって顔もお母様似だったのかしら?
首を傾げ、鏡の中に映る母そっくりな姿を見つめる。
ずっと色味だけは母で、外見は父に似たと思っていたが、それは磨いていなかっただけで本来はこうあるべきだったのかもしれない。
リタとユナが「お嬢様、お綺麗です」と褒めてくれるのがお世辞じゃないと前の記憶のわたしが頭の中で頷く。長身も、すらりと長い手足がまるでモデルのようだ。
…………今のわたし、異母妹よりも美しくない?
フィリスは小柄で守ってあげたくなるような幼さの残るか弱い美少女だ。
そして鏡に映るわたしは少女というよりは美女だった。地味なはずのドレスも不思議と大人っぽく見えて、痩せているものの腰も細く、長い手足も相まって触れたら簡単に手折れてしまいそうな儚い雰囲気の美女がそこにいる。
記憶の中に残る、病で寝たきりになった母の面影と重なった。
「……お母様……」
つい鏡に触れてしまう。
十年ぶりに母に再会したような気分だった。
それにこれだけ美しいのならウィンターズ様は喜んでくださるかも。
ちょっと痩せぎすだからこれからはきちんと食事を摂って、運動して、もう少し女性らしい体付きになりたいわ。そうしたらきっとウィンターズ様に相応しい女性になれそう。
「ありがとう、リタ、ユナ。本当のわたしを見つけられた気がするわ」
振り返れば二人のメイドが嬉しげに微笑んだ。
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