寝取られ令嬢は英雄を愛でることにした
終わりと始まりはあっさりと
舞踏会の翌日、とても珍しいことにわたしは父に呼ばれた。
見覚えはあるが名前は分からないメイドについて行き、久しぶりに本館へ足を踏み入れる。
幼い頃から住んでいる別邸には殆ど使用人がおらず、昔のわたしは寂しさと不便さによく泣いたけれど、お蔭で今生のわたしは令嬢でありながら自分のことは自分で出来るようになった。
前のわたしの記憶もある今は別館生活も悪くないと思う。
だって別館には意地の悪い継母や異母妹、無関心な父はあまり来ない。三人共、用がある時はわたしを呼び出すから別館自体は一人で落ち着ける場所なのだ。継母や異母妹は別館を「小屋」だとか「犬小屋」と称しているがこぢんまりとした一軒家くらいの大きさで一人か二人で住むには丁度良い広さであった。
「あら、婚約者に捨てられた哀れな娘が本館に何の用?」
面倒臭いことに継母と廊下で鉢合わせてしまう。
平民にしては目立つハニーブロンドには下品なほど派手な髪飾りがつけてある。
ドレスも普段着にしては派手で、化粧も濃く、装飾品も多い。
全体的にゴテゴテして品のない姿に鼻で笑ってしまう。
「子爵に呼ばれたので来ただけですわ。そうでなければ朝から夫人の顔なんて見ずに済んだのですが、呼ばれてしまった以上は仕方ありませんもの」
言外にお前に用はないと告げればピクリと継母の眉が動く。
前のわたしなら俯いて黙ってしまっただろう。
まさか反撃されるとは思っていなかったらしく、継母の持つ扇子がミシリと軋む。
「そ、それはわたくしも同じですわ。あなたのような家の役にも立たぬ者など見たくもありませんわ」
「そうですか、では話しかけなければよろしいのでは? わたしも妻帯者と平然と浮気をするような女性や婚約者を寝取るような娘が形だけとは言え『家族』だなんて不愉快極まりないと思っていたの。良い機会だから言わせていただきますが、今後はあまり話しかけないでくださいな」
「な、な……っ! あ、あなた……!!」
「子爵に呼ばれておりますので失礼します」
肩にかかったプラチナブロンドを手で除けながらツンと顔を上げて夫人の横を通り過ぎる。
昨日までのわたしと同じと思ったら大間違いだ。
後ろでギャアギャアと騒ぐ声がするけれど無視して父の書斎へ向かう。
メイドも何かもの言いたげだが無視した。
書斎に着き、扉を叩けば中から男性の声が「入れ」と言ったので、メイドが扉を開ける。
そうして中に入れば書斎机を挟んだ向こうに父が座っていた。
柔らかな茶金の髪にエメラルドグリーンの瞳の、ややふくよかな男だ。
冷めた目に見つめられ、わたしも無表情にそれを返す。
「お呼びと伺い参りました」
子爵はわたしを座らせることもせずに手紙を持って見せた。
「第二王子殿下から今日の午後、登城せよと手紙が届いた。呼ばれた内容は書かれていないがお前を連れて来るように厳命されている。何か殿下に失礼を働いたのか」
本当に昨日の今日で手紙が届いたらしい。
わたしは首を振って否定した。
「いいえ、何もしておりません」
「では何故呼ばれたのだ!」
「分かりません。ですが、思い当たる節はございます。例えば、王家主催の舞踏会という場で厚顔無恥にも婚約破棄を行い、場の雰囲気を壊しただとか。それも姉の婚約者を妹が寝取るだなんて、華々しい場に相応しくない醜聞を晒してしまいましたものね」
「っ!」
わたしが騒がないからもしや忘れていたの?
一瞬にして怒りで真っ赤に染まる父の顔が面白い。
「もういい、下がれ! 昼食後に登城するから準備はしておけ!」
「畏まりました、失礼致します」
カーテシーを行い自分で扉を開けて執務室を後にする。
登城する理由を正確に知っているわたしはいいけれど、突然王子に呼び出された父はわけが分からず仰天したことだろう。呼び出された理由を知ったら更に驚くことになるのは明白だ。
ともかく、王城へ行くなら着ていくドレスを見立てないと。
何とか登城出来るけれど、古くて、野暮ったくて、地味で、子爵令嬢が着るには少々難があるような、そんなドレスを選ばなくちゃね。装飾品はどうせないし。靴だってどれも擦り切れてるから色だけ合わせればいいわ。
ああ、楽しみ。早くウィンターズ様に会いたい。
* * * * *
黒パンに少しの肉と野菜が入ったスープ、ちょっと乾いたチーズが昼食だ。
あまり美味しくないが使用人も似たようなものだと思えば、まあ食べられなくはない。何も口に出来ない日を考えれば、食べられるだけ今日はいい方だった。
その後に一人で着られるドレスに着替える。色はくすんだ灰色で、随分と前に古着で買って適当に渡されたものだ。よく見ると所々解れた場所を繕っているし、フリルも刺繍もなく、光沢はあるがそれが逆に重たく野暮ったい。
髪もあえて一度櫛を通すだけ。艶は極力出さない。
靴はドレスに合わせた同じ素材のもの。大きさが合わなくて爪先に布を詰めてある。
メイドに呼ばれてその恰好で本館へ向かうと見かけた継母はニヤニヤしていた。多分、野暮ったいドレスしか着られなくていい気味と思っているだろうことが一目で分かる。
父は不快そうに僅かに顔を顰めたが何も言わずに同じ馬車に乗って登城する。
どうやら手紙には子爵である父とわたしだけで来るよう書かれていたようだ。
時間的に今から着替えるのは無理だものね。
登城すると話が通っていたのか王城のメイドがやや小さな応接室の一つにわたし達を通した。小さいと言ってもわたしの住む別館よりかは広くて、下手したら本館よりも豪華だ。
メイドが準備した紅茶を飲む。美味しい。
誰かの手で淹れられた紅茶を飲むのは久しぶりだ。
以前別館によく来たメイドは下手で、薄く色のついたお湯しか出さなかった。考えなくてもあれは嫌がらせの一環だったのだが、それならと結局自分で淹れることにしたのだ。
子爵は少し緊張しているらしい。紅茶にも手を付けない。
やがて扉が開かれたことで、わたし達は立ち上がって礼を取った。
「やあ、突然呼び出してすまないね」
軽い調子でそう言いながら入ってきたのはショーン殿下だった。
殿下がソファーに腰掛けたことでわたし達も顔を上げて、促されるまま座り直す。
ショーン殿下の後ろにはウィンターズ様が控えていた。目が合うと少しだけ獅子の鋭い視線が緩んだような気がして、わたしも微かに口元に笑みが浮かんだ。
「今日呼んだのは御令嬢のことなんだけどね」
殿下がチラとわたしへ視線を向ける。
「あ、あの、これが何か粗相を致しましたでしょうか? もしそうであれば厳正な処罰を下してください。これには我が家もほとほと手を焼いておりまして、身の程というものが分かっていないようなのです。殿下直々に罰を御申しつけいただければ、これを修道院へ入れることが――……」
父が両手を擦りながらへらへらと媚びへつらうような笑みで言う。
へえ、修道院ね。婚約破棄されたのを理由に送るつもりだったのかしら。
だが殿下はそれを一刀両断した。
「一体何を言ってるの? 今日呼びだした理由は僕の近衛であるライリー=ウィンターズとエディス=アリンガム嬢のお見合いの打診だよ」
子爵の笑みが引き攣り、固まる。
「え? み、見合い、ですか……?」
「そう。ちなみにライリー=ウィンターズは知ってるよね? この顔見て分からないってことはないと思うけど。ライリーはここにいる護衛騎士のことだよ」
「そ、それは存じ上げておりますが……」
チラチラと父がウィンターズ様を見ては顔を青くして視線を逸らす。
怖いなら見なければいいのに。
「実は、昨夜の舞踏会で二人は運命的な出会いをしたそうでね。しかも聞くところによるとエディス嬢は昨夜婚約破棄されたって話だ。なら婚約者のいない者同士どうかと思って善は急げと呼んだのさ」
運命的な出会いと言えばそうね。
わたしが一目惚れしてとにかく押しまくったんだもの。
「し、しかし英雄とまで呼ばれるお方の妻にするにはこれは少々問題がありまして……」
「そんなことはないよ。ライリーにも僕にも物怖じせずに接することが出来て、年齢的にも家格的にも問題はない。何より彼女の婚約が破棄された理由も彼女には非がないものだった。それとも王家の紹介する者との見合いは信用出来ないかい?」
「そのようなことはございませんっ! しかし、まだ婚約破棄の届け出が承認されていないのではと思いまして」
「それなら陛下が既に承認したからライリーとの婚約は今すぐにでも出来るよ」
返す言葉がないのか父が苦虫を噛んだような顔をした。
修道院へ送って厄介払いしようと思っていた娘が王家からの見合いで王都に残るのが気に食わないのか。どちらにせよ自分の思った通りにいかないのが気に入らないみたいだ。
見合いの打診と言っても、王家の面子を潰すことなど出来ないので、この話を子爵家は受け入れるしかない。
「ただ、そう、これが英雄様に何か粗相をしてしまった時、我が家の責任となっては少々困るのです。何分、不出来な子ですので……。それに英雄様と我が家は縁続きになるなど恐れ多いのです」
……なるほど、ウィンターズ様と縁続きになるのも嫌なのか。
英雄と呼ばれてはいても貴族達には怖がられている人だものね。
「お父様、ではわたしを絶縁してくださいまし。そうすればわたしが何をしても子爵家に関係はございません。ショーン殿下、それでも婚約・婚姻は許されるのでしょうか?」
「うん、その場合は別の家へ形だけ養子に入ってもらうことになる。その方が良いのであれば、ライリーに釣り合う家格の家を紹介するよ。ライリーはどうだい?」
殿下に声をかけられたウィンターズ様が一つ頷いた。
「その方がよろしいかと。私は良くも悪くも様々な噂がありますので、アリンガム子爵家に御迷惑がかからない形の方がお互いのためになると思います」
ウィンターズ様から婚約・結婚に関する前向きな言葉が聞けて嬉しくなる。
昨日はあれだけで押しても答えてくれなかったから少し不安だった。
何か理由があるにしても、受け入れてもらえると分かってホッとする。
「殿下、ウィンターズ様、ありがとうございます。……いかがですか、お父様」
父は殿下を見て何度か頷いた。
「我が家の迷惑にならないのであれば是非。これは婚約も破棄されて、このままでは我が家の恥になるところでしたのでもらっていただけるだなんてありがたいことにございます」
その恥はあなたの愛娘である異母妹が婚約者を寝取ったからなんだけど。
ここにいる者は全員、破棄理由を知っているのによく言えたものだ。
殿下は側仕えにいくつかの書類を用意させた。
一つは婚約届、一つは絶縁状、一つは養子縁組みの証明書。
まずは絶縁状にサインをした。父とわたしの二人分のサインだ。絶縁状にはわたしの婚約・結婚に伴い縁を切る旨が詳細に書かれており、承認されれば以降はわたしはアリンガム子爵家とは無関係な人間となる。縁を切るので子爵家の相続は出来なくなる。父はこれで愛娘フィリスが家から出ずに済むと喜んだ。
次に養子縁組みの証明書。こちらに関してはまだ養子先を見つけてはいないものの、一両日中には探し出せるというので、先に父のサインだけが記入された。わたしのサインは養子先の人と会ってから決めれば良いと空白のままだ。
最後の婚約届。これには日付が既に記入されており、婚約後、つまり今日から交友を深めるためという名目でアリンガム子爵家ではなく婚約者のウィンターズ様の下で暮らすことが決定付けられていた。婚姻前の男女が同じ屋根の下で暮らすのはあまり褒められたものではないのだが、ウィンターズ様の容姿に慣れるためだとか何とか尤もらしい理由がそれっぽく書かれていた。
それを読んで驚いて顔を上げればウィンターズ様が強く頷き返してくれた。
思わず持っていた書類を握ってしまいそうになる。
新しい記憶のお陰で辛さは減ったが、今までのことを忘れたわけではない。
それに今日から好きな人と同じ屋根の下だなんて――……
「……心臓、もつかしら」
呟いた言葉にショーン殿下が顔を上げる。
「エディス嬢? 何か言った?」
「いえ、何でもありません。ただの独り言にございます」
婚約届にわたしとウィンターズ様、証人に殿下の名が書かれる。
親のサインの欄は空白だ。ここには数日以内に養子先の名が入るだろう。
全ての書類を確認して立ち上がる。
「ショーン殿下、ウィンターズ様、この度は誠にありがとうございます」
二人へ丁寧に頭を下げる。
そして父に、いや、子爵に向き直る。
「お父様、今までお世話になりましたわ。今後は関わることも少ないかと思いますが、どうかご自愛くださいませ。子爵夫人と子爵令嬢にもそうお伝えください」
それが嫌味だと分かったのか子爵はフンと鼻を鳴らしただけだった。
絶縁する父と娘らしい別れ方とも言えよう。
……本当に馬鹿な人だ。
確かにフィリスの婿は伯爵家だ。上の家格の血筋を受け入れ、爵位も維持出来る。
でもそれは家格だけを見た場合の話である。
大して名の知れていない伯爵家の次男坊を受け入れるのと、男爵家の三男坊だが自身が騎士爵位持ちで王家の信頼厚く、英雄とまで呼ばれた騎士と縁を繋ぐの。果たしてどちらの方が有益か。
そのうち気付くかもしれないけれど絶縁した以上は無関係だ。
その時になって絶縁した意味に気付いて愕然とすればいい。
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