寝取られ令嬢は英雄を愛でることにした
ロックオンしました
まさかこの世界で獣人に出会えるなんて。
そう思うわたしの頭の中で別の声が「あの方は獣人ではなく、自分が殺めた魔獣に呪われたのよ」と言う。それは以前のわたしの記憶が囁いたものだった。
呪い? だから何だというの?
すぐそこに最高に魅力的な男性がいる事実は変わらないわ。
わたしが見つめるように、相手もこちらを見つめている。
その視線に導かれて足を進めれば周囲の人々が引いていく。
カツン、と微かな音を立ててわたしはその人の前に辿り着いた。
長身なわたしでも、その人にとっては胸高までしかなくて、見上げた先にあるのは黄金の鬣に覆われた獅子の顔だ。近くで見ると左顎から頬にかけて斜めに二本、鋭い何かで引っ掻かれたような古い傷跡がある。それが獅子の顔をより厳めしく見せていた。
獅子の顔なので表情は分からないが視線だけは外れない。
ドレスの両端を摘まみ、片足を少し後ろへ下げ、もう片足を軽く曲げ、腰を浅く折る。
これまでの人生で最も美しいだろうカーテシーを行った。
「初めまして、アリンガム子爵家の長女、エディス=アリンガムと申します」
顔を上げて心のままににっこりと笑いかける。
すると獅子の喉元から小さく唸る音がした。
あら、見た目だけでなく唸り声まで出せるなんて素敵。
「……ウィンターズ男爵家の三男、ライリーです。国王陛下より騎士爵位を賜り、現在は第二王子殿下の近衛隊長という名誉ある職をいただいております」
やや掠れた重低音は普通の貴族令嬢なら怯えてしまったかもしれない。
でもわたしにはその重低音が獅子の雄々しい顔によく似合って聞こえた。
「まあ、騎士様とは存じておりましたが、近衛隊を束ねる方でいらしたのですねっ」
つい声が弾んでしまう。
獅子の獣人で、掠れた重低音ボイスで、大柄な体格だが話し方は丁寧で、けれどどことなく騎士らしい武骨さもあって、男爵家で騎士爵位持ち。第二王子の近衛なら王や王太子の近衛よりも競争率は下がる。子爵家の娘と結婚しても身分差というほどではない。
これはもう狙うしかないわ。狙ってくださいと言ってるようなものよ。
「大変不躾な質問であるのは承知しております。ウィンターズ様は婚約している方や、想いを寄せていらっしゃる方はいらっしゃいますか?」
「え? ……い、いえ、私はこのような身の上なのでそのような方はいませんが……」
若干前のめりになったわたしに驚きながらも答えてくれる。
この人は今フリーだ。それが嬉しくて更に笑みが深まる。
「では、よろしければわたしと一曲踊っていただけないでしょうか?」
手を差し出すと獅子のキリッとした目がパチパチと瞬いた。
なにそれかわいい。驚いてるのすごくかわいい。
基本的にダンスは男性から女性に申し込まれるものであり、女性から申し込むことはルールに反することではないものの、とても珍しい。
大柄な体から戸惑っている気配が漂って来る。
それでも大きな手が下からわたしの手をそっと掬い上げる。
手袋の隙間から黄金の毛並みが生えているのが見えた。
頭だけでなく全身に毛が生えているのだろうか。傍で見ただけでもさらさらふわふわとした鬣なのが分かるくらいだ、全身もそうであればきっと似たような手触りで気持ち良さそうだ。
「私などでよろしければ」
緊張しているのか先ほどより硬い声音にくすりと笑ってしまう。
「『など』だなんて卑下なさらないでください。わたしはあなたが良いのです」
少々品がないと思われるかもしれないが重なった手を引いてダンスの輪に混じる。
鋭い爪のある大きな手が恐る恐るわたしの腰に触れる。近付いた距離にドキドキと胸が高鳴る。自分から誘っておいてこんなにドキドキしてしまって、この音がウィンターズ様に聞こえてしまわないかと恥ずかしくなった。
軽やかな音楽に合わせて動き出すと、すぐにウィンターズ様のダンスの技量が高いことに気付いた。
身長も歩幅も違うのにステップが合う。がっしりした体格で大きな手が迷いなくリードしてくれるので安心して身を任せられる。くるりと回転して引き戻される力強さが心地好い。
「ダンスがお上手ですのね」
余裕があるので話しかけてみる。
「実は少し練習しました。この体になって以降はこういった場に出たことはなかったので。アリンガム嬢もお上手ですね。とても踊りやすい」
「妹もおりますのでわたくしのことはエディスとお呼びください。今までは婚約者としか踊ったことはなかったのですが。……先ほど婚約を破棄されたので、元婚約者となりますね」
「婚約破棄?」
「彼はわたしよりも異母妹の方が好みだったということですわ」
軽く肩を竦めてみせれば獅子が小さく唸る。
聞く者によっては恐ろしいそれも、わたしはうっとりしてしまう。
獅子の口が僅かに開閉し、戸惑いの混じった声で問われる。
「何故、私に声をかけてくださったのですか」
不安と、警戒と、諦めが伏せた瞳に垣間見えた。
ウィンターズ様は自分の外見を正しく理解しているのだ。
この世界では「化け物」と呼ばれても仕方ない姿だと、こんな姿の者に好んで近付きたがる人間なんていないのだと、自分は受け入れられはしないと思っている。
だからわたしは笑って重なる手に力を入れた。
「わたしは他人とは少し嗜好が異なりますの。あなたのような人がわたしは好ましいんです」
「……この獅子の顔に全身毛だらけの醜い姿が良いと?」
信じられないと言いたげな言葉に頷き返す。
「ええ、わたしは長身ですから凛々しく雄々しい獅子に男性的な大柄な体付きの方がいいわ。その鬣は撫でたらふわふわなのか、サラサラなのかとても気になりますし、口元のおヒゲの生えた部分も触ってみたいと思っております」
「それでも私は呪われている。この呪いがうつるかもしれません」
「あら、そうしたらあなたとお似合いになれますわね」
出来ればわたしも獅子かネコ科の動物になりたいところです。
そう続けて告げるとウィンターズ様が足を止めた。
何かまずいことを言っただろうかと見上げれば、獅子が口を大きく開け、声を上げて笑った。弾けるような声に周りが「なんだ?」とこちらを見たけれども相手が獅子の顔をしていると気付くや我関せずといった様子で即座に顔を背ける。
ダンスの輪から引き離されるも、あまりにも笑うのでわたしは居心地が悪くなった。
「笑い過ぎですわ」
テラスに出て、人目がなくなったので腰に手を当てて怒ってみせるとウィンターズ様が謝罪する。
「も、申し訳ない。まさかそのような返答が来るとは予想していなくて」
背けていた顔を戻したウィンターズ様にぐいと近寄る。
思わずといった風に一歩下がられたが構わず更に踏み込む。
「ウィンターズ様、わたしと結婚してくださいまし。わたしは呪いであなたを嫌いになることは絶対にございません。浮気だって致しませんわ。だって目の前に誰よりも魅力的な殿方が既におりますもの」
さあ、さあ、と詰め寄るわたしにウィンターズ様が慌てた様子で下がる。
たじたじな様子に押してダメなら引いてみろで攻めてみる。
「それともわたしのような地味な女はお嫌いでしょうか? そうですわね、化粧もまともにせず、ドレスも地味で、女なのにこんなに長身で、可愛げもない上に婚約破棄されたわたしなど誰もいらないですわよね」
「い、いや、私は鼻が良いので化粧はあまり好かないのでむしろ……って、そうではなく」
「ではわたしのことは嫌いではないのですね? ああ、嬉しい! 嫌いでないのなら結婚してくださってもよろしいでしょう? 幸いわたしは婚約を破棄されて独り身ですもの」
「だが私達は出会ったばかりで結婚だなんて……」
「結婚するまでの時間だなんて人ぞれぞれですわ。中には結婚するまで夫と顔を合わせたことがないというのもあるくらいです、出会ってすぐに婚約、結婚する者がいてもおかしくありませんわ!」
まだ言いたいことはあるかと見つめていれば「ぷっ」と吹き出す音がした。
続いて、盛大な笑い声が響く。
いつの間にかウィンターズ様をテラスの端まで追いやっており、振り返ればテラスの出入り口に複数の人影が立っていた。
真ん中に立つのは月光を溶かしたような美しく長い銀髪を緩く編んで肩に流し、ルビーをはめこんだと言っても過言ではない紅く輝く瞳を持った細身の美青年だ。その一歩後ろにはウィンターズ様と同じ格好の騎士が二人、左右に陣取っている。
「あはははは! ねえねえ、今の見た? あの『英雄獅子ライリー=ウィンターズ』が自分よりも小さくて年下の御令嬢に迫られてたじたじになってるだなんて!! 面白過ぎる!!」
ぶふーっ、と吹き出しながら笑う美青年に左右の騎士は口を引き結んでいる。
わたしは慌ててウィンターズ様から体を離してカーテシーを行う。
ウィンターズ様も胸に手を当てて礼を執った。
美しい銀髪にルビーのような深紅の瞳はこの国の王族の証だ。
「ああ、そういう堅苦しいのはいいよ。顔上げて」
ひらひらと振られた手に顔を上げる。
横のウィンターズ様が「ショーン様、一体いつから……」と呟いた。
「そこの御令嬢が君に声をかけた時からかな。面白そうだったのでつい見に来ちゃった」
随分と悪びれずに言うので怒る気にもなれない。
記憶の中にある王は四十代で、王太子は確か二十半ばほどで、目の前の人物はもう少し若く見えるので恐らくウィンターズ様がお仕えしている第二王子ショーン・ライル=マスグレイヴ殿下だ。
薄暗い中で紅い瞳がわたしを見やる。
「君、名前は?」
「アリンガム子爵の長女、エディス=アリンガムと申します」
「ふうん、どうしてライリーに声をかけたの? こんな見た目だけど怖くないの? そりゃあ中身は馬鹿真面目で騎士としては申し分ないよ。英雄だから結婚すればそこそこ地位もあっていいかもね。でも獅子の顔だよ? 爪も牙もあるんだよ? 普通に考えたら化け物でしょ?」
こんな、と利き手の親指でショーン殿下がウィンターズ様を示す。
「……ではありません……」
「え?」
「『化け物』ではありません!」
勢いよく顔を上げたわたしにキョトンとショーン殿下が目を丸くする。
ずずい、と身を乗り出せば殿下の後ろにいた騎士達がピクリと反応したけれど、わたしは構わずに横にいたウィンターズ様の腕を引っ張って屈ませる。
「よろしいですか殿下、よく御覧ください。この凛々しくも雄々しい獅子のお顔立ち。格好良いでしょう。左頬についた傷で更に男前になっていらっしゃる。それなのに口元に生えたおヒゲや顎辺りのもこもこした感じだとか、鬣のふわふわサラサラそうな感じだとか、その鬣からちょこんと出ているお耳の丸い形だとか、まあるくて大きな瞳だとか、お可愛らしいところもあってその食い違いが最高にいいのです。声も低くてうっとりしますし、厳めしそうな外見に反して紳士的なのも素敵で、大柄な体は包容力があります。しかもよく見たら尻尾もあるではありませんか! もう何もかもがドストライクなんです!」
「ドス? えっと、つまりは……?」
「ウィンターズ様は呪いを含めてわたしの理想の男性なのです!! 許されるなら毎日その鬣を櫛で梳いて整えて差し上げたいほどですわ!!」
言い切ったわたしにショーン殿下はわたしとウィンターズ様を交互に見た。
そして「ぶはっ」と口元に手を当てて笑い出しだ。
余程おかしいのか過呼吸気味にヒィヒィいってる。
「く、くちのヒゲっ……みみが、めがかわいい? け、毛並みをととのえるって……っ!」
わたしの方はまだまだ言い足りないけど言いたいことは言えたのでスッキリだ。
「ほ、本当に私の見た目が怖くないのか……」
呆然と言うウィンターズ様に力強く頷き返す。
「ええ、勿論ですわ。怖いどころか最高に魅力的ですもの!」
そのしっとり濡れたお鼻もお可愛らしいのです。
と言えば、とうとうショーン殿下が腹を抱えて笑い出した。笑い過ぎて苦しげで、騎士の一人が背中を擦ってあげているが笑いは治まらないようだ。
人に聞いておいてそこまで笑うのは少々失礼ではないかしら。
王族相手だから流石に文句は言いませんけれど。
それから散々笑ったショーン殿下は何度か深呼吸をすることで落ち着いた。
とは言ってもいまだに笑いが滲んではいる。
「なるほどね。婚約破棄された御令嬢が自暴自棄になったのかと思ったけど、そうじゃなくてただの一目惚れだったってことでいい?」
「はい、その通りでございます」
時間が経ってわたしの方も熱が冷めたので澄まし顔で殿下に頷き返す。
後ろの騎士達が何とも言えない顔をしているけれど関係ない。
わたしは聞かれたことを正直に答えただけだ。
「ライリー、良かったじゃないか。こんなに君を好いてくれる御令嬢なんて、きっと多分他にはいないんじゃない? これを逃したら君は一生独り身かもしれない。王家としては優秀な血は残して欲しいなあ」
「それはそうですが……。たとえ私や彼女が同意しても、彼女の御両親は反対するでしょう」
「うーん、じゃあ、明日アリンガム子爵を呼び寄せて説得しよう。本人は君と結婚したいと申し出ているんだし、父親から同意が得られれば問題ないよね? 彼女みたいな面白い人が君の奥さんになったら僕も面白そうだし」
最後、本音漏れてますよ。殿下。
まあ、殿下がウィンターズ様とわたしの結婚を許すなら父も継母も反対出来ないと思う。
何せ王族直々にされる見合い話だもの。断って反感を買うわけにもいくまい。
「アリンガム嬢もそれでいい?」と聞かれてわたしは満面の笑みで頷いた。
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